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限りなく透明に近いふつう

やさしい鬼です お菓子もあります お茶も沸かしてございます

サラダを取り分けなくたって女の恥ではない。

 

小学校高学年の頃、近所に住んでいた友達カヨちゃん(仮名)の誕生日会に行った。

確か男女取り混ぜて7.8人のクラスメイトが来ていた。

みんなですごろくとかテレビゲームをやって、そろそろお昼になろうかという時に、カヨちゃんのお母さんが「女の子はちょっと来てー」と言って、カヨちゃんを含めた私ら3.4人の女子が台所に呼ばれた。

台所のテーブルには太巻きとか唐揚げとか、いわゆるご馳走が並んでいて、私たちは「おいしそー!」と沸いた。

それで私達はカヨちゃんのお母さんに言われるまま、その料理を居間のテーブルに運んだりテーブルを拭いたり冷蔵庫から飲み物を出したりした。

男子はその間ずっとテレビゲームをしていた。

いよいよ、さぁみんなでいただきますの前、私の目前に麦茶の入ったピッチャーがあったのを1人の男子が手を伸ばして取り、コップに麦茶を注いだ。

なんの気もなく私がボケーとそれを見てたら、カヨちゃんのお母さんが言った。

「あら、それはカヨ子がやらなきゃ。」

そう言われたカヨちゃんは「しまった」という顔をした。

そこに続けてお母さんは言った。

「こういう時は、女の子が注いであげるといいのよ。」

 

その時、私はかすかに心がチクっとした。

気のせいかもしれないけど、2言目はカヨちゃんに向けた言葉じゃない感じがしたから。

お茶が1番近くにあったのは私で、しかも私は「女の子」に含まれるから、「女の子が注いであげるといい」は、カヨちゃんではなく、ボケーっと見てた私に向けられた言葉のように感じた。

思い返してみると、私の母は幼少期から私にこういうことを一切言わない人だった。

「女の子だからみんなの飲み物を注いであげなさい。」とか「女の子だから食事の準備を手伝いなさい。」とか「女の子だから木登りはやめなさい。」とかを言わなかった。

それが必要な時は「女の子だから」ではなくて、「一番近くにいるんだから」とか「手が空いてるんだから」とか「危ないから」とか、そういう言い方だった。

だから私は「女の子が注いであげるといい」と聞いた時に、正直「なんで?」と微かに思った。

でも当時は子供。まして、よその大人の言う事につっかかるような性格じゃない私なので、そのまま誕生日会は無難に進行していった。

でもその時のなんとなく恥ずかしいようなバツの悪い感じの一瞬が、私は妙に忘れられなかった。

 高校生になった私は、アルバイト先が飲食店だったから日々たくさんの飲み会の席を観た。

男女混合のグループに私が瓶ビールを運ぶと、必ずと言っていいほど女性客が受け取ってお酌をしていた。

男女混合のグループでは、サラダを取り分けるのも、空いた皿やグラスをテーブル脇に出してくれるのも、「替えの灰皿下さい」と言いにくるのも、誰かが飲み物をこぼしておしぼりを貰いにくるのも、大酔っ払いしたグループの帰り際に「うるさくしてすみませんでした。」と厨房に言いに来るのも、ほとんど女性だった。

自分が飲み会に参加する年になると、私は人から「気が利くね」とよく言われるようになった。

どうやら私は「飲み会における模範的な女性の動き」が同年代の他の女子より出来るらしかった。でもその理由は簡単。

なんせ、酌をする、灰皿を交換する、料理を取り分ける、空いた皿を下げるといった「飲み会での気が利く行動」は、動き自体はたいしたことなくて、ただそれに気付く目線でそこに居るか居ないかだけのことだからだ。

つまり私は高校3年間で散々色んな女性の手本を見てきたから、たまたま他の子よりは数年早く「気付く目線」が身に付き、気付いたからやっていただけだった。

それは偉いことでも無いし、私が特別「女の子なんだからやらなきゃ」と自分に課したための行動でもなく、単に「得意なゲームだからやってる」みたいな感覚だった。得意だから好きで、好きだから得意。ただそれだけのことだった。

ところが成人して少し経ってから、当時の彼氏とその男友達&彼女達で開かれた飲み会に行った日のこと。

すでに過去にもそういう飲み会は何度かあって、いつもの私はそういう「気が利く立ち回り」をしていたのだけど、その日はそれをやらなかった。

わけは、単純にその日はすごく疲れていたからだ。

たしか、お盆休み期間だったので彼氏達は休みだったけど、私はその日仕事だった。

仕事終わりに彼氏から電話がかかってきて、どうも「遠くに住んでいる大事な先輩が地元に帰ってきている」だとかで、急きょ集まることになったらしい。

はじめ私は「疲れているから」と断ったが、彼氏が「彼女持ちはみんな彼女連れてくるから!」とお願いしてくるので仕方なく行った、そういう飲み会だったのだ。

私は皆の話には参加して愛想は保っていたが、皿を下げたり飲み物を作ったりといった面倒事は他の彼女らが率先してやるので任せていた。

その帰り道、彼氏が不機嫌そうに言った。

「お前さ、今日の態度なんなの?」

私は、自分ではそこまでひどい態度ではなかったと思っていたので、この言葉に少しびっくりした。

すると彼は、近くの先輩のグラスが空いてるのを私が放置してたことや、料理のとりわけを1度もしなかったことなどを「女としてあれはない」とくどくど言い、挙句の果てには「〇〇の彼女なんか、〇〇が汚すの見越して替えのTシャツまで持ってきてたんだぜ。お前にああいう気遣いできる?」と言ってきた。

〇〇とは彼の友達で、酔っぱらうと手元が狂い、しょっちゅう飲み物を浴びている男だ。その日も案の定やらかしたのだが、その時〇〇の彼女はすかさずバッグの中から替えのTシャツを取り出していた。

私は彼氏の言葉に「替えのTシャツて、子供かよ。」と思ったし、疲れていたのもあってかなりカチンと来た。それで言った。

「あのさ、今日とか私仕事終わりですごい疲れてんの知ってるじゃん。そんなにいちいち私がやらなかったことに気が付く位なら、皿を下げるとか、飲み物作るとかをさ、自分がやればよくない?」

すると彼は言った。

「お前はそれでいいの?」と。

 

意味がわからなかった。

彼は続ける。

「だから、皆の前でもし俺がそういう事をして、彼女のお前がただ座ってる姿を観られんのは、女として恥ずかしくないの?」

 

私はフリーズした。

思わずポカーンとなって、頭の中で「なんで?」がぐるぐる回ったまま、なんとか「は、恥ずかしくないけど。」という一言は返したが、それ以上は何も言葉が出なかった。彼氏は不服そうに「あっそう」とだけ言ってその話は終わった。

 

今の私は、彼が言っていた不可解な言葉の意味が分かる。

彼の頭にはきっとこんなルールがあるんだろう。

・男が面倒に感じるこまごましたことは、女の役目。

・男がそれをやるのはみっともない。

・女がそれをやらないのもみっともない。

だから彼の「女として恥ずかしくないの?」という言葉を丁寧に言い換えるならば

「お前(女)がやるべき仕事を、人前で彼氏(男)にやらすなんて、俺(男)の恥とお前(女)の恥のダブルパンチなんだぞ。俺は男として恥ずかしい。女としてお前は恥ずかしくないのか?」という意味だったんだろう。

でも私は、やっぱり彼の言う事には今も「なんで?」と思う。

頭が混乱していた当時は「なんで?」の一言しか浮かばなかったけど、今はちゃんと続きの言葉がわかる。

なんで、そもそも酒の席での面倒な役目は女がやるべきことになってるの?

なんで、あなたが代わりにやることで、私が恥じなきゃならないの?と。

 私は、酒の席での細々とした面倒な事を、別に「どちらかの性別の役目」だとは思わない。

面倒な事の面倒くささは男にとっても女にとっても同じものだから、その場を囲む仲間内で、男も女も無く「1番料理に近い人」とか「メインで話してない人」とか「そういうのが好きな人」が、適当にやればいいと思う。

あくまで「1番料理に近い女」でも「メインで話してない女」でも「そういうのが好きな女」でもなく、「人」だ。

だから、その夜のことで言えば「仕事で疲れてる女(私)」と「疲れてない男(彼氏)」がその場にいたのなら、私がやれてないことに気が付いた彼氏がやればいいだけのことだったと思う。

でも彼には「男は男らしく面倒な事をしない」&「女は女らしく面倒な事をしなければならない。」というルールがあった。

だからこそ、後から「お前、この男女間ルールを破って恥ずかしくないのか?」と言わんばかりに私に「女としてあれはない」とダメ出ししてきたのだ。

今思うと、私もポカーンだったけど、彼もポカーンだったのかも。

彼の中の男女ルールは、きっと彼の中では「万人共通、このルールが根付いてるものだ」と信じてたんだろうから。

私達は根本的にジェンダー観がだいぶ違う2人だったということが、後になってこういう場面をいくつも思い出してからしみじみわかる。別れてよかった。やれやれ。

 

ところで、ここのところ、ネットや雑誌の女性向け記事では「女の子ならこれができなきゃ恥ずかしいぞ♡」「モテ子になるにはこれをマスターして♡」というノリで、「男性に好かれるには女性はこのような事をマスターしましょう。」と指南するものが目につく。

もともとそういったことを女性に求める空気は世の中にあったけど、本や雑誌以外にインターネットで雑文が溢れる時代になってから、特にそういう内容のものが量産されて、私の目につきやすくなった感じ。

でもそういう記事を目にしていつも思うのは「なんでこういう内容は、ほとんど女性向け記事なんだろう?」ということ。

私は「モテる方法をレクチャー」系の記事自体がそもそも面白くないけど、(全部「そんなの相手によるだろ!」と思ってしまう…)髪型やメイクやファッションなどの外見についてなら、100歩譲ってまだ「女性向け」「男性向け」と分けられるのは、わかる。

でもこの頃よく見かける「食事の場では料理を取り分けましょう」だの「男性の空のグラスに気付ける女になろう」みたいな「内面も男性ウケ用に作り込むべし」という女性向け記事が、ちょっとわからない。

確かに、大勢でテーブルを囲んだ時そういうことをこまごまとやってくれる人がいたら、してもらった方がしてくれた人に「おお、優しいな、気が利くな、ありがたいな、好きだな」等の好感を抱くことがあるのは当たり前のことだと思う。

でも、その当たり前って、男女共通の感覚だよね?

つまり「男だって女だって目の前の雑事を誰かが代わりにやってくれたらありがたいし、好きになる可能性は高まる」ということ。

だから、「サラダを取り分けましょう」だの「空いた皿を下げましょう」だのの教えって、別に「女のコはこれができなきゃ♡」ではなく『男女ともに向けた教え』であるべきだと私は思う。

だから「男も女もこれが出来る人って、好感度高いですよ〜」ということで、「サラダを取り分けましょう」だの「空いた皿を下げましょう」だのが挙げてあるなら全然良いと思うんだけど、なぜか「女のコなら」と限定されてるから腑に落ちない。

 なんで私が腑に落ちないかというと、多分そうやって「こまごました面倒なことをやるといい女だよ♡」と女性だけにアナウンスする意図には「男が面倒に感じるこまごましたことは、女の役目。」という、私の彼氏の考えと同じやつが透けて見えるからだと思う。

 ようするに、ああいう記事を読んだ時、私は書き手の思考回路が

「面倒な雑事をやるのは女性の役目だよね。→だから他の女のコよりもそれが出来れば、女らしいって思われるよ。→女らしさが高いほど男にはモテるよ。」

なんだろうなって思えてしまう。

だから、記事を読むたび前と同じように私はこの疑問がこみ上げる。

「なんで、そもそもそのへんの面倒な役目は女がやるべきことになってるの?」と。

 

でも、その答えはきっと簡単で、「昔からそういうものだから」なんだと思う。

つまり、ずっと昔から、男は「戦場、職場」女は「家庭」に居場所を分けられていた時代に、男女がそれぞれの場にふさわしい人間になるように躾けられてきた慣習があるからなんだと思う。

 

だからこそ20年前、カヨちゃんのお母さんは「飲み物は女の子が注いであげるといい。」と私たちに教えたんだろう。「女の子が注ぐといい」と言われた時、正直、何に対して「良い」なのか、当時の私にはわからなかったけど、それは「世の中にたくさんいる『女の子がそういう事をするべき』と信じてる人」にとっての「良い」なんだと思う。

 世の中には「女の子がそういう事をするべき」と信じてる男性がたくさんいるから、彼らが「良い」とする行動をして、彼らに好かれ愛されることが、女性にとっても「良い」なのよ。

きっとカヨちゃんのお母さんは、そういう意味合いを込めて、私達女子のためにご教授下さったわけで、それはきっと数多の女性向け記事と同じ意図だ。

悪意ではない。

でも、それはもう今の時代の一部の女たちを縛るものになってきている。

 「女らしく」に疑問を持つ女たちを。

 私は、以前も書いたけど普段ただ「人」として暮らしているつもりで、別に自分の性別を特別に「女だ」と意識して暮らしてはいない。

でも、そうやって暮らしていた若き日、たまたま疲れていた日の飲み会で料理を取り分けなかっことを「女の役目をしなかった」と彼氏に責められた。

人だから仕事をして帰ってきたら疲れているのは当然だと思う。

でも、彼氏からしたら、その飲み会での私は「疲れた人」として存在することは許さず、「料理取り分けの役目を果たす女」として存在しないといけないらしかった。

「なんで彼はそんな考えの持ち主に?」

と推測すると答えは簡単で、彼もまた子供の頃「女の子はこうするべき」と躾けられる周囲の女子を「外側から見ていた男子」だったからだと思う。

 そう、この国では女の子に「女の子の役目」を教える大人は、同時に男の子には「男の子の役目」を教える。

食事の準備は免れても、男の子は男の子用に「男の子だから泣かないの。」「男の子だから怖がらないの。」「男の子だから運動や勉強が出来なきゃ恥ずかしいよ。」などと、女の子には課さない内容をしつける。

そうやって、昔の人は「男の子は強くたくましく外で働く人間に」「女の子は可愛らしく従順に家庭を守る人間に」になるべく、子供たちそれぞれの性別に合わせた教えをしがちだった。

 ちなみに彼氏の母親は専業主婦で、私は1度彼の家に行った時、彼の部屋は掃除が行き届いていて、ドアの空いた妹の部屋は散らかっていたので、言うと、彼は「俺の部屋は母ちゃんが、掃除するから綺麗なんだよ。妹には自分で掃除するよう言ってるみたいだけど、アイツ(妹)やんねーから汚いんだ。」と言っていた。

そのことから察するに彼の母親も「娘は女だから、娘だけに家庭的教育をする」人だったんだろう。

そういう教えで育った彼だからこそ、飲み会でこまごまとした雑事を女性がやることを本当に「女性の役目だ、そういうものだ」とする大人になったのだと思う。

 

さて、彼はたまたまそういう教えを受け入れて大人になった男性だけど、世の中にはそういう「男の子用」の教えに縛られて苦しむ男性もいると思う。

私が「女の子用」の教えに縛られることが苦しいのと同様に。

私は、普段「女性が不公平な現状」を取り上げてものを書くことが多いけど、この点については、そうした「男の子用」の教えに縛られて苦しむ男子達もまた被害者側だと思う。

そんな私達は、女性なら「女らしいとされているもの」男性なら「男らしいとされているもの」から、そんなにハミ出たらいけないんだろうか。

 男が「戦場、職場」女が「家庭」に居場所を分けられていた時代に、男女がそれぞれの場にふさわしい人間になるように教えられてきた教えを、そのまま下の世代に課していいんだろうか、と私はいつも疑問に思う。

 今の私達は、男女が同じ居場所で生きていて、男女という2分の性別にくくられない人だってたくさんいる。

今の私達の生活に必要なあらゆる活動は「性別ごとの役目」に囚われていたら、追いつかないほど多種多様にたくさんある。

そんな世の中では「性別ごとの役目」を忘れ、その都度目の前にいる人と互いに快適に過ごせる「人」として存在することの方が私達の「役目」なんじゃないかと思う。

 

もちろん、家庭的でありたい女性はそれを目指すのも自由。

でも、同時に家庭的でありたくない女性が、家庭的にならない自由もあって欲しい。

「女は家庭的ではないことを恥じろ」と押し付けられる社会は、たくさんの女性に窮屈さを感じさせ生きにくくさせる。

男性も同様に「家庭的なことをしたくない」人は、自分がそう生きるのは自由。

でもそういう男性が他の男性に「家庭的なことをするのは男の恥だぞ」と押し付ける社会は、たくさんの男性に窮屈さを感じさせ生きにくくさせる。

 ようするに、古い時代の「性別ごとの役目」を果たすのも果たさないのも、個人の自由だけど、果たさないことを「恥じるべき」と押し付ける社会がそろそろ終わる事を私は望んでいる。

 あの時、彼氏に言われた

「皆の前でもし俺がそういう事をして、彼女のお前がただ座ってる姿を観られんのは、女として恥ずかしくないの?」

に対してろくに言葉が出なかった私は

今ならまっとうに返事ができる。

 「恥ずかしくない。『そういうことをできない女は恥ずかしい』っていう価値観を人に押し付けることのほうがよっぽど恥ずかしいよ。」と。

 

「女のコはサラダを取り分けよう♡」記事に関して何か書こうと思ったら、思いのほか壮大な話になってしまいました。

長々とお付き合いいただきありがとうございました。

ではまた。

 

 

 

「男子のムラムラ防止のために女子を縛る」はおかしいよねって話

 

 

かれこれ20年くらい前の話なんですけど。

私の通ってた中学に、ちょっと変な校則があったんですよ。

女子の髪型に関する校則なんですが、「前髪は眉毛の上まで」とか「脱色やパーマをしてはいけない」ってのは、たいていの学校の校則でもあるじゃないですか。

でも、うちの学校はそれにプラスして「肩につく長さを超えたら、2つに結うこと」ってのがあったんです。

 これ、一見「別に普通じゃん」って思うかもしれませんが、わざわざ「2つに結う」と限定されているのがポイントで、ようは肩より長い髪の「1つ結び」は禁じている校則なんですね。

それでも 「別に1つ結びも2つ結びも大差ないじゃん」と思う方もいると思います。

でも髪の毛を2つに結うのと1つに結うのって、本人の感覚的にはちょっと違うものなんですね。

夏場の暑い時に両肩に感じる熱感とか、スポーツする時の煩わしさとか、微妙にですけど1つ結びと2つ結びでは「邪魔ぐあい」に差があって、あとその年頃の子って、「限られたルールの中でも自分なりの好きな見た目でいたい」っていう洒落っ気全開な時期じゃないですか。

だから女生徒の中では「1つ結び」を禁じられて「2つ結び」の1択になることを「大差」に感じる子も多くて、その校則への不満の声は入学当時からよく聞かれていました。

 また、不満の原因はその校則が「うちの学校だけ」って所も大きかったと思います。

うちの学校が特に厳しい私立だとか、もしくはその付近のどこの公立学校でも同じく「1つ結び」が禁じられていたなら、まだうちの学校の生徒も納得できたと思うんです。

でもうちは公立中学だし、付近の他校には別にそんな校則はなくて、ただ「結べばいい」ってだけだったので「なんで同じ公立中学なのに、うちの学校だけその校則があって、私らは従わなきゃならないの?」ってなっちゃったんですね。

それで、徐々に塾とか部活の試合とかで他校の女生徒を見る機会がある女子達を中心に、学内ではその校則への不満の声が高まっていきました。

 私自身はショートヘアだったので、そこまで強く不満を抱く程では無かったけど、『同じ公立学校同士なのに、校則でよそとうちの違いがある』って事には「そうなんだ、なんでだろう?」くらいの疑問はありました。

 多分、不満の声を強く上げる子達も「せめてそこに自分達が納得の出来る理由が添えてあったら諦める。」って感じだったと思うんです。

でも生徒手帳には理由まで書いてないから「そこを知らないまま、ただ校則に従いたくはない。大人の言うことをただ鵜呑みにはしたくない。」みたいな、中学生特有の尾崎イズムが発動してたのかもしれません。ギリ尾崎世代なんで。

 んで、この動きがどうなったかというと、生徒会の先輩女子の方々を中心に学内で「1つ結び解放運動」が本格的に始まっていったんです。

全校アンケートで、

・この校則は変だと思うか?

・この校則に不満を感じるか?

・1つ結びが禁止である理由が知りたいか?

みたいな内容の設問にそれぞれ「Yes/no」のマルを付けるみたいな用紙のやつをやったりして。

ちゃんと生徒会も動いての事だったんで、先生達も無視できずに、結局しばらくして先生側からその校則がある理由について、回答があったんです。

その回答は1枚のプリントとなって、生徒会室の廊下に貼ってありました。

正確な文面は忘れてしまいましたが、私はその回答が予想のナナメ上を行くものだったので読んだ時、「えっ」となったのだけはよく覚えてます。

学校側の回答はこんな感じでした。

当校、校則の○条『女子の髪型の指定について』の制定理由は、『女子生徒のうなじがあらわになることにより、男子生徒及び男性教員へ悪影響があると考えられる』からである。本来この規定は、うなじがあらわになるポニーテールの髪型を禁ずる目的だったが、ポニーテールか否かを判定する基準は“結び目の高さ”という曖昧なものなので、誰の目にもこれを判別できるよう、1つ結び自体を禁止したものである。

 これを読んだ時、私は小さく「ん?」となりました。

そして、さらにこの学校側の回答プリントとは別に、すでにこれを受けて生徒会と先生が交わした質疑応答が書いてあるプリントも貼られていました。

そこには私が1枚目で「ん?」と思った点についてさらに突っ込んで書かれていました。

 質問「男子生徒及び男性教員に与える悪影響とは具体的にどんなものですか?」

回答「女子のうなじは、男子を誘惑するものであるため、勉学の妨げになる事が悪影響と言える。」

 こんな感じでした。

ここで私は「えっ?」となったんですね。

ようは、簡単に言うとこの校則って「女子のうなじは男を誘惑するものだから、それが見えるポニーテールはダメ。でもポニーテールかただの1つ結びかの判定が紛らわしいから、いっそ1つ結び自体をダメってことにしましょうや」ってことなんですよね。

 学校側の回答はもっともらしい気もするけど、でもなんか変。

当時の私は、そう思いました。

でもその「なんか変」というモヤモヤを「何がどう変なのか」を深く考えて言葉に出来る力がまだ中学生の私にはありませんでした。

とりあえず先にことの顛末を書くと、その後に生徒会がさらに頑張って先生と直談判を続けたらしくて、結局2年になった年にうちの学校の校則は変わり、晴れて1つ結びが解禁になりました。

私は相変わらずショートヘアだったので「やったぜ!」って感じではなかったものの、髪の長い友達がすごく喜んでいたのは嬉しかったし、「生徒発信でも校則が変わるもんなんだなぁ」ってところに感動したのは青春の1ページとして記憶に残っています。

で、昔話はここで終わりなんですが、なんで今日こんな古い話を持ち出したかというとですね、最近私、その時は言葉にできなかった「モヤモヤ」の正体がなんだったのか、なんとなく分かってきたからです。

あの時の「なんか変」というモヤモヤは一言で言うと「その校則の作られた発想があまりに男性中心過ぎることに対する不満」だったんだと思います。

 

どういうことかと言うと、ここ数年、私は以前より女性の人権について意識をして生活していて感じることがあるのですが、それは、簡単に言うとやっぱし世の中の常識や空気がまだまだ「男性有利な部分が多いなぁ」ということでして。

例えば、性犯罪のニュースの話題では、加害男性を責める声と同時に「そんな時間にひと気の無い所にいる女も悪い」「ミニスカートを履いてるのも悪い」みたいに、被害女性の非を責める声も上がったり、そういう「被害女性の落ち度」が原因で加害者男性に有利な判決が下る現状があります。

これがもし食い逃げ事件だったら「先払いシステムにしない店が悪い」という声はほとんど上がらず、食い逃げ犯を責める声が大多数だし、空き巣事件だったら「そんな金のありそうな家に住んでいてセコムしてない家主が悪い」って声もあんまり出ずに、泥棒が責められるだけのことが多いと思います。

でも性犯罪事件だけは違う。

被害者の非を責める声は他の事件に比べて多く上がるし、「加害者の動機を作った被害者にも責任がある」と言わんばかりの判決になることもあって、つまり性犯罪だけが他の犯罪に比べて「被害者の非」を取り沙汰されやすいような空気を感じるんです。

それって、いわば被害女性がただそこに居ただけだとしても、加害者目線のある男性に「お前のせいだ。お前がそんな恰好してるから。お前が誘っていたからだ。」って言い訳さえされてしまったら、簡単に「双方に責任が」にされてしまう空気が蔓延してるってことだと思うんです。

そうなると、この国において「男性から女性への性犯罪」というのは、男性には逃げ道いっぱいで、女性は狙われたら必ず泣きを見る事態なんですよね。

もちろん、全ての人が「男性から女性への性犯罪」に対してそういう風にすぐ「女も悪い」的な発想をする人ではないですが、世の中にはすぐ「でもそんな女も落ち度あるよな。」な発想をする人もたくさんいます。

それで、そういう声を耳にするたび、私は例の校則を思い出すようになりました。

それは「発想」が同じだから。

つまり、どういうことかというと

 女のうなじは男がムラムラするもの→学校で男子や男性教師がムラムラさせられたら困る→だから女のうなじは隠すべき→女のうなじを隠すルールを作ろう

 これが、例の校則が作られた発想だと思うんですが、これってようするに

「男がむやみにムラムラさせられない工夫のため」に「女に規則を科す」って考え方で、極端に言えば「男に不都合が生じないために、女がなんとか頑張れ」ってことなんですよね。

私はこの「男をむやみにムラムラさせられない工夫のため」に「女に規則を科す」って発想がおかしいと思うんですが、これがどれだけ変な発想なのか分かりやすく例えると、定食屋の表に日替わりランチの料理が1つ見本で出してあることがあります。

アレに対して「こんなもの、腹が減ってる人が観たら食べたくなるじゃないか!でもこの見本を食べたらいけないことになってるんだから、国はこういう見本は禁止させろ!」って言ってるようなもんだと思うんですよ。

「食いしん坊の食欲がムラムラさせられない工夫のため」に「定食屋に規則を科す」って、「いや、それ店に規制することじゃないじゃん。食いしん坊が自制することじゃん。」ていう感じですよね。

でも、こんなおかしいことが、なぜか「男女」だとまかり通っちゃうのが「おかしいな」と。

 そして私は、この発想が根っこにある人が性犯罪事件の時に「女も悪い」を言うタイプなんじゃないかと思うんです。

つまりこの発想がある人って、思考の流れが

 男性から女性への性犯罪事件が起きる→性犯罪事件は男に不都合な事態→女は男に不都合が起きないために頑張らなきゃいけなかった→頑張り不足の女も悪い

 ってことになってるんじゃないかと思うんです。

だからそういう人は被害者女性がどんな人であれ「全面的に男が悪い!」という発想にならず「女も悪い」となるんじゃないかな、という気がします。

 で、校則のことに話を戻しますと、この「男に不都合が生じないために、女がなんとか頑張れ」という発想は、やっぱり昔の男性優位時代の名残りだと思うんです。

きっと校則が作られた時代はその空気が当たり前だから、すんなりと「男子をムラムラさせてしまう髪型をすることは女子に禁じましょう」となったんじゃないかと思います。

でも、これに対して私は「ムラムラする、しない」のは男子一人一人の意識の問題だと思うんです。

だから、そこに学校が口を挟むなら、女子に縛りを与えて一件落着じゃダメなんです。

なぜなら、学校がいくら「女子への縛り」を作って「男子に不都合を与えない環境」を用意しても、その環境が一生続くわけじゃないからです

生徒が大人になって社会に放たれた時、社会には服装規定などありませんから自由な恰好の女性がたくさんいるわけで、それは、女性も人間だから男性と同じく、それぞれに好きな服を着て、それぞれの生活ペースで生活して同じ世の中に生きている存在だから当たり前のことなんです。

でも、性犯罪に走ってしまう男性は、それが「ムラムラする姿の女だった」という理由で、相手に性欲をぶつけて、そして捕まった時には「相手が誘っているように見えた」とか「性欲を我慢できなかった」と言い訳をします。

これは「自分の我慢の無さ、性欲の自制の効かなさ」という非を棚に上げて、まるで「校則を守らずに男子をムラムラさせた女子も悪い」という風に「女子の非」にすり替える考え方で、まさしく、根底に「男に不都合が生じないために、女がなんとか頑張れ」の発想が受け継がれてしまっている証拠だと思います。

 

私がもし教育者だったら、生徒たちが今後の人生で「男女とも性犯罪の被害者にも加害者にもならないため」には、「男子がムラムラさせてしまう髪型をすることは女子に禁じましょう」という風に「女子に縛りを与えて一件落着」にはしません。

なぜなら学生時代にそれをやるということは、生徒たちに「男子のムラムラ防止のためには女子が縛られなくてはならない。」という誤った環境見本の場を与えることになると思うからです。

もちろん、女子にもある程の風紀を重んじた規律は必要ですが、正直私は「男子生徒に悪影響」だからといって「うなじを隠す、隠さない」みたいに細かい校則作ってもたいして意味ないと思うんですよね。

うなじに欲情するか、足首に欲情するか、指先に欲情するかなんて男性1人1人違うわけだから、全方位的に「男子がムラムラしない女子」を作ることなんて不可能なわけで、それを作ろうとすることは女子全員をひどく縛ることになるし、学生時代にいくらそうやって女子の身体を隠しても、社会に出たら関係ないし。(社会に出た女性までそれを強要するんだとしたら、それこそ女性に不自由な社会です。)

だから、どっちかというと生徒たちには「ムラムラすることは人として仕方ないけど、そのムラムラをコントロールするのも人として学ばなければいけない」とか「性欲を誰かに一方的に向けることは暴力である。」ていうことを社会に出る前に叩き込む場になるのが、学校とか校則の役目じゃないかな、と思います。

 女性は、男性に都合よく生きてもらうために存在してるわけでなく、その人その人の人生を男性と同じように送っているだけで、それは学校内でも、社会に出ても同じことだと思います。

自分の生徒には、そそる相手からの誘惑があるように見えても、その時に「まてよ、自分がムラムラしてるからそう見えるだけ?本当に相手は嫌がってない?ムラムラしてるから自分に都合よく解釈してないか?」という自制が働く大人になって欲しい。

そのためには、あえてわざわざ女子のうなじを隠す校則を作るより、ある程度普通に男女が過ごせる環境で、ムラムラせざるを得ない状態でも自制する練習が出来る環境のほうが良いんじゃないか、という気がします。

自制が効く大人が増えて、ミニスカートを観ても「あんなに足をだして男好きに違いない、男を誘ってやがる」みたいな発想をせず、「本人がしたい恰好してんだな」ってすんなり思う人が増えてくれると性犯罪が少しは減るのかな、とも思うので、そうなったら嬉しいです。

 

今は無き校則ですが、昔モヤモヤしてたことの正体が分かるようになったので、まとめるために今日は書いてみました。

 

ではまた。

  

 

奥さんが高島礼子でも高島礼子じゃなくてもダメなもんのダメさは同じでしょう。

 

 

前々から書こうと思ってたことが結構たまってるんですけど、昨日、ちょっとちっちゃいことで愚痴りたい事があったので、今日はそのちっちゃいことが旬のうちにざざっと書いときます。

 私、コンビニでバイトしてるんですけど、そこのオーナーの奥さんが60代で、性格は明るく朗らかでおしゃべりで、基本的には優しくて世話焼きで「ザ・おばちゃん!」って感じのおばちゃんなんです。

で、おばちゃんは普段から私らパートによくおしゃべりをしてくる人で、けして悪い人では無いんですが、私はたまにこの人の言うことに「ん?」となることがあるんですよ。

 昨日のことなんですけど。

おととい高知東生氏が逮捕されましたよね。

まぁ、そのことには私はそんなに興味が無いんですが、昨日バイトに行ったら早速そのオーナーの奥さん(以下、おばちゃんと書く)がこんな事を言ってたんですね。

「もぉ〜まったく高知東生は許せないね!あんな綺麗な奥さんがいるのにあんな悪いことして!」

 おばちゃんは、おばちゃん学校の模範生みたいな人なんで、普段からこういうゴシップ話が大好きなんです。

芸能週刊誌とかスポーツ紙に書いてある見出しを観てはいつも「ベッキーは悪い子だね!」とか「清原もまったくしょうがない奴だね!」みたいに、超分かりやすい短絡的な感想を嬉しそうに話してくるんです。

たぶん、そういうのもいつもたいして考えずに喋ってんだろうなぁと思うし、おばちゃんもべつに真剣な返答を期待してるわけでないだろうから、こっちも話半分で「そうですねぇ」と相槌打っとけばいいんでしょうけど、週3回会うたびにこれなので、時々こっちも嫌気が刺すことがあります。

世代の違いとか、考えの違いとか、その両方があるのかとは思いますが、とにかく言ってることが全体的にマスコミの意図通りをまんま受け止めた「浅め」なことが多いので。

 昨日の「あんな綺麗な奥さんがいるのにあんな悪いことして!」も、聞いた時にすぐ私は「奥さんが綺麗とか汚ないとか関係なくないか?」って思いました。

 だってその言い草だと「綺麗じゃなかったらいいんかい!」ってなるじゃないですか。

 

それでもいつもなら流すところなんですが、昨日は私も少々虫の居所が良くなかったので、ちょっといじわるして「奥さんが綺麗だから悪いことしちゃダメなんですかね?」と聞き返したんですね。

そしたらおばちゃんの「そりゃそうよぉ、高島礼子が可哀想じゃない!」

という答えになってないお答えが返ってきました。ぎゃふん。

 しかもおばちゃんは火が付いてしまったのか、言い続けました。

「だいたいね、私、ああいうの大っ嫌いなの!乙武の時もまぁ腹が立ったもんだわよ!まったくあんなカラダで、ろくに動けないくせに、女遊びだけはいっちょまえにやってたんだから、奥さんへの裏切りもいいとこじゃない!」

 

ひえー超差別的なんですけど。

 私は「おばちゃんがテレビコメンテーターだったら一発で炎上間違いなしだな」と思いました。

おばちゃんの中には「不倫は良くない。覚せい剤使用は良くない。」というのが大前提の常識としてあって、そこまでは理解できるんですけど、私は「悪いこと」というのは「誰がしてもその悪さは同等に悪い」と思うんですね。

だから、誰が罪を犯しても「それをやった事自体の悪さ」を観るべきなので、私としては高知東生は、奥さんが高島礼子だとかいう点は関係なく「覚せい剤をやってたから悪い」だし、乙武さんの不倫に関しては夫婦の問題で「奥さんも同意の上」みたいな話もチラッと出てたので「悪いも良いも判断しようもない」という感じに思ってました。

司法的には、その「やったこと自体の悪さ」だけでなく、「悪いこと」に至った動機や経緯によって情状酌量されたり、罰が重くなったりしますが、それは様々な事情を全部出せるだけ引き出した結果を踏まえて専門家が判断することです。

だから、私ら素人はそういう動機や経緯なんかの細かな事情が届く立場に居ない時点で、「悪いことはその悪さ自体についてしかどうこう言えない気がする」って感じで、まぁ私はそうなんですね。

でもどうやらおばちゃんは違うんです。

おばちゃんは「やった事自体の悪さ」を考える際に、「綺麗な奥さんがいる」とか「奥さんに世話になってる身」という情報だけでも、一気にその罪をふつうより重く見積もる習性があるようなのです。

 だから多分、その罪を語る時、真っ先に「綺麗な奥さんがいるのに!」「奥さんに世話をしてもらってるのに!」という言葉が出ちゃうんだと思うんです。

 

私とおばちゃんは、これまでも色んな芸能人のニュースや、私たちの身の回りの知人の話などをたくさんしてきてるんですが、私は時折見せるおばちゃんのこういう面がちょっと怖いし「なんかやだな…」と思います。

 

なぜなら、覚せい剤のことは別として、「不倫の悪」について考える時、

仮に、誰から見てもみすぼらしい奥さんがいたとして、その旦那さんは不倫をしてるけど高給取りで奥さんに何不自由ない生活をさせてた場合、おばちゃんの理屈だと「それなら仕方ないね〜」と、「不倫の悪」が無しになっちゃうからです。

つまり、おばちゃんの中にある「不倫しちゃいけない理由」が「綺麗な奥さんがいるんだから」とか「奥さんの世話になってるんだから」なので、そうである以上、それは裏を返せば「綺麗じゃない奥さんなら不倫されても仕方ない」「旦那さんの世話を怠ってる奥さんなら不倫されても仕方ない」というルールにもなると思うんです。

それってけっこう変な話じゃないですか?

 でも、そこまで考えてて気が付いたんですけど、おばちゃんに限らず、この世代の女性の多くは、旦那さんがよそに女を作った時に、すぐ「奥さんは妻としての役目を果たしていたのか?」ってことに話の焦点を絞る特性があるんですよね。

 

その不倫された奥さんは

妻として容姿に気を使っていたか?

妻として夫の世話に務めていたか?

裏として帰りたくなるハウスキーピングができていたか?

 

それらの項目をまず知りたがって、それらの項目に「落第点」が無かった場合は「そりゃ旦那が悪いわ」と言うんですが、1つでも落第点があると「そんなら仕方ないじゃない。妻としての役目を果たせてない奥さんも悪いよ。」って言う。

 私は、「不倫の悪」について考える時、妻の方がそれらの項目に落第点があったとしても、不倫する前に「別れる」という選択肢を取らず1人で「不倫する」を選択した夫の非のほうがずいぶん大きいと思います。

でもおばちゃんは、奥さんのほうに落第点がひとつでもあったらそれで「夫婦おあいこ」にしちゃうんですよ。

しかも、これ、理不尽なのは「奥さんのほうが不倫している場合」は、なぜかおばちゃん、夫の落第点について言及する前に奥さんを責めるんです。

夫がアル中で無職でみすぼらしくて、ようは落第点だらけだとしても、その奥さんが不倫していたとなると「そんなダメ夫なら仕方ない」とはならずに「女が不倫するなんて子供が可哀想じゃないの!不倫するくらいなら別れりゃ良かったのよ!」って言うんです。

「不倫するくらいなら別れりゃいいのに、そうしないで不倫する人が悪い」って考えは女の不倫時にはまっさきに思うのに、なぜか不倫したのが男の場合には、そこは責めない。不思議。

「不倫したら子供が可哀想」なのは、母親の不倫でも父親の不倫でも同じじゃないですか。

その点を父親の時は「不問に処す」で、母親の時だけ「そこが問題」とする。

男の不倫時は、「おあいこ」になるための女のアラ探しをまっさきにして、女の不倫時は「男にどんなアラがあろうともまず不倫する女がダメ」とする。

なにこの不平等?ホワイジャパニーズおばちゃーん!!ですよ。

 

あと、おばちゃんの怖いところは、こういう時に一見すると高知東生を責めたり乙武さんを責めたりしているから「女性の肩を持ってる風」に見えるんですけど、実はその考え方は全然「女性に平等」ではないところです。

普通に分かりやすく「男尊女卑意識が丸出しのおっさん」なら、若い女性も家庭の相談など持ちかけないと思うんですが、こういうおばちゃんて職場の若い女性が「家庭のことで何か悩んでいそう」という空気を感じると「女の先輩として話聞くよ。おばちゃんに話してごらん。」みたいに優しく寄り添ってくれるんですよね。

で、若い女性が心を開いて相談したら、根っこにあるこのおばちゃんナイズな不平等意見でグサっとくることを言ってくるので、受けた方は結構致命傷になる。

これがこわい。

私はこのおばちゃん以外のおばちゃんに過去すでに何度もそれをやられてるので、何気に「男尊女卑意識丸出しおっさんより、おばちゃんの男尊女卑意識のほうが潜伏系で怖いかも!」というのは学習しましたが、若い子はこれからもグサグサやられるかもしれません。

 

でも、おばちゃん自身はたぶんこの自分のジャッジの不平等さに、気が付いてないと思うんですよね。

べつにおばちゃんは「女に厳しく」と意識してこういうジャッジをしてるんじゃなくて、ひと昔前の世の中に今より根深く充満していた「女のほうが我慢する」ベースな空気の中で若き日を過ごして来て、こういう不平等ジャッジが感覚的に「そういうもの」として染みついちゃっているんだと思うんです。

きっとおばちゃんだけでなく、当時の女性は、夫に落第点があったとしても離婚して自立することが難しかったから、多くの女性が離婚を選択できなかったんですよね。

離婚は出来ないけど、夫の不貞に怒りが収まらない。

だけど、その夫のそばで生活は続けていかなきゃいけない。

そういう女性達がなんとか気持ちの落としどころとして見つけた行き先が、女の方にアラを見つけて「これでおあいこ」と思い込む習性だったのかな、って気がします。

だから、おばちゃんもそういう時代の被害者というか、そういう時代の女性だからそんな習慣なのも仕方ないっちゃ仕方ないんですが、いまも若い人にその考えをバリバリ波及させるような発言を平気でするので、本人も無自覚とはいえ、私は聞くたびに「なんかやだな…」ってなるんです。

 

ちなみに、お店の近くに私の女友達が住んでいるんですが、こないだおばちゃんは彼女についても「ん?」という事を私に言ってきまして。

彼女はシングルマザーで、絵に描いたような「旦那が酒乱で、自分も暴力を振るわれていてしばらく我慢してたけど、とうとう子供にも手を上げた事を機に離婚した」という経緯での離婚だったんですね。

その事情はもちろん私しか知りません。

それで、彼女は近所なのでたまーに、子供を連れてコンビニに来ることがあるんです。

子供はすごく顔も性格も可愛らしい女の子です。

それで、こないだも彼女達親子が来て買い物をして、私と少ししゃべって「じゃあねー」と帰って行ったんですね。

 

おばちゃんは彼女のことは、近所に住んでる子として子供の頃から名前と顔くらいは知っています。

離婚したことも彼女のお母さんから聞いて知っていますが、詳しい事情は知らないという状態です。

彼女が帰った後、おばちゃんは開口一番で私に「○○ちゃん(友達の名前)もシングルマザーなのよねぇ…」と言いました。

私はその含みのある言い方に(なんか来たぞ…)という予感がしつつ、そこは流す感じで「はぁ」と返事をしました。

そしたら案の定おばちゃん

「あんなに子供が可愛い子なのに、なんで離婚なんかしちゃったのかしらねぇ…」

 

でたー、子供の可愛さと離婚関係ねぇー!!

子供ブサイクだったら離婚していいんかーい!

 

でも、その日はもうおばちゃんのこれ系発言にツッコむ気力が無い日だったんで、私は聞こえないふりをしました。

私は、彼女が「子供が可愛い(容姿だけのことではなく存在として)からこそ、その子を守る為に離婚した」って思ってます。

だから心の中でだけ「おばちゃん、『子供が可愛いのになぜ離婚するの?』じゃないんだよ、『可愛い子供のためだから離婚する人もいるんだよ』」って言いました。

 なんか話が最後ズレちゃいましたかね。

とりあえず、こういうおばちゃんのような不平等ジャッジが染みついている人が、今後の世代には少なくなっていくといいなと思います。

今日書きたかったのはとりあえずそんな感じです。

ではまた。

 

 

専業主婦の夫にあまりにもモラハラが多いので

雑記 ジェンダー

 

今日は思いついたまま書くのでまとまりがないかもしれませんが、良かったら読んでください。

読売新聞に「人生案内」という、読者からのお悩み相談コーナーがあるのをご存じでしょうか。

そこは毎日老若男女問わず色々な人からの相談が寄せられているのですが、月に数回ほど「ひどい夫案件」があるんです。

それはたいてい妻からの「こんな夫と生活していくのに耐えきれないけけれど、子供の為に家庭は維持するべきか?」みたいな相談なのですが、日々読んでいると「これ、こないだと同一人物じゃない?」と思うことがよくあります。

実際には同じ人の投稿はダメみたいなので、みんな別人なんですが、まるで妻たちが1人のダメ夫について話してるのかと思えるほど、どの夫も根底の部分に同じ精神を共有しているというか「マザーコンピューターで脳の意識が繋がってる」かのようにそれらのダメ夫は同じことを妻に言ったり、やったりしてるんです。

2016年1月26日

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2016年6月17日

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こんな感じ。

これらの夫って、たぶん一般的に「モラハラ夫」と言われてるやつだと思います。

で、このコーナーの相談を観ててやっぱり実感するのは「こういうモラハラ夫の家庭って、奥さんが専業主婦が多いな」ということです。

もともと私は実生活でも友人や親類の女性から家庭の相談を受けることがあるのですが、やっぱりそこでもここ数年は同じことを感じていて、新聞を観て「改めてそうよなぁ」という感じです。

中には完全な専業主婦ではなく、週に3回くらいパート勤めをしている女性もいるのですが、やはり生活のメインが家事育児なので、本人達も「専業主婦」に属している感覚があり、その夫もパート勤めを「労働」というより「息抜き」くらいに位置付けているようです。

ようは、妻も正社員で夫と同じくらいに外での稼ぎがある場合以外は、夫婦共に

「夫→お金を稼ぐ人、妻→家事育児をやる人」という役割意識がやっぱりあるみたいなんですね。

 

近頃は「女性も出産後に職場復帰が出来る社会」とさかんに言われていて、もちろん私もその動きに賛成ですが、仮に妻が「職場復帰」しなくとも、その夫婦ごとに双方が役割分担に納得していて、「夫が仕事、妻が家庭」となっていても、それ自体は悪いことだとは思いません。

それで夫婦が互いの役割に「ありがたみ」を感じあって、双方が「互いに大変だけどよくやってるよね、お互いガンバロー」と思ってれば、どちらかがどちらかを「下に見る」ことは無いと思うからです。

 

でも、この人生案内のモラハラ夫に関する相談件数の多さや、身近な主婦の方の悩みの数を観てるとやっぱり「下に見る」が起きちゃってるんですよね。

そして、その要因はやはり外でお金を稼ぐ男性の中に「金を稼ぐ人間が偉い」という意識があるからかな、と思います。

 

私にとってその1番身近な例は、私の育った家庭でした。

うちは4人きょうだいで母はずっと専業主婦、父は典型的な仕事人間だったので、この手の愚痴は母から耳にタコが出来るほど聞かされてきました。

モラハラ夫定番の「誰が養ってると思ってるんだ」という台詞も、幾度となく母は父の口から聞いたそうです。

母が父からそれを言われていたのは、およそ20年前くらいのことですが、こんなに時代が変わってもその台詞は死語になっていないということに私は「あーあ」となります。

 現に、今年に入って私が相談を受けている、妻も夫も私とそんなに歳が変わらない(40代前半)2つの家庭でも、奥さん達は最近その台詞を夫に言われたと言っていました。

あーあ、ですよ。

最近は「専業主婦の労働を賃金に換算すると月収40万くらいになる」というようなデータでもって、このような「専業主婦を下に見るな」という話題が世間でもなされることが増えています。

でも、そのデータだけでは納得出来ない男性の声もあるようで「ちゃんとやってる主婦ならその金額だが、うちの妻の家事レベルはそこまでない」とか「金銭に置き換えるとか言い出したら、妻の分の宿泊費や食費などを考慮したら妻の働きなんぞ0かマイナスなくらいだ」という言い分もあるようです。

こうなってくると、私としては「夫婦ってそういうもんじゃないじゃん…」という感じになってきて、悲しくなります。

なんつーか、「妻の維持費」とか「妻の労働を賃金換算」とかを言い出す段階って、「もうその家庭には愛が無いから一緒にいないほうがいいよ」って感じがするんですが、お子さんがいる家庭はそう簡単に別れることが出来ないので、みんな仕方なく現状維持をしてるんですよね…。悲しいっす。

 

ところで、私はこないだこんなツイートをしました。

 

これは、他の方のツイートで「育児の大変さを理解するには、海外で実践されている『卵の宿題』をやらせてみてはどうか」というのを見て、そこから思ったことです。

『卵の宿題』というのは私も初耳でしたが、内容は「生徒に何日間か生卵を割らないように持ち歩かせる」という課題らしくて、ようは生徒はその課題中、自分の生卵の安全に24時間留意しないといけないわけです。

自分が遊びに行く時などは卵を人に預けてもいいのですが、預ける相手を見極めないと、相手は簡単に卵をほったらかしにして割ってしまうかもしれませんし、預け相手選びから油断ならないので、とても大変そうです。

他の方で、この宿題を実践した方も「卵は自分から動くわけでも泣くわけでもないけど、課題中は神経を使って大変だった」とツイートされていました。

 でも世の中には、「卵を一週間持ち歩く宿題が大変なんだよ。」とだけ聞いたら「卵なんて静かだし自分から動き回らないし重くもないし何が大変なんだ?」と思う人がいると思います。

 私はそれがちょうど、主婦に対して「子供の遊びの相手してるだけじゃないか」「食事や風呂や寝かしつけも、一日中手間取る内容じゃない」という風に軽んじた発言をする人と同じ精神だと思ったのでこのツイートをしました。

 

卵の宿題の大変さは先述した通り、ただ「重さ60グラムの生卵を持つ腕の疲労」だけではなく、どちらかと言えば、卵の安全に24時間何日間も留意し、責任を背負いながら過ごさなきゃならない「精神的負担の大変さ」がメインです。

だから、学校がこの宿題を出す意図は、たぶん生徒に「自分以外の生き物の安全に留意し続けて生活することが、どれだけ大変か実感して知りたまえ」ということだと思います。

そこに気が付かずに「何が大変なんだよ?」と言うことは、想像力の欠如です。

自分のしていない役割をしている人の大変さをおもんばかるのは、想像力のなせるわざです。

私は常日頃「親切」とは「想像力」のことだと思っています。

だから、もし専業主婦に対して「ろくに働きもせんと」と小ばかにする気持ちがある人は「すべての主婦の大変さを想像しろ」とは言いませんが、せめて自分が愛して結婚した奥さんに対しては「それくらいの想像力を使ってあげなよ。」と思います。

 

この話を書いてて思い出したのでついでに書きますが、この手の「奥さん側の精神的負担」を感じ取らないわりに「働く側の精神的負担は感じ取って欲しい。」と言う男性に私は出会ったことがあります。

 以前、職場にいた男性なのですが、その方は生後数ヶ月の赤ちゃんが居て奥さんがその時は専業主婦でした。

彼とは仕事では普通に気のいい同僚として働いていましたが、ある時、仕事のことで彼と意見が食い違うことがありました。

いきさつを簡単に言うと「上が指示する方針と、現場でやりたいこと」が少し違ったので、私は「現場の声として、上に言ったほうが良いと思う」と言ったのですが、彼は「簡単にいうけどそれは大変なことだよ。自分は上には立て付けない。」と言うんですね。

さらに彼は「桜島さんは、ここで一生働かないから簡単にそういう事が言えるんだよ。」と言うんです。

よくよく話すと、この仕事の件について、彼はすでに家でも何度か奥さんに愚痴ったりしていたらしく、奥さんにも「上に言えばいいのに」とアッサリ言われてたらしいんです。

それで、その後の彼の話を要約すると

「女は『一生その場所で働き続ける』という経験をしてないから、男が『一生誰かを養わなきゃ』というプレッシャーを抱えながら一生務めるつもりの職場で仕事く辛さを理解できない。だから女に仕事の話をすると簡単に『こうすれば』と言ってくる。男はそれが出来ないから辛いのに。もっと、こっちの立場を分かって言って欲しい。」

ということでした。

つまり、彼は「家族を養う」のも「今の職場で働く事」も両方一生ものだと思っているから、一生ものを2つ抱えた人間の精神的な負担は「仕事を一生もの」と思ったことがない女性には分からないと言いたかったようです。

これは一見すると、これまでの話と主旨が違うように見えますが、彼がこう思った背景まで書くと2つがつながるかと思います。

 

彼は仕事についての話以外にも、以前から家で家事について奥さんに少し文句を言ったら「あなたは仕事に行ってる時間だけが仕事だからいいでしょ。育児は一日中なの!だから大変なの!」という喧嘩がたびたびあったそうです。

喧嘩の際に彼は奥さんにうまく言えないそうなのですが、彼の中にはそういうことを奥さんに言い返される度に「外で働くということは、仕事に行ってる間だけのことを指すのではない。『一生外で働かざるを得ない立場』という重圧が24時間何年ものしかかっているのに。」という思いがあったそうです。

だから彼の意見としては「仕事の大変さ」のことを持ち出すならば、そこにまつわる『一生外で働かざるを得ない立場』の精神的な負担も考えて欲しい。というわけです。

 

まぁ、彼の言い分も分かりますよね。

でも、彼の場合、それを言うなら自分も奥さんの育児について「24時間何年も精神的な負担」を強いているものだと思ってあげないとフェアじゃない気が私はします。

 なぜなら彼は職場では奥さんのことを「帰ると家の事なんもしてない。サボりすぎ。」とか「昨日も子供寝かしつけて一緒に寝てただけとか言ってた。」と、しょっちゅう愚痴っていたり、妊娠して辞める同僚に「これでゆっくり出来るね〜」と言ってたのです。

だからやはり「この人、育児をナメてるな」という風に見て取れました。

自分は育児にまつわる精神的な負担を考慮せず、奥さんの実労働だけ評価してるくせに、奥さんには実労働だけ評価されるのを不満に思い、「もっと精神的な負担を評価してくれ」というのは虫が良すぎます。

奥さんも彼もそこは「お互い大変だよね~ガンバロー」じゃないと。

ここん家は幸い、奥さんの気が強いから言い返せているけど、女性の性格によってはそのまま「お前は家にいてロクに働いていない」という夫の意見をうのみにして自分から「養ってもらってるし、言う事聞かなと…」と下に下がっていく人もいると思います。

そうして、だんだん「人として守られなければいけないもの」まで夫に奪われ続けて、ある時我慢ができなくなった人が読売新聞に相談することになるんだと思います。

 

まだ、誰かに相談しようと思う人はマシで、そのまま精神を病んでしまったりストレスで病気になってしまったりしたら本当にかなしいことです。

だから、私は彼や、世の中にいるかもしれない彼のような男性に言いたいのは、外で働く側の大変さを「その責任重圧ごと理解して優しくしろ」と奥さんに求めるなら、自分も育児に関して「自分以外の生き物の生命維持責任を持ち続けて生活する責任重圧を理解して」ということです。

 

夫婦になった時点で、お互いに対する愛情があるはずです。

そういう相手とは「こっちのほうが大変だ!」と大変さ合戦をしあわないで、「こっちも大変だけど、そっちも大変だよね。」と労わり合って暮らしたいじゃないですか。

最近、あんまりにも身近な女性や人生案内にこの手のケースが多いので、そんなことを思いました。

 

以上です。

ではまた。

 

女子大生に電車で尻を固定された話

 

けっこう昔の話なんですけど、今週のお題の「電車内での心温まるマナーの話」というのに心当たりがあるのでちょっくら書いとこうと思います。

あれはたしか15年くらい前のこと、私がハタチくらいの頃の話ですね。

当時、私が普段使ってた駅の隣の駅のそばには女子大がありました。

その路線の登り電車は私が乗る駅までは利用客がそう多くないので、平日15時くらいの中途半端な時間に乗ると、たいてい車内の乗客は3.4人くらいのガラガラ状態でした。

でも、そんなガラガラ電車でゆったりとした気分のまま過ごせるのは次の駅までの間だけ。

なぜなら、その女子大のある駅を境に電車内の空気が一変するからです。

そう、いつも女子大駅から乗り込む大量の女子大生パワーにより車内は女子大の構内と化してしまうのです。

彼女たちの勢いは本当にすごかった。

若い女の子の喋り声というのは、4.5人程度がキャイキャイしてるぶんには「多少騒がしくてもご愛嬌」という感じだと思いますが、彼女たちの場合、数が多すぎました。

おそらく1人1人だったらそんなことにはならないのかもしれませんが、人はマジョリティーになった時、無意識に傍若無人になるおそろしい生き物でございます。

だから車内人口の8割以上を占めた女子大生達は、チャーリーズエンジェルのようにヤンチャでした。

大声で話したり、裸足で椅子に乗ったり、お菓子を広げたりするのは当たり前。

車両の端から1人が大声で「誰か8×4持ってる~!?」「あるよー!」「投げて〜!」「オッケー!」ポーン、コロコロ「あはは!!!」なんて光景もザラにありました。

うるさいのです。とにかくわんぱくなのです。

私がもし若い子大好きおじさんならそういった甘酸っぱい8×4の香りや彼女達の金切声を「むふふクンクンたまらんZ」と楽しめたかもしれませんが、私は当時彼女達と同じくらいの小娘でした。

だから逆に同族嫌悪というのでしょうか、私はいつも彼女達のことを「ほんとうるさい…なんなのこの子達…」と苦々しく思っていました。

その頃の私のことをもう少しお話しますと、この頃の私はややトンガっていました。

 

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 いえ、そういう事ではなく、人として尖っていたんです。ララバイララバイおやすみよ、のほうのやつです。

つまり、今でこそ身なりにかけては「人畜無害」をモットーとしている私ですが、その頃はまだ、肌も出したい髪も染めたいメイクも盛りたい、見たい聞きたい歌いタイ!

そういうさかりだったんですね。

どギャルではなかったのですが、それなりに茶髪にして、ミニスカートや15センチヒールを履いて…ああ、もう説明が面倒くさいので写真載せときます。

この程度の中途半端な感じでした。

 

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で、まだギリ実家に住んでいたので、親に「髪が赤すぎスカート短すぎ」というありふれたお小言を言われ、私も「うるさいなー私の勝手でしょー」というありふれた返しをして、ようするにまだ親をはじめとする大人への反抗心の残り火を、心に携えていた頃でもありました。

ひるがえって、そこの女子大生達身なりときたら、なんとまぁ全体的に薄ピンクなひざ丈か。

みんな白or黒orベージュを貴重としたパールのついたツインニットとか着て、髪色もメイクも楚々として、どこに出しても恥ずかしく無いお嬢様方という感じなんですね。

かたやこちらは実の親にも「夜鷹か!」と言われる恰好ですから、きっと巣鴨に居るおばさま100人に「息子が連れてきたら追い返すのはどっち!?」って聞いたら99人が私を指差すでしょうね、ええ。

つまり、私と女子大生たちは見た目と言う点では明らかに「異種」で、そして世の中的にもし私と女子大生を「いい子・悪い子」に分けるなら、絶対私のほうが「悪い子」に分類されるっていうのは分かっていたんです。

すでに色んな場面で大人からはそういう扱いをされていましたから。

 だからこそ、この電車内の女子大生たちのワイワイガヤガヤな状況は、私にとって余計に腹立たしかったんです。

その気持ちとしては

私は身なりが派手でも公共の場で人に迷惑はかけないぞ、と。

身なりが清楚でもこんなにマナーの悪い子がここにいるぞ、と。

そういう感じ。

大人たちはいつもどっちが良い子か悪い子か見た目で判断するでしょう?

本当に見た目が真実なの!?今のこの状況を観てみなよ!?

大人はなにも分かってないよ!

先生あなたはか弱き大人達の代弁者なのか!

夜の校舎盗んだバイクで窓ガラスかち割ってミラジョボビッチ登場のバイオハザードなのか!と。

最後よくわかりませんが、要するに私は、普段は周囲が私に対して「こういう女子になれ」と引き合いに出すような「身なりの整った女子達」が、やってることは「見なりの乱れた私」より、悪いじゃんよ!という苛立ちをいつもその車内では感じていたんです。

 で、そんなある日の電車内での出来事。

私はまた彼女たちと乗り合わせてしまって、いつもの喧騒から逃れるためイヤホンで音楽を聴き、夏だったのでサングラスをして、大人しくシートに座っていました。

すると女子大駅の次の駅で、1人のお年寄りが乗ってきたのが分かりました。

杖をついたお婆さんでした。

車内の乗車率はシートが全部埋まってて、立っている人が10人くらいいる感じです。

端のドアから乗ってきたお婆さんは空いている席がないか見ながらゆっくりとこちらへ歩いて来ました。

図にするとこういう具合です。

  

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 PCからじゃないと小さくて分かりずらい図になってしまいましたが、〇は人を表しています。そんで左下の赤丸が私で、右の赤丸がお婆さんです。

〇は全員ではありませんが、ほぼ女子大生です。

 私はこの状況で、それまでの静かな苛立ちが、とうとう怒りに変わりました。

なぜかと言うと、おそらくお婆さんは右上のドアから乗って来てると思うんですが、このオレンジのゾーンらへんに座っている女子大生が一人も、ただの一人もお婆さんに席を譲らなかったからです。

譲らないどころか、お婆さんに気付いて「譲ろうかな…」という素振りが伺える子もいなくて、みんな相変わらずおしゃべりしてたり携帯をみてたりしたまんま。

「こんなに杖も突いて明らかなお婆さんが乗ってきているのに、この子らまじか!?」

私は彼女たちのマナーの無さにさすがに怒りがこみ上げました。

で、いても立ってもいられなかったので、私は立ち上がってお婆さんの所まで行き、声をかけました。

「あの席、もし良かったらどうぞ」

「ああ、わざわざどうもねぇ、助かります。」

お婆さんは普通に嬉しそうに席に座ってくれました。

今思えば、この時の私はお婆さんに親切にしたい優しい気持ちだけでなく、同じくらいその裏で汚い気持ちも働いていました。

つまり、女子大生達に対して「見てやがれ」的なイジワルな気持ちがあったんです。

その証拠に、私が席を譲ったところを目当たりにした私の近くの女子大生の何人かが「あ…」という表情をしたのを見届けた時、私はスッとした気分になりました。

「スッとした」ということは、席を譲ったのが親切心オンリーからじゃなくて、女子大生に反省を促すため「善い行い」を自分がしてみせる、その道具にお婆さんを利用して、表面的にはそれが「親切」に見える行為だった、だけです。

だから、ここまで話が終わると「なにが心温まるマナーの話桜島!お前のは自己満偽善行為だろ!」って怒られちゃう話なんですけど、まだ続きがあるんですよ。

 私は席を譲った後特有の気恥ずかしさもあり、そそくさとドアの前で立って外を観ながらただ到着駅を待ちました。

車内の様子は見ていませんが、相変わらずイヤホン越しには女子大生たちの喋り声が響いていました。

私は少しスッキリはしたものの、やはり彼女たちの声を聴いていると反発心が刺激されるので目をつぶってイヤホンから流れる音楽に現実逃避をしていました。

図にするとこうです。

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 別に図にする必要が無かったかもしれませんが、とにかくこんな感じでいました。

すると、私の肩がちょんちょんと突かれて誰かに「すいません」と声を掛けられました。

「え?」と驚きつつイヤホンを外しながら振り返ると、1人の女子大生が立っていて、私にこう言うのです。

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女子大性 「あの、席が1つ空いたのでどうぞ…」

私(????な、なん?)と思って、その子が指し示す座席を観ると 

 

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こうなってたんです。

一瞬意味が分からなくて「え?ああ、え?」となっている私に、お婆さんが言いました。

「この子らが詰めてくれたから、あなたも座れるよ。ここ座りんさい。」

 

 

なんということでしょう~!

匠の技で7人掛けの椅子が8人掛けに早変わり~!

 

って違います。

つまり私が譲った席のあるシートに居た女子大生の一人が、他の子全員に声を掛けてギューっと詰めさせ、無理矢理あと1人座れるスペースを作り出していたのですよ!!

言われてみれば喧騒に耐えている時、かすかに「そこ詰めて」とかいう声が聞こえてました!納得!

状況が呑み込めた時の私、顔真っ赤だったと思います。

でも女子大生も皆真っ赤でした。

なんだよ!いい子達じゃんかよ!なんだよ!

そして私に声をかけた女子生が先にその隙間に座り、私は(尻入るか?)と思いつつその0.8人分くらいの隙間に「へへ、どうも」と座らせて頂きました。

やっぱり隙間はちょっとはキツかったんですが、尻を押し込めてたらお婆さんが「だいじょぶ、みんなはババアと違ってちっちゃいお尻だからね。座れる座れる。」と言ったので、思わず女子大生も私も一緒に「あはは」と笑いました。

 その笑いで場は和み、女子大生と私の垣根が無くなったような感じがしました。

お婆ちゃんありがとう!そして女子大生ズもありがとう!

 

この件があってから、それ以降も電車に乗ると女子大生集団のうるささは変わらなかったんですが、私も前よりは生ぬるい視線で眺めていられるようになりました。(暖かい視線まではいかないけど冷たい視線でもないという意味)

それに今でも私は電車に乗ると、この時の尻のキツキツな固定感を思い出しては心が温まります。

あの時の女子大生達もどこかで尻のキツキツ感を思い出してるといいなと思いますね。

そういう話です。

って、これ今日はJR西日本が企画した「電車内での心温まるマナーの話」っていうことで思い出して書いたんですが、ふつうにJRの人に「規定以上の人数で座らないで下さい」とか言われたらマナー違反の話ですかね、今気が付きました。

ありゃりゃ。まいっか。

では、今日はこのへんで、次回からはいつも通りギスギスした話を書きますのでよろしくです。

 

特別お題「心温まるマナーの話」 by JR西日本
http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/jrwest

 

「ドSな男子にドキドキ」のドキドキはただの防衛本能だぞっ☆

ジェンダー 恋愛っぽい話 考察

 

はじめに

映画「パラダイス・キス」を初めてテレビで観た私は、北川景子に対して終始命令口調な向井理の役に「なんなんだこの偉そうな男は」と思った。

 映画「クローバー」の予告編では、武井咲に何度も「お前はバカなのか」と言う関ジャニの大倉くんの役に「バカとか言うなよ」と思った。
 
最近は映画「オオカミ少女と黒王子」の予告編で山崎賢人が演じる男子高校生に「お前は俺の彼女なんだから黙って守られとけ」と言われてポッとなる二階堂ふみを見る度に「ふみ逃げて〜!」と思っている。
 
一体いつから日本映画にはこんなに「ドSな彼に胸キュンストーリー」がはびこるようになったんだろう
その記憶は定かではないけれど、私はここ数年の間だけでも「好きになった彼は超イジワル男子でした」みたいな予告編ナレーションを聞くたびに「こんなん前もなかったっけ?」とデジャブっているので、私の中で「ドSな彼に胸キュンストーリーな映画」は「周期的にやってくる刺客」のように思える。
なぜ「刺客」なのかと言ってしまうと、私はこういう話が好きじゃないからです。
 
ここで「なにをぉ~!」と怒りたくなる方に先に謝っておきます。すいません。
映画作品や漫画作品を「好きじゃない」と書くのは、その作品や役者のファンの気分を害する行為なので、今回活字にしてしまうことでそこは謝ります。すいません。
 
でも、私が今日こうして「人気少女漫画待望の実写化!」みたいなファンの多そうなメジャー作品の名をわざわざ挙げ、気分を害する人をたくさん作ってしまうことを踏まえてまでなお「好きじゃない」と書く一番の理由は、なにも「二階堂ふみに高校生役をさすなて」みたいなケチをつけたいからじゃありません。(ふみに出来ない役はない)
 
私が今日書きたいのは個々の漫画映画の内容に対してではなく、もっと大枠のこと。
最近の恋愛ものでそういう作品が目についてしまう現状を受けて思う疑問。
 「こういう『ドSな彼に胸キュン♡』という感覚ってどうなの?」
という気持ちを書きたいだけです。
 「ドS男子ものたまらん!」という方にとっては不愉快かもしれませんが、 お許しくださいませ。
 
自民党による「選挙に行こう」漫画がちょっとひどい。
 
今回の話は前々から思っていたことではあったのですが、あえて今日こういう文章を書こうと思ったのは、今朝読んだコレがひどかったからです。↓
 これは選挙権が18歳以上になることをふまえて、自民党が発表した若年層向けの「選挙へいこう」の啓発パンフレット(タイトル「国に届け」)なのですが、読んでみて内容がちょっとひどいなと思いました。
すでに批判の声が多いので、この先もし取り消されてリンク先が見られなった時のためにストーリーを書きますね。
 
【タイトル】軽いノリじゃダメですか?
私、選挙のことは何にもわからないちょっぴりおバカな女子高生アスカ☆クラスにいるイケメン秀才男子の朝倉くんが気になるけど、彼は友達となにやら『さんいんなんとか(参院選)』についての話をしていてアスカの頭じゃ全然会話に入れな~い(>□<;)しかも思い切って質問したのに「親にでも聞いてみろバーカ」って言われちゃったョ(;_;)しくしく。でもアスカなんとか距離を縮めたいから朝倉くんたちと一緒に投票に行く約束したよ!行くからには自分なりに候補者について調べるもん (._.)フムフム いよいよ投票日、私服の彼ぴっぴやっぱイケメン♡自分なりに候補者について調べたから、彼はいつもみたくバカにしてこないぽよ。るんたった☆おしまい\(^o^)/
 
  ね。内容誇張してないですよほんと。
でも内容がこんな「女子はおバカで選挙に興味も無いだろうが、イケメン男子につられてでもおいでよ!」なことは、もうね、このまとめ観ても分かる通り、私以外の人がすんごい文句言ってくれてるんで ↓ あたしゃいいんですよ。 
 
なので、私は一人こうしてこの「人に平気でバカと言う男、朝倉」がなぜ「イケメン秀才扱いなのか?」と言うことに端を発して、今の漫画界で当たり前になりつつある
「ドSな男子がかっこいい」という価値観に意義を申し立てようと思ったわけですよ。
 「壁ドン、顎クイくそくらえ」の姿勢です。
 
冒頭で書いた通り私にはこれまでも数々の漫画における「ドSな彼に胸キュンストーリー」とやらに「ないわー」の思いはあったのですが、それぞれに誰かの思い入れのある愛しい作品と思えば「好きな人もいるんだし、これはこれでいいのかなぁ…」と文句は極力心にとどめて来ました。
でも今朝、これを読んで今日はもうこのことを書こうと思いました。
それだけ強く「一般の漫画だけならまだしも政府がこの頭じゃほんとうにヤバい!!」という危機感が湧く内容の漫画だと思いました。
 
共感できない恋愛漫画
 実は私の「ドSな彼漫画の世界観はヤバいんじゃないか…?」という危機感は昨日今日に始まった話ではないのです。
初めてそんな危機感を感じたのはもうずいぶん前のことなのですが、せっかくなのでいきさつをお話しします。
 
高校の時、Mちゃんという友達がいました。
Mちゃんはギャル系の子でしたが、見た目の派手さとは裏腹に温厚でピュアな心の持ち主でした。
街で配られるティッシュを断れずいつもたくさんティッシュを貰ってはカバンに入れていたので、私がハナが垂れそうな時には「ニニちゃんこれ使い~!」と言って授業中でもティッシュを手裏剣のように放り投げてくる優しいギャルでした。
Mちゃんには他校に通っている超絶美形でちょっと不良の彼氏がいて、なんでも2人は中学の時から付き合っていてそのあたりの地元ではわりと知られているカップルのようでした。
Mちゃんは毎日かならず登校後と昼休みと放課後に彼氏へポケベルで連絡をいれていました。
その当時は「固定電話以外に個々が連絡ツールを持つ」ということに、皆が浮き足立っていた頃なので、恋人のいる子はわりとそのような「定時連絡」を楽しんでいました。
でもある時、学校の公衆電話が2台あるうちの1台が壊れて、かなりの行列になっていたのでMちゃんがまったく彼にベルを打てなかった日があったんです。
すると翌日彼女はポケベルを持っていなくて「どしたの?」と聞くと「彼氏に壊されちった。」と言うのです。
その場にいた他の友達もそろって「なんで?」です。
するとMちゃんが話しました。
「昨日ずっとベル打てなかったでしょお。でも夕方会う約束してたから彼氏と会ったんだけど『なんでずっと返事しないの?』ってキレられてー、ベル取り上げられて道路にぽーんて。で、車が通ってグシャって。」
 
私達は一瞬黙りました。当時「デートDV」どころか「DV」という言葉すらまだ世に無かったので、口を開いた私たちは「彼氏ひどくない?」「Mかわいそうだよ!」と拙い言葉で慰めましたが、Mちゃんは「やーでも私も悪かったし、本人は植木のところにね、投げたつもりなんだって。でも思ったより遠くに飛んじゃったんだよね。だから、壊れたのはわざとじゃないし。ちゃんとゴメンて何回も言われたし、いいよぉ」と笑っていました。
私達は心配でしたが「本人がそう言うなら…付き合いも並大抵のカップルよりは長いのだし、いいのかな…」ということで意見が一致して、その後も彼女はその彼氏と付き合い続けていました。
でも、たまにMちゃんを迎えに校門前まで来るその彼氏の態度は、私や友達に「3センチくらいわずかに会釈らしきものをする程度」だったので「確かに顔はかっこいいけど、かなり無愛想だ」ということで、先のエピソードもあり、やっぱり私は彼に良い印象は持てませんでした。
そんなわけで「こんなに優しくてほがらかなMちゃんが、あんな冷たそうな彼氏のどこに魅力を感じているんだろう?」と私は常々不思議だったのですが、その後夏休みかなんかにMちゃんの家に泊まりに行った時にその疑問が解けました。

M家にはなんでも漫画好きのお姉さんがいるとのことで、彼女の家には「ザ・少女漫画!」な揃えの棚があり、Mちゃんと夜「まったりしよう」となった私は彼女が「もうこれホントにトキメクから!」と薦める一冊を読み始めました。

 ところが、その漫画がまったくと言っていいほど面白くないんです。

確か読み切り作品の詰め合わせみたいな一冊だったのですが、私はどの話もまったくピンと来ませんでした。

なぜならどの話も主人公は「恋愛に奥手で元気だけが取り柄のいたってフツーなワタシ」みたいな女の子で、その恋の相手は「家庭環境の複雑さゆえ他人に心を開かない彼」や「過去につらい恋愛をしたトラウマで女子に優しくできない彼」だったのですね。(顔はとびきりイケてる設定)

まぁそこまでは人物設定としていいとしても、男の台詞がね、喋れば全部「お前〇〇なんだよ。」とか「俺に構うな。」とか、終始ぶっきらぼうな上から口調なんですよ。

で、主人公との交流はそんな感じなので、主人公は彼の言葉や態度に怒ったり悲しんだりするんですが、なぜか彼の事を好きになっていくわけです。

んで話が「起承転結」の「転」で主人公何らかのピンチになると、この男は今まで全然優しくしてこなかったくせに突如「俺の女を泣かすな!」とか「勝手に一人で行くんじゃねーよ。俺の手をはなすな。」とか言って女の子をグイと抱きしめたり、手を引いて走り出したりするんです。

 

もう「はぁ?」ですよ。

いや、お前なにその急ハンドル?いつこの子が「お前の女」になったよ?つーか彼女だとしても「お前のもの」じゃないし!こら勝手に抱えるな!物陰で強引なキスをすな!そして女!そいつに何回泣かされたか忘れるな!ポッとすな!

Mちゃんが横から覗き込んで「そこ超良くない!??」と煽ってくるまで私は脳内でディスりツッコみが止まりませんでした。

そして「この世界観なんなの…わからない世界がここにある…!」というプチカルチャーショックを受けていました。

あ、書き忘れましたが私は子供のころからかなり漫画を読んで育ちました。だから「漫画自体」にカルチャーショックだったわけではないんです。

でも私がそれまで読んできたのは兄が買ってくるジャンプ、ヤンジャン、ヤンサン、と、かなり歳上の姉が買っていたティーン向けではないやや大人向けの漫画雑誌か、往年の人気漫画(萩尾望都とか大島弓子とか山岸涼子あたり)だったので、M家にあったような「中高生向けの等身大の恋愛漫画」はたぶん私の人生初だったんです。

だからそういうストーリーやキャラクターも、ティーン向けの恋愛漫画界ではすでに人気になりつつある流れだったのかも知れないけど私には初めてで「こんなにも主人公に感情移入できない漫画があるものか」という驚きがありました。
しかし、同時にふと「Mちゃんの彼氏こんなだ」と気がつきました。
 
直接見かけた時の印象以外に、Mちゃんからの話で彼氏の言葉使いや態度は聞いていたので、漫画の中の「お前なんでそんな偉そうなんだ」という男キャラとMちゃんの彼氏がすごく似ているように思いました。
そしてMちゃんに「これ、彼氏こんなだよね」と言うと、彼女も「やーん、こんなかっこよくないようん」とデレデレしていて、その反応からも「やはりMちゃんの中ではこういうのがかっこいいなんだ!」ということが分かりました。
 ちなみにM家の漫画ラインナップは、魔法少女ものやファンタジーものもありましたが、半数以上は恋愛もので、やはり「いじわる男子もの」がMちゃんの好みだそうで似たような漫画が他にも沢山ありました。
私はこの時にはじめてこういう漫画や、この世界観のまま恋愛してるMちゃんに対して「ヤバくないか?」という危機感を感じたんです。
 
 「ドSな彼」が「かっこいい」という価値観はまずい
 女の子が「どんな相手をかっこいいと感じて好きになるか」の由来は一つではないと思います。
それは、親からの愛情の受け方、家庭環境、過去の経験、周囲の人間関係、流行や時代の空気など、様々な要素が関係して徐々に「自分の好きなタイプ」というのがぼんやりと見えてくるものだと思うからです。
だから私も極論で「Mちゃんが乱暴な彼氏を好きなのは、ドSな彼氏に胸キュンもの漫画育ちのせいだ!」とは言いません。
でも、大人になるにつれ私には「まったくの無関係ではないだろうな…」と思う機会がたびたびあったんです。
なぜなら、その後の人生で女友達からの「彼氏が強引で」「束縛ひどくて」「殴られて」「冷たくて」という類の相談が時々あったのですが、そういう「人間的にどうなの?」という彼氏を持つ女の子に聞き取った結果、ほぼ全員が「そういう系のティーン向け少女漫画」が好きだったんです。(6人中5人)
たまたまかもしれませんし、もちろん彼女達だって色々な要因から好きなタイプが形成されているとは思うのですが、それにしても人数が増えるたび私は「この確率は…」と思うようになりました。
 
そもそも、そういう女の子って、はじめに何人かで会った時に「店員に対する口の聞き方が悪い」とか「いきなりオマエ呼ばわりしてくる」とか、私なら「アレはない!!」と思うような態度の男でも「えー別に良くない?かっこいいじゃん。」という感じで、さほど気にせず付き合っちゃうんです。それで後から苦労をする。
 
そういうのを観てると、それって彼女たちが子供のころから漫画で「本当は優しいのに素直になれなくて冷たい態度の彼」「強引なところがたまらない彼」というような男性像を「かっこいい恋愛対象」として見続けてきたからなんじゃないの?ってつい思ってしまうんですよね。
そして、相手選びの段階からそんな危なっかしいのに、そういう漫画って「男が命令して、女が戸惑いつつも従って、最終的に『嫌な奴と思ってたけど、私アイツの言う事聞いちゃってる…これって私がアイツの事ほんとうに好きって証拠だよ…!』と1人勝手に感動する」意味の分からん定番な流れがあるじゃないですか。

そういう風に「恋愛とは男に振り回されて当たり前」ていう間違った常識も子供のころから漫画で見慣れてしまうから、大人になって現実に彼氏が出来て、むちゃくちゃされても「でも振り回されたり喧嘩とか嫌なところとかいっぱい見るのが恋愛ってものだし。」と、勝手に自分を納得させちゃうんじゃないかなと思うんです。

私は恋愛で必要なのは「喧嘩じゃなくて話し合い」だと思うし、なにより恋愛は「楽しい」のが大前提だと思うので、しょっちゅう同じことで喧嘩したり、心配したり、我慢したりというゴタゴタの比率の方が明らかに多い恋愛ってのは「楽しいのかなぁ?」と思ってしまいます。
あと、私自身も若い頃は良くない恋愛をしていましたが、それでも「言いたいことを我慢する」ことはあっても「命令に従う」ってのは無かったんですね。

だから「恋人が命令」をありえないと思う私から観ると「彼氏に命令されてつい従っちゃう」ってのは、ただ「怖いから」だと思うんです。
つまり、男の「〇〇しろよ。」とかいう命令口調にドキっとするのは、自分の防衛本能みたいな第六感みたいなものが「こいつヤベェ奴だから逃げようよ!」って信号出して心拍数上げてるだけだと思います。
それを「ドキドキしちゃう、こんなになったことない、これが好きって証拠?」と勘違いするのは本当に「洗脳されてるレベル」のこわいことだと思う。

 まーただの持論ですから、信じるのは人それぞれで良いですが、私はそういうのを観てきた経験から「まったくの無関係じゃなさそうだな…」という思いがあって、危機感を覚えてしまいます。
あと、30歳近くなる頃から、べつに私だけが連絡絶たれてるならいいけど、そうではなくて誰に聞いても「誰も知らない」状態になる子はなぜか大抵「いつも変な彼氏と付き合ってた子」が多いです。
だから疎遠になると「彼氏とか旦那に交友関係制限されたりしてるのかなぁ。殴られてないかなぁ。生きてるかなぁ。」と心配になります。
どこかで幸せに暮らしていることを願っていますが、そういう風に途切れていった友情を思うと悲しいし、やはり「これからの若い子にそういう思いはして欲しくないな」と、私は思います。(ちなみに当時の彼氏とは別れたMちゃんとは今も交流あります。)
 
最後に
最後に、もし現時点ですでに「ヤバい、わたし明らかに漫画の影響でそういう男子しか好きになれないんだけどどうしよう」という女子がいたら、そのままで自分が良いのなら別に止めませんが、もし「見る目を変えたい」と思うなら、僭越ながらアドバイスを書かせてもらいたいと思います。
 
まず、そういう漫画を「読むな」とは言いません。でも「フィクションだ」ということを絶対に踏まえて読んでください。 
「フィクションだと割り切って読む」これが出来ている人は、こういう漫画が好きでも、自分の恋愛に反映しないと思います。
こういう漫画はそうやって「現実ではありえない」を楽しむものだと私は思います。

でも「頭では分かってるつもりだったけど、自分の男性歴からして影響受けてるかも!」と思う方は、漫画と現実の男性とを切り離せそうな考え方を教えますね。
 
私が思うに、漫画における「本当は優しいのに素直になれなくて冷たい態度をとってしまう彼」の「本当は優しい」なんて「漫画だから捨て犬を拾ったり実は女子の為に裏で親切なことをしている描写」があって読者に「本当は優しい」が実証されてるだけのことです。
つまり現実だったらそんな裏事情はあなたに一切影響がないのだから無いも同然なんです。
あなたが唯一自分の目で見て感じられて実証のできる「彼の本当の優しさ」は「今、目の前の言動が優しいと思えるかどうか」だけです。
 
だから今、もしあなたの目の前で「お前は黙って俺の言う事聞いてりゃいいんだよ。」とかホザいてる男がいたとしたら、そいつが裏でどんなに子犬を助けてようが赤い羽根募金をしてようが「あなたにとって優しいか」には関係ありません。
今あなたが彼について実証できるのは「目の前で命令形で喋ってる」ということから判断して「彼はあなたに上から目線で接することを当たり前だと思っている人間」ということだけです。
そこに勝手に「実は優しいところもある」という可能性を見出すのはやめたほうがいいです。
優しいところが実際に「見えた時、感じられた時」だけ、1つづつ彼の優しさとして認めて下さい。くれぐれも「あるかも…」という期待にすがるのはやめた方がいいです。
 
なぜなら「いつもは冷たいけどイザって時は優しいもん」と、すでに実証済の嫌な部分は見ないふりして、いつ来るんだか分からない「イザって時の優しさ」とやらにすがって付き合い続けることは、DV夫が暴力後に見せる一瞬の優しさを「これが本当の彼の姿なの…!」って思ってる妻と一緒です。
実生活の9割は「冷たくされたり、強引に振り回されたり、搾取されたり、暴力振るわれたり」と実害を受けてるのに、たった1割の「もうしないからごめんよぉ!別れないでくれよぉお!の泣き顔」だけでチャラにするのは、馬鹿げていることだと思いませんか?
実生活の9割実害のある人と生活するのは、1人で生活する何倍も辛いことだと思います。
そういう相手と「人生のひと時を過ごしてみる」のも人生の一興かもしれませんが、女の体は何かと弱い作りになってますから、痛くされたり妊娠させられたりしたら損ですし、私はおすすめしません。
 世の中には「優しさの裏返しで意地悪してくる男子」じゃなくて、ふつうに「優しさを裏返さないで優しくしてくる男子」もいます。
そしてそういう人こそがイケメンと呼ぶべき人です。
(「国に届け」で言えば友人の佐藤くんのほうがよっぽどイケメン)
そういう相手の方が末永く楽しい時間が過ごせると思いますから、どうか相手を見るときは先々を考えて選んでくださいませ。
(男性は33歳あたり過ぎたら顔の造形の良し悪しはよっぽどでなければ大差なくなります。その時に「元はカッコ良かった性格悪い男」と暮らすの地獄ですよ。)

長々と書いてきましたが、結局文章のキレというのは思いついた時にツイッターで瞬発的に書くのが一番意味がストレートに伝わるんですよね。
というわけで今日書いたのは結局以下のツイートに集約されます。

 
というわけで、どうか一人でも多くの「よくわかんないうちに私〇〇君の言いなりになってるー」という女子が「言いなりにならない」ことを願って、今日のところは終わりにします。
ではまたー。
 

 

「被災地女性は自衛隊に手を振って」のおかしな所をまとめた

 

このたび九州地方を襲った震災により被害を受けられた方々には、心よりのお悔やみとお見舞を申し上げます。

はじめに

twitterをされてる方はどなたも同じ状況だと思いますが、14日以降のTwitterでは震災関連の話題が多くを占めています。

その中で私の周辺では、あるひとつのツイートが問題になっていました。

私もそのツイートについては思うところがあったので、すでにTwitterではいくつかの呟きをしたのですが、その話題に触れている方々のツイートを観ると、ここ数日でもまだ賛否両論が相容れないバチバチ状態になっている様子なので、今日は改めてそのことに関して私が思ったことを整理して書き残しておこうと思います。

なお、私が今から書くことは元々のツイートをした方に対する敵意や攻撃が目的ではないのは前提としてご理解いただきたいです。

もちろん、こうして書いているのは元々のツイートに私が「ん?おかしくないか?」と思ったから書いているわけですが、それでも私は「おかしいだろ?あーん?」という難癖を付けたくて書いてるわけではないのです。

ただ、その元々のツイートに関して色々な人が「言ってる事がおかしい」VS「いや、おかしくねーよ」の言い争いになっている現状を眺めるうちに、私が「おかしいよ」と思う側の一人としてある程度まとまった意見を書くと「もしかしたら対立する両者の相互理解に役立つかもしれないな」と思ったので、そういう目的で書きます。

私はこのところ「偽善者」と言われることが時たまありますから、今回も「また善人ぶったウエメセ長文ババァ乙」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、どう思われても構いませんのでこの文章が「件のツイートをやり玉に挙げる」のが主旨ではないという事だけは伝わるとありがたいと思います。

 

おかしいと思う要点は2つ

さて、先ほどから「元々のツイート」と書いてる件のツイートですが、勝手にツイートを貼るのはご本人が不快に感じるかもしれないので、リンクは貼りません。(もしご本人の希望があれば貼りますが)

そのツイートは現役自衛官と思われる方によるもので自衛隊車両を見かけた女性(女子高生)は隊員に手を振ってあげてください。元気の源になるし作業時間外の話の種になりますんでwww」というものでした。

私がこのツイートを初めて目にしたのはこれ単体ではなく、別の方による「支援者が支援対象に笑顔やら感謝の言葉を期待してはいけない。」という旨の引用ツイートと合わせてでした。

その時点ですでに「賛否」で言えば「否」のバイアスがかかっているので、その点を「桜島は元ツイを公平に判断できてない、身内目線で観てる。」と指摘されたら確かに私には「そうじゃないよ。」と証明するすべがありません。

でもいくらかの反論をさせてもらえるなら、私はそこに書かれていた「支援者が支援対象に笑顔やら感謝の言葉を期待してはいけない。」というのは、既に心得ている事でした。

何と言ってもこれ「対人援助」を仕事にする上で「基本のき」なんです。

つまり、私はいちおう福祉畑の人間ですから、自分も含めてこれまでの仲間内でも介護や医療や福祉分野で真面目にやってる人にとってはこれは「そんなのは踏まえてて当然」のことで「言うのも野暮なこと」という認識でいました。

だから私は元々のツイートを単体だけで目にしたとしてもやっぱりその内容が「支援者が支援対象に笑顔を要求」している時点で、自分は「変なの」と思ったと思うんです。

まぁここは「たられば」の話なので、信じられなければ本題ではないですし、別にいいんですが、とりあえずそういうわけで、私はその元ツイートについて引っかかったので、よく考えて「自分はこのツイートのどこが変だと思うか」の要点をまとめてみました。

要点は2つ。

1つは、今すでにあがっているように

「プロとしての支援者が、支援対象に笑顔やら感謝の言葉を期待してはいけないんじゃないか?」ということ。

2つめは

「自分達が手を振ってほしい対象を女性(女子高生)に限定することの失礼さがすごい。」ということです。

 私の言いたい事はそれだけですが、さすがにこれだけだと言葉足らずだと思いますので、次の章で1つめから順に説明をしていきたいと思います。

 

人助けのプロは「要支援者が助かること」以外を求めない。

まず1つ目の「プロとしての支援者が、支援対象に笑顔やら感謝の言葉を期待してはいけないんじゃないか?」について書きます。

元ツイは被災地の女性に向けて「手を振ってください。隊員の元気の源になるから」と呼び掛けている内容なのですが、これについて私は、自衛官の中のお一人がそう書きたいお気持ちはすごく分かります。

自衛官の方は自分の家族を差し置いてまで真っ先に現地に飛んでますから、そこで被災者が「来て当然」とばかりにシラーっとしてるより「笑顔でお礼を言われたり手を振られる」があったほうが、やりがいや喜びを感じるのは、もう人として当たり前の心情です。それがあるほう皆さん頑張れるに決まっています。

でも私はそれがいくら事実でも、支援者側から「乞う」たらアウトだと思うんです。

あくまでこれは

支援される人のお礼という『現象』⇒ 支援者の喜び・励みという『結果』

が正しくて、そこに大事なのは「現象」が生んだ「結果」であるという順番だと私は思います。

いくら過去の前例で「この因果関係はセットだ」というのが人々の常識だとしても、私はこの順番を破り「結果」のために「現象」を起こそうとした時点で、もうそれはプロの仕事ではなくなってしまう気がするんです。

この感覚は「美学」と言ったらクサいですが、その感覚が持てるか持てないかで同じ職業間でも「プロ」と「そうでない人」に分かれる所なのかな、と思っています。

もしこれに納得できない方は想像してみてください。

もし老人ホームの利用者入り口に「利用者の皆様へ、介護士が出勤したら笑顔で迎えて下さい。仕事の励みになります。」と張り紙がしてあったらどう思うでしょうか。

「え…なにここ…。そりゃそうだけど、それってそっちから言う事か…!?」って思いませんか?

つまり「支援者」が「要支援者が助かる事」以外の見返りを求めることは、そういう変な違和感を「支援される側」に感じさせる行為なんです。だから、それを1ミリも感じさせずに支援を提供するのが対人援助のプロの仕事かな、と私は思います。

さて、それでもやはり被災地での話を老人ホームにすり替えるな!」と思われる方がいるかもしれません。

その場合は元ツイに登場する「自衛官被災者」を「ボランティアと被災者」に置き換えて考えてみて下さい。

もし被災地へボランティアに出向いた人が現地で「県外からのボランティアを見かけた女性(女子高生)は手を振ってあげてください。元気の源になるし作業時間外の話の種になりますんでwww」とツイートしたら、どうなるでしょうか。

たぶん「てめーふざけんなし」「何目的で行ってんだよ」「こんなやつボランティアに来られても迷惑」という批判ばかりがこってり来るんじゃないかと思います。

今回の自衛官の方によるツイートは同じ内容なのに、なぜそういう「批判」だけでなく、ちゃんと「擁護派」もいるのかと推測すると、たぶん日本の多くの人の頭には、すでに3.11以降「自衛官」という職業へのリスペクトがあるから「彼らの本音を大目に見ろよ」という擁護心が働きやすいからじゃないかな、と思います。

でも私は話の本質として「支援者は支援対象者に何も求めるべきではない」については、ボランティアでも自衛官でも同じように適用(むしろ自衛官のほうがプロだからちゃんとするほう)だと思いますから、「自衛官だから何を言って批判するな」とするのは変かと思います。

もちろん自衛隊は大所帯ですから、色々な自衛官がいて、その中には「女の子が励みになるんだよぅ!」が本音の自衛官もいて当然ですし、自衛官の方は普段は一般人から「税金泥棒」とか言われつつも有事の際にはいきなり「聖人君子のスーパーマン」な言動を強要され、そういう「民間人からの扱いの乱高下」に飽き飽きしていると思いますから、内心「俺だってそこまで人間できてねーよ。」と思ってる方も非常に多いと思います。

だから、その点を踏まえれば元ツイは「一部の人間らしい正直な自衛官」による「ただポロっとこぼした呟きだったのかな」と私も思うんですが、だとしても「職業の看板背負ったまま」あの発言をしてしまったのは迂闊すぎると思いました。

なぜなら、やっぱり自衛隊という大所帯の中には、正義感と使命感で被災地での活動に力を尽くしているプロ意識の高い自衛官も存在していて、そういう精鋭の本音を言わせれば、元ツイとは間逆だと私は思うからです。

たぶん精鋭にツイートさせたら被災された方々から自衛隊へのお気遣いはありがたく思いますが、どうか我々に気を使うことで余計な体力を使わないで下さい。」って感じになるんじゃないかと思います。

まぁ「こんなスーパーマン居ない!」と茶化したい人もいるかもしれませんが、私はどの分野にもプロは一定数居るものと思ってます。

実際、私が今まで観てきた医師や看護師や救命士といった「人の命関わる仕事」で「この人プロだわぁ」と思った方は、要救助者に見返りなんて全く求めていなくて、彼らを動かすのは命や仕事に対する使命感だけのように見えました。その気高さには「神聖さ」さえ感じます。

だから私は元ツイを読んだ時に「人命救助、対人援助のプロがいる職業」の看板を背負ったままこうやって軽はずみな発言をしてしまうと「職業そのもの」や「プロ意識を持ってやってる自衛官」の顔に泥をぬる行為になってしまうので、「やめた方が良かったのでは?」という感想を持ちました。

仮にこれが被災者側から自発的に出た「自衛隊さんに手を振れる人は振ると彼らも喜ぶよ」というツイートならば、同じ内容でもまだ事態はおかしくなかったのかも、と思いますが、よりによって自衛官側から発信していたので、次の章で書く要素とあいまって批判が多くなってしまったのだと思います。

 

要支援者に「色目」を意識させないで欲しい。

 

では、ここからは2つめの 「自分達が手を振ってほしい対象を女性(女子高生)に限定することの失礼さがすごい」について書きます。

これはもう読んで字のごとくそういうことなのですが、確かにこの世の中「女が好き♡しかもなるべくなら若いほうが好き♡」という心情をお持ちの男性がゴマンといるのはもう世の中周知の事実です。

その事実はあまりにも常識化し過ぎているので、この国に住む私たちは男女共にそれを「飲み込むこと・飲み込ませること」に慣らされてしまっている気もします。

だからこそ巷の安居酒屋に張ってある「20代女性は生ビール半額、ミニスカならさらに一杯無料!」みたいな「ガハハエロじじいノリ」の張り紙もこれまでの時代は「ちょっとしたシャレで~す」で通ってきてるわけで、それに対する「女性に失礼でしょ」という声も「うるさいフェミババア発言」としてスルーされてきてるんだと思います。

でも、酒場はある程度「下品なことを言っても許される場」ですから、こういう「女の子大好き~若い子大好き~♡」を前面に押し出した発言もまだ「他の場所で発言するよりは許容」されていますが、その発言が「失礼」な事に変わりはありませんから、時と場合が変われば、これは本当に「ただのゲス発言」でしかなくなります。

その「失礼さ、ゲスさ」がどういうものかという説明が分かりやすくなる為に、ここでひとつ私の友人の話を載せます。

 

という話なのですが、私は彼が「複雑な気持ちになった」原因は、率直に言えばそのお婆さんの言葉に対して「そんな目線で自分はここに居ないのに。」と思ったからだと思うんです。

つまりこのお婆さんの発言は、彼や救助に当たった自衛官にとっては「失礼」だったと私は思います。

しかし同時にそれを「失礼だけど仕方ないこと」だとも思います。

なぜなら、お婆さんはこの世に浸透している「男の子は女が好きでしょ」っていう「シャレ」が染みついている世代の人だし、公人でもなく被災された1人の民間人の立場だけでものを言うのだから、そこでご本人の気が済むなら冗談でも失礼でも咎められる立場ではないと私は思うからです。

しかしそこに「失礼さ」があったのは確かですから、その「失礼さ」がどういうものかというのは明らかにしたいところです。

そこで考えてみたところ、そのお婆さんの発言の失礼さをまとめると、要救助者に対して「老若男女関係ない気持ち」で職務に当たっているプロに対して「男だから若い女をより好む目線を持ちつつ現場にいんでしょ。」という見方をしたこと。だと思いました。

 で、私はこの「失礼さ」と元ツイの発している「被災女性に対する失礼さ」の根っこは同じ気がします。

それは、被災地という「生死に関わるレベルの話」がされている場所での話題を、一気に「色事目線(ようするにシモ関連の話)」に引きずり下ろしているところ。が共通するからです。

そういう風に「話のレベルをシャレや冗談の出るレベルに下ろす行為」っていうのは、被災者側から出るぶんには良い傾向だと思いますが、支援者側からやっちゃダメな事ではないかと私は思います。

なぜかというと、被災された方々にとって当面は自分達の生死や衣食住が深刻な状況で、まだその「命のレベルでものを観て考える」をしている段階なのでそこへ、安全圏に住む支援者が現地に「色事や冗談話ができるレベルで来ている」のが分かると被災者にとっては侮辱されているとも取れて、一言で言えば「こっちは真面目な話してんのにふざけんな」となるからです。

だから、私は元ツイが被災地の方へ向けたメッセージのテイを成しながら色目冗談レベルの話だったのでそこがあまりにも失礼だと感じました。

あと、自分がもし被災していると想像してみたら「命単位で仕事に向かってる自衛官」や「生死の瀬戸際から生還した人々」の中に混じって平時の飲み屋ノリで「女の子が手を振ってくれたら嬉し~」「おばさんだとがっかり」と思ってる自衛官がいるということを知ったら、私は自衛官に失望します。

たとえそれが一部の方だけと分かっていても、自分から自衛官の方に手を振ろうかな、と思った時に「まてよ、手を振ったら後で彼らに『あの人可愛いかった』だの『いや、30超えてそうだから無いわ』だの「作業時間外の話の種にされる」かもしれないんだ…じゃあやめよ。」って思って手を振るのをやめます。

プライバシーが保たれない環境で避難生活をしている方は、ただでさえ「他人の視線」が煩わしいはずです。その視線にさらに「色目」も混じり、しかもそれが「支援に来てる男性自衛官からも向けられてる。」なんて事が分かったら、被災地の女性にとってはひどいストレス源です。

そういうわけで、元ツイは「だだ被災した女性に『自衛官による色目が少なからず向けられているよ』という事を知らせる不要な情報」だったのかな、と思います。

というわけで、今回、この元ツイを問題視された方にはそれぞれの視点があると思いますが私が「変」と思ったのは以上の2点です。

「本当にうるさい女はいちいち何言ってんの?」と思う方に「こちらが何言ってるのか」がいくらかでも伝われば幸いです。

最後に

ここまで散々と書いた内容が、元ツイ自衛官の方をこき下ろす文章になってしまいましたが、ただ一点だけ最後に自衛官の方を擁護したいと思います。

私は、この発言の「内容」はともかくとして、この自衛官の方はまだ「ネットでの発言」に関して「声の大きさが自分では選べない」ということに自覚がないだけで起きたこたかな、と思います。

「隣の席の人に向けた、ほんの冗談」としてつぶやいただけのことが、SNSだと拡散されていつの間にか街頭で拡声器で喋ってるくらいの声の大きさになります。

私もこのところ、その怖さや扱いの難しさに困惑することがありますので、元ツイの方もうっかり内輪ウケする事を書いたら大勢に批判されて驚いているかもしれません。

しかし震災関連についての発言はとてもデリケートです。

だから、このメッセージが軽いノリではあるものの「内輪ウケ」から「被災された女性の方へ」の呼び掛けの形をしていたので、多くの人が「被災者を思って」意見したくなったのだと思います。

いま、被災された方々を思う気持ちは、それぞれの心に大なり小なりあると思いますので、どうか協力してそれぞれが出来る支援を届けられると良いと思います。

被災された方々に1日も早く心休まる日が来る事を願って書きました。

ではまた。