限りなく透明に近いふつう

やさしい鬼です お菓子もあります お茶も沸かしてございます

奥さんが高島礼子でも高島礼子じゃなくてもダメなもんのダメさは同じでしょう。

 

 

前々から書こうと思ってたことが結構たまってるんですけど、昨日、ちょっとちっちゃいことで愚痴りたい事があったので、今日はそのちっちゃいことが旬のうちにざざっと書いときます。

 私、コンビニでバイトしてるんですけど、そこのオーナーの奥さんが60代で、性格は明るく朗らかでおしゃべりで、基本的には優しくて世話焼きで「ザ・おばちゃん!」って感じのおばちゃんなんです。

で、おばちゃんは普段から私らパートによくおしゃべりをしてくる人で、けして悪い人では無いんですが、私はたまにこの人の言うことに「ん?」となることがあるんですよ。

 昨日のことなんですけど。

おととい高知東生氏が逮捕されましたよね。

まぁ、そのことには私はそんなに興味が無いんですが、昨日バイトに行ったら早速そのオーナーの奥さん(以下、おばちゃんと書く)がこんな事を言ってたんですね。

「もぉ〜まったく高知東生は許せないね!あんな綺麗な奥さんがいるのにあんな悪いことして!」

 おばちゃんは、おばちゃん学校の模範生みたいな人なんで、普段からこういうゴシップ話が大好きなんです。

芸能週刊誌とかスポーツ紙に書いてある見出しを観てはいつも「ベッキーは悪い子だね!」とか「清原もまったくしょうがない奴だね!」みたいに、超分かりやすい短絡的な感想を嬉しそうに話してくるんです。

たぶん、そういうのもいつもたいして考えずに喋ってんだろうなぁと思うし、おばちゃんもべつに真剣な返答を期待してるわけでないだろうから、こっちも話半分で「そうですねぇ」と相槌打っとけばいいんでしょうけど、週3回会うたびにこれなので、時々こっちも嫌気が刺すことがあります。

世代の違いとか、考えの違いとか、その両方があるのかとは思いますが、とにかく言ってることが全体的にマスコミの意図通りをまんま受け止めた「浅め」なことが多いので。

 昨日の「あんな綺麗な奥さんがいるのにあんな悪いことして!」も、聞いた時にすぐ私は「奥さんが綺麗とか汚ないとか関係なくないか?」って思いました。

 だってその言い草だと「綺麗じゃなかったらいいんかい!」ってなるじゃないですか。

 

それでもいつもなら流すところなんですが、昨日は私も少々虫の居所が良くなかったので、ちょっといじわるして「奥さんが綺麗だから悪いことしちゃダメなんですかね?」と聞き返したんですね。

そしたらおばちゃんの「そりゃそうよぉ、高島礼子が可哀想じゃない!」

という答えになってないお答えが返ってきました。ぎゃふん。

 しかもおばちゃんは火が付いてしまったのか、言い続けました。

「だいたいね、私、ああいうの大っ嫌いなの!乙武の時もまぁ腹が立ったもんだわよ!まったくあんなカラダで、ろくに動けないくせに、女遊びだけはいっちょまえにやってたんだから、奥さんへの裏切りもいいとこじゃない!」

 

ひえー超差別的なんですけど。

 私は「おばちゃんがテレビコメンテーターだったら一発で炎上間違いなしだな」と思いました。

おばちゃんの中には「不倫は良くない。覚せい剤使用は良くない。」というのが大前提の常識としてあって、そこまでは理解できるんですけど、私は「悪いこと」というのは「誰がしてもその悪さは同等に悪い」と思うんですね。

だから、誰が罪を犯しても「それをやった事自体の悪さ」を観るべきなので、私としては高知東生は、奥さんが高島礼子だとかいう点は関係なく「覚せい剤をやってたから悪い」だし、乙武さんの不倫に関しては夫婦の問題で「奥さんも同意の上」みたいな話もチラッと出てたので「悪いも良いも判断しようもない」という感じに思ってました。

司法的には、その「やったこと自体の悪さ」だけでなく、「悪いこと」に至った動機や経緯によって情状酌量されたり、罰が重くなったりしますが、それは様々な事情を全部出せるだけ引き出した結果を踏まえて専門家が判断することです。

だから、私ら素人はそういう動機や経緯なんかの細かな事情が届く立場に居ない時点で、「悪いことはその悪さ自体についてしかどうこう言えない気がする」って感じで、まぁ私はそうなんですね。

でもどうやらおばちゃんは違うんです。

おばちゃんは「やった事自体の悪さ」を考える際に、「綺麗な奥さんがいる」とか「奥さんに世話になってる身」という情報だけでも、一気にその罪をふつうより重く見積もる習性があるようなのです。

 だから多分、その罪を語る時、真っ先に「綺麗な奥さんがいるのに!」「奥さんに世話をしてもらってるのに!」という言葉が出ちゃうんだと思うんです。

 

私とおばちゃんは、これまでも色んな芸能人のニュースや、私たちの身の回りの知人の話などをたくさんしてきてるんですが、私は時折見せるおばちゃんのこういう面がちょっと怖いし「なんかやだな…」と思います。

 

なぜなら、覚せい剤のことは別として、「不倫の悪」について考える時、

仮に、誰から見てもみすぼらしい奥さんがいたとして、その旦那さんは不倫をしてるけど高給取りで奥さんに何不自由ない生活をさせてた場合、おばちゃんの理屈だと「それなら仕方ないね〜」と、「不倫の悪」が無しになっちゃうからです。

つまり、おばちゃんの中にある「不倫しちゃいけない理由」が「綺麗な奥さんがいるんだから」とか「奥さんの世話になってるんだから」なので、そうである以上、それは裏を返せば「綺麗じゃない奥さんなら不倫されても仕方ない」「旦那さんの世話を怠ってる奥さんなら不倫されても仕方ない」というルールにもなると思うんです。

それってけっこう変な話じゃないですか?

 でも、そこまで考えてて気が付いたんですけど、おばちゃんに限らず、この世代の女性の多くは、旦那さんがよそに女を作った時に、すぐ「奥さんは妻としての役目を果たしていたのか?」ってことに話の焦点を絞る特性があるんですよね。

 

その不倫された奥さんは

妻として容姿に気を使っていたか?

妻として夫の世話に務めていたか?

裏として帰りたくなるハウスキーピングができていたか?

 

それらの項目をまず知りたがって、それらの項目に「落第点」が無かった場合は「そりゃ旦那が悪いわ」と言うんですが、1つでも落第点があると「そんなら仕方ないじゃない。妻としての役目を果たせてない奥さんも悪いよ。」って言う。

 私は、「不倫の悪」について考える時、妻の方がそれらの項目に落第点があったとしても、不倫する前に「別れる」という選択肢を取らず1人で「不倫する」を選択した夫の非のほうがずいぶん大きいと思います。

でもおばちゃんは、奥さんのほうに落第点がひとつでもあったらそれで「夫婦おあいこ」にしちゃうんですよ。

しかも、これ、理不尽なのは「奥さんのほうが不倫している場合」は、なぜかおばちゃん、夫の落第点について言及する前に奥さんを責めるんです。

夫がアル中で無職でみすぼらしくて、ようは落第点だらけだとしても、その奥さんが不倫していたとなると「そんなダメ夫なら仕方ない」とはならずに「女が不倫するなんて子供が可哀想じゃないの!不倫するくらいなら別れりゃ良かったのよ!」って言うんです。

「不倫するくらいなら別れりゃいいのに、そうしないで不倫する人が悪い」って考えは女の不倫時にはまっさきに思うのに、なぜか不倫したのが男の場合には、そこは責めない。不思議。

「不倫したら子供が可哀想」なのは、母親の不倫でも父親の不倫でも同じじゃないですか。

その点を父親の時は「不問に処す」で、母親の時だけ「そこが問題」とする。

男の不倫時は、「おあいこ」になるための女のアラ探しをまっさきにして、女の不倫時は「男にどんなアラがあろうともまず不倫する女がダメ」とする。

なにこの不平等?ホワイジャパニーズおばちゃーん!!ですよ。

 

あと、おばちゃんの怖いところは、こういう時に一見すると高知東生を責めたり乙武さんを責めたりしているから「女性の肩を持ってる風」に見えるんですけど、実はその考え方は全然「女性に平等」ではないところです。

普通に分かりやすく「男尊女卑意識が丸出しのおっさん」なら、若い女性も家庭の相談など持ちかけないと思うんですが、こういうおばちゃんて職場の若い女性が「家庭のことで何か悩んでいそう」という空気を感じると「女の先輩として話聞くよ。おばちゃんに話してごらん。」みたいに優しく寄り添ってくれるんですよね。

で、若い女性が心を開いて相談したら、根っこにあるこのおばちゃんナイズな不平等意見でグサっとくることを言ってくるので、受けた方は結構致命傷になる。

これがこわい。

私はこのおばちゃん以外のおばちゃんに過去すでに何度もそれをやられてるので、何気に「男尊女卑意識丸出しおっさんより、おばちゃんの男尊女卑意識のほうが潜伏系で怖いかも!」というのは学習しましたが、若い子はこれからもグサグサやられるかもしれません。

 

でも、おばちゃん自身はたぶんこの自分のジャッジの不平等さに、気が付いてないと思うんですよね。

べつにおばちゃんは「女に厳しく」と意識してこういうジャッジをしてるんじゃなくて、ひと昔前の世の中に今より根深く充満していた「女のほうが我慢する」ベースな空気の中で若き日を過ごして来て、こういう不平等ジャッジが感覚的に「そういうもの」として染みついちゃっているんだと思うんです。

きっとおばちゃんだけでなく、当時の女性は、夫に落第点があったとしても離婚して自立することが難しかったから、多くの女性が離婚を選択できなかったんですよね。

離婚は出来ないけど、夫の不貞に怒りが収まらない。

だけど、その夫のそばで生活は続けていかなきゃいけない。

そういう女性達がなんとか気持ちの落としどころとして見つけた行き先が、女の方にアラを見つけて「これでおあいこ」と思い込む習性だったのかな、って気がします。

だから、おばちゃんもそういう時代の被害者というか、そういう時代の女性だからそんな習慣なのも仕方ないっちゃ仕方ないんですが、いまも若い人にその考えをバリバリ波及させるような発言を平気でするので、本人も無自覚とはいえ、私は聞くたびに「なんかやだな…」ってなるんです。

 

ちなみに、お店の近くに私の女友達が住んでいるんですが、こないだおばちゃんは彼女についても「ん?」という事を私に言ってきまして。

彼女はシングルマザーで、絵に描いたような「旦那が酒乱で、自分も暴力を振るわれていてしばらく我慢してたけど、とうとう子供にも手を上げた事を機に離婚した」という経緯での離婚だったんですね。

その事情はもちろん私しか知りません。

それで、彼女は近所なのでたまーに、子供を連れてコンビニに来ることがあるんです。

子供はすごく顔も性格も可愛らしい女の子です。

それで、こないだも彼女達親子が来て買い物をして、私と少ししゃべって「じゃあねー」と帰って行ったんですね。

 

おばちゃんは彼女のことは、近所に住んでる子として子供の頃から名前と顔くらいは知っています。

離婚したことも彼女のお母さんから聞いて知っていますが、詳しい事情は知らないという状態です。

彼女が帰った後、おばちゃんは開口一番で私に「○○ちゃん(友達の名前)もシングルマザーなのよねぇ…」と言いました。

私はその含みのある言い方に(なんか来たぞ…)という予感がしつつ、そこは流す感じで「はぁ」と返事をしました。

そしたら案の定おばちゃん

「あんなに子供が可愛い子なのに、なんで離婚なんかしちゃったのかしらねぇ…」

 

でたー、子供の可愛さと離婚関係ねぇー!!

子供ブサイクだったら離婚していいんかーい!

 

でも、その日はもうおばちゃんのこれ系発言にツッコむ気力が無い日だったんで、私は聞こえないふりをしました。

私は、彼女が「子供が可愛い(容姿だけのことではなく存在として)からこそ、その子を守る為に離婚した」って思ってます。

だから心の中でだけ「おばちゃん、『子供が可愛いのになぜ離婚するの?』じゃないんだよ、『可愛い子供のためだから離婚する人もいるんだよ』」って言いました。

 なんか話が最後ズレちゃいましたかね。

とりあえず、こういうおばちゃんのような不平等ジャッジが染みついている人が、今後の世代には少なくなっていくといいなと思います。

今日書きたかったのはとりあえずそんな感じです。

ではまた。