限りなく透明に近いふつう

やさしい鬼です お菓子もあります お茶も沸かしてございます

その場で怒れる人になりたい

 

今日、私はむしゃくしゃしている。

原因は夫だ。

一昨日と昨日、夫婦で長くドライブする時間があった。

はじめは夫が運転していたが、朝も早かったので途中で夫が「運転代われる?」と聞いてきた。

私は「嫌だな」と思ったけど、前半寝ていて体力温存していたので、断るのは悪いと思い運転を代わった。

私は運転自体が嫌なわけではない。

むしろ運転は好きだ。

しかし私は、夫を助手席に乗せて運転するのが嫌なのだ。

なぜなら、夫は、普段は口調も性格も優しいのに、なぜか私の助手席に居る時だけはむちゃくちゃ嫌な奴に変貌するからだ。

夫は分かり切ってる事をいちいち言ってくる。

やれ「そこ一時停止」だの「中央線に近づきすぎ」だの「遅いから後ろ詰まってきてるよ」だの、教習所の威圧的な教官かよ!?というくらいうるさい。

私は自分の運転にさほど問題があるとは思っていない。

免許を取ってから早20年、ほぼ毎日運転をしてるけど、これまで一度も大きな事故をしたことはないし、介護の仕事で送迎車を運転していた時も、スタッフや利用者さんに「桜島さんは安全運転で良いね。」と言われていた。

そもそも、法定速度50キロの道路で60キロで走っているのに「遅い」と言われる意味がわからない。

ルールは出来るだけ守りたい主義で生きてるので、50キロ以上出してるほうが法定速度違反なのに、法定速度に近い私の方が怒られたりイラつかれたりする事態に納得がいかないのだ。

 

だから、多少人より速度が遅いとしても私は違反切符を切られたことはないし、細かい運転技術が上手くはないとしても標準くらいの運転技術だという自覚はある。

 

なのに、夫は私の運転で車に乗る時、まるでペーパードライバーや、免許取りたての人に注意するかのごとく、ものすごく口やかましい。

しかもその時だけは普段の紳士的な口調ではなく、威圧的な上から野郎の口調になるので、私はものすごくムカつく。

案の定、一昨日も昨日も私が運転をしている最中、夫は口やかましく注意してきた。

すごいムカついた。

しかし、私がむしゃくしゃしてる原因は、私自身にもある。

なぜなら、私がもし夫からの指図にムカついた時にすぐ「いちいちうるさいよ!」と言えていれば、私の怒りはその場で発散できるはずだからだ。

その場では喧嘩になるかもしれない。

でも、不満や怒りというのは、放出するだけで半分くらいは減るものだと私は思う。

怒りは、怒りの対象者に受け止めてもらえば100%無くなるけど、単に放出するだけでも半分くらいは無くなるものだというのが、私は経験則として感じている。

だから夫と喧嘩になることもいとわず、私がその場で怒って言い返せていれば、今の私のイラつき度は今より少ないはずだと思うのだ。

でも私は言い返せなかった。

ものすごく不機嫌そうに返事をして、途中から返事をしなくなる、という程度にしか自分の怒りを表現できなかった。

つまり私が今日むしゃくしゃしてるのは、半分は夫のせいで半分は私自身の言い返せない性格のせいなのだ。

 

私はこれまでもこういう「言い返せなかった後悔」を抱える度に、思い出す人物がいる。

以前、私が介護施設で働いていた頃の先輩ナースのおばちゃん、飯田さんだ。

飯田さんは、怒りっぽかった。

例えばこんなことがあった。

泊まりの利用者さんの部屋のカーテンはデイサービスが終わってからスタッフが施設内の掃除をして、最後に閉めて回ることになっていた。

私はその頃、新人さんの教育係をしていて、新人さんが教えた通りに掃除の終わり際にカーテンを閉めて回るか本人に任せてみた。

新人さんは、あんまり物覚えの良くない人だったので、案の定カーテンを閉め忘れていたようだった。

しかし私がそのチェックをする前に、飯田さんが部屋を見に行って、カーテンが開けっ放しであることに気がついてしまった。

別の仕事をしていた私や他のスタッフのところにドスドスという、飯田さんが怒った時にだけ立てる足音が近づいてきて、飯田さんはマックスの怒り口調で「◯◯さんの部屋掃除したの誰!?」と聞いた。

部屋掃除をしたのは私だったので、私が「私です。」と言うと飯田さんは「カーテン閉めてないんだけど!!!」と怒った。

私が「新人さんがちゃんとやるか試していたところだった」という説明をしようと「あの、今日は新人さんに…」と説明すると、飯田さんは途中で言葉を遮り「言い訳なら聞かないから!!」と言い放ち、「私、素直に謝らない人嫌いなの!!言い訳する間にカーテン閉められるでしょう!!」と言いながら自分でカーテンを閉めにドスドスと歩き去ってしまった。

 

私は呆然となり、私の新人教育の意図も分かっていた他の同僚は「あぁ、飯田さんああなると人の言葉受け付けないから…」と慰めてくれた。

私が呆然としたのは、いきなり人からマックスの怒りをぶつけられた事によるショックからだけではなかった。

私は、人は「あれ?これおかしくない?」と思った場合、その状態がどうして起こったのか事情を確認をして、その事情に納得がいかなかった時に怒りが沸くものだと思っていた。

しかし飯田さんは事情を確認する前に一人でマックスの怒り状態になっていた。

私はそのことに驚いて呆然としたのだ。

飯田さんは「カーテンが閉められていない」という事実だけが怒りの蓋を開ける理由となった。

「カーテンが閉められていないのはなぜか?」という事情など知ったこっちゃない、というほど怒っていた。

私が呆然としたのは、飯田さんの怒りの蓋の、その軽さにだった。

私はその頃からすでに、「その場で怒れない自分に後から後悔する」という自分の性質を分かっていた。

だから飯田さんの、その問答無用の怒りっぷりに、素直に「う…うらやましい」と思った。

飯田さんは、職場では「すぐ怒るけど根に持たない人」という認識があった。

私は飯田さんがそういう人だという話は聞いていたけど、目の当たりにするのは初めてだったので、「これが、飯田さんなんだ」と知ると共に、その怒り蓋の軽さがとても羨ましいと思った。

私は、飯田さんが落ち着いた時に改めて「さっき、カーテンすいません。あれ、実は新人さんに…」と説明しに言ったが飯田さんは、「あーもういいから(笑)夕方忙しいもんね!」とまたも私の言葉を遮って、晴れ晴れとした笑顔で話を終わらせた。

私はその後腐れの無さに美徳を感じ、ナチュラルにそういう言動が出来る飯田さんのことをまた「う…羨ましい」と思った。

 

「事情なんか知ったこっちゃない、私が怒る理由がそこにあった。だから私は怒る。」

飯田さんの言動からは、そんな意気込みを感じた。

飯田さんは職場において迷惑な人かもしれない。

でも飯田さんは毎日ご機嫌で仕事に来ていた。

「その日の怒りはその日に消化」

飯田さんを観てると、そんな格言が思い浮かぶし、何より前日の怒りを持ち越さない飯田さんの性格には江戸っ子のような潔さを感じ、その場で怒らない&怒れない自分に後悔してイライラすることが多かった私は、「飯田さんのようになりたい」と願わずにはいられなかった。

すぐ怒る人は怒りっぽいことを欠点と思ってるかもしれないけど、私にとってその性質は才能のように思える。

 

だから今日も私は飯田さんのことを羨ましく思っている。

私たち夫婦は、何度もこんなこぜりあいや話し合いをしてきている。

私の夫への不満のパターンは、小さいことで徐々に溜まっていき、だんだん不機嫌で無口な日が続き、そのことに気が付きつつ口火を切れない夫がだんだん無口になり、お互い無口な日が数日続き、私がそのことに嫌になり長文のメールを夫の仕事中に送り、帰ってから沈黙の夕食があって、食後夫が「メールのことだけど」と話し出してやっと私が最近の怒りを説明し、ひとしきり説明し終えると夫もそのことへの見解を述べて、「まぁこれからはこうしよう」的な話が出て仲直りする、というプロセスがある。

これが足掛け2週間くらいかかる。

つまり私は、2週間くらいかけて1つの爆発が終わるわけだけど「これがもし私が飯田さんなら1日で終わるんだな」と思うと、その時短を可能にしている飯田さんが羨ましくなる。

それに私は、1つの怒りを放出するのにこんなに時間を要する妻より、飯田さんのように短期決戦できる人の方が楽だろうに、と夫に対して申し訳なくなる。

でもその場で私は怒れない。

なぜだか分からないけど、その場で怒れない。

怒りをすぐ露わにする人に、私は「みっともない」と思う感情が少し働いているのかもしれない。

私はそのみっともない人に自分がなりたくない、という見栄が働いている気がする。

でも、怒りを露わにする人は、多分私よりノンストレスで生きていると思う。

40歳も近づき、残りの人生の時間をなるたけ笑って楽しく過ごしたい思いが高まりつつある私は、飯田さんのように短期決戦が出来てノンストレスで生きたいという思いがある。

「人は年を取ると丸くなる」と言うけど、もともと丸めの性格なので、私の場合は年を取ったら角ばっていく方向でもいいのかもしれない、と思う。

私は自分のすぐ怒れない性質を恨めしく思うと共に、とりあえずこの性格でもメリットはないか?と考え、今この文章を書いている。

すぐ怒れない性質のモトを取るためには、すぐ怒れない性質の人にしか共感できない文章を書いて、私と同じ性質の人に「わかるわかる!」と思ってもらうしかないからだ。

というわけで、今日はこんなことを書いてみた。

だいぶスッキリしたので、ブログって楽しいなぁと思った今日このごろなのでした。

おしまい。