ご無沙汰してます。
なんやかやあって、すっかり筆が遠のいていましたが久々によろしくお願いします。
このところ、なんだか物騒な事件が多くて滅入りますね。
刃物沙汰の事件はどれもショッキングですが、私は川崎の集団殺傷事件と練馬の父親による息子殺害事件の2つが、特に思うところありました。
川崎の事件で一気に「悪者は引きこもり!」的な空気が流れたと思ったら、父親が引きこもりの息子を殺してしまった事件が続いて。
「世の中の出来事は起こりそうなことの順に起こる」と、以前どこかで聞いた言葉を思い出しました。
さて、それで私は心配に思ってることがあるのです。
それは、今後ますます世の中の皆が条件反射的に「ひきこもり、中年、男性」この三要素が揃った人間を避けたくなるんじゃないか、ということです。
もちろん、もしあなたの家の隣にどうやらそれらしき人が住んでいて、夜中にしょっちゅう怒鳴り声や大きな音がしたり、始終あなたの家のほうを窓からじっと見てたりした場合にまで「怖がっちゃいけない」とは言いません。
実際そんな立場なら怖いし避けたくもなるでしょう。
でも、実際そういう人と関わっていない多くの人が、ニュースや世の風潮だけで「引きこもり=危険な人」と認知してしまうのは、早合点だし、短絡的だし、差別なのでは?と思います。
まさか、ここまでの文章が川崎事件の犯人を擁護しているように読む人は居ないと思いますが、念のため書いておきますと、私が言っているのはあの犯人を憎むなという事ではありません。
私だって犯人は憎たらしいです。
事件の事を考えて今も怒りに震えてるし、被害に遭われた方、その周囲の方の心痛を思えば気が気ではなくなります。
でも、犯人が引きこもり男性だったことは、犯人が持つ要素の一つに過ぎないので、「要素まで憎むのは違う」と言ってるんです。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とは言いますが、落ち着いて考えれば坊主も個々の人格が違いますから、袈裟姿なだけで人格まで決めつけられ憎まれる筋合いはありません。
ようは、悪事をした人間と同じ要素が多少あったとしても、そのまま人間性もトレースされているわけじゃないということ。
人間というのはそこまでパターンが限られている単純な生き物じゃないと思うので、「≒」をザツに「=」にしてはダメということです。
そこをザツにいっしょくたにすることは、個々の人間性を否定することなので、された人には憎しみが生まれます。
憎しみが人を歪ませて、歪んだ人が事件を起こして…と殺伐とした世の中になってしまう気がします。
「犯人は引きこもり」というキーワードだけが取り沙汰されると、今ひきこもっている人に対する「≒」な気持ちを簡単に「=」にしてしまう人が増えるんじゃないかと思って、私はそこを心配に思っています。
でも人が何を思うかは自由なので、仮に皆さんが条件反射的に「引きこもりの中年男性」を「うわっヤベェ奴じゃん」と心の中で思うことがあったとしても、それは仕方ないかもしれません。
でも問題はその気持ちを表出するかどうかだと思います。
私は環境や風潮というのは、個人の意志の表出の「塵が積もって山となる」で、作り上げられているように思います。
ですから、個人個人の思う「引きこもり?ヤベェ奴じゃん、近寄らんどこ」が、ダダ漏れに表出してしまったら、引きこもりの人が完全に孤立した環境が完成してしまうわけですね。
相手の人間性を知ろうともせず短絡的に「引きこもり⇒ヤベェ奴⇒危険回避」と、相手を避けることは、危険から遠ざかるように見えてかえって相手が「危険な人物となる背景」に加担してしまっているように思います。
誰からも避けられ、レッテルを貼られ、「居なくなって欲しい」と思われ続けたらどんな人だって歪みます。
人に対してどう思うかは個人の自由ですが、それをもし表出する時は影響を考えてからにして欲しいと思うんです。
と、今日言いたいことのメインは終わったんですけど、ここまではただの前置きなんですよ。
というのも、この後に続く文章は3年前に下書きしてあったものなんです。
でも、ここのところの事件があった時に、これを書きかけていたことを思い出して、「ああ言いたいことが繋がるな」と思いました。
なので、とりあえず3年前の文章を載せます。
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こないだ久しぶりに現実生活で「それはおかしい」と人に訴えた事があったので、今日はそのことを書きます。
出来事
私がバイトしてるコンビニは慢性人手不足で、いつも「アルバイト募集」の張り紙がしてあるのですが、先日バイト中に1本の電話がかかってきました。
それはバイト希望の電話でした。
店長不在だったのでそのまま私が年齢や希望時間帯など、ひと通りの事を聞きました。
34歳の男性で、無職だと言っていて、希望時間帯は平日の昼間でした。
私は店の人手不足具合を嫌というほど知っているので、「やった〜」と思いました。
その方は話しぶりも普通に感じがよくて「常識的な人だな」と思えたので、きっと採用になって、人手不足がマシになると思ったからです。
ところが、違ったのです。
夕方出勤した店長に、仕事終わりの私が「バイト募集の電話来ましたよ!」と言うと、店長は「おお!」と喜びの声を上げました。
でも年齢など聞き取ったメモ紙を渡すと眉をしかめ言いました。
「あ、こりゃダメ」
私が予想外の店長のリアクションに「えっ、なんでですか?」と聞くと、店長はアッサリ「だって、男で30過ぎで無職でしょ。怪しいもん。」と言いました。
私は「えーーー…」となりました。
確かに平日昼間のコンビニバイトを希望してくるのは、たいてい主婦の方です。
店側も基本的にはそういう主婦が応募してくるのを想定して待ってはいますが、それでも「主婦じゃないから」という理由だけで、「ダメ」と決めつけるのは納得いきませんでした。
それで私は「でも、話した感じは悪くなかったですよ。せめて面接してみてから決めないですか?」と聞きました。
すると店長は「いや、面接もしない。顔見てからじゃ断りづらいし。後で断りの電話だけしとくわ。メモありがと。」と言いました。
普通アルバイトはこういう決定に関して口は出さないと思いますが、私と店長は15年以上の知り合いでプライベートな話もする仲なので、私はその時、立場を超え個人として意見したくなりました。
だって、今の時代「男性で30代で無職」だとしても、そういう人に「特別に人間的な問題があるとは限らない」と思うし。
男性が新卒で大抵どこか企業に就職できて、よっぽどヘマをしなきゃその会社で定年まで勤め続けられる時代なんて、大昔の話です。
「親の介護で定職を辞めた人が出来る範囲でバイトをしたい」とか「本人が療養中で出来る範囲でバイトをしたい」とか、性別に関わらずそういう諸事情を抱えてる人が多い時代じゃないですか。
だから、ただ「34歳の無職男性」という肩書きだけを元に「なんか怪しいからダメ」とした店長に、私は「それは人として偏見的では?」と思いました。
せめて店長が面接をした上で「この人は雇いたくないな」と判断したのなら、店長の店だからそれで良いんです。
でも面接もしないなんてあんまりだよ…!です。
店長はもともと非常に「ニュートラルな人」という感じで、基本穏やかで物事を平和的に解決する人格者だと思えていた人だったので、肩書きで判断したことについて私は「店長にそんな一面が!?」というショックも少なからずありました。
それで、そんなやり取りをしているところに店長の母(以前も書いた“おばちゃん”の人です。)が来ました。
おばちゃんに「あらどうしたの?」と聞かれたので、店長がいきさつを話しました。
するとおばちゃんも即答。
「そりゃダメだわ。男でその年で仕事してないなんて普通じゃないもの、怪しいわよ。」
私はこの即答で、軽くキレてしまいました。
なんというか、世の中には色んな事情があって止むを得ず働けない状況の人もいて、それは男女ともにいるはずなのに、無職なのが男性だと「怪しい人間」ってするのは男性差別じゃないですか。
それで、私は聞きました。
私 「じゃあこれがもし34歳の無職の女性だったらどうなるんですか?」
店長「そりゃ女性だったら面接するよ。」(おばちゃんもウンウン頷く)
私 「え、女の無職はなんで怪しまないんですか?」
おば「そりゃあ、女はいいのよ。色んな人がいるもの。」
私 「男も色んな人がいるでしょうよ!」
店長「でも、男の無職は絶対なんか問題がある人だよ。」
おば「そう、変な男の人雇ってお金盗まれたら困るもの。」(おばちゃんの答えはもうズレてる)
私「お金盗まれる可能性なんて男も女も同じじゃないですか(笑)
私はお2人が『無職の30代女性』も怪しいって言うんならまだ分かるんですよ。
でもなんで男性だけ怪しむのかが分からないんですよ。」
2人「うーん」
私 「だって、世の中の雇い主がもしみんなそう思っちゃったら、どうなります?男の人は、ある程度の歳超えて仕事を辞めたら2度と仕事に就けないことになるじゃないですか、それって怖くないですか?」
2人「そうは言ってもねぇ…よそはどうしてるか関係ないし、ウチはとにかくそういう人は断ることにしてるのよ。納得いってなさそうだけど、ごめんね。」
「これ以上話しても何もならないな」と思ったので、私は黙りました。
これが久々に私が実生活で人に「これはへんだよ」をぶつけた出来事なんですけど。
今思うと自分でも、この時なんでここまでムキになったか謎です。
でも1つは先ほど書いた「店長がそんな人だったなんて」と思いたくなかったのがあって、あと、単純に私だけが声を聞いたその男性に同情したんです。
「肩書きだけで振り落とされる立場」の人を可哀想に思ったというか。
店長は後からフォローなのか「他のもっと成人男性にふさわしい仕事?(この言い方も職業差別的で私は嫌ですが)なら、30代男性が飛び込むのはアリだけど、いかにも主婦や若者フリーターがやる昼間のコンビニバイトにおっさんはないんだよ。」と言っていました。
でもそれにしたって私は「募集してるんだし、面接くらいはしてあげればいいのに」と思うし、何より私はこの会話中に「これが女尊男卑というのかも知れない。」と発見したので、そこが一番私の気持ちに火がついた原因だと思います。
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以上が三年前に書いた文章ですが。
私が最初に言った「思うのは仕方ないけど表出するのは考えて欲しい」というのは、こういうことなんですよ。
言っときますけど、この店長もおばちゃんも普段めっちゃいい人です。
仕事に対して真面目だし、経営者なのにアルバイトに対して上からものを言わないし、いつもすごくねぎらってくれて「ザ・善人」みたいな人たちなんですよ。
そ・れ・な・の・に!!
こんなにアッサリと34歳無職男性を切り捨てたんです。
それもさして悩んだ末でも無けりゃ、罪悪感も無い。
まるで「当たり前でしょ」「そういうものだから」って感じに。
これが、店長たちが「34歳無職男?ヤベェ奴じゃん」をそのまま表出した結果なんですよ。
その時の34歳無職男性が、ひきこもりの人かどうかは知りません。
でも仮にひきこもってた人が、勇気を出して社会に出ようとした一歩目がその電話だったら?
そんな、年と性別と無職ってことだけで切り捨てられちゃうの?
世の中ってそんななの?えっ、こわい、つめたい、こわい!!
って思うんです。
そうやって、世間に避けられ続けたどこかのひきこもりのおじさんが歪んでって事件を起こしたら、また世間の人が「ひきこもりは悪いことする」って思って、それを隠さず表出したら、また引きこもりの人が避けられて歪んでって…負の連鎖にもほどがあるでしょ!!
やめやめやめー!!どっかでその歯車止まれーい!!
って思うじゃないですか。
私は、「引きこもりの人やばーい」と怖がってる人も、その言葉が怖い人を作る歯車を回してるかもしれないよってことを、考えて欲しいなと思います。
たぶん、店長とおばちゃんはこの出来事を覚えてないし、川崎の事件見て「引きこもり怖いわねー」と言ってるかもしれません。もしかしたら、あの時、自分達も一人の引きこもりの人の社会への入り口を簡単にぶった切ったのかもしれないのに。
そう思うと、誰でも無自覚なうちに言動が差別になることがあるんだなと、思ってその怖さを改めて感じます。
Mr,childrenの「タガタメ」という曲に「子供らを被害者に、加害者にもせずに この街で暮らすため まず何をすべきだろう?」という歌詞があるのですが、これを書いてる間なんかそこのところが頭の中でずーっとリピートしてました。
いま何らかの事情で社会に出てない人が、社会に出たい時の壁を無自覚に作らないように私も気を付けたいと思います。
引きこもりの人もそうでない人も、被害者や加害者になる人が1人でも少ない世の中で生きていたいからです。
ではまた。