限りなく透明に近いふつう

やさしい鬼です お菓子もあります お茶も沸かしてございます

タイトルをつけるほどでもない駄文

 

 

私の文章は長いらしい。
なにしろ私がはてなブログを始めて1番多い感想が「長い」だ。
これに対し、自分ではもっと長い文章のブログもよく読むし、自分なりにいつも削りに削っての長さなので「そんなに長いかなぁ」と思うのだけど、まぁ人それぞれ「ブログたるもの何千字以内がほどよい」というモノサシがあるのだろうし、長く感じる人には長いんだろうなぁと思っている。

ところで今日私が「ですます調」ではないのにお気づきだろうか。
私は普段ブログの文章をほとんど「ですます調」で書くことにしている。
これは、私はとかく読む人に向けて「説明」をするような話を書く傾向があるので「不特定多数の人に向けて何かを説明するのにタメ口は失礼だろう」という頭が自然と働きそうなっているのだけど、今回は特に説明することもなく、主張したいこともなくただダラダラなんか書いてみようという試みなので、あえてかしこまった「ですます調」を取り払い「である調」で書いてみたのである。

不思議なもので、私はふだんtwitterでは基本「ですます調」ではないのだけど、こうしてブログ編集画面で「ですます調」ではないのは非常にやりにくい、書きにくい。
なんだか、何を書いても偉そうにみえるというか、脳科学者か何かが自分に乗り移って書かされてるような変な気分になってくる。
これは新たな発見だ。
媒体が違うだけで、なぜ文体の変化に違和感を感じるのか謎だけども、そこは深く考えずに私は初志貫徹がわりと好きなので今回は頑張って「である調」で書き切ろうと思う。

さて、なんで今日はダラダラと書こうかと思ったかというと、一言で言うと「怖くなったから」だ。
何が「怖くなった」のかと言うとまず、この頃はてなブログになにか書くとおかげさまで、当初の私の予想をはるかに超える人数の方々に読んでもらえるようになった。
それはとても嬉しいのだけど、このままの調子でいくと私は浅ましい人間なので「読む人が多くなりそうな内容を」という心境が働き、どんどん書く内容に自分で制限を加えてしまいそうなのだ。

こんな事を書くと「誰もお前の書くものなんかに期待してねーよ」と言われるかもしれない。
確かにそれはそうなのだけど、私はこの頃なんとなく「女性差別を訴える的な事を書く人」と思われてる気が少していて、私のブログを読みに来てくれる方は主にそういう文章を読むことが目的なんじゃないかと思う事が増えたのだ。

というのも、twitterで私に「何かのリストに加えられましたよ」という通知が来るとたいてい「フェミの人」とか「ジェンダー」とかそういうリストなのだ。
この通知を見ると私は、世の中のそういう事を訴えてしっかり運動している方の端くれに私が追加されたということなのか?と思い、ありがたい反面「私なんかが…」という申し訳ない気持ちになる。

話は逸れるが良い機会なので書くと、正直、私は自分で自分がフェミ二ストなのか分からない。
そもそも横文字に疎いので、「桜島さんのようなフェミ二ストが増えればいい」と言われたとしても「フェミ二スト」というのの実態がどういうもので、何をもってしてそう名付けられるのかが分からずにいるので、素直に「フェミ二ストとして褒められる」事を受け入れることに今は慣れてないのだ。
私はただ、普段暮らしていて思った事をブログに書いてたら、それが女性の立場で「女性性の押し付けを嫌う訴え」だったり「一部の男尊女卑的考えの人への文句だったり」する内容のものが多くなっていて、それでいつの間にかその位置付けをしてくれる人が居たというだけで、自分では書きながらそれが「フェミ二ストとしての訴え」というつもりが無かったので、それに驚いたという感じだ。

もちろん、私が誰かに「あなたは立派なフェミ二ストですよ!」と言われたらそれは「そうなのかー」と思う。けして「私はフェミ二ストじゃない」と反発する気は無い。
逆に「あなたはフェミニズムをっちとも分かっちゃいない」と言われたらそれも「そうかもなぁ」と思う。

しかし、そういうリストに加えられるようになった今日この頃、それなら私もそれなりにフェミニズムを勉強しないといけないのかな、と思うようにはなってきた。なので、そこは私のこれからの課題だと思う。

「怖さ」の話に戻すと、つまり要約すると私は「私の書くものを毎回『女性差別うんぬん、一部の男性批判うんぬんの話だろう』という期待だけで読まれるようになったら、ちょっと怖いなと思っている。

もちろん「面白い何かが書いてあるはず」と期待されるのはかなり嬉しい。
でも、どうも私は「社会における女性差別うんぬん」を書くための経験のストックがそれなりにあるほうの人間で、そういうのを考えたり書いたりするほうが頭が冴え、文章に熱が宿り、熱が宿ると、そういう文章は沢山読まれ易い。
いわば「そういう文章を読みたい人が私のところに集まる&私はそういう文章を書きたくて書いてる人」状態なので需要と供給が合っているんだけど、それが合い過ぎていると怖くなることがあって、1つは近頃ブログを書こうとする時に「そういうテーマで次も書こう」と勝手に「自分でテーマを狭めてる自分」が怖いのだ。

「なにが怖いの?別に自分が書きたいなら同じテーマばかりでもいいんじゃ?」と思う人もいるだろうけど、私が思うに、趣味ブログとか何かのライフハックブログみたいなのはテーマが一貫していても差し支えないけど、私のような「女性差別うんぬん」の話だと少し違う気がする。
それはどういうことかと言うと、あまりにも私のブログ一覧が「そういう事関連の話」ばかりになると、初めて私の書いたものを読みに来た人が「なるほど、この人はいつもこういう話を書いてる。つまりこれはジェンダー意識が相当高い女性が書いたものだ。」と思われてしまうと思う。私が1番怖いのはそれなのだ。

私の1番怖いのは、私の文章を読んだ人に「まぁこの人は特別にジェンダー意識を強く持って生活してるからさ、こんな事まで考えてるけど、世の中の普通の女は、こんな事まで考えてないでしょ。」というふうに「普通の女」と「そうでない女」に分けられ「そうでない女の話」に思われてしまうことなのだ。

私のブログタイトルは「限りなく透明に近いふつう」である。
これはお分かりの方も多いと思うが、作家村上龍のデビュー作「限りなく透明に近いブルー」のもじりだ。
最後が「ふつう」なのは、ただの言葉遊びではなくて、実は私がいたって「ふつうに暮らしてる人間」だという主張がちょいと含まれている。
さらには、読む人に「あなたの隣にいる一見普通の女がこれを書いてる可能性」を少し意識して欲しいという願いもあった。

だから、私の文章を読みに来た人に、私の事を「毎日ジェンダー関連の本を読みあさり、そういう運動に参加して『女性の人権をー!』と声を上げて、男性とそこらで喧嘩して暮らす田嶋陽子的な人物」を想像されると困るのだ。田嶋陽子扱いが嫌なのではない。
「こういうことに声を上げるのはどうせ田嶋陽子的な女だろう」という決め付けをされるのが嫌なのだ。

私は確かに男性が読んで耳の痛い話を書きがちだ。
それでも私は普段ふつうに暮らしている。
男性ばかりのエレベーターに乗ってしまいなんとなくボタンを押す係に任命されてもそこで「女性がみんなエレベーターガールでは無いんですよ!」と主張するわけでもなく、ボタンを押す。
男性社員に「お茶ちょうだい」と言われれば「女はお茶汲み係じゃないよ!」と反発する事もなく、まぁ自分も飲みたかったら同僚のよしみで「はいよ」と2人分淹れてあげたりもしていた。
つまり、私は普段から周りの男性に文句を付けたりバチバチやりあってる人間ではない、一見したらふつうのその辺の女だ。
だから、私の文章を読んだ人の中の「耳の痛くなった男性」が「こういううるさい女もいるみたいだけど、俺の周りの普通の女はもっと素直だし、俺らの事を受け入れて暮らしてるもんね〜。」と思うのは間違いなのだ。
私は決して「異質な女」ではなく、あなたがエレベーターに乗った時におとなしくボタンを押してくれた「その辺の素直な女」にあなたがカウントしてるほうの女だ。

もちろん「読む人の心構え」を強制はできないのだけど、なるべく「どこかのうるさい女の話」ではなく「自分の身近な話」だと思って読んで欲しい。

私がいつも一部の男性へ批判的な事を書いて、ピンと来てくれるのは主に女性で「ピンと来る」というのはつまり女性の多くはわりとすんなり「本当にこういうことあるある」と思ってくれてるっぽい手応えがあるのだ。

それは私の書くことが比較的「女の人のほうが被害を受けやすい出来事」だからだと思う。「された身」だから「身に覚えのある話」としてその辺の普通に起きる出来事として捉えてくれてるように思う。


でも男性の中には自分がそういう批判対象の男性像と違えば「桜島さんの周りには酷い男がいるもんだ。」と、他人事というか、どこか違う世界の話に思われている事が多い気がする。
でも痴漢しかり、セクハラしかり、性差別しかり、目立ったものではない水面下の悪事は、された本人しか察知出来ず(した方すら無意識のこともあるからね)ましてまっとうな男性のような外野が日常生活を送っているその「ま隣」で起きていても、気が付かれなかったりする。
だから私が書く「女で生きててこんな目に遭いました話」は、身に覚えのない男性にとっては「女の人も大変だなぁ、かわいそうだなぁ、でも痴漢もセクハラも性差別もどこでそういうの起きてるんだろうなぁ」という、私にとっては「女性に比べてピンと来てはいない感想」に感じる。

そもそも私が女性うんぬんを書く理由は1つは、自分とおなじ目に遭った、遭ってる女の人に「我慢しないで」欲しいから。
嫌なことをされたのを、心の中で無かったことにして一人で耐えないで、「嫌だったら怒る」という選択肢もあるんだよ、と言いたいから。


2つ目の理由は悪事をせずにまっとうに生きてる男性に「ま隣」の悪事に気づいて欲しいから。
ちょっと前に、現実の知り合いの知人男性の中で優しい人が私に「俺も性差別とか許せない」「言ってることよくわかるよ」と言ってくれたことがあった。
でもそういう人でさえ、「自分が攻撃される立場」じゃないせいか、アンテナがすこし鈍いように思えた。
それはどうしてそう思ったかというと、その知人男性と電車に乗っている時に、目の前でどこかの上司らしき男性が若い部下の女子に「なんだ今日、彼氏の家から来たのか?じゃあ昨夜はお泊まりか?」という質問をしていたんだけど、私はこの上司の質問をすぐ「セクハラだなぁ」と思ったけどその知人はきょとんとして後から話しても「あれはただ聞いただけでしょ?」ということを言っていた。
これがアンテナの感度の差というか、私が「アンテナの強いうるさい細かい女」だから感じて、知人男性はアンテナが鈍いから「何事も起きてない」にカウントしているという状態で、これが日本のどこかしこでも起きてるから、いま男女でセクハラとか性差別の話が噛み合わないんじゃないかと思う。
だから、私はまっとうな男性に実例を読んでもらうことで、ちょっとアンテナが鋭くなると助かる、と思う。
私の書く話を、どこか違う世界の話ではなく、あなたの隣にいる友達が、同僚が、上司が、「もしかしたら桜島にこういうことを思わせた人かもしれない」と思って受け取って欲しい。

まっとうな男性ですでにアンテナ感度ビンビンの人もすでにいると思うけど、もっと増えてほしい。
そういう一部の「悪事を働く男性」は、女性にとってだけでなく、まっとうな男性にとっても迷惑な存在だと思うから。

 

というわけで、私が「特殊ではないふつうの女」だとなるべく思ってもらうためには、私の記事一覧は時に「飼っていた犬の話」や「最近行ったカフェの話」とか混ぜ込む必要があると思ったのだ。
でも、見返すと最近は立て続けに女性うんぬんのことを書いてるし、自分で勝手にテーマを絞ってるような気がして、今回はそんな自分を戒める為に「一回適当なことを書いてお茶を濁す必要がある」と思って、こんな感じの駄文を書いてみているのである。

面倒くさい。面倒くさい人間だ。私は本当に自分で嫌になるくらい自分が面倒くさい。でも仕方ない。
今この段階で5,000文字を超えた。もう「長い」だろう。
でも私の筆が乗るのはだいたい6000文字超えた辺りからだから、自分ではまだまだ全然書き足りない。
今回、「長くない」のを書こうという試みもしていたのだけど、5,000文字でこんなに満足出来ないとは思わなんだ。なので、8,000文字くらいまでは書くと思う。
ちなみに今回は推敲もしていない。自分への「戒めの為」だからだ。
「ちゃんとしたものだけを世に出したい」なんていう望みは捨てると、7月に決心したのに、いつの間にか読者が増えたらまた「ちゃんとしたもの」を書こうとしてる自分が嫌だ。
だから「ちゃんと推敲した文章じゃないのを書いて出してやれ!ざまーみろ自分!」という気持ちで今回は公開する。
それに付き合ってここまで読んでくれてる人がいたら謝りたい。すいません。こんな駄文に付き合わせてごめんなさい。情緒不安定か。

 

さて、ここからはお茶を濁すのが目的なので、思いついたことを書くとする。
私が前回書いた高校時代から20歳までバイトしていた先の店長のことだ。
彼の愚痴を書く。

ある時、彼は店を数日休んで旅行に行った。
どこだかは忘れたけど、とにかく彼はアルバイト全員にお土産を買ってきた。
その店のアルバイトは男子が5人くらいで、女子が8人くらいいた。
いずれも高校生から大学生、フリーターという若い面々だ。私は19歳くらいだったと思う。
彼は誇らしげに土産袋を開けると、お土産を配った。
その日いたバイトのメンバーは確か男子が2人、女子が3、4人くらいだったのだけど、女子へのお土産は全員、ご当地キティちゃんのキーホルダーだった。
私はキティちゃんが好きではない。
というか幼少の頃からあらゆるキャラクターものに一切の興味が無い。
だから全く嬉しく無かった。
他の女の子はきゃあきゃあと喜んだ。
彼女達も本心から嬉しかったのかは定かでは無いが、マナーだとしてもとにかく「嬉しそうに」していた。
でも私はなんだかその日ムシの居所が悪かったのかもしれないけど、全然「ふーん」という感じを隠さず露骨に出していた。
店長の彼はその時はあまり私の様子を気にせず、次に男子にお土産を配った。
男子へのお土産はビーフジャーキーと貝ひもだった。
店長は「2人で好きな方取れよ」と言って男子は「俺貝ひも〜」「じゃ、俺ジャーキー頂きます」と言ってそれぞれを手にした。

悔しかった。
私はビーフジャーキーが好きだ。口に入れるとはじめは硬いボール紙みたいな異物感なのに、噛むほどに柔らかくなって肉の味が滲み出て美味しいところが大好きだ。
私は女子だから貝ひもとビーフジャーキーを選択する余地すら与えられず、無条件でご当地キティちゃんを手にしなきゃならないことが悔しかった。
店長は旅先でお土産を選ぶ時になんで「女子はキティ、男子は何かしょっぱいお菓子系」と思ったんだろう。
これが「女子はキティ、男子は武田信玄のキーホルダー」とかなら、百歩譲ってわかる。
もしくは「ビーフジャーキーか貝ひもを全員の人数分」なら全然わかる。
選ぶのが面倒だったんだな、と思うことも出来る。
でも「女子はキティちゃんで男子はキティちゃんは嫌だろうから何か食べ物」と、男女で分けたところが、何故かその時は猛烈に悔しかった。

私が「ふーん」という顔をしていたら店長は「桜島は嬉しくなさそうだな」と、言った。
私は今ならマナーとして「貰ったものに不平を表さない」くらいのことは出来る。
でも、その頃は子供だった。
そして日頃の彼への不満もあったかもしらない。
気がついたら「私もジャーキーが良かったですよ」と言っていた。
彼は「なんだよ、お前キティちゃん嫌いなのか、可愛くないな笑」と鼻で笑った。
そして「社会に出たらな、こういう時は素直にありがとうと喜んで見せないと、可愛がられないぞ。こいつらを見ろ(喜んでる他の女子を指して)こういうのが男は嬉しいんだ。」と言った。

私は「ビーフジャーキーだったら素直に喜んだのになぁ」と思った。
あと、もう1つ思ったのは、
彼は普段バイトの女子がブランド物の話をしていると、(その頃、私以外の女子はブランド物の財布とかカバンに目がない子が多かった)
「お前ら、ブランド物なんてみんなが欲しがるから欲しいだけだろ?本当にアレを好きなのか?お前らの年でああいうもんが似合うと思うか?今からブランド物なんて追いかけてたらバカ女になるぞ」というような説教をしていたのだけど、その話と「女ならキティを喜ぶもの」と勝手に決めつけてるのは矛盾してるような気がした。
今思うと、お土産に不満気だったのは確かに私がとても悪い。

でも、彼の怒りは「お土産を喜んで見せないマナーの悪さ」に対してというよりも、自分が「女子はみんなキティちゃんやれば喜ぶだろうな」と読んだのに、私という女子の1人がその思惑から外れた事に怒っているように感じた。
彼は女子の「軒並みブランド物を欲しがる特性」は批判するのに女子に「軒並みキティちゃんを喜ぶ特性」は求めてるんだ、と思った。
それが矛盾に思えた。

この話にオチはない。
なんでこの話を書いたかと言うと、今私はガソリンスタンド併設のドトールでこの文章を書いていて、店に入る前に給油をしたらドトールの店員であるおじさんが走ってきて、私になんとかカードの入会を勧めてきたくだりが関係している。

おじさんにカードを勧められた私が即答で「いやぁいりません」と断ったら、おじさんは「ウーン…」と悩んで見せて、その後「じゃっ、今ならキティちゃんの貯金箱あげますよ!」と満面の笑みで言った。
その言い方は「これでどうだ!」みたいな「これならいいでしょ!」みたいな、さもキティちゃんの貯金箱が良いもので、「これなら落ちる!」と確信しているかのような言い方だった。

そして私が「いや…そんなに欲しくないですね…はい」と言ったらおじさんは「えっ?なんで?この世にキティちゃんでグラつかないおなごがいるとは…!」みたいな顔で「そうですか?非売品なんですよ?本当に?」と言った。

私が「すいません、いりません」と断るとおじさんはさらに「じゃあ特別にキティちゃんのボックスティッシュも付けますよ」と言ってきて、「そういうことではない…」と思ったけど、また断ったらさすがにおじさんは諦めた。

それで店に入ってから私は「なんか前にもこんなような事あったな…」と思ってたら、バイト先のことを思い出したので書いたまでだ。

おじさんにとってそれまで「女性客へのキティちゃんアピール効果は絶大」だったんだろう。
みんないい女の人で「えっ、キティちゃんの貯金箱?わー欲し〜い!うーん、それならカード作ろうかしら〜」くらいのリアクションを本心か小芝居かで、してくれたのかもしれない。
でも、私は出来ないよ…。
欲しくないもん、キティちゃんの貯金箱…。
後ろ頭に横長の穴の空いたキティちゃん状の置き物を持って帰るのは、カードを作る面倒がチャラになるご褒美どころか、不用品回収だもん…。
おじさんの仕事っぷりに敬意を払い「そんなガラクタ貰っても困る〜」と本心は言わなかっただけで、素直に引き下がって欲しかった。
まさかキティ度数を上げるべくキティティッシュを付けようとしてくれるとは…。

それでも私は「気にしい」なので、今さっきおじさんの期待通りのリアクションをしてあげなかった事をちょっと不親切だったかな、と反省している。
でも、私がキティを欲しがらないことでおじさんの中に「キティが嬉しくないおなごもいる」という新常識が根付く事を願ってもいる。

ついでにお得意の「話を広げる」をやらせてもらうと、
世の中の「おなごたるもの、コレに飛びつく」という概念のある人々には「おなご」は「1人1人好みも思考も違う個々の特性を持った生き物だから、男子にビーフジャーキーと貝ひもの選択肢が初めから与えられてるように、すんなりとおなごにも数々の選択肢が許される頭を持って接して欲しい」と願っている。

あら!?今回も結局そういう話?ということになってしまったが、もうこういう思考回路が染みついているのかもしれない私。

というわけで、約束の8000文字を少しオーバーしたのでダラダラした話をやめさせてもらう。
ああ、やっぱり「である調」は偉そうだよ…。すいません。
次回からはまたいつもの調子で書くのでお付き合い下さる方はどうぞよろしくお願いします。
それではまた。