限りなく透明に近いふつう

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いわゆるひとつのほっこり的な話

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「レストランの思い出なんかあったかなー」と記憶をひっくり返してたらひとつだけ思い出しました。

数年前、山口県のとある山の中を車で走っていた時に立ち寄ったうどん屋での話です。

その店は「思い出のレストラン」の「レストラン」という名称にはふさわしくないかもしれません。
つまり、控えめに言えば「庶民的なお店」なのですが、ストレートに言えば「こきたない食堂」でした。
でも食べ物屋でのエピソードなので今回書きます。

関東に住む私達夫婦が山口県にあるそのお店に立ち寄ったのは、関東から夫の実家のある佐賀県に車で帰省している途中だったからです。
私達はその前日に広島で観光をしたのち、下関から高速に乗るため下道で山口県を通過しているところでした。

お昼ご飯を食べるタイミングを逃していて、食べ物屋を探していたのですがなかなか見つからず、やっと見つけた食べ物屋がその一軒のうどん屋さんでした。
時刻は夕方の4時頃だったと思います。

だだっ広い砂利の駐車場にはトラックが1台と軽自動車が1台停まっていました。
駐車場にそれらの車が無ければ私達も「廃業してるんだ」と思って通りすぎてしまうような、本当にボロっちいほったて小屋のようなお店でした。

冬の陽暮れの寂しい山中、車を停めてからも私達は「やってんのかな〜?」と半信半疑のままペコペコのお腹を抱え、その店のわずかな灯りを頼りに店内に向かいました。

店の入り口は建て付けの悪いスチール製の引き戸でした。
私がガタガタやってると、見かねた夫が「どれ」と言いながら力を入れてガラリと戸を開けました。

暖かな湯気と「いらっしゃ〜い」というおばちゃんのゆるーい掛け声が私達を出迎えました。

私達はとりあえずお店がやっている様子なので顔を見合わせホッとしました。

店内を見回すと、コンクリート打ちっ放しの床と煤けた壁のいかにも昭和風な「ザ・食堂」という感じです。
「いらっしゃ〜い」を言ったおばちゃんは声はすれども姿は見えず、恐らく厨房の雑多な物に埋もれて作業しているのだと思いました。

店は狭く、畳張りの小上がりのテーブル席が2つとカウンターが5席ほどで、お客は2組いました。

カウンターでスポーツ新聞片手に1人で座っているのは、恐らく表のトラックの運転手であろう1人の初老の爺さん。
そして畳の上のテーブル席には、赤ん坊を傍に寝かせてうどんをすする30代前半くらいの母親でした。

私達はとりあえず入り口横に置いてある古い券売機でメニューを選びました。

メニューはうどんが数種類とカツ丼とカレー等があって、私達はうどんの券を2枚買ってカウンターに差し出しました。

カウンターの中からはずいぶん小柄なおばあちゃんがにゅっと顔を出して「うどん2つやね、そこの席にどんぞ」と言ってまた奥に引っ込みました。
どうやらこの店はこのおばあちゃん1人で切り盛りしている様子です。

私達は言われた通り、畳の席に上がり、うどんを待っていました。

待っている間に店内を観察していると、隣の席にいたお母さんは傍に寝かせている赤ん坊が起きないかと気にしながら、だいぶ急ぎ気味にうどんを食べていました。

1度、赤ん坊が「ふにゃにゃ」と軽い泣き声を上げそうになった時、お母さんは赤ん坊をさすりながら私の方を見て3回も頭を下げました。
お母さんの口はうどんで塞がっていましたが、その顔でしきりに「すいません」と言っているようでした。

私はそんなお母さんの恐縮した様子に少し心が痛みました。
赤ん坊が泣いたとて、私は気にしない方ですが、世の中にはうるさい人もいます。
きっとそのお母さんは過去にも赤ん坊連れで飲食店に入ることで、なにか悲しい思いをしたことがあるのでしょう。
思わずそんな想像をしてしまう、少し疲れた様子のお母さんでした。

私はお母さんを応援する気持ちで、精いっぱいの笑顔で会釈をして赤ん坊を見ていました。

しばらくしておばあちゃんがうどんを2つ運んできました。

すると、畳の上でおばあちゃんの足が当たってしまったのか赤ん坊がまた「ふにゃふにゃ」と声を上げて今度は本格的に「びえー」と泣き声をあげました。

ありゃりゃ。
その時、かすかにカウンターの爺さんから「チッ」という舌打ちが聞こえた気がしました。

おばあちゃんはすぐに振り返り「ありゃりゃりゃ、ごめんねぇ」と赤ん坊とお母さんに謝りました。
するとお母さんもすかさず「あっ、すいません、すいません!」と、頭を何度も下げました。

そして、お母さんは頭をペコペコと下げながら、今うどんを食べ終えたばかりなのに、すぐに立ち上がるとカバンを持ち、赤ん坊を抱っこしてそそくさと帰る準備をはじめました。
このまま泣かせていると迷惑だと思ったのかもしれません。

私と夫は思わず「大丈夫ですよ」と言ったのですが、お母さんはチラっとカウンターの方を見て「あっ、いえ、ちょうどもう出るつもりだったので、大丈夫ですありがとうございます!」と、靴のカカトを踏んだまま急いで出口に向かいました。

その瞬間私はピンときました。
あっ、このお母さんは私達じゃなくてカウンターの爺さんに遠慮してるんだ。
確かにさっきも舌打ちが聞こえたし、うるさそうなじじいだ…。

私はカウンターの爺さんを少し苦々しく思いました。

そしてお母さんは出入り口の戸を開けようと手をかけました。
しかし、店の建て付けが悪いので片手に赤ん坊を抱えたままでは開きませんでした。

ガタガタと戸を開けようと焦るお母さん。
びえーびえーと泣く赤ん坊。
カウンターから2度目の「チッ」という舌打ち。


ああっ、もう見てられない!
私はいてもたってもいられなくなり、裸足で出口にダッシュして、両手で思い切り戸を開けました。

ガラリと戸が開くと、お母さんは
「ああっ、すいません、ありがとうございます!」
と顔をほころばせ、何度も私に頭を下げながらお店を出ていきました。


私が戸を閉めて、テーブルに戻ると、夫が「ごめん、俺が行けば良かったね」としょんぼりしていました。
夫は優しい性格ですが、こういう時の瞬発力は私の方があるので、いつもそれを反省します。

私は夫には腹が立ちませんが、にっくきはカウンターのじじいです。

でも私は気を取り直して、うどんを食べようと思いました。

ホカホカのうどんはかき揚げとワカメが載っていてとても美味しそうでした。
しかし思ったよりサイズが小ぶりだなぁ、と思っていると夫が案の定
「もしかしたら足りないかも…」と言いました。

ふむ、確かに…と思って私がふとカウンターを見るとそこには玉子がどっさり乗ったザルが置いてありました。
脇には「ゆでたまご50円」と書いてある貯金箱のようなアルミ製の箱が置いてありました。

なるほど、この店はおばちゃんの手が回らなさそうなので、ゆでたまごはセルフサービスのようでした。

夫にゆでたまごを買うか聞くと、夫は「おっ、いいね!」と喜んだので私は財布を持ってカウンターに行きました。

すると、ちょうど私が立ち上がると同時にカウンターの爺さんも立ち上がり「ごっそさん」と言いました。
厨房からおばちゃんの「あ〜い〜ありがと〜」の声だけがして相変わらず姿は見えません。
ともかく爺さんは帰るようです。

私はにっくき爺さんを見ないように玉子の貯金箱にお金を入れようとしました。

すると、その時です。
後ろからぬっと手が伸ばされ、100円玉が貯金箱に入れられました。

はっ?


何がなんだか分からず私が後ろを振り返ると、爺さんが満面の笑みで立っています。

意味が分からず私はつい口に出して「えっ?」と言ってしまうと、爺さんは言いました。

「おねぇちゃんよぉ、さっきママさんの扉開けてやったろう?
ワシなぁ、あれ気持ち良かったんよぉ。こりゃあ、その気持ちにさせてくれたお礼だよ。」

そして、本来なら「歯を見せて笑った」と書きたいところですが、爺さんの口の中はほとんど歯が無く、黒い口の中を見せてニカ〜っと笑いました。

「あ…ありがとうございます。」
私が驚きで言葉に詰まるもなんとかお礼を言うと爺さんは
「いいよ、いいよ、チッ」と言いました。

はっ!
その時私は分かりました。
「チッ」は舌打ちの音ではなく、歯がない爺さんが口を動かした時に発するただの音だったのです。

この爺さんいい人だったんじゃん…。

私は「にっくきじじい」と思った事を心の中で反省しました。
すいませんでした爺さん。
爺さんはそのまま慣れた手つきで戸をガラリと開けると店を出ていきました。

私がゆでたまごを手に夫を振り返ると夫も口からうどんを垂らしたまま爺さんを見つめていました。

私達は小声で「いい爺さんだったんだね…」「だね」と言った後
改めて「爺さん玉子いただきます」と言ってからうどんを食べました。

少し冷めていてのびかけてもいましたが、そのうどんはとても美味しく感じました。


これが、私の「思い出のレストランエピソード」です。

よく知らない道でしたし、店の名前も覚えてないので今もその店がやってるのか分からないですが、わりと心に残っているうどん屋の思い出です。

大した話じゃありませんが、あのお母さんや、全国の飲食店で肩身の狭い思いをしている子供連れの方がこれを読んで、少しは心休まる思いがすればいいなと思います。

ではまた。

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