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限りなく透明に近いふつう

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バカリズムのコントが酷かった件について

ジェンダー

 

 

今さらですが年末年始の話を。

私は普段からテレビを見るのが大好きなのですが、この年末年始はいつにも増してごろごろとテレビを駄観ってたように思います。
あ、「駄観る(だみる)」というのは私が作った動詞で「なんとなく点いているテレビを惰性で無駄に長く観る行為」を意味します。便利なのでよかったら使ってくださいね。
 
 私は普段テレビは「頭を使うドキュメンタリーや情報系番組」と「頭を休める娯楽番組」で半々くらいの割合で観るようにしているのですが、年末年始は娯楽番組の数が圧倒的に増えるので、自然とそのバランスが偏り、お笑い芸人の姿ばかり見ていたように思います。
 
それでふと思ったのは、なんだかこのごろのお笑いは「面白くない」どころか「不愉快さ」を感じるものが増えたなぁということ。
 
 いま、自分でも「すごい安っぽくて、なおかつ沢山の反感を買いやすい一文」(安くて沢山買えるからある意味コスパ優秀)を書いた自覚があるのですが、(素人が「このごろのお笑いは面白くない」とか語りだしたら「なんかウザい」と思うのが人情です)すいません、続きを書きます。
 
私は今日なにも「このごろのお笑いは子供ウケするようなリズムネタばかりが流行ってそういうのがお笑い界のレベルを下げている!」みたいなお笑い論の話がしたいのではありません。
正直言って「お笑い界のレベルが昔と今とどう違う」とかは私は本当に分かりませんし、そこのところの真実にはそんなに興味がありません。
 
ただ、私は昨年からなんとなくお笑い番組を観ていて自分が「これ、笑えないなぁ」と感じるネタや場面が多くなっているような気がしていて、この年末年始は特にその感覚が濃縮して感じられたもので、その辺について思うことを今日は書こうかと思います。
 
はじめに断っておきますと、私、バカリズムはずっと好きでした。
もともと自分自身が絵を描くのが好きなせいか、芸人さんの中でもイラストのフリップネタをやる芸人さんに好感を抱きやすくて、その中でもいつもここからの「悲しい時ー!」とか、バカリズムの「都道府県の持ち方」みたいなネタは本当に好みのネタです。
ここ数年、バカリズムはネタよりも普通の番組に出る姿が多いですが、トークも特に嫌な感じはしないし、脚本を手掛けたドラマも「バカリズムが脚本なら」と思って観たのですが、期待を裏切らない面白さだったので、私の中でバカリズムはずっと「好きな芸人さん」という位置付けでした。
ところが昨年末「検索ちゃん」という番組のネタまつりで久々に見たバカリズムの新作コントがひどかったんです。
 
もちろん「ひどい」というのは私個人の感想で、そのコントが面白かった人もいたと思いますが、当時Twitterでも「これは酷い」という意見がわりと沢山あって、少し話題になっていました。
とりあえず観てない方の為に簡単にそのコントの内容を説明しますと…
 
舞台は会社の会議室らしきホワイトボードの前。
そこでバカリズム扮する男性社員が同僚だか後輩女性の「広瀬さん」に向けて終始1人語りをするコントなのですが、その話の内容が「広瀬さんのおっぱいを触らせて欲しい。」というお願いなんですね。
で、画面に広瀬さん役の女性は居ないんですけど、広瀬さんはなんやかんやと胸を触られたくない理由を言っているテイで話は進みます。
そしてバカリズムは広瀬さんから「なぜおっぱいを触らせたくないと思うのか」を冷静かつ執拗に聞き出し、広瀬さんが挙げる理由1つ1つに対し独自の理論で諭していき、最終的には丸め込まれた広瀬さんがおっぱいを触られる、というコントでした。
 
まぁ、文章で読んでも「なんじゃそりゃ」と思うかもしれないので、観たい方は魔法の箱で見てもらえればいいのですが、スタジオの反応は「ひどいな!」とか「よくこんなネタ作るな!」みたいに揶揄しつつも全体的にはネタとして「アリ」になっていて、「面白かった〜」と受け入れられてる感じでした。(ただ、コント中に映ったひな壇のオリラジの2人は結構引いてる表情をしているように見えた。)
 
私は、序盤の「おっぱい触らせて欲しいんだよね」の台詞から、最後まで1ミリも笑えず、むしろ「ここが笑いどころ」らしき独自の理論には恐ろしさすら感じて、それまでバカリズムを好きだっただけにかなりショックでした。
 
その時したツイート↓

 
もちろん私も大前提として「ただのコントでしょ」ってのは思いますし「こんなコントを作るなんて、実生活でバカリズムは女性にそんな事を言って迫ってるのね!」なんて飛躍した考えも無いです。
 
でも私がツイートで「純粋に怖い」と書いたのは昔自分が「なんでそうなる?」という理論で男性から性交渉を迫られた経験があって、このコントを観た時にその時の怖さとか嫌な気持ちが新鮮に蘇ったからです。
 
ちょっとここで「なんでそうなる?」という理論についてピンと来ない方の為に具体的に説明しようかと思いますが、私のケースは内容が混みいっているので、もっと説明の簡単に済む女友達のチカちゃん(仮名)のケースを紹介します。
 
チカちゃんは20代のはじめ、ある男性とお付き合いをして彼の初めての性交渉の相手になったのですが、やがてその男性と別れたくなってしまい、別れ話をしたら彼は別れることには同意したものの「体の関係は続けたい」言ってきたそうです。
 
チカちゃんが「それは出来ない」と言うと彼は「チカが女性の体の味を俺に教えたのに、いきなり相手をしなくなるのは卑怯だ。チカと付き合わなければ俺は1人でも生きていけたのに、チカに女体を教えられたせいでもう自分は女の体が必要な人間になってしまった。チカはこの責任を果たすべく、俺に次の彼女が出来るまで、体だけでも相手をするべきだ。」という持論を展開したそうです。
 
これがまさに「なんでそうなる!?理論」なのですが、彼はいたって真剣に言ったそうです。その彼には私も1度会った事があって、その時は至って社会性のある普通の人に見えたので「えー、あの人がそんな事言うんだ」と驚いたのですが、その後のやりとりメールなども彼女から見せて貰ったので、話は本当だと信じられたのと共に私はかなり驚きました。(彼女はその後無事に別れる事ができていました)
 
こういう「なんでこうなる?理論」はこうやって文章で読む分にはもしかしたら「面白い話」なのかもしれません。
ですが、私はこの「面白さ」は、その人が「安全地帯に居ること」が前提で「面白さ」に変換されるもののような気がします。
つまりどういう事かと言うと、実際に、もし皆さんが夜の繁華街を歩いていたとしましょう。
するとラブホテルの前にいる一組の男女の男のほうが土下座をして「1回だけだから!痛くしないから!終電までに終わるから!」と叫んでいる現場に出くわしました。
この時、皆さんはどう思いますか?
 
多分半分くらいの人は心の中で笑っちゃうんじゃないかと思います。
それは、その男の「無様さ滑稽さ」に対する「なにやってんだよ(笑)」っていう嘲りの笑いだと思います。
でも、その光景がまるでコントの一場面のように見えて笑えるのは、完全に見る人が第三者という安全地帯から観ている光景だからだと思うんです。
 
つまり、視点を変えて自分がその女の人だと思ってみると「その状況は笑えるものなのか」を考えてみて下さい。
それまで普通に会話が成り立っていた男性が性交渉の為に目の前で、血走った目で「お願い!」と土下座で懇願してくる状況。
その女の人の気持ちはおそらく「怖いし気持ち悪いし恥ずかしいし今すぐやめて欲しい」で、とうてい「笑える」ものでは無いと思うんです。
 
まぁ、実際はそれぞれの人の性格によるので、女の人全員が「怖いし気持ち悪い」と思わないにしても、そういう無茶苦茶なアプローチをウエルカム出来る女の人って少ないと思いますし、ほとんどの女の人にとって性交渉に関する無茶苦茶で強引なお願いは「笑えない迷惑行為」だと思います。(もちろん男女が逆でもそうだと思うし。)
 
私の時も、チカちゃんの時も、私達の感想は同じで、「実に怖いよね」でした。
その怖さは、単純に身の危険を感じる怖さもあるのですが、なんというか「性欲に取り憑かれたゆえの人間の狂気」を見せつけられる怖さもかなりありました。
 
そしてこれは別に男性に限った特性では無いと思いますが、私が男性からしか迫られた事が無いのでここでは「男性」と書かせて貰いますが、一部の男性は本当に性欲にかられると普段普通に生活してるような人でも、性交渉の為に無茶苦茶な事を言う時があります。
男性同士ではそんな一面を見せなくても「え、この人が?」という真面目そうな男性でも。
だから、男性の性対象になりやすい女の人の中にはそういう目に遭ったことのある人が結構います。
 
でも、バカリズムのコントが「面白さ」としている部分と、その土下座男の「面白さ」の根底にあるのは、同じ「女体目的に必死こいてる男の滑稽さ」だと思うんです。
そして、それは私やチカちゃんの目には「滑稽さ」として映らず「怖い」と感じた部分です。
このように視点が違えば「怖さ」は「滑稽さ」になってしまうということ自体も私は恐ろしいことだな、と思えます。
 
私は土下座男やバカリズムのコントの「滑稽さ」をすんなり「面白み」と捉えられるのはきっと「土下座されてる女性に感情移入しないでいられる人=そういう状況で怖い思いをしたことのない人(今後する想定のない人)」だけなんじゃないかと思います。
 
そして、前に痴漢の話の時にも似たような事を書きましたが、こういう「怖さ」が「被害を受けた当事者同士しか共有できないものなんだ」と思い知る度に私は世の中にガッカリします。
 
もちろん、所詮「コント」なんですけど、現実で女性が会議室で男性社員と2人きりになる機会は実際に起こる場面ですし、思いもよらぬ男性に滅茶苦茶な理論で押し切られて不本意な性交渉を断りきれなくて辛い思いをした女の人も世の中には沢山いるだろうに、そのような場面がコントという「笑っていいもの」として、テレビという万人向けの媒体で放送することが今の世の中だとまだ「アリなんだな」ということに私は今回ガッカリしてしまったんです。
それが完全に「笑い」として放送される事がまるで、そういう事で怖い思いをした女の人が「世の中に居ないものとされている感じ」がして。
 
テレビで、あのネタが「笑っていいもの」として放送される事は、友達同士が内輪で「この理論武装で女のおっぱい揉めるぜ!」と話してるのとは訳が違うわけで「このコントを見て過去の嫌な思いをぶり返して嫌な気分になる人がいるだろう」という配慮が無かったという事に「今のテレビを作る人の意識ってそんくらいなんだなー」と思えたのが、ガッカリという感じがしました。
 
一部の人には私の話は飛躍しているように思えるかもしれないですが、私はそう思えたのでそう書きます。
 
ただ、これをコントとして世に出そうと思ったバカリズムは恐らく「そういう怖さ」の経験が無いから面白がれるんだろうなぁ、と思うと彼が羨ましい気がしました。
彼の目から見える世の中には、「こんな事を言う奴」は居なくて、「こんな事を言われて怖がる女の人」も居ないから彼はあのコントが作れたんじゃないかと思うので、本当に現実にあのコントを見る人が全員「こんな奴いないっしょ、こんな状況自分に起きないっしょ」と思って第三者目線で楽しめる世の中になって欲しいなと思いました。
 
ちょっと今回、書きたかった事の3分の1にも到達してないのですが、(本当はもっとお笑い全体の事について書きたい事がありました。)今年の私のテーマというか目標が、「テンポよく」なので、昨年までのブログの文章より短くて、数をたくさん書くことをやっていきたいと思いますので、今日はここまでに致します。
 
それでは、皆様、本年も宜しくお願い申し上げます。