限りなく透明に近いふつう

やさしい鬼です お菓子もあります お茶も沸かしてございます

引きこもりを被害者にも加害者にもしないため

 

ご無沙汰してます。

なんやかやあって、すっかり筆が遠のいていましたが久々によろしくお願いします。

 

このところ、なんだか物騒な事件が多くて滅入りますね。

刃物沙汰の事件はどれもショッキングですが、私は川崎の集団殺傷事件と練馬の父親による息子殺害事件の2つが、特に思うところありました。

川崎の事件で一気に「悪者は引きこもり!」的な空気が流れたと思ったら、父親が引きこもりの息子を殺してしまった事件が続いて。

「世の中の出来事は起こりそうなことの順に起こる」と、以前どこかで聞いた言葉を思い出しました。

 

さて、それで私は心配に思ってることがあるのです。

それは、今後ますます世の中の皆が条件反射的に「ひきこもり、中年、男性」この三要素が揃った人間を避けたくなるんじゃないか、ということです。

もちろん、もしあなたの家の隣にどうやらそれらしき人が住んでいて、夜中にしょっちゅう怒鳴り声や大きな音がしたり、始終あなたの家のほうを窓からじっと見てたりした場合にまで「怖がっちゃいけない」とは言いません。

実際そんな立場なら怖いし避けたくもなるでしょう。

でも、実際そういう人と関わっていない多くの人が、ニュースや世の風潮だけで「引きこもり=危険な人」と認知してしまうのは、早合点だし、短絡的だし、差別なのでは?と思います。

 

まさか、ここまでの文章が川崎事件の犯人を擁護しているように読む人は居ないと思いますが、念のため書いておきますと、私が言っているのはあの犯人を憎むなという事ではありません。

私だって犯人は憎たらしいです。

事件の事を考えて今も怒りに震えてるし、被害に遭われた方、その周囲の方の心痛を思えば気が気ではなくなります。

でも、犯人が引きこもり男性だったことは、犯人が持つ要素の一つに過ぎないので、「要素まで憎むのは違う」と言ってるんです。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とは言いますが、落ち着いて考えれば坊主も個々の人格が違いますから、袈裟姿なだけで人格まで決めつけられ憎まれる筋合いはありません。

ようは、悪事をした人間と同じ要素が多少あったとしても、そのまま人間性もトレースされているわけじゃないということ。

人間というのはそこまでパターンが限られている単純な生き物じゃないと思うので、「≒」をザツに「=」にしてはダメということです。

 

そこをザツにいっしょくたにすることは、個々の人間性を否定することなので、された人には憎しみが生まれます。

憎しみが人を歪ませて、歪んだ人が事件を起こして…と殺伐とした世の中になってしまう気がします。

「犯人は引きこもり」というキーワードだけが取り沙汰されると、今ひきこもっている人に対する「≒」な気持ちを簡単に「=」にしてしまう人が増えるんじゃないかと思って、私はそこを心配に思っています。

 

でも人が何を思うかは自由なので、仮に皆さんが条件反射的に「引きこもりの中年男性」を「うわっヤベェ奴じゃん」と心の中で思うことがあったとしても、それは仕方ないかもしれません。

でも問題はその気持ちを表出するかどうかだと思います

私は環境や風潮というのは、個人の意志の表出の「塵が積もって山となる」で、作り上げられているように思います。

ですから、個人個人の思う「引きこもり?ヤベェ奴じゃん、近寄らんどこ」が、ダダ漏れに表出してしまったら、引きこもりの人が完全に孤立した環境が完成してしまうわけですね。

相手の人間性を知ろうともせず短絡的に「引きこもり⇒ヤベェ奴⇒危険回避」と、相手を避けることは、危険から遠ざかるように見えてかえって相手が「危険な人物となる背景」に加担してしまっているように思います。

誰からも避けられ、レッテルを貼られ、「居なくなって欲しい」と思われ続けたらどんな人だって歪みます。

人に対してどう思うかは個人の自由ですが、それをもし表出する時は影響を考えてからにして欲しいと思うんです。

 

 

と、今日言いたいことのメインは終わったんですけど、ここまではただの前置きなんですよ。

というのも、この後に続く文章は3年前に下書きしてあったものなんです。

でも、ここのところの事件があった時に、これを書きかけていたことを思い出して、「ああ言いたいことが繋がるな」と思いました。

なので、とりあえず3年前の文章を載せます。

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こないだ久しぶりに現実生活で「それはおかしい」と人に訴えた事があったので、今日はそのことを書きます。

 

出来事

私がバイトしてるコンビニは慢性人手不足で、いつも「アルバイト募集」の張り紙がしてあるのですが、先日バイト中に1本の電話がかかってきました。

それはバイト希望の電話でした。

店長不在だったのでそのまま私が年齢や希望時間帯など、ひと通りの事を聞きました。

34歳の男性で、無職だと言っていて、希望時間帯は平日の昼間でした。

私は店の人手不足具合を嫌というほど知っているので、「やった〜」と思いました。

その方は話しぶりも普通に感じがよくて「常識的な人だな」と思えたので、きっと採用になって、人手不足がマシになると思ったからです。

 

ところが、違ったのです。

夕方出勤した店長に、仕事終わりの私が「バイト募集の電話来ましたよ!」と言うと、店長は「おお!」と喜びの声を上げました。

でも年齢など聞き取ったメモ紙を渡すと眉をしかめ言いました。

「あ、こりゃダメ」

 

私が予想外の店長のリアクションに「えっ、なんでですか?」と聞くと、店長はアッサリ「だって、男で30過ぎで無職でしょ。怪しいもん。」と言いました。

私は「えーーー…」となりました。

確かに平日昼間のコンビニバイトを希望してくるのは、たいてい主婦の方です。

店側も基本的にはそういう主婦が応募してくるのを想定して待ってはいますが、それでも「主婦じゃないから」という理由だけで、「ダメ」と決めつけるのは納得いきませんでした。

 

それで私は「でも、話した感じは悪くなかったですよ。せめて面接してみてから決めないですか?」と聞きました。

すると店長は「いや、面接もしない。顔見てからじゃ断りづらいし。後で断りの電話だけしとくわ。メモありがと。」と言いました。

 

普通アルバイトはこういう決定に関して口は出さないと思いますが、私と店長は15年以上の知り合いでプライベートな話もする仲なので、私はその時、立場を超え個人として意見したくなりました。

だって、今の時代「男性で30代で無職」だとしても、そういう人に「特別に人間的な問題があるとは限らない」と思うし。

男性が新卒で大抵どこか企業に就職できて、よっぽどヘマをしなきゃその会社で定年まで勤め続けられる時代なんて、大昔の話です。

「親の介護で定職を辞めた人が出来る範囲でバイトをしたい」とか「本人が療養中で出来る範囲でバイトをしたい」とか、性別に関わらずそういう諸事情を抱えてる人が多い時代じゃないですか。

だから、ただ「34歳の無職男性」という肩書きだけを元に「なんか怪しいからダメ」とした店長に、私は「それは人として偏見的では?」と思いました。

せめて店長が面接をした上で「この人は雇いたくないな」と判断したのなら、店長の店だからそれで良いんです。

でも面接もしないなんてあんまりだよ…!です。

 

店長はもともと非常に「ニュートラルな人」という感じで、基本穏やかで物事を平和的に解決する人格者だと思えていた人だったので、肩書きで判断したことについて私は「店長にそんな一面が!?」というショックも少なからずありました。

 

それで、そんなやり取りをしているところに店長の母(以前も書いた“おばちゃん”の人です。)が来ました。

おばちゃんに「あらどうしたの?」と聞かれたので、店長がいきさつを話しました。

するとおばちゃんも即答。

「そりゃダメだわ。男でその年で仕事してないなんて普通じゃないもの、怪しいわよ。」

私はこの即答で、軽くキレてしまいました。

 

なんというか、世の中には色んな事情があって止むを得ず働けない状況の人もいて、それは男女ともにいるはずなのに、無職なのが男性だと「怪しい人間」ってするのは男性差別じゃないですか。

それで、私は聞きました。

私 「じゃあこれがもし34歳の無職の女性だったらどうなるんですか?」

店長「そりゃ女性だったら面接するよ。」(おばちゃんもウンウン頷く)

私 「え、女の無職はなんで怪しまないんですか?」

おば「そりゃあ、女はいいのよ。色んな人がいるもの。」

私 「男も色んな人がいるでしょうよ!」

店長「でも、男の無職は絶対なんか問題がある人だよ。」

おば「そう、変な男の人雇ってお金盗まれたら困るもの。」(おばちゃんの答えはもうズレてる)

 

私「お金盗まれる可能性なんて男も女も同じじゃないですか(笑)

私はお2人が『無職の30代女性』も怪しいって言うんならまだ分かるんですよ。

でもなんで男性だけ怪しむのかが分からないんですよ。」

2人「うーん」

私 「だって、世の中の雇い主がもしみんなそう思っちゃったら、どうなります?男の人は、ある程度の歳超えて仕事を辞めたら2度と仕事に就けないことになるじゃないですか、それって怖くないですか?」

2人「そうは言ってもねぇ…よそはどうしてるか関係ないし、ウチはとにかくそういう人は断ることにしてるのよ。納得いってなさそうだけど、ごめんね。」

 

「これ以上話しても何もならないな」と思ったので、私は黙りました。

 

これが久々に私が実生活で人に「これはへんだよ」をぶつけた出来事なんですけど。

今思うと自分でも、この時なんでここまでムキになったか謎です。

でも1つは先ほど書いた「店長がそんな人だったなんて」と思いたくなかったのがあって、あと、単純に私だけが声を聞いたその男性に同情したんです。

「肩書きだけで振り落とされる立場」の人を可哀想に思ったというか。

 

店長は後からフォローなのか「他のもっと成人男性にふさわしい仕事?(この言い方も職業差別的で私は嫌ですが)なら、30代男性が飛び込むのはアリだけど、いかにも主婦や若者フリーターがやる昼間のコンビニバイトにおっさんはないんだよ。」と言っていました。

でもそれにしたって私は「募集してるんだし、面接くらいはしてあげればいいのに」と思うし、何より私はこの会話中に「これが女尊男卑というのかも知れない。」と発見したので、そこが一番私の気持ちに火がついた原因だと思います。

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以上が三年前に書いた文章ですが。

私が最初に言った「思うのは仕方ないけど表出するのは考えて欲しい」というのは、こういうことなんですよ。

言っときますけど、この店長もおばちゃんも普段めっちゃいい人です。

仕事に対して真面目だし、経営者なのにアルバイトに対して上からものを言わないし、いつもすごくねぎらってくれて「ザ・善人」みたいな人たちなんですよ。

そ・れ・な・の・に!!

こんなにアッサリと34歳無職男性を切り捨てたんです。

それもさして悩んだ末でも無けりゃ、罪悪感も無い。

まるで「当たり前でしょ」「そういうものだから」って感じに。

これが、店長たちが「34歳無職男?ヤベェ奴じゃん」をそのまま表出した結果なんですよ。

その時の34歳無職男性が、ひきこもりの人かどうかは知りません。

でも仮にひきこもってた人が、勇気を出して社会に出ようとした一歩目がその電話だったら?

そんな、年と性別と無職ってことだけで切り捨てられちゃうの?

世の中ってそんななの?えっ、こわい、つめたい、こわい!!

って思うんです。

そうやって、世間に避けられ続けたどこかのひきこもりのおじさんが歪んでって事件を起こしたら、また世間の人が「ひきこもりは悪いことする」って思って、それを隠さず表出したら、また引きこもりの人が避けられて歪んでって…負の連鎖にもほどがあるでしょ!!

やめやめやめー!!どっかでその歯車止まれーい!!

って思うじゃないですか。

 

私は、「引きこもりの人やばーい」と怖がってる人も、その言葉が怖い人を作る歯車を回してるかもしれないよってことを、考えて欲しいなと思います。

たぶん、店長とおばちゃんはこの出来事を覚えてないし、川崎の事件見て「引きこもり怖いわねー」と言ってるかもしれません。もしかしたら、あの時、自分達も一人の引きこもりの人の社会への入り口を簡単にぶった切ったのかもしれないのに。

そう思うと、誰でも無自覚なうちに言動が差別になることがあるんだなと、思ってその怖さを改めて感じます。

 

Mr,childrenの「タガタメ」という曲に「子供らを被害者に、加害者にもせずに この街で暮らすため まず何をすべきだろう?」という歌詞があるのですが、これを書いてる間なんかそこのところが頭の中でずーっとリピートしてました。

いま何らかの事情で社会に出てない人が、社会に出たい時の壁を無自覚に作らないように私も気を付けたいと思います。

引きこもりの人もそうでない人も、被害者や加害者になる人が1人でも少ない世の中で生きていたいからです。

 

 

ではまた。

 

 

結婚する時、母に百万円貰った話

 

 

 

 

このツイートがなんだかわりと反響があるので、今日は暮れの元気なご挨拶としてもうちょい掘り下げて書きますね。

 

夫と結婚する際、今後の家計のことを話し合いました。

私が当時持っていた家計イメージは、f:id:ninicosachico:20181225091910j:image

 

こんな感じでした。

まぁこれは共働き前提でしか成り立たない設定なんですが、結婚前に2年間同棲をしていた間の私たちはコレでやってきていたし、すぐ子供が欲しいという希望も無かったので、当面そのままでいけばいいんじゃん?くらいの気持ちで私はその旨伝えました。

それまでお金のことでモメることもなく、使い方を観ててもお金に対しての価値観はだいぶ近いと感じてたので特に相違はないかと思いきや、彼のイメージを聞いてびっくり。

私と全く違いました。

夫の持ってた家計のイメージはこんな感じでした。

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まぁ、簡単に言えば私が資本主義、彼は社会主義って感じですね。

で、資本主義で生きてきた私は、最初そこまで完全に財産を一緒くたにするのは、なんか怖かったんですが、夫はこれ以外に考えられないと言うのでとりあえずソレでやってこうとなりました。

 

 で、そのあと母が百万円くれたんです。

もちろん私とて、母の思惑が全く分からないような幸せな境遇で育ったわけではありません。

 父は最低限の生活費は出していましたが、使途不明金や他人との金銭トラブル(人に勝手に大金貸してしまう)が多く、母は家計についてかなり気苦労が絶えませんでした。

それで私も「結婚財布のひもはしっかり握れ!」とか「男に自由になる金を渡しちゃならない!」と、耳にタコができるほど母に言い聞かされていました。

ですから、母がくれた百万円がただの「若い2人へのお祝い金」ではなく、「お前が管理する最初の財産だぞよ」という意味合いを含むものなのだということは分かりました。

 

しかし、母と私は違う人間ですし、父と私の夫も違う人間です。

私の母は性格がちょっとアレな人で、独身時代に少しだけ外で働いてたようですが、社会とは折り合えないタイプなものですから、「自分が社会に出て働く」という手段を一切放棄していました。

一方私は16歳でアルバイトを始めて10年以上各所で働き、自分が仕事好きで「働く」ということに向いている人間だという自覚がありました。

それに私の彼も父のようにお金に関してグレーな部分は無く、一切の貯金も給料明細もカードの使用履歴もオープンにしてくれていましたから、金銭に関して信用できる人でした。

だから母の教えは、ひと昔前の「女が社会で金銭を得にくく、男が『誰の稼ぎで食ってるんだ』と軽口叩いていた時代」の教訓に感じられ、「財布の紐を握るにしても、それは自分の財布の紐さえ握れば良いことなんじゃない?いざとなったら自分が働けばいいだけのことだし。」と思っていたのです。

 

 だから、私も百万円のことを夫に言ったんです。

幸いなことに私は、現在までにその百万円のことを「夫に言わなきゃ良かった!」と後悔する事態には陥っておらず、一度、別件で離婚しそうな事態になり家を出ましたが、その時は自分の給料があったので「お金がネックで動けない」という悩みはありませんでした。

 

でもそれは、私に子供がいないからなんですよね。

私に子供がいたら私の収入は一時的に絶たれるわけで、その間に離婚したいような事態になったら、きっと困るでしょう。

まず家を出て部屋を借りる為のまとまったお金が必要なのに、家のお金はすべて「夫婦の財産」となっていますから、半分は自分の好きに使う資格があるとはいえ、そこから引き出して持って出た場合、そんな離婚するほどの状況になっている夫婦関係なら信頼も薄く、夫の性格もまったく変わっているかもしれません。

後から、やれ「俺の金を持ち逃げした」とうるさく言われたり、訴えられたりしてもおかしくないのです。

もし子供という守りたいものを抱えていたら、私はきっと「穏便」を選び、子供が大きくなってから晴れて離婚するのを夢見ながら「自分が我慢すれば済む」と言い聞かせる日々を何年も送る女性になる気がします。自分の性格的に。

 

「いや、あなたならとっとと逃げるでしょう」と友人は言うけど、それは「自分の収入」という後ろ盾のある状態の私しか観ていないからそう言われるんだと思います。

と、言いますのはこないだまで私、半年ほど専業主婦してたんですね。

で、最初はお気楽に趣味に興じて暮らしていたのに、3か月くらいするとどうも夫に対してどこか卑屈になってしまう自分に気が付きました。

夫は専業主婦を下に見たりしない人ですし態度は何も変わってないのに、私が一人で勝手に毎日少しづつ「家の事しかしてなくて悪いなー」という弱気な気分になってしまうのです。

しかもその対象が段々広がって、洗濯物を干しながら通りを歩くビジネスマンを見たり、保育園の迎えを待っているママさんたちを見ては「ああ、みんな社会の役に立つことしてるのに、私はたいして手のかからない夫と自分の世話しかしてなくてホント悪いなー」という気分にさえなっていました。

たぶん、そんなふうに必要以上に卑屈な気分になってしまうのは、収入という直接的な後ろ盾以外にも、仕事を通じて出会う他人からの褒め言葉や「必要とされてる感」が途絶えてしまうからというのも大きいと思います。

久々に仕事を始めたら、人から些細なことでお礼を言われたり、喜んでもらえたりしてダイレクトに「いてくれて助かる!」という思いが投げられる事が多いなぁと感じます。

そのたび私は「えっへん」と思うわけですが、その「えっへん」の積み重ねが私の中の卑屈を追い出し、タフさを築いていけてるのではないか、と思うようになりました。

 

ようするに、今は人から「離婚したくなったらあなたならとっとと逃げるでしょう」と言われる、タフそうに見える私でも、もし子供を産んだり育てたりする間、仕事を何年かしなかったら、気弱になって「我慢と穏便」の選択肢しか見えない私になりうる、と思うのです。

 

で、何が言いたいかといいますと。

結婚してからの私は「我慢と穏便」を選ぶ主婦の友人、知人の相談を受けることが、まぁー多い!

最初の頃、そういう相談を聞くと「もっと強気にいけばいいのに」とか「夫さんに対等に反論すればいいのに」とか「とっとと家出ちゃえばいいのに」と、女性の弱さにヤキモキしていた時もあったんですが、自分が卑屈期を経験したら彼女たちの気持ちが分かるようになりました。

外で働いていることで得られる収入や褒め言葉という後ろ盾がない期間、彼女達もきっと本来のタフさを失ってしまっているだけなんだと思うんです。

「見切りをつけた夫を捨てて今の生活を変えたい!」

といくら思っていても、子供のいる人って最初の突破口を開くため絶対お金がかかる。

「だから今は我慢してて、来年からチビ預けてパート出て貯金して、ある程度溜まったらもう一回離婚届忍ばせて、話し合いするつもり」っていう感じの女の人が本当に多い。

それは手段としてアリだと思います。

けど、友人としてハタから見ている立場としては「やっぱり時間がもったいなー!!!」と思うのも事実。

そんな時に私はあの百万円を貸してあげたくなります。

なります、なりますが、すごくデリケートゾーンなことだと思うので、口が裂けても簡単には言えません。

毎回「貸してぇー!!」と思うけど、多分私の友人は「友人だからこそ借りたくない」と思うような子ばかりだし、もし遠慮しないで「離婚資金貸してちょ!」と言ってくれる仲だとしても、私もお金の貸し借りは不慣れなので、その後ギクシャクしない保証がなく、一ミリでも今の関係性が変わるのは怖いです。

だから現状、話を聞いて、我慢の日々の気晴らしに少しでもなることくらいしか助けになれないのが歯がゆいのです。

 

で、そんなことを何回もしているうちに、私は母がくれた百万円の真の意味が徐々に分かってきたというわけです。

母としては、「この先自分も死んで、ニニコが幼子を抱え仕事をしてなくて、後ろ盾がまったく無いのに逃げたい男と我慢して暮らす日々がもしも訪れた時、唯一の後ろ盾としてこの百万円を持ってなさい。」という意味の百万円だったんですね。

だからとっとと夫に言ってしまった私に「この能天気娘が!!」と激おこプンプン丸になったのでしょう。

母の愛は海より深しってやつですね~、あー美談、びだんー!!

母を怒らせたお詫びではないですが、私ができることといったらこれからもずっとあの百万円のことを後悔しないような結婚生活を続けていくことでしょうね。

あー美談、びだん!!

 

というわけでこの話はここでおわりです。

今年は書きたいこといーっぱいあったんですが、全然書けませんでしたね。

でもあった出来事は執念深く全部メモってるので来年頑張って書きます。

それでは皆様良いお年を!

 

読んで!山岸凉子のフェミ二ズムを感じる漫画4選。

 

はじめに

 

今、私の中で山岸凉子さんの漫画がアツいです。

いや、もう今に限らず昔からアツいんですけど、最近また私の中に郷ひろみが宿ったかのごとくアーチチ・アチ状態なんです。

なので今日は彼女の作品を皆様に紹介して熱を発散したいと思います。

山岸凉子さんの代表作やどれほどのベテラン作家か、という基本情報は私が書かなくてもネットを調べればいくらでも書いてあるので各自お調べください。

山岸凉子 - Wikipedia

作家生活49年の彼女の作品は、歴史もの、バレエもの、ファンタジー、ホラーetc…実に様々なジャンルに渡り、長編の「日出処の天子」や「アラベスク」といった代表作も素晴らしいんですが、私が今日紹介したいのは90年代以前の短編作品達です。

なぜ私がこれらの作品をピックアップするのかというと、この時期の山岸凉子作品は、根底に流れるフェミニズム精神が実にアツいんですよ!

壮大な世界観のファンタジー作品の面白さとはまた違って、身につまされる思いを味わう系というか、楽しい話ではないものが多いんですが、もう痛いほどに「それな!」という共感の嵐に陥れます。

 フェミニズム精神を感じるメジャーな小説はいくつもありますが、漫画はそれに比べて少ないような気がします。

もし私以外にそういう作品をお探しの方がいたら山岸作品は是非おすすめしたいです。

紹介で多少ネタバレしてしまうかもしれませんが、ご容赦くださいませ。

ではご紹介しま〜す!

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鬼子母神  (′93年発表作品)

まずはこちらの作品から。

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主人公は双子の兄を持つ少女、瑞季ちゃん。(向かって左)

瑞季は天性の明るさを持った少女なのですが、優秀な兄と比べられながら育ちます。

瑞季達には両親がいますが、父親の影は非常に薄く、家のことは母親のワンオペ状態です。

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最後のコマ、母の背中が切ない……。

ストーリーは、双子の成長に伴う母との関係性を瑞季視点で語っていく感じで、母の行き過ぎた期待と理想像を背負った兄が崩壊していく様と、瑞季の成長が見物です。

この中で私が紹介したいのは、母から瑞季への「女の子教育」がうざったい、こんなシーンもあるんですが

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 「お嫁にいかない女の子なんていませんよ」って、言い切る母ちゃんのヤバみ……。

やはり終盤で、ずっと家庭を顧みなかった父親に実は愛人がいたことを瑞季が知るシーンがすごいですね。

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子供と同レベルで家庭に対して無責任な父親なのに、しっかり名字は背負ってるという皮肉の効いたイラスト。

「これらはみーんな子供がおかあさんに言うセリフ」というさりげない書き文字。

「妻に自分の母親がわりをおしかぶせ、永遠に子供のままで父親になれない男の姿がここにある」というナレーション。

もうね、的確。的を射てる。 

うちの母は父に「お母さん」と呼ばれると「あんたなんか産んでない!」とよくキレてたんですが、あれは今思えば、呼び方が気に入らないとかいうレベルの話ではなく、「父親のくせに子供面して面倒を丸投げしてくるメンタル」に怒ってたんでしょうね。

「妻を『おかあさん』と呼ぶ=ちゃっかり子供の立ち位置にいる甘ったれ根性の現れ」としてムカついてたんだと思います。

妻を自分の母親役に仕立ててる男性はけっこう世の中に多くて、そこにモヤモヤやイライラを感じている女性も多いと思うので、このシーンはそこをバッサリ描いてくれてる爽快感があります。

ストーリー全体は、母と兄の歪んだ親子関係がメインなので、こんな両親のもと、瑞季や兄がどんな人間になっていくのか?というのが見所です。

とても面白いのでぜひ皆様にも読んで頂きたいです。

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パイド・パイパー(’90年発表作品)
さてお次の作品はこちら。
幼い2人の子を持つ専業主婦、道子が主人公のサスペンスな話です。

物語は、夫の社内不倫で地方左遷となった一家が、道子の郷里であるM市に引っ越してくるところから始まります。
そこは道子にとってただ懐かしいだけの土地ではなく、幼少期に忌まわしい事件に巻き込まれた苦い記憶のある場所でした。
ストーリーは、道子の娘の誘拐事件を、道子が自ら解決していく動きを軸に、M市で20年前にも起きた幼女誘拐事件の真相が明らかになっていく構成で、とても読み応えのある作品です。

その中で取り上げたいページはこちら。

エピローグで、事件中に不倫相手とこっそり旅行に行っていて何も協力しなかった道子の夫が謝るシーンからの道子の独白です。

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「この人は女が自分と同じ人間に見えていないのね、男だから許されて女だから許さねばならないと思っているのだわ」

「男はそういうものなんだ」と言えば、女を説き伏せられると思い込んでいる夫の声を聞きながら、道子は誘拐犯の甘い声を思い出します。

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事件の犯人像を探る中で道子は「幼い子供の警戒心を解き、つい子供が従ってしまうような優しい語りかけが出来る大人の男とは、一体どんな人物なのだろう?」と疑問を持っていたのですが、ここでその答えを見つけます。

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「あの声は自分以外の意志や感情を認められない者がささやく、限りなく自己中心的な声だったのです。」

夫の話を聞きながら、道子がこの答えにたどり着くという事は、山岸先生は「誘拐犯でありながら、優しい声を出せる人間」と、「不倫しておきながら、平謝りで『男の性』を盾に説きふせようとしてくる夫」は、根底が同じだと伝えたいのかな、と私は思いました。

確かに、両者は「自分に都合の良い存在なら愛する」という自己中心的さが共通しているように思います。

「逆らわない限り愛する」という条件付きの愛情の持ち主は、たとえ優しげに接してくる事があっても、対等な人間として愛しているのではなく、お気に入りの玩具やペットみたいに、所有物として愛しているだけなんですよね。

「自分の所有物は自分の悪事は許すべきで、逆らわず、意見もしない。だだ愛らしく自分の側にいて自分に従うこと。」

こんな条件を、生きて感情や意志がある人間に叶えさせるのは無理な話です。

でも彼らはそんな条件を満たしそうな相手、人間じゃなく所有物になってくれる相手を求め、甘い声で囁きます。

それは愛情の証のような甘い声に聞こえるとしても、実は所有物を手に入れたり、手放さない為のエサでしかありません。

女や子供も当然それぞれに人格がある人間ですから、エサで釣って思うように動かせる存在ではないのです。

この作品には「そんな当たり前のことを理解しない人間に騙されてついて行ってはいけないよ」という山岸先生のメッセージが込められているのかな、と思います。

推理モノとしても楽しめる作品なので、こちらもぜひおすすめです。

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ブルーロージス (′91年発表作品)

さて、お次はこちら。

傷つくのが怖くて男性と向き合えない30歳のイラストレーター、黎子(たみこ)が、一人の男性に愛され成長していく物語です。

まぁ、この恋人となる男性も実はワケありで予想外のラストにはなるんですが、それはおいといて、私の好きなシーンを。

身内の法事の手伝いに行った黎子は親類のオッさんから言われます。

「なんだお前いつまでたっても色気がないな」

「ボンヤリせずに、ほれお酌!」

「もう少し愛想よくできないの、東京行って少しは変わるかと思ったら。そんなんじゃ男に愛されませんよ」

オッさん、いきなりのセクハラ3コンボです。ファック!!

でも黎子はピシャリと言い放つ。

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「そんな男はこっちから願い下げ!」

そう、その通りだよ黎子!よくぞ言ってくれた!

黎子は過去を振り返って、オッさんの言う「男の悲哀」とやらが、ただの「子供っぽいエゴを正当化させるための言い回し」だと気が付きます。

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私は「男のロマン」とか「男の悲哀」って、本人が1人でその言葉を唱えて悦に浸るのは自由だと思いますが、周囲の人間(特に女)に我慢を強いてまで追い求める物では無い気がするんです。だから黎子の台詞は、まさに「それな!」です。

さらにこの後、「あの人は毒舌だけど悪気はないのよ」と、オッさんをフォローする妹に黎子は反論し、会話の流れで自分に結婚を意識している交際中の男性がいることを明かします。

すると妹のリアクションは…

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妹ひどい。

黎子は「そうだ、これに類する言葉をいくつ聞いてきただろう……」と過去に人から言われた言葉を思い起こします。

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「これは呪文だ! わたしを縛り付ける呪文」

「男にとって都合よく立ち回らないというだけでかけられる呪文なんだ」

めっちゃ良い台詞。掛け軸にしてほしい。

ここ、まさに黎子の「フェミニズムの目覚め」という感じで、アツいです。

こういったことをこんな風に分かりやすく漫画にできる山岸先生にシビれます。感謝です。

さらにこのシーン、妹の「すっかり怒ってるわ、どうするのよ姉さん」という台詞も注目ポイントなんですよね。

暴れて迷惑をかけてるのはオッさんなのに、妹の台詞はまるで「怒らせた黎子が悪い」と言わんばかり。

これは「無礼な男」よりも「無礼を受け流せない女」を悪いとみなす行為で、いわゆる「男社会で上手く立ち回る術に長けてしまった人」にありがちな考え方だと思います。

妹も悪人ではないし、仲の悪い姉妹という設定でもないのに、男性優位を「当たり前」と取るか否かによって、女性同士でも実はこんなに理不尽な言葉を投げかけているというのがさりげなく描かれていて、すごいです。

このあたりはストーリー的には「特に重要!」というシーンではないんですけど、私としては心に刺さる場面なので、ぜひ作品を通してこちらは読んでもらいたいです。

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 天人唐草(′91年発表作品)

さぁ、最後はやっぱりこちらの作品です。これを紹介せずには終われません!

知る人ぞ知る名作「天人唐草」ですよ。この話はすごいです。

主人公は、マッチョイズム全開の父親と貞淑な良妻賢母である母親を持つ、響子という女性です。

 響子は両親から、それはもう、こってこての「女の子教育」を叩きこまれて育ちます。

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これとか。

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これとか。

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好きな男子にラブレター送っただけでこの叱責とか。

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社会人になってもこのあり様で…。

この話はもう「見所がどこ」というレベルで語れません。

「女とはこうあるべき」という教育を骨の髄まで叩き込まれた響子が、どんな人生を送るのか? ぜひ見届けて欲しい、それだけです。

ちなみに私が最初に読んだ山岸先生の作品がこちらでして、確か小学生か中学生だったと思うんですが、子供ながらに「面白さと恐ろしさ」という相反する感情の両面から惹き込まれました。

ホラーとも呼ばれているこの作品、ぜひ人々にそう言われる理由を確かめて頂きたいです。

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終わりに

いかがでしたか?

拙い紹介だったので、他の山岸先生ファンの方に怒られないか心配ですが、自分の好きな気持ちを込めて書いたので、勘弁してください。

 

私は、以前も書きましたが「ドS男子にドキドキ♡」系の漫画が苦手です。

理由をざっくりと言えば「若い女の子の男性観が歪む要因の一つになっている気がするから」です。

とはいえ、漫画も表現活動の一種であり、私は表現の自由をとても尊重したいので、ありとあらゆる作品が生み出されること自体は認めなければ、と思います。

だから「そういう作品を生み出すな!」とまでは言いませんが、それでも常々思います。

漫画には映倫のような分かりやすい「倫理感を審査する機関」が無いので、特にティーン向けの作品には大人一人一人が責任を持って取り扱わなければならないんじゃないかと。

漫画が人格形成に与える影響は計り知れません。

だから既に大人である私達が漫画に触れるとき「この作品は世に出していいか、世に広めていいか、この作品を世に広めることでどういう影響が出るか」という倫理審査員のような視点を一人一人が持つ必要があるんじゃないかと思います。

それを怠るのは、若い世代に与える悪影響を野放しにするようなことで、大人として少し無責任な気がするので。

 

今回、書いてたらあまりに長くなりすぎたので泣く泣く4選に絞ったのですが、本当は8選ありました。

・30代半ばの婚活を描いた「二口女」

・妻と別れない男性との不倫話「月氷修羅(げぴょうしゅら)」

・元愛人から正妻になった主人公の生活を描いた「貴船の道」

・子供への性的虐待をテーマにした「緘黙(しじま)の底

載せられなかったけど、この4作品もすばらしいです。

どれもだいたい90年代以前の作品ですが今読んでも時代錯誤感はなく、むしろ今の時代にフィットていてると思うので、過去作品として埋れてしまったら、もったいないオバケが出ます。

世の中に沢山の作品がある時代なので、どんな作品を手に取るか、影響を受けるかは全く個人の自由です。

ですが、私はここに紹介した山岸先生の作品のように、女性を労わり、勇気付け、解放してくれるような作品がもっと世に広く受け入れられといいな、と思います。

 

ではまた~

天人唐草 (山岸凉子スペシャルセレクション)

天人唐草 (山岸凉子スペシャルセレクション)

 

 

 

 

その場で怒れる人になりたい

 

今日、私はむしゃくしゃしている。

原因は夫だ。

一昨日と昨日、夫婦で長くドライブする時間があった。

はじめは夫が運転していたが、朝も早かったので途中で夫が「運転代われる?」と聞いてきた。

私は「嫌だな」と思ったけど、前半寝ていて体力温存していたので、断るのは悪いと思い運転を代わった。

私は運転自体が嫌なわけではない。

むしろ運転は好きだ。

しかし私は、夫を助手席に乗せて運転するのが嫌なのだ。

なぜなら、夫は、普段は口調も性格も優しいのに、なぜか私の助手席に居る時だけはむちゃくちゃ嫌な奴に変貌するからだ。

夫は分かり切ってる事をいちいち言ってくる。

やれ「そこ一時停止」だの「中央線に近づきすぎ」だの「遅いから後ろ詰まってきてるよ」だの、教習所の威圧的な教官かよ!?というくらいうるさい。

私は自分の運転にさほど問題があるとは思っていない。

免許を取ってから早20年、ほぼ毎日運転をしてるけど、これまで一度も大きな事故をしたことはないし、介護の仕事で送迎車を運転していた時も、スタッフや利用者さんに「桜島さんは安全運転で良いね。」と言われていた。

そもそも、法定速度50キロの道路で60キロで走っているのに「遅い」と言われる意味がわからない。

ルールは出来るだけ守りたい主義で生きてるので、50キロ以上出してるほうが法定速度違反なのに、法定速度に近い私の方が怒られたりイラつかれたりする事態に納得がいかないのだ。

 

だから、多少人より速度が遅いとしても私は違反切符を切られたことはないし、細かい運転技術が上手くはないとしても標準くらいの運転技術だという自覚はある。

 

なのに、夫は私の運転で車に乗る時、まるでペーパードライバーや、免許取りたての人に注意するかのごとく、ものすごく口やかましい。

しかもその時だけは普段の紳士的な口調ではなく、威圧的な上から野郎の口調になるので、私はものすごくムカつく。

案の定、一昨日も昨日も私が運転をしている最中、夫は口やかましく注意してきた。

すごいムカついた。

しかし、私がむしゃくしゃしてる原因は、私自身にもある。

なぜなら、私がもし夫からの指図にムカついた時にすぐ「いちいちうるさいよ!」と言えていれば、私の怒りはその場で発散できるはずだからだ。

その場では喧嘩になるかもしれない。

でも、不満や怒りというのは、放出するだけで半分くらいは減るものだと私は思う。

怒りは、怒りの対象者に受け止めてもらえば100%無くなるけど、単に放出するだけでも半分くらいは無くなるものだというのが、私は経験則として感じている。

だから夫と喧嘩になることもいとわず、私がその場で怒って言い返せていれば、今の私のイラつき度は今より少ないはずだと思うのだ。

でも私は言い返せなかった。

ものすごく不機嫌そうに返事をして、途中から返事をしなくなる、という程度にしか自分の怒りを表現できなかった。

つまり私が今日むしゃくしゃしてるのは、半分は夫のせいで半分は私自身の言い返せない性格のせいなのだ。

 

私はこれまでもこういう「言い返せなかった後悔」を抱える度に、思い出す人物がいる。

以前、私が介護施設で働いていた頃の先輩ナースのおばちゃん、飯田さんだ。

飯田さんは、怒りっぽかった。

例えばこんなことがあった。

泊まりの利用者さんの部屋のカーテンはデイサービスが終わってからスタッフが施設内の掃除をして、最後に閉めて回ることになっていた。

私はその頃、新人さんの教育係をしていて、新人さんが教えた通りに掃除の終わり際にカーテンを閉めて回るか本人に任せてみた。

新人さんは、あんまり物覚えの良くない人だったので、案の定カーテンを閉め忘れていたようだった。

しかし私がそのチェックをする前に、飯田さんが部屋を見に行って、カーテンが開けっ放しであることに気がついてしまった。

別の仕事をしていた私や他のスタッフのところにドスドスという、飯田さんが怒った時にだけ立てる足音が近づいてきて、飯田さんはマックスの怒り口調で「◯◯さんの部屋掃除したの誰!?」と聞いた。

部屋掃除をしたのは私だったので、私が「私です。」と言うと飯田さんは「カーテン閉めてないんだけど!!!」と怒った。

私が「新人さんがちゃんとやるか試していたところだった」という説明をしようと「あの、今日は新人さんに…」と説明すると、飯田さんは途中で言葉を遮り「言い訳なら聞かないから!!」と言い放ち、「私、素直に謝らない人嫌いなの!!言い訳する間にカーテン閉められるでしょう!!」と言いながら自分でカーテンを閉めにドスドスと歩き去ってしまった。

 

私は呆然となり、私の新人教育の意図も分かっていた他の同僚は「あぁ、飯田さんああなると人の言葉受け付けないから…」と慰めてくれた。

私が呆然としたのは、いきなり人からマックスの怒りをぶつけられた事によるショックからだけではなかった。

私は、人は「あれ?これおかしくない?」と思った場合、その状態がどうして起こったのか事情を確認をして、その事情に納得がいかなかった時に怒りが沸くものだと思っていた。

しかし飯田さんは事情を確認する前に一人でマックスの怒り状態になっていた。

私はそのことに驚いて呆然としたのだ。

飯田さんは「カーテンが閉められていない」という事実だけが怒りの蓋を開ける理由となった。

「カーテンが閉められていないのはなぜか?」という事情など知ったこっちゃない、というほど怒っていた。

私が呆然としたのは、飯田さんの怒りの蓋の、その軽さにだった。

私はその頃からすでに、「その場で怒れない自分に後から後悔する」という自分の性質を分かっていた。

だから飯田さんの、その問答無用の怒りっぷりに、素直に「う…うらやましい」と思った。

飯田さんは、職場では「すぐ怒るけど根に持たない人」という認識があった。

私は飯田さんがそういう人だという話は聞いていたけど、目の当たりにするのは初めてだったので、「これが、飯田さんなんだ」と知ると共に、その怒り蓋の軽さがとても羨ましいと思った。

私は、飯田さんが落ち着いた時に改めて「さっき、カーテンすいません。あれ、実は新人さんに…」と説明しに言ったが飯田さんは、「あーもういいから(笑)夕方忙しいもんね!」とまたも私の言葉を遮って、晴れ晴れとした笑顔で話を終わらせた。

私はその後腐れの無さに美徳を感じ、ナチュラルにそういう言動が出来る飯田さんのことをまた「う…羨ましい」と思った。

 

「事情なんか知ったこっちゃない、私が怒る理由がそこにあった。だから私は怒る。」

飯田さんの言動からは、そんな意気込みを感じた。

飯田さんは職場において迷惑な人かもしれない。

でも飯田さんは毎日ご機嫌で仕事に来ていた。

「その日の怒りはその日に消化」

飯田さんを観てると、そんな格言が思い浮かぶし、何より前日の怒りを持ち越さない飯田さんの性格には江戸っ子のような潔さを感じ、その場で怒らない&怒れない自分に後悔してイライラすることが多かった私は、「飯田さんのようになりたい」と願わずにはいられなかった。

すぐ怒る人は怒りっぽいことを欠点と思ってるかもしれないけど、私にとってその性質は才能のように思える。

 

だから今日も私は飯田さんのことを羨ましく思っている。

私たち夫婦は、何度もこんなこぜりあいや話し合いをしてきている。

私の夫への不満のパターンは、小さいことで徐々に溜まっていき、だんだん不機嫌で無口な日が続き、そのことに気が付きつつ口火を切れない夫がだんだん無口になり、お互い無口な日が数日続き、私がそのことに嫌になり長文のメールを夫の仕事中に送り、帰ってから沈黙の夕食があって、食後夫が「メールのことだけど」と話し出してやっと私が最近の怒りを説明し、ひとしきり説明し終えると夫もそのことへの見解を述べて、「まぁこれからはこうしよう」的な話が出て仲直りする、というプロセスがある。

これが足掛け2週間くらいかかる。

つまり私は、2週間くらいかけて1つの爆発が終わるわけだけど「これがもし私が飯田さんなら1日で終わるんだな」と思うと、その時短を可能にしている飯田さんが羨ましくなる。

それに私は、1つの怒りを放出するのにこんなに時間を要する妻より、飯田さんのように短期決戦できる人の方が楽だろうに、と夫に対して申し訳なくなる。

でもその場で私は怒れない。

なぜだか分からないけど、その場で怒れない。

怒りをすぐ露わにする人に、私は「みっともない」と思う感情が少し働いているのかもしれない。

私はそのみっともない人に自分がなりたくない、という見栄が働いている気がする。

でも、怒りを露わにする人は、多分私よりノンストレスで生きていると思う。

40歳も近づき、残りの人生の時間をなるたけ笑って楽しく過ごしたい思いが高まりつつある私は、飯田さんのように短期決戦が出来てノンストレスで生きたいという思いがある。

「人は年を取ると丸くなる」と言うけど、もともと丸めの性格なので、私の場合は年を取ったら角ばっていく方向でもいいのかもしれない、と思う。

私は自分のすぐ怒れない性質を恨めしく思うと共に、とりあえずこの性格でもメリットはないか?と考え、今この文章を書いている。

すぐ怒れない性質のモトを取るためには、すぐ怒れない性質の人にしか共感できない文章を書いて、私と同じ性質の人に「わかるわかる!」と思ってもらうしかないからだ。

というわけで、今日はこんなことを書いてみた。

だいぶスッキリしたので、ブログって楽しいなぁと思った今日このごろなのでした。

おしまい。

 

 

兄がアル中になった。その2

兄の酒量が普通ではないと私が初めて感じたのは、5年前でした。

私は10年前に結婚と同時に夫の転勤で他県に引っ越していたのですが、その後5年ぶりの転勤で偶然にも故郷に戻ることになったのです。

恥ずかしながら私の母は典型的な片付けられない人間でして、もともと乱雑な家ではありましたが、5年ぶりにまじまじと見る実家は、実にエスカレートしたゴミ屋敷と化していて、私は故郷に戻るなり、これからは頻繁に実家の掃除に通うことを決めました。

何度目かの掃除で実家を訪れた際のこと、2階の両親の居住部分はわりとマシな状態になったので、兄は不在の昼間の時間帯でしたが、私は出来心で階下の兄の居住部分の様子も見てみることにしました。

戸を開けるとムワッと鼻に付くタバコの匂いと共に、おびただしい量の「いいちこ」の空き瓶と紙パックが目に入りました。

「空き瓶でボウリングが出来そうだな…」と思ったので、瓶を並べてみたら3レーン分くらいありました。

どれくらいの期間、ゴミ捨てをサボったらこれだけの空き瓶や空きパックが溜まるのかは分かりませんでしたが、私は希望的観測で、兄はずいぶん長いことゴミ捨てをサボっているのだと思うことにしました。

しかし、希望的観測は外れました。

それからわずか1週間後に私が兄の部屋を訪れた時、一瞬「デジャヴかな?」と思ったほど、似たような光景がありました。

前回より若干数は少ないものの、そこら中に散らばるカラのいいちこ

私は思わず「いくないちこだよ!」と意味不明な叫びを上げていました。

 

それから兄の部屋を掃除して帰ると、夜に兄から「部屋が綺麗になってるよ〜!(^^)ニニちゃんが掃除してくれたんだってね!ありがちょ〜♪」みたいなメールが来ました。

私は酒量のことを聞こうかと少し思いましたが、なんとなくそのことを突っ込んで聞くのが怖く感じました。

なぜなら、そのことを聞くと、兄の人生の闇の部分に足を突っ込むことになる気がしたからです。

我が家は父も母も下戸で、親族にも特に酒が強い人が居たという話は聞いたことがありません。

兄も私が一緒に住んでいた頃(18年前まで)は、たまーに会社や友人との飲み会で飲んでくることはありましたが、日常的に飲酒する習慣は無い人でした。

ですから、根っからの酒好きではない我が家の人間が、今現在、毎日それだけの量のお酒を飲む生活をしているということは、そこになにか「酒に頼らざるを得ない事情」を抱えているという現状を私は察したのです。

根っからの酒好きではない人がお酒に溺れる毎日を送るということは、本人がお酒による酩酊状態を欲している、ということが伺えます。

つまり簡単に言えば、日常あれやこれやと考える自分の頭の動きを止めたいから、お酒を「思考停止する手段」として使っているということです。

それは言うなれば、兄がお酒による現実逃避をしながらでなければ、日々が送れない状態であるということを意味していて、その頃の私はそういう状態かもしれない兄にそこまで関わる気がありませんでした。

そのことと向き合うのが怖かったのもあるし、自分の生活でいっぱいいっぱいだったのもあるし、ここでは省きますが、他の理由もあります。

とにかくその時の私はとりあえず兄のメールに「いいよー、あんまりお酒飲みすぎないでね!」程度の返事をして、兄の酒量のことは気にしないようにしました。

 

今思えば、この頃から私ももっと兄とお酒の関係について向き合えば良かったというか、酒量が普通じゃないと思った時点で、家族として、そうなっている兄の心に親身に向き合う必要があったんじゃないかとも思います。

でも、兄の人生史を客観的に観ると、私は兄がこうなって当然の人間のような気もしています。

それは、兄には実にロクでもない人間な部分が多分にあるからです。

兄の名誉のため、あまり悪くは書きたくありませんが、私の兄は実にロクでもない男なんです…。

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つづきます。

 

 

兄がアル中になった。

兄が肝臓を壊しました。

10年以上に渡る過度の飲酒習慣があった人なので、アルコール依存症も発症しました。

さらに、アルコール依存症と併発しやすい鬱も発症しました。

「肝炎、アル中、鬱」この魔の3点セットに兄が蝕まれていることが判明したのは今年の1月半ばでした。

 

兄は母と実家で同居してますが、建物は二世帯住宅になっていて、一階と二階に分かれて住んでいます。

兄が正月休みにインフルエンザにかかり、その後体調が戻らない。仕事も休み続けてる。病院は数回行ったが、良くならない。昼夜を問わず叫び声を上げたり大声で泣き喚いている。母が、病院に再度行くように言ったり、前回受診時に何かの検査は受けたそうなので、結果はいつ聞きにいくの?と訪ねたりするも、兄は生返事や泣き声まじりにボソボソとしか話せない。高齢の母にはそれが聞き取れず、聞き返すと兄が激昂するので会話にならない。ニニちゃんから病院行くように言ってくれる?

 

母からこんな電話相談を受けたのが1月半ばで、この時に私は兄の異常を知りました。

母ははじめ兄のことをアル中だとは思っておらず、とにかく微熱が続き、吐き気や頭痛や目眩をひどく訴えるので、なにか原因不明の病気を罹っているんじゃないか?と不安がっていました。

私はすぐ兄に電話しました。

「体調悪いんだって?」

「うん、死んじゃいそう。つらい。」

「病院はなんて?」

「びょ、病院はさ、なんもしてくれねぇんだよ〜!!(泣きはじめる)」

この時点で明らかにいつもの兄ではありませんでした。

それでも泣きながら話す兄から事情を聞き出すと、さきほど母から聞いた流れの話があり、とにかく体の部位という部位全てが痛く、吐き気、目眩に襲われていて、眠りたくても眠れずとにかくツラいと言っていました。

この時までは私も何か原因不明の病気なのか?と思いましたが、兄が言った次の言葉で「おや?」と思いました。

兄が「幻覚も見えるんだよ」と言ったからです。

 

それでも泣き止んだ兄は少し落ち着いて「だいじょぶ」と繰り返したのちに「話すの、疲れたから、切るね、ありがとう」と言って電話を終えました。

私は、兄が明らかにふつうの体調不良の域を超えている状態だと思いました。

いくら人間、病気の時には気が弱くなってしまうものだとしても、大の大人がツラくて泣き喚いてしまうというのは、あまり普通では考えられないことです。

 

しかし私は「なぜこんなことに!?」とは思いませんでした。

思ったのは「来るべき時が来たのかもしれない」でした。

ずっと、明るくて仕事が出来て社交的で、子供の頃は自慢の兄でしたが、私は兄がいつかこうなることを予感していた気がします。

 

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自分の気持ち整理のために書いているのですが、疲れてきたので続きはまた今後にします。

間にふつうの記事を載せることもあるかもしれませんが、家族がアルコール依存症になったという事実と私はきちんと向き合っていけたらと思うので、今後も記録していきたいと思います。

同じような境遇の人は良かったらたまに見に来て下さいまし。

私は元気なので心配しないで下さいましね。

ではまた

 

なぜマツコデラックスのセクハラは許されるのか?

 

 

はじめに

一昨日テレビでおしゃれイズムを観てたら、マツコデラックスが藤木直人にめちゃくちゃセクハラしてて、正直げんなりしました。

ロケ中ことあるごとに藤木直人に抱きつくマツコ、「ダメとわかってるのにー」と言いつつも藤木直人の尻を触るマツコ、きわめつけは仰向けの体勢になる筋トレマシーンを藤木直人に試させた場面で、ハァハァと息切れした藤木直人に上からかぶさる姿勢をとって「疑似体験できたわ」と喜ぶマツコ。

上田晋也がそのつど「やめろ!」的なツッコミを入れて笑いに変換させてたんですけど、最後のは「今、あんたとのセックスを疑似体験したわ」って意味なんで、上田晋也のツッコミ力を持ってしても、私はセクハラを目の当たりにした時の「うげぇ」感が拭えませんでした。

「なにをいまさら。マツコってもともとそういうキャラじゃん」と言う方もいらっしゃると思いますが、ここ数年のマツコの露出頻度はすごいです。

もうテレビで見ない日は無いんじゃないかという勢いで出てるので、毎回ではないにしてもマツコが男性タレントとか素人男性の身体に無遠慮に触れる場面は、けっこうよく目にする光景になってるんですよね。

だから「数が少なきゃしていい」って事でもないんですが、頻繁に見るからよけい目に余る状態で、私はげんなりしてしまったんです。

 

そして、げんなりついでにふと疑問が浮かびました。

それは「なんでマツコのセクハラは今のテレビ界においてもこんなにオープンに許されているんだろう?」という疑問です。

というのも、最近は何かあると速攻SNSで叩かれるという背景もあって、テレビを作る人やテレビに出る人から「迂闊なセクハラが無いように気をつけます!」という雰囲気がビシバシ伝わります。

そのおかげで昔のテレビに比べたら、意味のない水着姿の女性アシスタントも見ないし、大物男性司会者が女性タレントに気軽にエロいことを言う光景も、ちゃんと激減してます。

つまり「一億総セクハラ注意時代」とも言える現在日本なんですが、その中でマツコのセクハラは取り残されたかのようにオープンに行われているように思います。しかもあまり叩かれてない。

私はなんだか急にこの現象が不思議に思えてきました。

なので今日はそのことを書きます。

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前はマツコが好きだった

この話をする前に、はじめに断っておきますと、私はマツコをテレビでよく目にするようになった当初から数年間は結構マツコのことが好きだったんですよ。

マツコのテレビ初出演は2000年で、私が好きになったのは多分2005年あたりだと思います。

今でこそマツコはすっかりお茶の間の人気者の座に君臨していますが、その頃はまだ違いました。

特に私の周りの少し年配の人にはマツコの歯に衣着せぬ物言いや「ゲイの女装家」という部分に露骨に拒否反応を示す人がいて、職場である介護施設のテレビでもマツコが映ると年配のスタッフや利用者さんが「この人下品だから嫌い」とか「男だか女だか分からん、気持ち悪い」と言ってチャンネルを変えたがる事がよくあったのを覚えています。

私は基本「性別の枠から外れる人間の言動は、ハナから受け入れない」という姿勢は偏見的で嫌なので、マツコの言うことを聞きもせずにマツコが「女の見た目をしてるゲイ」だというだけで、年配の人に嫌われてることに少し同情的な気持ちがありました。

「マツコ面白いのに、マツコ良いこと言ってるのに見た目とかオカマ(本人が自称する表現)だからってハナから拒否るのひどいよ」みたいな。

まぁ、私がマツコを好きになったのはそういう同情的な部分を一切抜きにして、単純に当時のマツコの言ってることには「そうそう!」と共感できる回数がすごく多かったからなんですが、ここ数年のマツコに対しては「共感から得られる好感」よりも、「その言動に引いてしまう感」のほうが上回るようになってしまい、好きだった人を好きじゃなくなる悲しさを覚えていたところでした。

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女のセクハラはギャグ?

で、本題の疑問 なぜマツコのセクハラはオープンに許されているのか?について考えてみると、その理由はまず単純に「見た目が女性だから」というのが大きいと思います。

昔は男性から女性へのセクハラすら笑いにしていたテレビ界ですが、「もうさすがにそれは笑いにならない」という常識が一般化しつつあります。
しかしながら、女性から男性へのセクハラについてはまだその意識が適用されておらず、女性がセクハラしてる場面はギャグ扱いになることが許されているように思います。

マツコ以外にも大久保さんとか岩井志麻子先生が、男性タレントの股間を触る場面もギャグのひとくだりとしてよく見かけますしね。

 

しかしもちろん、女性だからってセクハラをして良いわけじゃありません。

世の中には実際に、女性からのセクハラに悩む男性だっているのですから、本来セクハラ問題とは、「被害者加害者の性別に関わらず深刻な問題として考えなければいけないもの」だと思います。女から男でも、男同士でも、女同士でもセクハラはセクハラ。

だから今の様に「女性から男性へのセクハラはギャグですよ」「女性だから、女性の見た目だからこれは問題ないんです」という常識でテレビが作られていく姿勢は、本来は感心できないことだと思います。多分今の段階でも不快な人はいるでしょうし。

もちろん、それはタレントだけの責任ではありません。

全てのテレビ番組には台本があり、彼女達も製作者側から「ここで男性にグイグイ絡んで、ひと笑いお願いします!」みたいに、そういう役目を求められるからやっているんだと思うので、演者だけの責任とは言えないのです。

でもマツコについては、あそこまで売れていて弁の立つ方だから「私はしたくないの。100%テレビにやらされてるのよ」という言い分は通らないんじゃないかと私は思うので、やはり多少は本人がしたくてしてる言動なんじゃないかと思うんですよね。

そうなると、「セクハラしたい人がセクハラしてる場面がそのままテレビで放送されてる」ってことなので、その頻度の高さも手伝って私は不快に思ってしまいます。

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「特別枠」が意味するもの

さて、ここまでは テレビを作る側の話でしたが、ここからはテレビを観る側の話をしたいと思います。

世の中には「同じ発言内容でも言う人によって周囲の反応が違う」ということが実によくありますよね。

分かりやすい例で言えば、ものすごい美人が「やっぱ彼氏はイケメンじゃなきゃありえない。」と言うと周囲も「こんだけの美人ならまぁそうだよなぁ。」と多少納得するのに対して、不美人が言うと「お前が高望みすんな!」とヤジが飛んでくる、みたいなことです。

私はそれもルッキズムという容貌差別の範疇に入ることだと思うので、自分は極力しないように注意しているところなのですが、容姿以外の、職業とか生活態度とか、その人の持つ要素を全て気にせずに、いつも発言内容だけに反応しているかと問われれば、自分は出来ていると思いませんし、周りの人を見ていても、それが出来ている人はほとんど居ないように思います。

つまり、「同じ台詞でも相手次第で許せる場合と許せない場合がある」というのは人の道理なのかもしれません。

 

ではここで改めて「なぜマツコのセクハラは許されてるのか?」と考えてみますと、マツコのセクハラが人々に怒られないのは、観ている多くの人の心の中に「マツコは特別枠」という意識が働いてるからじゃないかな?と私は推測します。

それで私は、マツコが「特別枠」となる理由について、観ている人が全員「マツコの言うことは特別共感できるから、マツコが特別好きだから多少の嫌な部分も気にならない」という意味での特別扱いなら問題には思いません。

それは「えこひいき」ではあるけど、愛情由来のえこひいきを完全にしないのは自分にも無理だし、そういう不条理なところもあるのが人間だと思うからです。

 

でも、そういう理由ではなく、人々がもしマツコのセクシャリティを理由に特別枠扱いしてるのだと仮定したら、そこに私は抵抗を感じます。

これがどういう抵抗感なのかということは、次で説明します。

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抵抗感の正体

 

私は以前、誰かが「男が言ったら叩かれる発言はオカマに言わせりゃカドが立たない。」と言っているのを聞いた事がありました。

確かに観察してみると、女性は男性から「あんたブスだな」と言われると怒ったり悲しくなったりするけど、オネェという立ち位置の人に「あんたブスね」と言われても笑って済ませてる様子が見受けられます。

これは私の勝手な推測ですが、多くの女性が「ブス」と言われてムカッとくる度合いは「男性>女性>ニューハーフ」という順番なんじゃないでしょうか。

 

私もこのことについては今回初めて意識したのですが、意識してみると、新たに「なんでニューハーフの人の言葉は聞き流せるのだろう?」という疑問が浮かびました。

もちろん、そうなる原因が「個人的にそのニューハーフの人を特別好きだから」という理由なら「えこひいき」なのでいいのですが、先程の「男が言ったらダメなことはオカマに言わせりゃカドが立たない」という言葉を踏まえてみると、私はそれがやはり「発言者が既存の性別外で生きている人」だということに由来するような気がするんです。

つまり女性が「ブスだわねー」とか「女らしくしなさいよ」とニューハーフから言われた時、その女性は無意識だとしても心の根底には、ニューハーフの人に対して「この人は望む性別に生まれなかった可哀想な人だから」とか「この人は、女として正規に生まれついたくせに女らしくしてない女に対して『せっかく生粋の女なのにもったいない!』みたいな悔しさがあるんだな」と同情を感じて、それが理由で許している。という現象が起きているんじゃないか、ということです。

私が抵抗を感じるのは、その同情が実は差別的なもののように思えるところなんです。

 

だって、その同情って子供に「バカ」と言われても「子供の言うことだから」と気にしないのと同じ構造で、つまり、ニューハーフの人のことを、「可哀想な人だから」と自分より一段下に位置付け「大人なのにまともに数に入れない」ことのように思えるからです。

私は、男や女という既存の性別に縛られず生きる人を心から応援したいけど、そういう人をあえて「普通の人とは違う苦労をしてるんだから応援してあげましょう」みたいに特別扱いするのは、なんか違う気がします。

私は、彼ら、彼女らが社会に求める、ジェンダーレスという概念は「普通とは違う性別の人にも優しくする社会」なのではなく、そもそもの「男に生まれて女を愛して生きる男性、女に生まれて男を愛して生きる女性だけを普通とする常識」が取り払われた社会だと思います。

だから、セクシャリティが原因で「特別枠」とすることには「普通ではない可哀想な人だから特別に優しくする」みたいな、実に上からの施し感がしてしまうんです。

本当にフェアに生きてる同士なら、ムカつくことを言われたらムカつくものだし、セクハラをしてたら「ダメだよ!」と怒られるものだと思います。

それを、セクシャリティが既存の男女じゃないからといって「この人は仕方ないよ」と見逃すのは、優しさではなく、「本気で相手にしない」という、1番酷な事なんじゃないかと私は思います。

その酷なことが人々の中で無意識に行われてるから今マツコが言う「ブスばっかりね」といった侮辱語も、マツコがするセクハラも、すべてギャグで済まされてるんじゃないかという気が私はします。

 

これが、今回考えて一応出た私なりの「マツコのセクハラが許されてる理由」です。

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マツコを女叩きの道具にしてない?

あと最後についでだから書きたいことがあります。

私は先の「男が言ったら叩かれる発言はオカマに言わせりゃカドが立たない。」発言に見られるように「マツコの意見はあまり叩かれない」という部分に便乗して、メディアもマツコを「女叩きの道具に使ってるんではないか?」という疑いを持ってます。

マツコは女性に対してキツい意見を言うことがままあります。
夏目ちゃんが泣いた「女は出産年齢を考えたらタイムリミットがあるのに今の女は結婚先送りで自由に暮らしてていいと思ってるの?」みたいな意見とか「インスタやってるのはみんなブス」「今のアイドルはブスばかり」「オルチャンメイク流行でブスが増えた」といった一連の「こういう女はブス」という意見ですね。

こうしたマツコの発言は、一部の男性にとって「思ってたけど言ったら叩かれるから我慢してたんだよ!マツコが言ってくれてスカッとした!」と喜ばれる内容だと思うので、「マツコならば叩かれない」という利点を逆手に取り、いつもそのまままメディアで流れているような気がしてならないのです。

もちろん、マツコがそう思い、そう発言するのは自由なんですが、普通の男性タレントが言っていたら番組制作スタッフも「この発言はちょっとアレなんでカットで…」となるような審査が、マツコに対しては行われていないんじゃないか?と思えるほど、マツコは女性に対して侮蔑的な発言も取り上げられているように思えます。

もしそうなら、先ほども書いたように、それは本当の意味で人間としてマツコの意見を支持してるのではなく、マツコの『オカマ』という立ち位置をいいように利用してるだけのような気がします。

だから、テレビを作る人も「マツコの意見だからみんな許すだろう」ではなく、マツコの意見だろうと「これは傷つく女性が多いだろうから流さない方向で」みたいな審査が行われるほうが正しいんじゃないかと思います。

まぁ、これは単なる私の妄想で、ちゃんと審査された上で今の状況なんだとしたら、もう私は「そうですか」とマツコの出ている番組を見なくなるだけのことなんですが。

ただこれは前々から思ってたことなのでついでに書かせてもらいました。

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最後に

私はマツコを見ていると時々悲しくなることがあります。

それはマツコが「こんな男だか女だか分からない人間をこうしてテレビに出させていただけるなんてありがたいことですよ」と、必要以上にへり下り、自分を卑下したことを言う時です。

好きだった頃から今も同じように私は悲しくなります。

だってそれは「男だか女だか分からない人間は日陰にいるべきなのにテレビまで出させていただいてありがたい」という風に聞こえてしまうんですもん。

だから聞くたびに「そんな事ないよ!男だか女だか分からない人間とかそんなことは気にしなくていいよ、マツコ面白いんだから、才能あるんだから、『男だか女だか分からないからどうしたっていうの?』くらい堂々としてていいのに!」という切ない気持ちになります。

 

あと、マツコは「アタシなんてどうせ独りでのたれ死ぬのよ」とか「こんな人間好きになる奴どうかしてるでしょ」みたいに、ひどく自尊心が低いようなこともよく言います。

私は、それがたまたま本人の生まれついた性格なら仕方ないと思うけど、マツコがこれまでの人生の生きづらさからそんな風に自虐的になっているのだとしたら、やはり今の社会がセクシャルマイノリティの人の自尊心を奪う仕組みであることを改めて感じ、悲しくなります。

だから、マツコがテレビで生き生きとした姿を見せてくれることには、本来私は応援したい気持ちがあるんです。

 

でもマツコはある意味シンボル的な立ち位置にいるので、マツコの言動はその一つ一つが、「ああ『オカマ』の人達ってこういうもんなんだな」と判断の材料にされる部分があると思います。

もちろん、そういうのはマツコ一人を勝手に代表だと思いこむほうがいけないんですが、それでもやはりマツコの影響は大きく、マツコが常に男の尻を触りたがるのを見て、どこかのゲイの人が「お前俺の尻狙うなよ笑」みたいな傷つくギャグを言われることだってあると思うんです。

だから、マツコにはマツコなりの好きな活動をして欲しい気持ちがある反面、度の過ぎたセクハラはやっぱり許せないと思います。

 

しかしこうしてマツコについて書いてみると、私はやはりマツコを嫌いになりきれない自分がいることに気がつきました。

だっていつもなら嫌な発言を同じ人から2、3聞いたら私はとっととその人に見切りをつけてしまいますもん。

でもやっぱりそれが出来ないのはマツコのなんらかの魅力に私が魅せられてるからなんだと思います。

確かに私がマツコを好きになった頃、マツコが言ってた「誰でもキラキラした生き方に憧れてるわけじゃないんだよ!」みたいな考え方は今も同感ですし、マツコの一定時間内にいくつも笑いどころを作れるトーク力は本当に凄いと思います。

だから私は今のテレビ界で、マツコに対して「マツコだから無罪放免」という歪んだ評価がなされるのではなく、マツコが時に正しく批判され、時に正しく評価されることを願っている、もしかしたらただのマツコの一ファンなのかもしれません。

 

長くなりましたが、お読みいただいた方はありがとうございます。

ではまた。