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限りなく透明に近いふつう

やさしい鬼です お菓子もあります お茶も沸かしてございます

「私だけ?」という不安と「私だけ?」という喜び

今週のお題は「これって私だけ?」だそうです。

 

「これって私だけ?」

この文字列を観た時、皆様はどんな気持ちになりますか?

私はいつも懐かしさと同時に微かなムカつきを覚えます。

 

「懐かしさ」と「ムカつき」、一見すると見慣れない感情の取り合わせですが私はいつも「これって私だけ?」という言葉からはその両方を引き出されます。

 

懐かしさの原因は簡単です。

私がよく「これって私だけ?」と思っていたのは、主に子供の頃なので「そういえば私、子供の頃はしょっちゅう『これって私だけ?』と思ってたなぁ…」という懐かしさです。

 

たとえばそれは親の年齢。

私は母親が41歳の時に生まれた子供です。

今ではそれくらいの年齢で出産される女性は珍しくありませんが、私の母の時代は25歳過ぎたら「行き遅れ」と言われ、平均出産年齢も今よりずっと低かった時代なので周りのお母さんは皆20代で子供を産んだような方ばかりでした。

授業参観に来る同級生のお母さん達と比べてウチの母親の歳のいってることといったらもう…。

その度にいつも「こんなに年寄りの母親はウチだけだ!」と思っていました。

 

また、親が高齢ということに付随して「お弁当の彩りの無さ」や「裁縫セットが姉のお下がりだから同級生と違う古臭いデザイン」というような「私だけみんなと違うよう」という悲しみは子供時代の私にはいつも付きまとっていました。

 

しかし、段々と大人になるにつれ、交流範囲が広がると子供の頃のそういう経験談をした時に「うちもそうだった!」という人がチラホラと現れます。

 

私はそうして一つ一つのことを「全然私だけじゃなかったんだ!」と知りながら大人になりました。

 

そう「これって私だけ?」という感覚は、実は自分の周りの世界が狭いからこそ生まれるものなんですよね。

 

子供の頃というのは自分のクラスや学年内のこと、あとはせいぜいよく見るテレビと教科書や雑誌に書いてあること、そういうもので世界の全てが構成されていました。

 

だからその世界に自分と同じような人が見当たらないというだけで、まるで「世界中で自分だけが仲間外れ」という風に完全に思い込んでしまいます。

 

 

しかし、私達は大人になるにつれ本当は世の中がとてつもなく広く、途方もなく様々な人が存在するということを段々と知っていきます。そして「これって私だけ?」と思う回数は減っていくのです。

私などは最終的に大人になった今、どんな事態が起きても「世の中広いんだし、同じような事がどっかで起きてんだろうなぁ」と思うようになりました。図太くなったのですね。

 

 

余談ですが私が一番最近「これって私だけ?」と思ったことは、複婚についてです。

私は結婚した後に、どうしても結婚したい相手が現れた事があります。

しかし夫とも別れたくないという心境に陥り、色々と悩んだ結果「3人で暮らせないだろうか?」と思った事がありました。

その時に「こんな考えに辿り着く自分はおかしいのか?」という疑問があったので、試しにインターネットで「3人 結婚」と入れて検索してみたところ「ポリガミー」や「ポリアモリー」という言葉がヒットして、私は世の中に「複婚」という主義がすでにあることを知りました。

その時に「インターネットって便利だなぁ」と思ったのと同時に「ああ、世の中はやっぱり広いなぁ。私だけなんて事はそうそう無いんだなぁ。」と改めて思いました。

結局は夫にも、もう1人の方にもその提案をしかけたところ2人共に「それは無理でしょう」と言われてしまったので、実現はしませんでしたが、今も世の中の複婚主義者を応援したい気持ちはあります。

しかも最近、私はまた1人素敵な女性と知り合って、彼女は私の夫ともウマが合う様子なので「3人で結婚出来たら素敵だなぁ」と密かに思ってはいるのですが、夫は完全ノーマル主義なのでこれも実現はしないでしょう。

ても、同性婚が世の中で徐々に認められてきているので、数十年後にはもしかしたら世の中には複婚もポピュラーな楽しい世界になるかもしれないという期待は死ぬまで持っていようと思います。

さて、話がそれたので元に戻します。

 

 

そんな私が「これって私だけ?」という文字列から感じるもう一つの感情「微かなムカつき」についてこれから書きます。

これはどういうことかと言うとですね、1番よくあるケースはネット記事のコラムやブログなどの文章です。

一般論では無いものの、特に目新しい視点というわけではない駄文を散々書き連ね、最後の一文が「なんてことを思うのは私だけでしょーか?(^_^;)」と締めてあるやつです。私はあれを読むと作者の首を絞めたくなります。

 

これが、例えばYahoo知恵袋のような質問相談の場で「私は◯◯です。周りには同じような人が居ないので、◯◯なのは自分だけでは?と不安に思っています。」という「不安由来」の「これって私だけ?」なら話は別です。

 

そういう「これって私だけ?」に対しては「あなただけじゃないよ、大丈夫だよ」と優しい気持ちが芽生えますので、ムカつきません。

しかしそうではなく、語尾に「(^_^;)」←こんな顔文字がついてたり文体がおちゃらけてたりするとムカつくのです。

 

 

さて、どうして同じ「これって私だけ?」なのに、ムカつくのとそうでないのと2種類あるのでしょう?

 

私は考えた結果、ムカつくほうの「これって私だけ?」は、あるメッセージが隠しきれてないからだと気がつきました。

それは「人とはちょっと違う感覚を持つこんな私を特別視して」というメッセージです。

一見不安由来の質問形式と同じ「これって私だけでしょうか?」と言いつつも、顔文字やおちゃらけた文章で真面目ムードを自ら壊すことにより、結局「私ってこんなに人と違うんです。特別視されたいんです。」というアピールにしか読めなくなってるのがムカつくバージョンの「これって私だけ?」の特徴です。

 

 

しかし、そこまでムカつきつつも、ムカつくバージョンの「これって私だけ?」な文章を書いてしまう人の気持ちも理解できなくはありません。

 

なぜなら、私も子供の頃は本当に嫌だったり不安だった「これって私だけなのかなぁ?」という事がひとつひとつ「私だけじゃなかったんだ」と解消されていくにあたり、ちょっとしたガッカリ感もあったからです。

 

つまり「同じような人が世の中に居た」というのは、安心であると同時に自分の特別性を打ち消すものでもあります。

人間とは「孤立」は嫌だけど「その他大勢の一員」も嫌というワガママな生き物なのです。

 

「人とは違うのが不安」という気持ちと「人とは違うのが嬉しい」という気持ちの区別は、自分でも上手に区切れないほど複雑に混ざり合う感情なんです、多分。

 

だからムカつきバージョンの「これって私だけ?」を書いてしまう人の「私は特別視されたい」って気持ちも理解は出来ます。ムカつくけど。

そしてここまで書いて気がついたのですが、さきほどは私が許せると書いた「不安由来」の「これって私だけ?」ですが、それも実は本心を隠すのか上手なだけであって本当は10割不安ではない気がします

他人に「これって私だけ?」と相談する人の気持ちの中の9割は「誰か!私だけじゃないと言って!」という不安が占めているとしても、気持ちの底の方にちょびっと1割くらい「でも私だけって言われたい」という気持ちがあるんじゃないかと思うんです。

 

そうだ、そういえば昔、歯医者に勤めていた頃まさにそういう患者さんが居ました。

その患者さんはいつも治療を終えると「先生、こんなに歯並びが悪いのって私だけですよね?」と聞いてきました。

確かにその方の歯並びは良いとは言えませんでした。ご自分でも昔からそう感じていて家族や友人や周街の人といつも見比べては「自分が1番歯並びが悪い」と思っていたそうです。

しかし、こちとら歯科従事者。何年も毎日嫌になる程人様の口の中ばかり見てます。その患者さんとは見てきた数が違います。

なので私達から見てその方は、ごく一般的な歯並びの悪さの域を出ず、まぁ普通より少し悪いかな、という程度でした。

 

だから私も先生もいつもその患者さんの不安を解消できればと思い

「そんな事はないですよ。◯◯さんの歯並びは確かに不揃いな箇所もありますが、日本人は顎が小さいのでこれくらいの歯並びの乱れはよくあることです。」と答えていました。

しかしその患者さんは「そうですか、ありがとうございます…」と言うだけで、毎回なんとなく釈然としない様子でした。

 

そして何度来ても毎回同じことを聞いてくるので、ある時に先生が「うん、確かに◯◯さんの歯並びは他の方よりは深刻かもしれませんね。」と言いました。

するとその患者さんの表情は初めてパァっと明るくなり

「ですよね!私の歯並び、すごく悪いですよね!こんなに悪い人、私周りにも居なくていつも思ってたんです!」と言ったのです。

それはとても嬉しそうでした。

 

それで私は思いました。

「ああ、この人は自分の歯並びの悪さについて全否定してほしいわけじゃ無かったのか。歯並びの悪さについて『歯医者さんのお墨付き』が欲しかったんだ。」と。

 

つまりどういうことかというと、恐らくその患者さんの「こんなに歯並びが悪いの私だけですよね?」には、9割は不安を取り除きたい気持ち由来だったのだけど、残りの1割は「確かにあなたの歯並びは特に悪い」という主観も誰かに認めて欲しかったということですね。

最後の1割の部分の気持ちをやっと先生が認めてくれたので、昇華されたのだと思います。

で、結局私は何が言いたいかというとですね、そういうふうに不安のオブラートに手厚く包んだ「これって私だけ?」に対して私はムカつかないんです。

隠すのが上手いから「アッパレ!」という感じです。

しかしさきほど書いたように文章がおちゃらけてたり「(^_^;)」とかの顔文字が語尾に付いてると「本当は不安とかじゃないんだよーん、『私だけ』って誰かに言われたら嬉しいんだよーん」という隠すべきニュアンスがスケスケに見えてしまってるので、その詰めの甘さに「出てんぞ!本心!」というムカつきを感じるのだと思います。

 

ああ、なんだか今日はいつにも増してよくわからない文章になってしまいました。

 

あ、ちなみにもうひとつ文末でムカつくのがあるので書いていいですか?

よく長々と根拠のよく分からない悪口みたいな文章を書いて最後に「こう思っているのは私だけではないはずだ。」というやつがありますよね。

あれもムカつきます。

「私だけではない」と断言するならまだ良いんですけど(ウラが取れてる必要がありますが)、「私だけではないはずだ」の「はずだ」ってなんだよ、と思います。

勝手に賛同者が大勢いるムード出すなよ、悪口言うなら自分単独で言えよ、と。

だからそういう文章を読むと普通に「お前だけだよ」と言ってしまいます。文章に向かって。

「これって私だけ?」と間逆なんですけど、ムカつきます。なんなんでしょうねあれ。不思議ですね。

ではまた。