限りなく透明に近いふつう

やさしい鬼です お菓子もあります お茶も沸かしてございます

枕言葉の「ふつうに」にいちいち引っかかってしまう、面倒で愛すべき人たちへ

 今週のお題は「ふつうに良かった映画」だそうです。

いい映画、世の中にたくさんありますよね。
しかし、私は今日ここで「アルマゲドン」とか「ショーシャンクの空に」とかの良さをつらつら書くことが出来ません。
なぜなら私が理屈バカだからです。
いいですか、今日の私はいつにもまして面倒くさいですよ皆さん。覚悟してお読みくださいね。
 
私はいつもお題を書くときに他の方のお題のエントリーをいくつか読みます。
今回もそうしました。
そしてあることが気になりました。
 

それは世の中には「ふつうに良かった映画」と聞かれ、「良かった映画」を素直に答えられる人と、そうでない人がいるということです!

 
後者の方は皆さん本題に入る前に今回のお題に対してこう言及されていました。
 
「ふつうに」ってなんだよ?
 と。
 
そう、この「ふつうに」という言葉は「普通に」と言いつつ実は非常に引っかかりのある特殊な言葉なのです。
 
後者の方々にとっては今週のお題が「良かった映画」ではなく「ふつうに良かった映画」というところに、違和感のような、何か言及せずにいられない引っかかりを感じるようです。
 
「そんなの特に違わなくね?」とお思いの方も多いでしょう。
 
しかし世の中には会話においてこのような微妙なニュアンスの違いを無視出来ない面倒くさい人間もいるのです。
 私もその一人です。
 
なので今日は「ふつうに良かった映画」というお題でありながら、映画については他の方が沢山書かれていますので、私はあえて「ふつうに」の方に焦点を当てて書いていきたいと思います。
理屈バカのバカ理屈にお付き合い頂ける優しい方はどうかこの先もお読みください。
 
 
「ふつうに良かった映画」
 
私が子供の頃(20年くらい前)は、このように枕言葉として「普通に」をつける日本語表現はまだありませんでした。
 
しかしこの表現はここ数年で急に一般的になっています。
日常会話でも「普通に美味しい」「普通に可愛い」「普通に楽しかった」など、皆さんごく普通に使われていますよね。
 
若い人はもうそこになんの引っかかりも感じなくなってきているかもしれません。
 
しかし私のような「昔はこういう表現無かったよな…」という記憶を持つ世代であり、なおかつ少し理屈っほい性格になると、この「ふつうに」に引っかかりを感じます。
 
そしてこの引っかかりが、世の中の小さな争いの種になっているように感じます。
私は今回それを「普通に問題」と名付けました。
 
何言ってんの?と思わずに、まぁお聞き下さい。
 
「普通に問題」は今日もあなたのそばで起きているのです。
 
例えばどこにでもいるこんなカップルの会話。
 
彼女「ねぇ、今日のハンバーグ、私初めて作ったんだけどどうだった?」
 
彼氏「え、普通に美味しかったよ。」
 
彼女「……『普通に』って何?
 
彼氏「え?『普通に』は、普通にだよ。」
 
彼女「そんならただ『美味しかった』って言えばいいじゃない。『普通に』って付けたらバカにされてるみたいに聞こえるんだけど。
男「は?何怒ってんだよ、わけわかんねぇ!」
 
そして2人の間に険悪ムードが流れ、冷めてゆくハンバーグ…。
楽しいお家デートがもう台無し。
 
 
いかがでしょう?
これが「普通に問題」の現場です。
 
あなたは彼女に共感できますか?
それとも彼氏に共感しますか?
 
この彼氏と彼女は「普通に」という言葉をきっかけにスレ違い始めています。
 
こんな些細な喧嘩は、他人に言うほどのことでも無いのでよく見過ごされています。
しかし私は小さなことからコツコツと世の中を平和にしたいので、あえてこの「普通に問題」を取り上げたいのです!
 
すべての喧嘩はお互いの不理解から生じます。
皆様がこんなカップルの片割れにならないように、この2人の喧嘩はどうして起きてしまったのか?
私なりにではありますが解明したいと思います。
  
まず、彼氏の気持ちを紐解きます。
 
彼はどうやら「普通に」という言葉に引っかかりを感じない人のようです。
彼にとっての「普通に」は「なんか」とか「ていうか」と同等に、なんとなく頭についちゃうただの口癖みたいなものです。その為、彼は料理の感想を聞かれ「普通に美味しい」と言っています。
 
彼にとってこの台詞は、枕言葉に「普通に」がついても付かなくても大差無く、言葉の主旨はあくまで「美味しかった」なのです。
なので、彼女が「『普通に』って何よ?」と怒ってる意味が本当に分かりません。
怒り出した彼女に対し「せっかく美味しいと言ってるのに細かいことをいちいち気にしてうるさい奴だ。」と思っています。
 
 
次に彼女の怒りを紐解きます。
 
この彼女の怒りがまさに「普通に問題」の鍵なのですが、私や彼女のように「普通に」という枕言葉に引っかかりを覚える人にとって「普通に」は「ある特殊なニュアンス」を持ちます。
 
それは
「普通に」=「悪くは無いけど、思ったほど良くは無い」もしくは「悪いと思ってたけどそこまで悪くはない」というニュアンスです。
 
どういうことかと言いますと、これから両者がそのニュアンス理解した上で意識して「普通に」を用いた場合の会話をお見せします。
 
 
A「明日の合コン、元ミス日本の子が来るんだ、超楽しみだよ。」
B「へぇーそれは楽しみだね」
後日
B「元ミス日本の子どうだった?」
A「ああ、普通に可愛かったよ。」
 
 
はい来ました、「普通に」!
いかがでしょう?この「普通に」のニュアンス伝わりますか?
 
分かる人にはこの場合、「A氏にとって元ミス日本の可愛いさへの期待値が10だったのに対し実際は8か9くらいの可愛さだったんだな」ということがなんとなく伝わると思います。
 
なぜなら、A氏にとって元ミス日本が本当に期待値通りの10、もしくはそれを上回る12や13の可愛さだった場合は、ストレートかつシンプルに「可愛いかったよ」とだけ言う方が、B氏が言葉通りに受け止め「ああ予想通りの可愛さだったのだな」と伝わるからです。
 
そこをあえてA氏が「普通に可愛かった」と言うのは「4や5では無かったものの、8止まりだった。」ということを表現しているのです。
 
 
このように会話する両者間がそのニュアンスを共通して分かっている場合「普通に」は便利な言葉です。
この場合で言えば「普通に」を付けるだけで「たしかに可愛かったけど、あくまで想像を超えることは無い普通の可愛いさだった」ということが「普通に」だけで伝わるわけですから。
 
これが逆に「明日の合コンすごいブスが来るって聞いたんだよ」だとして、思ったよりブスじゃなかった無かった場合もA氏は同様に「普通に可愛かったよ」と使えます。
この場合は先ほどとは逆に「期待値2くらいだったけど実際は5くらいだったから思ったより普通だった」という意味の「普通に可愛い」になるのですが、これもよく考えると非常に上から目線の評価であり、話題にされる方にしてみれば「最初に相当低く見積もられている」ので、そこに失礼さはあります。
 
 
「普通に」という枕言葉が現在一般的に広く使われるようになった理由には、このように微妙に「悪意のある失礼なニュアンス」を言葉少なに伝えるのに便利な言葉だったからだと私は思います。
 
しかし便利であると同時に枕言葉の「普通に」は「悪意のある失礼なニュアンス」がつきまとう、殺傷性を持つ言葉であると言えます。
 
なのでそれを意識せず、ただの口癖のように使う人は、知らず知らずのうちにその殺傷性のある言葉を人に投げつけていることになります。
 
そうして先程のハンバーグカップルの彼氏のように、訳の分からないうちに喧嘩になってしまうのです。
 
 
 ハンバーグ彼氏に悪意はありません。
彼にとっての「普通に」は、ただの無意味な口癖ですから。
彼は味に対し本当に10の評価で「美味しかった」と言ってるつもりなのです。
 
 
しかし彼女にしてみれば「普通に」が付いてるので「美味しかったけど想像以上ではない」もしくは「マズいかと思ったけど、そうでもなかった」と聞こえてしまい、バカにされてると感じてしまったのです。
 
 
これが世にはびこる「普通に問題」のカラクリなのです。
 
怖いですね〜恐ろしいですね〜。
 
しかし、一度このカラクリが分かってしまったあなたにとって「普通に問題」はもう怖くはありません。
 
あなたがもしハンバーグ彼氏のように「普通に」に意味を感じない人だった場合、素直に相手を褒めたい場合は「普通に」を枕言葉に付けなければいいだけですし、それが無理なら「自分にとっての『普通に』はただの口癖だから、深い意味は無い、気にしないで欲しい」とあらかじめ宣言しておけばいいのです。
 
 
あなたがもしハンバーグ彼女のように「普通に」を意味深に捉える人だった場合は、世の中には「普通に」を無意味に口癖のように使う人もいるということを踏まえておき、もし言われてカチンとした場合には、先程の「普通に」のカラクリを説明して、「これこれこういう理由で私は怒ってる」というのをきちんと伝えればいいのです。
 
そうすることで、互いの無理解から生まれる「普通に問題」は減るでしょう。
 
まぁ、大抵の場合こういう面倒くさい理屈が通じる人と単純思考の人はなかなか分かり合えないことが多いので男女なら付き合わないほうが双方幸せなのですが…。
それでも話せば分かる人も中にはいるので、自分が理屈タイプの人は、自分の気持ちを説明出来るようにしておくといいと思います。
 
いかがだったでしょうか。
このように、世の中には言葉を尽くせば分かり合える事態というのがたくさんあります。
私たち人間は言葉を操りコミュニケーションをとる生き物です。
言葉に操られ、大事な人を理解出来ないまま喧嘩を繰り返すのは馬鹿らしいことです。
「普通に問題」のように言葉ひとつが喧嘩のタネにならない為に、今回皆様のお役に立てれば幸いです。
 
 
ちなみに私のように「ふつうに」に引っかかる人にとって「ふつうに良かった映画」は「すごく良かった映画」ではありません。
 
「すごく良かった映画」は心を揺さぶられるほどの名作を指します。
「すごく良かった映画」は、感動を1日で消化出来ないことが多く、時には人生感を左右したりするレベルのもので、ウッカリ観てしまうと日常生活に支障を来たすので、お正月休みの前などでないと「すごく良かった映画」をオススメされても観れません。
なので普段の休日に「すごく良かった映画」は不向きだと言えます。
そういう時に「普通に良かった映画」は適していますね。
 
というわけでそういう意味での私の「ふつうに良かった映画」は「ショーシャンクの空に」です。
 

ショーシャンクの空に [DVD]

 

スカッとしていい映画ですよ。

ではまた。