昨日「逃げ恥面白かったな~」と余韻に浸ってたら田嶋陽子さんが「あんなもんどこが面白いの」と言ってる記事を見つけました。
どうやら田嶋さんは逃げ恥お気に召さなかったらしい……。
田嶋さんについて、私が基本どう思ってるかは依然twitterで書きました。
昨日の橋下羽鳥の番組観てて、田嶋陽子さんは日本のフェミニズムを先導した功績と、日本人に「フェミニズムを唱えるのは田嶋陽子みたいなうるさい女」という刷り込みをしてしまった罪過がどっこいどっこいなのかなぁと思った。
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) 2016年6月21日
田嶋さんがTVに出だした90年代は、まだ世の中の「男性にたてつく女なんて」という意識が男女ともに強くて、あんくらい強烈なキャラじゃないとメッセージが届かなかったからああいう物言いであることが必要だったのかもしれないけど、今もあのままだとふつうにTV観てる若い人は「フェミって
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) 2016年6月21日
田嶋陽子みたいな、人の話聞かないヒステリックな女の主張だろ」って思うよね。別にフェミニズムは男女問わないし、色んな人柄の人が支持してるものだから「フェミニズム=田嶋陽子イズム」ではないんだけど、そう勘違いする人が多くなっちゃってるとは思う。
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) 2016年6月21日
でも田嶋さんに「もっと物腰柔らかに話しては?」とか言うのはそれも押し付けなわけだから、田嶋さんは御本人の意思通りにあのままのスタイルで良くて、代わりにTVがもっと他のタイプのフェミニズムを支持する人をたくさん出して既存の「フェミ=田嶋陽子的な」を崩していくしかないのかな、と思う。
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) 2016年6月21日
まぁ、ようするに私は田嶋さんについて、それまで日本では「学問として一部の人は知っている」レベルだった「フェミニズム」を一般人に分かるレベルまで広めていった功績者としては尊敬してるし、感謝もしてる。
でもその一方で、いまフェミニズムの考えの外側にいる人にとっては「田嶋陽子がウザいからフェミってウザい奴ばかり」と思われたり、フェミ二ズムの入口にいる人にとっても「田嶋陽子みたいになりたくないし、彼女に似てると周囲から思われたくないからフェミニズムはやめとこう」と思われたりしてんじゃなかろうか、という状況も感じる。
なんというか、すごい強面の鬼武将が、城を陥落させる時には「切り込み隊長」として効果抜群だったけど、そのまま門番に居たら怖くて仲間すら近寄れなくて困る、みたいな感じ。
なので、私は田嶋さんのことを日本のフェミニズムにとって「功績者であると供に足枷」のような存在だなぁ」と思ってる。あ、この言い方だと田嶋さんが不愉快になるので「足枷に感じることもあるけど功績者として尊敬してる。」と書いたほうがいいかもしれない。
とにかくそういう風に思ってます。
で、田嶋さんが逃げ恥に「まだこんなことしてんの?」と怒ったという記事を読んで、私は「彼女が怒るのも無理はない」とは思いました。
なぜかというと、田嶋さんは今の日本の社会でする「結婚」は「女が不利になりがち」だということにずっと怒りの声を上げてきた人だから。
たいてい女性の方が名字が変わる。夫の転勤で仕事を辞めるのは妻ばかり。出産で手放したキャリアは戻らない。専業主婦は寄生虫とまで言われる。
田嶋さんはそういう「女性が結婚でこうむる不利益」についてずっと「変だよ!」と訴えてくれている。身を粉にして「もっと社会全体の仕組みを変えてそういうの無くしていこうよ!」と訴えてきたのに、30年経ってみて世間が「面白い面白い」と褒めたたえているドラマが、事実婚での契約結婚という「既存の結婚制度の裏ワザ」みたいなのを駆使してこちゃこちゃやってる男女の話だった。
そりゃ彼女の立場なら「こんな裏ワザ見つけて喜んでないで、根本的な解決のために社会を変えるように動かなきゃでしょうが!!」という怒りが湧くのも無理はない気がします。
ただ、私はそういう田嶋さんの気持ちもわからなくはないけど、「逃げ恥」はとても面白かった、と言いたい。
ちょっとここまで、つい田嶋さんの話ばかり書いてしまったけど、私は今日は単純に逃げ恥の感想が書きたかったんですよ。だからここからは感想。
最終回、すべて大団円で本当に良かったです。
みくりと平匡の出した答えは「一人でも二人でいても人生は面倒くさい。面倒くさいけど、好きな者同士なんだから一緒に悩んだり話し合ったり、時間をおいたり、たまに逃げたりしながら、一緒に未来を歩みましょうや。」というシンプルなものでした。
未婚の方はもしかしたら拍子抜けしてしまうほどシンプルな結論だったかもしれませんが、私も結婚生活8年やってて色々あったことから痛感したのは「夫婦っていう関係性は、死ぬまで微調整が必要だな」ってことだったんで、二人が最後「模索は続きます」と言って終わったのが、じーんとしました。
夫婦はどちらかが上でどちらかが下という関係ではなく、「家庭という会社を切り盛りしていく共同経営者」という平匡の考えも、実は我が家では5年前から実施している考え方だったので、平匡があのボードに書いた時「おっ」と思いました。
ちなみにあんな業務的ではないですが、うちも「ほう・れん・そう」を怠るのは夫婦最大のタブーにしているので、まめまめしくなんでも相談して決めてまして、それまでは買う物とか予定とかを片方が決めて事後報告が多くてそれが原因でモメる事もあったんですが、その頃に比べると格段にモメ事は無くなりました。ほう・れん・そうは家庭でも大事だな、と思います。
あとみくりが「主婦の報酬 最低賃金+愛情」と書いたところでは「最高の離婚」のワンシーンを思い出しました。
最高の離婚では、小野真知子と瑛太夫婦が喧嘩するシーンで小野真知子が「外でご飯たべたらお金払うでしょ!うちでご飯食べたら『ごちそうさま』って言うの!言わなかったら食い逃げなの!」と怒るんですが、みくりが「報酬」と捉えている「愛情」って、日常で表すとしたらこういうことなんですよね。
私は夫に「愛してる」なんて何年言われなくてもいいけど、そういう風な「ごはんを食べたら『ごちそうさま』」とか「なにかやった時の『ありがとう』」とかがもし無かったら、夫婦やってけないだろうな、って常々思っていたので「愛情」が報酬の一部だというみくりの話にも「わかる」と思いました。
それにしてもこの二人は、険悪なムードの時でもちゃんと話し合いを持つところがもうすでにすごいんですよね。
現実にはああやって平匡みたいに、まともに話し合うことすらハードルが高い夫婦も世の中には多いですから(特に『旦那さんが話し合いに応じない』という声はよく聞く)本当は小学生のうちから学校で「相手の発言はさえぎらない。途中で投げ出さない。大声を出してごまかさない。」みたいに話し合いの基礎を教えて欲しいくらいですけどね。(でも国会ですらあんなヤジばっかりで話し合いの出来ない大人が回してる国だからなぁ…)
まぁ主人公二人の結末はいいとして、ジェンダー的な視点で私が語りたいのはやっぱりゆりちゃんパートのところですね。
若さの真っただ中、「この世は男が女を消費するだけの世界」だと思い込んでいて、「どうせ男に消費されるなら、若くて綺麗な女であることを武器に、とことん男につぎ込ませてこっちが男を消費してやる。」という気概バリバリの小娘に喧嘩を売られたゆりちゃんの場面。
これまでのドラマだったら、こういう「若い女VS熟女」のタイマンは、小娘が「若さゆえの美貌」を武器にしたら、熟女は「大人の女のテクニック」を武器にやりかえしてたように思います。
でもそれって結局は、小娘も熟女も「男から見た女の価値」というリング上に居て、それぞれ違う手法で「自分の方が価値が高い」だということを相手にぶつける戦いだったんですよね。
そこをこのドラマでゆりちゃんは「女の価値」というリングから「若さ」を武器に「あんたにはもうこの武器無いもんね~」と挑発してきた小娘に「そんなところから降りなさいな。」と諭すように言いました。
「今あなたが価値がないと切り捨てたものは、この先あなたが向かっていく未来でもあるのよ。自分が馬鹿にしていたものに自分がなる。それってつらいんじゃないかな」と。
つまり「小娘が『価値が無い』と切り捨てたもの=若さを失った女」で、それは確実に小娘がいつか迎える未来の姿なんですよね。
女性の若さや未熟さに特別な価値を見出すのは、たいてい「自分が扱いやすくて綺麗な玩具としての女が欲しい」と思っている男性ですから、ゆりちゃんの言葉は「そういう男性が作り上げた価値観の世界に染まって『女のリング』に居続けたら、やがて後からくるもっと若い女に打ちのめされるだけよ。そんな辛いところからは降りちゃえば?」みたいな意味なのかなと思いました。
ゆりちゃんは「女VS女」の戦いには参加せず、「戦うこと自体が馬鹿げている」ということを伝え、その上でさらにこうも言います。
「私たちの周りにはね、たくさんの呪いがあるの。あなたが感じているのもその一つ。自分に呪いをかけないで。そんな恐ろしい呪いからはさっさと逃げてしまいなさい。」
小娘は「呪い」の意味が分かってなかったように見えましたが、私としては「呪い」というのは「男のくせに」「女のくせに」みたいに「その性別らしくないことを辞めさせたがる圧力」だったり、「女は若くなければ価値が無い。」とか「女は男にモテてこそ価値がある。」みたいに「男性の理想をすべての女性に求める圧力」を指しているように思いました。
ちなみにゆりちゃんが怒った自社の化粧品の広告にも「○○を使ってモテよう」みたいなダサいコピーが付いていましたが、ゆりちゃんが怒って取りやめさせた気持ちがよくわかります。
「よそがそういうコピーでやるのはかまわないけど、自分の会社が呪いの言葉を発信したくはない。」ということだったんでしょうね。
小娘に喧嘩を売られても、その小娘の為になる言葉を差し出すゆりちゃんは本当に大人だと思いました。(でもあのポジティブモンスター、ゆりちゃんの歳を49歳と知ってても「おばさん」じゃなくて「おねえさん」と呼んでたので、それくらいの気は使うんだ、と思った。)
で、ゆりちゃんの恋の実り方がまたよかったです。
結局はゆりちゃんが「今の気持ちに従おう」と理屈抜きで自分の感覚を頼りに決断したら風見との関係が成り立ったわけだけど、ふつう年齢が上の人の方が理屈で恋愛して、若いほど感覚で恋愛しちゃうものなのに、若いみくりの恋が「理詰め」で、ゆりちゃんが「感覚」で成り立っててその対比が面白ろ良かった。
まだ書きたいこといっぱいあったし、ぜんぜんまとまらない内容なんですけど、とりあえず感想はそういう感じです。
とにかく「やりがい搾取」とか「好きの搾取」とか、これまで「うっすらモヤモヤを感じてたけど原因がなんなのか掴みきれなかったもの」が解明されてハッとした人の多いドラマだったと思います。
田嶋さん一話から見ればいいのに…。
追記:そういえばあの日産JUKEの紛らわCM、最終回の最後だけ風見が「帰りは僕が観ちゃおっかな、ゆりさんの寝顔」と運転手がゆりちゃんであることを明かしてましたね。あのCMほんと紛らわしかった…。
前回ゆりちゃんに「みくりも働けば?」と言われて「実は給料貰って家事してるとは言えない…ハタから見たら私は無職?」となるくだりでちゃんと視聴者に「家事」が「夫婦なら無償の無職扱い」で「他人なら賃金の発生する労働」となる曖昧なもの、だと気づかせてからの今回の流れ本当に上手い。#逃げ恥
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) 2016年12月13日