限りなく透明に近いふつう

やさしい鬼です お菓子もあります お茶も沸かしてございます

男女の観えている世界は違うのかもしれない

 

バイト中の出来事
 
私は先日バイト中に「ある嫌な出来事」がありました。
 
私はその出来事のことをバイトが終わってからも1人で心の中で消化しきれず、何時間かモヤモヤしていて思わずTwitterに書きなぐりました。
そのツイートを載せます。
 
 
 
 
 
 
と、まぁこんな感じです。
 
男性は40代中盤くらいの茶髪で、常日頃から筋トレをしてそうな感じの、まぁいかにも「俺様!」という感じの方でした。
女性は彼女か奥さんか友達かは分かりませんが特に派手な印象は無いごく普通の方でした。
 
男性は私にこの「もし違ったらおねえさんのことぶん殴っちゃうけど、いい?」というのを3回ほど冗談めかして言いました。
 
その表情は、口は笑っているけど目は笑っていなくて、例えるならば「中学生くらいの不良めな男子グループの一員」が、いじめられっ子の至近距離で「あ〜誰か殴りてぇな〜」と言ってる時みたいな表情です。
 
男性が私にそう言っている間、女性はその発言についてさほど気に留めていない様子で、なんとなく少し「やれやれ」といった表情をしていたように見えなくもなかったですが、男性に「やめなよ」とか注意をするでもなく、私に「ごめんなさいね」とフォローするでもなく、女性は淡々と支払いをしてコーヒーを注いでいました。
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ツイートへの反応
 
私は普段Twitterを心のオアシスと呼び、愚痴を吐くために使うことが多いです。
 
なので、このツイートをした時は、単純に気の合う女友達相手に「ねーねー今日こんなことがあったよ、頭来ちゃうよね!」と愚痴るような気持ちで書きました。
しかし思いのほかこのツイートはRT(拡散)されていき、その数の多さに驚きました。
 
リプライでも「大変でしたね、そういう人っていますよね、私も同じ経験あります。」というような声を多く頂き、こうした優しい言葉は、傷付いた心の私にとって大変癒しになり、とてもありがたかったです。
 
ですが、私は普段TwitterでRTされる事はそんなに多くないですし、やりとりも数人としかしていないので、このツイートが沢山RTされた事と、たくさんの方のリプライがあったことに正直驚きました。
 それで私は「どんな方が、どんな思いでこれをRTしてくれてるんだろう?」と疑問に思ったので、拡散してくれている方のページをいくつか見てみました。
 
すると、どうも多くの方は普段から「日常に感じる男性との不平等さ」について不満の声を呟いていることが多く、つまり普段からジェンダー問題」に関心の高い女性の方でした。
 
そこで、私はさらに新たな疑問が浮かびました。
「なぜこのツイートはこんなに沢山のジェンダー問題に関心の高い女性の方々の琴線に触れたんだろう?」ということです。
そこで私は改めて自分のツイートの要点を整理してみました。
このツイートで私が言いたかったことを要約すると以下の3点です。
 
①嫌な男性客がふりかざした発言に私は傷付き悲しかった。
 
②そんな男性客の暴力主義的な価値観を私はダサいと思う。
 
③この男性客から受けた悲しさは、過去にも私が体験してきた痴漢や男性からの「見下し発言、見下し行為」を受けた時と同種の悲しさであると思う。
 
それで改めてリプライを分析してみると、頂いた慰めや励ましの声は、要点②の「暴力主義的な価値観がダサい」という事への賛同の声がほとんどでした。
 
なるほど確かに「オラオラな感じの人」から被害を受ける人というのは男女問わず世の中に沢山いると思うので、RTの一部はそういう方の同意だったと思うのです。
 
でもツイートがそれだけの内容ならただの「嫌なヤツ遭遇体験談」なので男女の性別に関わらない事ですから、どうしてジェンダー問題に意識の高い女性達が中心となってRTしてくれたのかの理由にはなりません。
 
なので、ここはこのツイートの要点が③で終わっているところが理由なのだなと思いました。(①はただの状況説明なので)
 
TwitterのRTは必ずしも「同意」でないことは分かっています。
ですが、今回のジェンダー意識の高い女性達によるRTは「その方達にとってこの要点③が拡散の必要な意見とみなされた」ということのような気が、私はしました。
ですから、私はこの要点③がジェンダー問題に触れる発言だったのだなと後から自覚したのです。
 
「え、初めから自覚して書いたんじゃないの?」と思われるかもしれませんが、書いた時の私はまだショックの後残りの中で、モヤモヤと思っていた通りのことを書いただけで、正直そこまでの頭は回ってませんでした。
 
ですが、私は数ヶ月前くらいからジェンダー問題に関して心の中では意識し始めていたので、そういう意識がまるっきり無いわけではなかったのかなと今は思います。
 
ジェンダー問題…。
 
思えば私はここ数年なんとなくこの問題について深く考えたり、明確に言及するのを避けてきました。
でも少しずつ関心は増していたところなので今回はこれを機に私なりにジェンダー問題について考えたいと思います。
 
世の中には既にこの問題に対して考えの深い方々がいますので、そういう方から見たら稚拙で幼稚な内容になるかもしれませんが、お許しください。
 
もし「ジェンダー問題について、なんとなく気にはなっていたけど、難しいことは分からなさそう…」という方がいましたら、良かったら読みながら一緒に考える機会になれば幸いです。
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ジェンダー問題とは
 
さて、皆様も感じているかもしれませんが、ジェンダーフリートランスジェンダージェンダー論争などなど…
近年ネットやテレビを見ているとこの「ジェンダー」という言葉を見かける機会はとても増えました。
 でも実は恥ずかしながら、私は最近まで「ジェンダー」と聞いても「なにか性別のことに関する言葉なんだな」くらいの認識しかありませんでした。
なので、辞書を引きました。
 
辞書には
「性別に基づいて社会的に要求される役割などの社会的性差をさす言葉として用いられる。」
と書いてありました。
 
つまり、ジェンダーの意味がこれだと、ジェンダー問題とは「男女それぞれが、性別を理由に社会的に不利な立場を押し付けられている問題」ということだと思います。
 
でもいきなり「性別を理由に社会的に不利な立場」と言われても具体的にピンとこない方もいるかと思います。
 なのでまずは「社会的に女性が不利な立場」の例え話としては適切かは分かりませんが、私の昔話を書きます。
 
私が子供の頃、母が私と兄に「赤と緑」など、色違いのお菓子や文具を与えてくれることがありました。
私は緑色が好きなので、そういう時は緑が欲しいと言いましたが同時に兄も緑を欲しがって、いつも取り合いになっていました。
 
私の母は幸い「緑は男の子用、赤が女の子用でしょ」というようなことを言う人ではなく、いつも「2人で話し合って決めろ」と言われました。
「話し合って決めろ」ということは、「お互いに緑への思いの強さをプレゼンし、話しあって決める」ということのはずです。
 
しかし私の兄は理屈抜きに「お前は女だから赤に決まっているだろう」と言いました。
そうなると、いつも兄と私は武力行使の喧嘩になるしか無かったのですが、当然力で兄に敵うわけはなく、私はいつも我慢を強いられました。
そのうちに、だんだんと私は兄に殴られるのは嫌だから自ら赤を取るようになりました。
 それは「どうせ力で勝てる見込みが無いのなら、初めから自分は赤が欲しかったと思い込む。」という諦めからの行為でした。
 
こういう経験は子供時代なら誰しもあることだと思いますが、私は「性別を理由に社会的に不利な立場を押し付けられる」というのは、この子供時代の喧嘩を延長拡大したものような気がしています。
 
「緑のお菓子」だととても社会的とは言えませんが、兄の「お前は女だから赤に決まってる」という考えは「性別を理由に役割を要求する」ことだと思いますし、この「緑のお菓子」は様々な場面で男女の利害が一致しない時に争点となるものの象徴だと思います。
 
つまり、「結婚後も仕事をしたい女性」と「結婚後は妻に家庭に入って欲しい男性」が結婚することになったら、「緑のお菓子=妻の仕事をどうするか?」ということになります。
夫は妻に「俺がやるから君のは手放して欲しい。」と言い、妻は反対に「私は手放したくない。」と言ったとして、意見が折り合わなくてもこの2人は大人なので、取っ組み合いの喧嘩しないでしょう。
でも「暴力」の代わりに何が喧嘩に加勢するかと言うとそれは「社会の常識」です。
 
この「社会の常識」は一見私の母のように「話し合って決めろ」という中立な意見で2人の前に現れます。
でも実は社会の常識とは「人々の既成概念の塊」でもあると私は思います。
 
ですから「私は仕事を続手放すべきか?」ということを悩んだ妻が、周りの人に意見を求めてそこで、周りの人々が揃って「男性は外で働き家族を養うものだから、あなたは家庭に入って旦那さんを支えればいい」という既成概念を持ち合わせていたらどうなるでしょうか?
 
おそらく妻は、よほど意思が強い人でない限り、仕事を手放さざるを得ない状況になるでしょう。
 もちろん昔よりはだいぶ「男性は仕事、女性は家庭」の考え方も崩れてきているので、世間の人々の意見も様々で、社会の常識は少しは中立になってきていますが、それでも昔風のその考え方を持っている人の方が割合的にはまだ多い気が私はします。
なので、肝心の夫が「社会の常識」を味方に付けて意見した場合、最終的には「妻が仕事を諦める」という選択になってしまうことは現在でもよくあります。
 
このような形で妻が「社会の常識に当てはまる生き方」を強いられることが「性別を理由に社会的に不利な立場を押し付けられる」の一例です。
 
ジェンダー問題とは、このような家庭のこと以外でも生活の中の様々な場面で「女だから(男だから)◯◯するのが当たり前」という立場を押し付けられた人が「それってなんかおかしくない?」と声を上げることなのです。
それに対し周囲が「じゃあどういう社会になればおかしくなくなるのか?それはみんなで考えましょう。」というのが、ジェンダー問題解決への取り組みなのだと思います。
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解決への道は
 
ちなみにこの夫婦の場合ですと、もし人々の既成概念がもっと中立的なもので、誰に聞いても「男性と女性とでどちらが家庭に入るべきか決まりは無いから、それは自分達夫婦で決めればいいんじゃない?」と返ってきたら、妻と夫の力関係は対等であり、本当に夫婦2人で話し合って決められるはずだと思います。
 
でも、そこまで誰しも中立的な社会はまだ遠いです。
何しろ時代が変われど女性が「出産するほうの性別」だという事実は変わらないので、自然と「女性の本業は家庭」という見方になってしまう人が多いからです。
ですが、これもいつか完全に「女性が働きながら出産も出来る」という社会の仕組みさえ整ったら「出産するほうの性別」という事は抜きにして話し合えるので、だいぶ中立になるんじゃないかと私は思います。
今しきりに政府は「働く女性を応援」とスローガンを掲げていますが、口だけでなくきちんと実行されれば、そういう社会を目指すということへの取り組みだと言えます。
 
しかし、今書いた例は悲しいことにジェンダー問題の中のほんの一握りの一例です。
 
世の中には、家庭のこと以外でも何かと「男性と女性の間でトラブルがある時は女性が我慢をするもの」という「男尊女卑な概念」が頭にある人が多いからです。
はっきりとその概念に自覚がある人も居れば、自覚すらなくても行動がそれに当てはまる人も大勢います。
そういう人と、そうで無い人が社会で関わると、しばしば「男性に比べて女性が不利な立場を強いられる出来事」が起こります。
 
私のツイートをRTして下さった女性達が普段からTwitterで発言されているのは、こうした出来事の一つ一つへの「なんかおかしくない?」という問題提起なのです。
 
もしこれを読んで初めてジェンダー問題について知り「そういうことだったのか!」と思った方がいたら今後の生活の中で「性別による不平等」を感じることがあったら身近な人とそのことについて話して欲しいと思います。
 
こういう論争はすでにTwitterやネット上でされているのは見かけるのですが、どうも文字だけの論争はやはり「男女の恨みのぶつけ合い」みたいになってしまって、溝が埋まっていないように思えるので、現実に触れ合う男女で意見を交わすことが「男尊女卑意識の撲滅」には必要な気がします。
 
もちろん今の世の中は昔に比べて女性を優遇する流れも多少あるので、男性の方が女性に対して不満を持つこともあると思います。その場合は男性も同じように言っていいと思います。
 
大事なのは、個々の男女間で「常に性別による不満の解消に勤める姿勢」を持つことと、不満の解消は「どちらかを不利益にして利益を生み出すもの」ではなく「双方の利益を生み出す」という風に捉えることだと思います。
 
人々は幼い頃から「男性・女性」と分けて教育されてきたせいで、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの精神で、1人の異性に嫌な思いをさせられたら、つい属性ごと憎んでしまう癖がついてることがあります。
だからジェンダー問題について男女で話し合うと、ついどうしても異性への恨み節になりがちです。
しかし憎むべきなのは目の前にいる異性ではなく「旧時代の男尊女卑思想を持つち続けること」なんだと、男女共に念頭に置くことが必要なんじゃないかと思います。
 
 ちなみに私の兄、少し大人になってから私が昔のことを聞いた時に、驚くべきことを言っていました。
兄はサラっと「お前は赤が好きなんだと思ってた。」と言ったのです。
 
つまり兄の中では喧嘩していた頃の記憶は無く、赤を仕方なく取っていた私の諦めも知らず、兄から見たら単純に「私は赤が好きだから赤を取っていた」という事になっていたのです。
兄は私に我慢を強いていた存在なので、私が大人になって「あれは叩かれるのが嫌で我慢して赤を取ってたんだよ。」と言うまでそのことに気が付かなかったようです。
 
私はこのように「無自覚ながら女性に我慢をさせている」という男性が世の中にまだ沢山いると思います。
 もちろん全ての男性がそうではないのが救いですが、やはりそういう男性が潜んでいる社会のままだと、多くの女性にとってはまだ生きづらい世の中です。
 ですから、その兄の発言を聞いた時に私は、やはり我慢している方の「我慢」は口に出して伝えないと平等は生まれないのだなと思いました。
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 ツイートでいいたかったこと
さて、ここからはまた少し冒頭のツイートについて書きます。
 
ツイートで私は「私がもし男だったら、こういうの気軽に言われないのかもしれない、と思ったら悲しくなった。」と書いたのですが、それに対し、ある方(多分男性)から「『男だったら言われなかったかもしれない』 っていう言葉に傷つく男性もいます。」というリプライを頂きました。
 
私ははじめ、この方の言いたいことの真意が読み取れませんでした。
 
「自分も男だけどそういう目に遭うことはあるから、その出来事を性別のせいにされたら他の男性が傷付くよ」という意味なのか、はたまた「女性だって男性から『女だったらこういう目に遭わないから女はいいよなぁ』と言われたら女は苦労が無いと言われているみたいで傷付くでしょ。」という意味なのか…短い文章ではその解釈に色々な可能性が考えられたからです。
でもそのどちらだとしても、確かにその通りだと思いました。
なので私はその方には個別にお返事をして、良識のある方だったので特にモメるということは無く終わりました。
 
その方へのお返事の文章の中で私は「『男だったら』というのは、『少なくとも今より、ナメられる機会が少ない見た目』という意味で書きました。(中略)なにぶん今の性の姿でしか生きた事しかないので『男ならどうなんだろうなぁ?』と思った純粋な疑問をそのまま書いてしまいました。」
と書いたのですが、これは本当に私の素直な気持ちです。
 
つまりツイートでは「男性・女性」という書き方をしていたので「性別」の内面を含めた話になって、私の真意が分かりにくくなったのですが、私が言いたかったのは単純に「強そうな見た目の生き物」と「弱そうな見た目の生き物」の話なんです。
 
確かに「性別」で話をしてしまうと「オラオラな感じの人」から絡まれる体験というのは男女関係なくどちらでもありえることだからそれは男女で「どっちが良かった」ということは無いと思います。
 
ですが性別の内面的なことを抜きにして男女の「身体の造り」ということだけに焦点を絞ると、どうなるでしょうか。
 日本人の平均身長は男性約170cm、女性約158cm。「身体の大きな生き物の持つ力は強い」という自然界の掟で言えば、明らかに女性より男性が勝ります。
 
もちろん身長だけでなく、腕力や皮膚の硬さ、声の太さ…あらゆる面で男性の身体というのは「力では敵わない相手」ということを常に女性に認識させているものです。
だから平時にはそれを意識していなくても、男性が怒ったり酔っ払っていたり「あ、今この男、社会的な意識ぶっ飛んでる…?」と感じた瞬間、女は一瞬本気で身の危険を感じます。
 
ちなみに私は30数年間「身長150㎝の細身幸薄顔の女体持ち」としてこの世に存在しているので私の視点から観るこの世は「私より大きくて強そうな人間が半数以上存在している世界」です。
でも、身体の大きな男性の視点から観たこの世は「自分より弱そうな人間が半数以上の世界」になります。
 
そんな視点で常日頃生きていたら「弱そうな人間の感じる恐怖感」を実感する機会なんてほとんど無いかもしれません。
 
シンプルに言うと、小柄な女性と大柄な男性が喧嘩になって、思わずカッとなったどちらかが拳を振り上げる仕草をした場合。
その瞬間に「女性に拳を振り上げられた男性」と「男性に拳を振り上げられた女性」が感じる恐怖感の強さは、かなり違います。
男性に女性のパンチが当たっても「イテッ」で済むものが、女性に男性のパンチが当たったら頬骨骨折とかしますから。
ダメージが大きい方が、恐怖を強く感じるのは当たり前なのです。
 
でも、女性も外に出ないわけにはいかないから男性と同じ世界に出ているわけですが、心の中ではいつも少し怖いと思いながら日常生活を送ってます。
 だから男性と女性って、同じ世界に生きながら実は「見え方が違う世界」で生きていると思うんですよね。
 
よく女性専用車両の話題の時に「痴漢なんてほんの一握りの人間しかやらないのだから、女は必要以上に怯えてる。被害者意識が強いんじゃないか。」的な意見の男性がいると、女性は怒り、男性の一部は賛同し、意見が男女で真っ二つのバチバチの論争になってるのを見かけるのですが、これも「見えてる世界が違う」から起こる対立なんじゃないかと思います。
 そういう男性も、根っから悪人で意地悪くそういう発言をしてるのではなくて、単に「こっち側の視点」を知らないからそう言うのかな、と私は思います。
 
つまり「いざとなったら力が勝る方の生き物」「いざとなったら致命傷を負わされる生き物の持つ恐怖感」は実感できないので、それがどれだけのものか想像が付かないんだと思います。
 だから女性専用車両や、夜道を歩く時に小走りになるなど「女性が恐怖感をなるべく感じずに済む方法」をとろうとすると、男性は単純に「女は被害妄想強い。」とみなすんだと思います。
 
もちろん男性の中にはちゃんとそういうことに既に気がついていて、きちんと配慮をして下さる方も存在しますが、時折まったく配慮の無い男性に会ったり、カフェラテ男のように逆にそのことを逆手に取って強さをひけらかす男性に会ったり、痴漢されたり、ハナから馬鹿にした言動をされたりという、嫌な思いをするわけです。
 
その度に私は毎度「あぁ、私は今こいつに『弱そうだから下に観ていい人間認定』されて、こういう目に遭ったんだ…」とガッカリするし、思わず「もっと強そうな見た目の人間として私が存在していたら、この被害は無かったのかな」と、つい思ってしまうんです。
それは鍵のかけ忘れで泥棒に入られた時に「ああ、鍵をちゃんと確認してれば良かったなぁ」と後悔するような感覚で、トラブル後に「どうしてたら、こうならなかったのかな」と考えてしまう人間の癖だと思うのですが、そういう感じなのです。
 
でも鍵のかけ忘れとは違い、男性から被害を受けた時の後悔というのは、私の根本である「女性としての見た目で生きている」ことを後悔させられ、これはもう「自分とその人生そのもの」を否定するような後悔なので、ものすごく心に傷が付くんです。
 
私がツイートの要点③で伝えたかったのはこういう気持ちです。
こういうのって、上手く言葉に出来ずになんとなくモヤっとした不快感を感じている女性は多いんじゃないかなと思います。
私もツイートだけでは上手く伝え切れないので、今回これを書いてます。
 
人によっては「細かいことをうるさく言う被害妄想女だなぁ」と思われるかもしれませんが、でも、伝えなければ「無かったこと」になってしまって、それは悲しいし、伝えれば分かって下さる人が新たに生まれる可能性があるから私は書いてます。
少しでもこれを読んで「まぁ、言いたいことは分かる」と理解して下さる男性がいて、今後女性に悲しい思いをさせない男性と悲しい思いをしない女性が増えるといいなと思います。
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まとめ
長々と書いてきましたが、私は本当にジェンダー問題が無くなっていくのを願ってます。
時々女の人でもこういう話をすると「そんなに目くじら立てなくても、女は女の得があるんだし、強い男に可愛がられる道を極める手もあるじゃん。」と言う人がいます。
 
確かにそういう男性の懐に身を置いて、守ってもらうというのも女性の処世術の1つとしてあると思います。
でも、それって「外でオラオラやってる男性の刃」を自分の武器にして物騒な世の中を渡り歩けばいいという考え方ですよね。
その場合、何かその男性に対して不満がある時に女性は対等に意見できるものでしょうか?
その男性の女性に対する優しさって単に「お前は逆らわないから愛玩するよってことだと思うんです。
だから、その男性が「オラオラの刃」の持ち主だって女性は分かっているので、何か不満がある時になったらその刃が自分に向くのが怖くて対等に意見できないんじゃないのかな?と思います。
 
そんな我慢する女性がいっぱいの世の中になるより、皆で世の中の「刃」を手放せそうな男性に「それ捨ててみませんか?」と働きかけて「男女共に物騒だと思わなくなる世の中」を作るほうがいいと思うんです。
 それにもし現代の女性が「可愛がられる存在」で無事に一生を終えられたとしても、この世にこの問題があるまま放置してたら、後世の女性が苦労すると私は思います。
 
私はこの先、男女がジェンダー論争の果てに今より少しでも理解し合えている世の中に生きたいです。
今はこういう戦いの末、異性に失望し、すっかり「男性嫌いの女性、女性嫌いの男性」になっている方もいると思いますが「性別で相手を嫌う」ってことは、とても悲しいことですよ。
もし根っからの悪人ではなくて「ただ知らないだけ」の男性なら、先ほど書いた「男女で恐怖感の差がある」というのを知ることで少しは変わるれるんじゃないかと思います。
 
ぜひ身近な男女同士で歩み寄れるよう、あきらめずにつとめていただければと思います。
 
最後までお読み頂きありがとうございました。
ではまた。