限りなく透明に近いふつう

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大の大人の「性欲がおさえられなかった」が信じられない。

 

 

これ↓あんまり報道されていなかったけど、先週の記事で児童自立支援施設の職員が元入所者の少女にわいせつなことをして捕まったってニュースです。

ここに犯人の「性欲が抑えられなかった」が出てきます。

「性欲が抑えられなかった」という供述を観るといつも私は「なんなん?」と思う。

その気持ちをもう少し言葉で表してみようと思います。

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要点はこのニュースを観た日にすでにざっとツイートしたので、まずそのツイートをのせます。

 

この時のツイートで私が書きたかった要点をまとめるとこうです。

①】大の大人の性欲に「自制が効かない」というのが信じられない。

②】もし本当にそうなのだとしたら、その人は何らかの医学的アプローチで改善を図るべきだと思う。

③】でもそもそも私は①②の存在はあまり信じられない。(居たとしても稀だと思う)だから、大多数の性犯罪者は「自制が効かない人」ではなく「自制する気が湧かない人」だと思う。

④】なぜ「自制する気が湧かない」のかというと、被害者の言動を自分に都合良く「合意のサイン」に変換する脳みその持ち主だから。

 

言いたいことはこれだけなんですが、今日はこの4点について説明とか補足とかします。

 

まずは①大の大人の性欲に「自制が効かない」というのが信じられない。について。

私はいつも性犯罪のニュースで、ある程度普通に社会生活を送ってた犯人が言う「性欲が抑えられなかった」という台詞に戦慄を覚えます。全然信じられない。

なぜ信じられないかというと、これは自分基準になってしまいますが、今よりもっとお盛んだった自分の若かりし頃を思い返してみても「それはない」からです。

というのも、私はかつてどんなに性欲リンリンの時でもなにかコトを起こす前には頭の片隅で「法に触れるか?」ということが頭をよぎりました。

頭だか心だか場所は分かりませんが、私の中には「倫理審査委員会」みたいなのがあって、性的欲求に「解禁!」のゴーサインを出すのは、その審査「法に触れない?(場所、相手、行為に問題ない?)」にパスした時だけだったんです。(ちなみにその審査のあとに「倫理的にOK?」っていう審査もある)

酔ってても、やけくそな時でも倫理審査委員会は現れて、私はいつもその決定に従っていたので、その審査委員会を「どりゃー!!」と、踏み倒すほどの性欲というのが私には想像つかないのです。

 ここで「なんでも自分基準にするな。性犯罪に至るヤツはそもそも心にそういう審査機関が無いんだろ」という意見もあると思います。

なるほど確かに性犯罪を犯すなんて「心に倫理審査委員会がない人だけ」と仮定すればやつらが「性欲に抑えが効かない」と言うのはたしかごもっともです。

でも私にとってそれは「逮捕した痴漢が無職のアル中&ギャンブル依存症のおっさんだった。」みたいな場合だけ納得できるケースで、性犯罪者の中では少数派だと思ってます。

つまり普段無軌道な生活ぶりをしてる人が「性欲が抑えられなかった」と言うなら私は確かに「なるほどこの人に倫理審査委員会は無さそうだ」と信じられるし納得できるわけですが、多くの性犯罪者は、窃盗とか道交法違反に比べて「まさかあの人が!?率」がすごく高いのです。

ということは、性犯罪者の多くを占める人は普段「性犯罪などしそうもない生活」を送っていた率が高いということで、私はそういう犯人が言う「性欲がおさえられなかった」が信じられないんです。

まさに、今回の自立支援施設の職員もそうですけど、そういう犯人はふだんは社会人として生活するくらいの法を順守しているわけだからそれなりに心に倫理審査委員会があるはずなんですよ。

なのに性犯罪を犯して捕まった時だけ、倫理審査委員が居ないふりをするのは変でしょう?

だから「そういう人には倫理審査委員会が無い説」を私は採用しません。

私は、彼らは「倫理審査委員があるのに、性欲の前では機能させなかった」が真実だと思うんです。

だから「抑えられなかった」って言うのを聞くと、え、抑えようとしてないのに、なに「抑えたけど無理だった」みたいに不可抗力感出してんの?ズルくない?という感じです。

そういうわけで「性欲が抑えられなかった」という言葉が本心だと私は信じられないんです。

 

ではここからは、②もし本当にそうなのだとしたら、その人は何らかの医学的アプローチで改善を図るべきだと思う。の説明です。

①に書いた通り私は「性欲が抑えられなかった」って言い訳が本心だということが信じられません。

でも仮にそれを本心だと仮定してみると、その人の心境は「俺だってこんなことしたくないのに、ダメなんだよぉ、ムラムラし出したら頭がボーッとして手が勝手に動いてて…気が付いたら触ってるんだよぉ」ってことですよね。

この言い草を本心だと信じるなら、つまりこの人は自分の意志でコントロールできない性欲魔物が暴走したので痴漢行為に至った。というわけですよ。

 これってじゅうぶん「何らかの治療を受けるべき人」じゃないですか?

(現段階で、そういう施設や治療法があるのかは別として)

本人だってそんな不可抗力で今後も性犯罪を重ねるのは嫌でしょうし、周りだって迷惑するし、もし医学的なアプローチ(外出時は性欲減退の薬を飲むとか)で、なんとかなるなら、そうした方が全員のためによくないですか?と私は思います。

また自分基準ですが、もし私が電車でそそる異性を見つけてムラリときてぼーっとなっていつの間にか尻を撫でてしまう体質だったら、絶対治療して欲しいと思いますよ。怖いですもん、自分のことが。

だから、もしこの案に「病人扱いしたら可哀相」という意見があるなら私は「いや、意思でコントロールできない体で生きるほうが可哀相でしょ。あと、それで痴漢される人の方がもっと可哀相でしょ。」と言い返すし、「性欲は人の本能的な欲求だから、それを奪うのは人の尊厳を奪うことでいけない」という意見があるなら私は「性欲を全て奪うわけでなく、本人の望み通り人並みにコントロールできるように治すだけ。あと、痴漢された人はすでに尊厳を奪われてます。」と言い返すと思います。

  

もし犯人本人が「性欲が強いからって治療なんておおげさな…!」と思うなら、それは「本当はやろうと思えば性欲をコントロールできるけど、しなかった自覚」があるからそう思うわけなのでその時点で当初の「性欲が抑えられなかった」は本心ではないことになるから、本心でないならこの案は適用外です。

あくまで「お前、まじで『僕ちんのせいじゃなくて手が勝手にやったんだよ』的な主張を通すなら、それ相当の処置を受けろよ。」ということです。

 

ではここからは、話の都合上③と④の説明を混ぜてしていきます。

でもそもそも私は①②の存在はあまり信じられない。(居たとしても稀だと思う)だから、大多数の性犯罪者は「自制が効かない人」ではなく「自制する気が湧かない人」だと思う。

④なぜ「自制する気が湧かない」のかというと、被害者の言動を自分に都合良く「合意のサイン」に変換する脳みその持ち主だから。

このふたつですね。

さっきまで書いてた②は、もし「性欲がおさえられなかった」が、仮に本心だとするなら「それは治療しなきゃじゃない?」という話でしたが、私はそもそも①の段階で「性欲がおさえられなかったって話が信じられない」と書いてるように、ほとんどの性犯罪者のその言い訳が「本心じゃない」と思っているので、②に当てはまるような「本当に治療が必要な性犯罪者」はいたとしてもごく稀なタイプだと思ってます。

では、残りの大多数の性犯罪者の「性欲を抑えられなかった」という人は「どういう心理でそれを言うのか?」と考えてみると、ずばり

「抑える気がなかったけど、それを言ったらめっちゃ怒られるから、抑えきれなかったことにしてる。」

これだと思います。

 しかし結果的に性犯罪になるのに、その前段階で「性欲を抑える気がない人」というのは、いったいどういう神経をしてるんだ?抑える気が無いとはどういうこと?と思いますよね。

私が思うにそういう人はたぶん「本能教」の信者なんです。

「本能教」とは私が心の中でそう呼んでいるのですが、もうたいがいのことは「人間の本能」のせいにしておけば丸く収まると思ってる人の「本能」へのすがり方が宗教チックだなと思うのでそう名付けています。

誰が教祖というわけではないのですが、信者の人は「性欲、それは人類繁栄の礎…。古来より男の本能に組み込まれるその根源的な欲求により我々人類は栄え…」みたいに思ってて「本能の言う事は~?」「ゼッタイ!!」なのです。

信者の人は自分の性欲との付き合い方も普通とは違います。

多少のタブーを犯すことも「男の本能」が源と思えば本人の中では「そんならしゃーない!」と納得&思考停止。

また周囲にも心の中では「皆のもの男の本能である性欲に対しては寛容であれ」と求めてます。

 こういう要素が多かれ少なかれある人が、性欲の高まる状況に置かれたときに相手を観ると(被害者が女性と仮定します)、見たもの、聞いたものを脳内が「合意サイン」にドバドバ変換してしまうんじゃないかと思います。

彼らにとって「やめて」とか「嫌」という拒絶の言葉は、脳内で「じらし」や「恥じらうフリ」に変換され「向こうもその気じゃん」の合意サインになるし、「住所も本名も知られている年上の強い男の機嫌を損ねたら怖いので、仕方なくホテルに付いて来た少女」も「自分のことが好きだからホテルについてきてる。」としか思えないんだと思います。

だから、本人にとってみたら「こんなに相手の合意サインが出てるのに、なんで性欲を抑える必要があるの?」って感じで、自制する気なんてサラサラないんじゃないかと思います。

でも、事が起きて、相手が訴えて、本人の「本能教フィルター」以外の「客観的事実」で言えば、それはただの性犯罪です。

だから彼らは捕まったり訴えられたりするわけですが、そのように実際捕まるまで彼らは本能教の信者だから、本能に従って起こした行動に関しての認識が楽観的で「まぁ大丈夫だろう」と思ってるんだと思います。

で、結局捕まった時に冷静に理由を聞かれても、答えなんて「自分がしたくて相手も合意だと思った」か「性欲が抑えられなかった」しかないんで、性犯罪ってその二つの供述が多いのかなと思います。

 

以上で説明はおわりましたのでまとめます。

私が、性犯罪者の「性欲が抑えられなかった」という言葉の何が嫌かと言うと、犯行場所や方法や相手選び(自分より立場が弱かったり、非力そうな女を見極めてる)まで、それなりに「頭使ってる」癖に、言い訳は子供みたいに幼稚なところです。

そいつの理性の使い所が「保身」にしか向いてなかったのがわかる一言だからです。

本当に性欲が抑えきれないヤツばっかりなら、もっと相手が上司の妻とか、職場で、とか一発で社会生活アウトになる犯行が多いはずなのに、そういう事件は稀で、たいていの性犯罪はちゃっかり「社会生活は維持しつつできる範囲の犯行」です。

そのために働かせた理性を否認して「何にも考えられなかったんですぅ男の生理だから許して~」は通じないと思います。

それを大の大人がしゃあしゃあと言うことがほんとに信じられません。

もし本心で「だってムラムラしたらどうしようもないんだもん」という人は、お腹が減ったら食い逃げしますか?眠くなったら商談中に寝ますか?

それが我慢できるなら、ムラムラも我慢できると思いますよ。

少なくとも、誰かの人生に傷をつける方法以外で発散できる場所まで我慢してください。

そんなわけで、今日はそういう話を書きました。

ではまた。