限りなく透明に近いふつう

やさしい鬼です お菓子もあります お茶も沸かしてございます

「台無しじゃん」という話

初めましての方もそうでない方もこんにちは。

桜島ニニコと申します。
 
何者かと問われれば普通の主婦です。子供はおりません。
このブログは自己顕示欲を満たす為と達成感を味わう為にはじめました。
 
毎日主婦として生きているだけでもそれなりに思うことがあるわけです。
しかし当然ながら実生活の中で思い付いた事をすべて誰かに話して共感を得たりできるわけではありません。
 
そこで思ったことや考えたことをここにぶちまけて、すっきりしたり、さらにはそれを継続することで何かをやり続けている自負が欲しいのです。
 
もしお読みになる方がいたら大変ありがたく光栄なことですが、なにぶんただの戯れ言なので話半分くらいの気持ちで読むことをお勧めします。
 
 
今日は手始めに私が「台無しじゃん」と思った話を書きます。
 
私の住むのは、関東の一都市です。
特に栄えているわけでもなければ、芸能人が突然「泊めてくれ」と尋ねてくるような田舎でもない、本当にどこにでもある中途半端な市です。
 
私はここで生まれ、20代の後半まで過ごしました。
20代の後半に結婚を期に県外へ引っ越して数年過ごしましたが、たまたま一昨年夫の転勤でまたこの故郷の地へと戻ることとなりました。
 
まぁ自分についての背景は今日の話でそんなに重要ではないのでここまででにします。
 
話は私の住む市の駅前通りにある「歩道」についてです。
 
この駅前通りは、以前はもっと道幅が狭かったのですが、私が20代の後半に区画整理があり道幅が広がりました。
 
私は当時、駅の近くに職場があったので毎日そこを通りましたから、工事が始まると「ほう、道を新しくするのか」とだけ思いました。
 
そして、工事がある程度進んだ頃、駅前のデパートである催事が行なわれました。
 
その催事には、小学生の絵が20作品ほど飾られていました。
市内の小学生が描いたと思われる絵です。
 
そこにある絵はある程度選りすぐられた、力作揃いのようで、美術に興味のある私は時間潰しに端から順に眺めてました。
 
子供の描く絵というのは、子供にしか出せない良い味を醸し出すもので、有名な画家の作品とはまた違った魅力がじゅうぶんに感じられました。
 
一通り眺めた後、壁にはこの催事そのものの説明書きがありました。
そこには【この展示作品はタイル化され、平成⚫︎⚫︎年完成予定の駅前通り歩道に埋め込む予定です】というような事が書かれていました。
 
私は「ほう、なるほど。市はそういう粋な取り組みをするのだな。」と思い少し嬉しくなりました。
 
小学生の作品がこういう形で街の一部となって後世に残っていくのは素敵だな、ただの歩道が出来るより楽しいな、と思ったのです。
 
きっと市の偉い人もそう思っての計画だったことでしょう。
 
そして数カ月後、たしか季節は冬に差し掛かった頃、歩道は完成しました。
 
出来たての歩道を私が初めて歩いたのは、あいにくの雨の日でしたが、私は職場までの道を足早に歩きました。
 
ただでさえ新しい道路を歩くのはなんとなく嬉しい気持ちになるものです。
そこへきてタイル絵への期待もあって私は子供のようにワクワクしながら歩きました。
 
すると数メートル先に歩道の真ん中地面に埋め込まれた新品の四角いタイル部分がぴかぴかと光っています。
私の胸は高鳴りました。
 
タイルの真ん前に着くと私はその絵をまじまじと見ました。
 
第一印象は「思ったりよりデカい」でした。
 
タイルに印刷されると知ってはいたものの、正直どんな具合になるのか想像がつかなかったのですが、普通にタイルと聞いて私が想像するタイル一枚の大きさはだいたい手の平くらいのものです。
皆さんもそうでしょう。
 
でも実際目の前にあるそれは、30センチ角の正方形のタイルが9つ貼り合わさり一枚の絵となっていて、全体の大きさは約1メートル角の正方形なのです。
 
そして確かにタイルに印刷されていたのはあの展示会場で見た小学生の絵でした。
 
私は始めはタイルのデカさに少し驚いたものの、絵は見やすく、画面としてのタイルの役割は見応えのあるものでした。
 
ほう、本当にタイルに絵が印刷できるんだなぁ、今の技術は大したもんだなぁ、絵も可愛いし、これはいい歩道が出来たなぁ、と私は日本のタイル印刷技術への感銘もあいまって、とても嬉しくなりました。
 
私は早く次のタイル絵も見ようと思い、漫画ならば「ルン♪」という効果音が付く勢いでタイルを踏みました。
 
次の瞬間、視界が一瞬スローモーションになり、ゆっくりと空が見えました。
 
??
 
…ドンッ!
 
 
 
…気がつくと私は天を仰いで地面に寝転がっていました。
一瞬何か起こったのか分かりませんでしたがとりあえず自分の背面全部が物凄く痛い。
 
どうやら私は完全にひっくり返る形で転んだようです。
 
人はふつう大人になってから、ほとんど道で転びません。
 
稀に転ぶことがあったとしても、ほとんどは前のめりに転ぶ形になるもので、ひっくり返ってあおむけに転ぶケースなど、バナナの皮を踏んで転ぶ場合以外にありえません。
バナナの皮で転ぶ人など漫画以外で見た事無いので、これはもう現実世界において、レアケース中のレアケースな出来事なのです。
 
さて、野外で転んだことのある人は知っているかと思いますが、人は転ぶと「痛さ」よりも「恥ずかしさ」の方が先に来ます。
 
朝の出勤時間、まわりには数人のサラリーマンがいましたから私もカァーと顔が熱くなるのを感じつつ、「なんでもないですよー」という風に起き上がりました。
 
臀部と背部と両方の肘裏に激痛が走ります。
ううっ、痛いよう…
 
しかし私は持てる限りの社会性を発揮し、周りの誰にも心配されないために平静を装って足を上げ、歩道の端にすっ飛んでいた傘を拾いました。
 
身体中を痛みが支配しているのでアシモみたいにギクシャクはしていましたが、私が一応2Dから3Dの存在になったので、まわりの人々は「あ、おたく平気なのね」という感じの見て見ぬ振りという親切対応をしてくださいました。
 
私は呼吸を整えゆっくりと歩きつつ、段々と腹が立ってきました。
何にって?
「タイルのデカさ」にです。
 
よく考えたら30センチ角のタイルが雨で濡れたら、ツルッツルになるのは当たり前だろうが!
なんでこんなデカいんだ!
あぶねーだろい!
 
私は心の中で毒付きました。
早く職場に着いてこのことを誰かに話して慰めてもらわないと今日は仕事になんらん!と思い、出来る限りの早足で歩いていると、突然後方で「きゃ!!」という叫びがしました。
 
振り返るとそこにはまたしてもレアケースな出来事が!
 
そう!
若い娘さんが私と同様にあのタイルの上でひっくり返っていたのです。
 
うおーあの女子高生も転んだのか!と思ったその時、前方でも「おわっ!!」という野太い叫び声がしました。
 
見ると、数メートル先でもサラリーマン風のおじさんが受け身の体勢になっていました。
おじさんの足元には、私の転んだのとは別のタイルがぴかぴかと輝いています。
 
わずか数10メートルの間に、わずか数分の間に、3人もの人間が一生に一度あるかないかの転倒事故に見舞われたのです。
なんとなく「地獄絵図」という言葉が浮かびました。
 
女子高生は側にいた友達に起こされ、おじさんは1人でゆっくり立ち上がりブツブツ言いながら歩道の手すりに手をついてしばし休んでいたので私も見て見ぬ振りをしましたが、すれ違う時に「同志よ…」と心の中でだけ声をかけてあげました。
 
さて、この歩道タイルがその後どうなったかというと
やはり転倒事故が続出し、苦情が殺到したのでしょうか、一カ月後には滑り止めの透明なテープが貼られていました。
 
これで一件落着と思ったのも束の間、月日が経つごとに透明なテープは薄汚れていき、とうとう今ではご覧の有様となりました。
 

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私と女子高生が転んだタイル

 

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おじさんが転んだタイル
 
 
 
 
 
 
 
き…汚ねぇ。
 
この、絵の上を傍若無人に縦横断してるガムテみたいなのが滑り止めテープの成れの果てです。
 
これぞまさに「台無し」です。
辞書の【台無し】のところに例として載せたいくらい台無しです。
 
 
 
はっきり言って私はこの「歩道タイル絵計画」は、失敗だと思います。
市のお偉い方々は計画段階でなんで誰も気がつかなかったのでしょう「でっかいタイルが濡れたら滑る」ということに…。
 
世に市政の失敗は数あれど、このように「良かれと思って」の計画が失敗に終わると哀しいものがあります…。
 
しかしこの街に住む私達市民はこの汚ねぇタイルからひとつ学ぶことができます。
大の大人の、それも偉い人たちが頭を使って立てた計画でも、やってみないとこうした失敗に気がつかない」ということです。
 
私達はこの駅前の汚ねぇタイルを見るたびにこのことを思い出し「物事を決める際にはあらゆる場面を想定すること、己の考えを過信しないこと、プロの意見を聞くこと」など、数々の教訓を胸に各々今後の実生活に生かすことが大事なのです。
 
この件に関して1番可哀想なのはタイルの絵に採用された子供たちだと思いますが、彼らもこの教訓を胸に大人になることで、強くたくましい大人になることでしょう。
がんばれ小学生!
がんばれ⚫︎⚫︎市!
 
 
今日の私の話は以上です。
ではまた次のお話でお会いしましょう。