限りなく透明に近いふつう

やさしい鬼です お菓子もあります お茶も沸かしてございます

このウイルスは私たちの生への執着を試している

 

今月のはじめ、関東に住んでいる母に電話をした。

月に一度の定期連絡で、お互い近況などを話した。

話題はコロナのことになる。

母は80歳だが、健脚で趣味は散歩だ。

しかし散歩と言っても近所をひと回りしてくるレベルではなく、埼玉南部の家から電車で新宿まで出て、そこから青梅街道を40キロほど徒歩で帰ってくるといったアグレッシブなレベルだ。

80歳になったので、さすがにそのレベルの散歩はあまりしなくなったらしいが、それでも5キロ程度の散歩は毎日かかさず、今も週に2.3日は10キロ越えの散歩をしていると言う。

母が元気なのは何よりだが、そんなわけで母の行動範囲は広い。

そしてここ数年は近隣を散策するより、電車で都内の賑やかな駅に一旦出て疲れるまで線路際を歩いて帰宅することにハマっている。

そんな背景があってのコロナ。

そして母は変人だ。

変人というか、とにかく母は昔から「周囲に流されない」という特徴を持っている。

だもんで、おそらく今の状況になってもライフスタイルを変えていないんじゃないかという懸念はあったが、話してみると案の定そうだった。

外から帰っても手洗いうがいはしないし、マスクもしてないと言う。

確かに昔から母はそうだった。手は汚れていれば洗うけど、帰ったら習慣で洗うということは無いし、風邪を引いたところを見たことがないのでマスクをしている姿もほぼ見たことがない。

私が2月のはじめに関東に帰省した際、既に東京の人々のマスク着用率は5割を超えていた。

その電話をした時はおそらくもっと高い着用率になっている筈だが、母はその時点でも電車に乗るときにマスクをしていないと言った。

 

私は娘として母を叱った。

マスクをしろ、と。

母の体が心配で、という気持ちは2割程度で、残りの8割は周囲に迷惑をかけないで欲しいという気持ちだった。

すると母はアッサリとこう言った。

「アタシもう80歳まで生きたから充分なのよ。これで流行病で死ぬならそれまでよ!」

 

私が「お母が良くても周りの人を殺してるかもしれないんだよ。」と諭すと渋々「わかったよ」と返事があり、まぁまた来月ね、とまとめられて話は終わったが私は怒りのような虚無感のような複雑な気持ちが残った。

 

そして思った。

生に執着の無い人間に、いくら「命の危機」を説いても無意味なんだということを。

今あらゆる情報源から「手洗いうがいの励行、マスクの着用、三密の回避、外出の制限」が呼びかけられている。

それらの注意喚起は「あなた自身を守る為に、あなたの周りの大切な人を守る為に」という意味があるのだけど、そもそも母のように、もう自分の命が終わることに抵抗感が無い人にとっては「守る」ことすらかったるいのである。

 

私は今年40歳になるが、まだあと数十年は生きたい。

だからウイルスに感染しないために行動が制限されたり、普段と違う行動や装備品を強いられても、そのことに従う意欲がある。

それはまだ生きていたいという生への執着が、生む意欲だ。

面倒だけどマスクを着けていつもより沢山手を洗ってうがいをして、盛り場にも旅行にも行かないように我慢もしている。

正直、本意では無い生活を送るのは、かったるい。

でも生きていたい意欲がかったるさに勝るからそうしている。

 

しかし母のように「かかったらかかったでいい、死ぬなら死ぬでいい」という人にとって、命はかったるさを押し殺してまで守るものではないのかもしれない。

 

正直、私は、母は遅かれ早かれ感染するのではないかと思っている。

そうなったら高齢だし死ぬんだろうな、とも。

 

でも、私も母を説得したり家に閉じ込めるために福岡からわざわざ危険を押してさらなる人口密集地に駆けつけるほどのエネルギーは無いから、母のことは遠くから案じるしかない。

 

私がみなさんに言いたいのは、母のように「もうどうなってもいい状態」の人が世の中にはきっとウヨウヨいるということ。

そして、ぼんやり思うのはこのウイルスは、人々の生への執着を試しているんじゃないかということ。

この事態が終息する頃に、人口がどれくらい減っているのかは想像つかない。

でも、世界がこうなる前から「生まれた惰性で生きてる感覚」の人は沢山いて、そういう人はもともと母のように「別にいつ死んでもいいし」というスタンスで生きていたはずで、自死するほどの極端なエネルギーは無いまでも、死ぬ機会が訪れたならそれはそれで受け入れちゃうかもな、というレベルの意識で生を持て余していた人はいた。

私は、脅しではなく、そういう人はコロナ終息後にはだいぶ減っている気がする。

その意識のままで自衛せず感染して死ぬか、意識が変わって生への執着がある人に変わるか。

つまり、コロナ終息後に生き延びているのは、今確実に「まだ生きたい」という意識のもと、かったるい自衛生活を送ることを選んだ、サバイバーと呼べる人ばかりになるんじゃないかと思う。

 

国民の幸福度の低いこの国で、いったいどれくらいの人が「まだ生きていたいんだ」と確信して自衛に励み、生き延びるかは分からない。

ここ何十年も戦争が無かったから、そういうことを意識しないでも生きてこられてしまっている私たちは、この機会に己の生への執着を図るべきなのかもしれないと思う。

 

家にいてマスクを作り飽きたので雑文を書いてみた。

みなさんどうかご自愛ください。