限りなく透明に近いふつう

やさしい鬼です お菓子もあります お茶も沸かしてございます

コンビニと成人向け雑誌と私

はじめに

ことの発端は以前コンビニのバイト中に起きた小さな出来事がきっかけでした。まずはその日の出来事から。
 
ある日の午後
「トイレ貸して下さ〜い」
そう言いながら40代くらいのお母さんが5歳くらいの女の子を連れて、来店しました。
私が「どうぞ〜」と言うと母娘はスタスタとトイレに向かいました。
しかし、あいにくトイレは前の客が使用中で、母娘はトイレ前に並びました。
 
さて皆様もお気付きかと思いますが、たいていのコンビニはトイレ前もしくはATMの横などの「雑誌コーナーの端」にエロ本棚があり、うちの店もトイレ前に成人向け雑誌棚があります。
私がレジからなんとなしに母娘の様子を眺めていると、娘さんが脇にあるエロ本棚を見上げました。 
すると、お母さんはすぐそれに気が付き、さりげなーく身体の向きを変えて娘さんとエロ本棚の前に立ちはだかりました。そして、
「ほらミナちゃん!花火あるよ花火!」
と言って、エロ本棚の反対側にある花火コーナーの方に娘ミナちゃんの視線を誘導しました。
ミナちゃんは振り返るとすぐ色とりどりの花火に目を輝かせ、その中の一つを手に取り「これ買うのぉ〜」と言い出しました。
お母さんは一瞬「そうきたか」みたいな困った表情をしましたが、その時ちょうどトイレから人が出てきたので、すかさず「あっ、ミナちゃんおトイレ空いたよ!トイレ行こう!」とミナちゃんの手を引きました。
しかしミナちゃんにしてみれば「は?お前が花火見ろっつったんじゃん。」ですから「やだぁ〜花火買うのぉ〜」とダダをこねはじめました。
結局母娘は「買うの〜!」「買わないよ!」のラリーを2、3回繰り返した後、お母さんがとうとう力技でミナちゃんをその場から引き剥がしトイレに連れ込みました。
トイレの中からはミナちゃんの火がついたような泣き声が聞こえ、ほどなくして2人はトイレから出るとお母さんは泣いているミナちゃんの手を引き、困った顔で私に会釈しながら一目散に店を出ました。
母娘が店を出ると、私の隣で同じようにその母娘を見ていたパート仲間の古内さん(35歳3人の子持ち)が「わかるわ〜」みたいな表情で呟きました。
「お母さん困ってたねぇ。でも、ああなっちゃうとしょうがないんだよね〜。」
どうやら育児経験のある古内さんは、しみじみとお母さんに感情移入してその光景を観ていたようです。
しかし私のように育児経験のないものからすると「何かを欲しがってダダをこねる子供とそれを止める親の図」は、ただただほのぼのとした微笑ましい光景でした。
そんなわけで古内さんがそう呟いた時、私はただ、ほのぼの気分の中に居たので、特に脳みそを使わずに「そうですね〜」と相槌を打ちました。
しかし、その時、私はふと古内さんの言った「しょうがないんだよね〜」という言葉にかすかな違和感を覚えました。
 
その時はさほど気にならなかったのですが、バイトの後に私は再びそのことを思い出すと、ふと「あの違和感は何だったんだろう?」と思いました。
そしてしばらく考えた結果、違和感の正体が分かりました。
それは、一言で言えば 「この時の一連の状況を全てひっくるめて『しょうがない』とする事への違和感」でした。
 
どういう事かと言うと、まず古内さんの言った「しょうがない」は、たぶん単純に「子供が何かを欲しがってダダをこね出すと手のつけようがないよね。」という意味だけを指していたと思うんです。
 
ですが、私は自分なりにその「しょうがない」の解釈を「母娘の置かれた状況まで含む」と考えた時、どこか不自然に思えたのです。
それは
・エロ本棚がミナちゃんの視界に入りそうになる。
・エロ本棚をミナちゃんの視界から外すために後ろを向かせたお母さん。
・お母さんがそうせざるを得ない店の環境
これらの状況もひっくるめて「しょうがない」とすることへの違和感でした。
 
まぁ、分かりやすく言うと「5歳児も出入りする普通のコンビニ店に、当たり前のようにエロ本が目に付きやすく陳列してある環境はしょうがないの?」という疑問が、私の感じた違和感の正体だったのです。
そして、その疑問は実は私には少し心当たりがありました。
 
うちのコンビニは交通量の多い国道沿いにあって、トラック運転手や土建業の男性が客層の6割ぐらいを占めていて、 そのせいか分かりませんが、他のコンビニ店に比べて雑誌コーナーの中のエロ本棚が占める割合が多めになっています。
コンビニでも店舗によってエロ本棚に割くスペースの大きさはまちまちで、スペースが小さければ私もそんなに気にならなかったかもしれませんが、うちの店舗は本当にエロ本が多いんです。
まず全雑誌のうち3割が制人向け指定のエロ雑誌で、さらに近頃は制人向けでなくても週刊誌の表紙にセックス関連の見出しと水着姿の女性のものが多いので、それらも含め「半裸の女性が表紙でエロワードが踊る見出し」というくくりにすると、その数は全雑誌のうち半分を占めています。
つまり私は普段バイト中に何の気なしに床掃除をしていてもふと見上げれば「淫ら人妻調教スペシャル!」が視界に入り、外でゴミ袋を取り替えてても「JKのパンツの中覗いてみた!」の裏表紙が目に飛び込んで来るわけです。
これに対し私は密かに「アダルトショップでバイトをしてるならまだしも、なぜ普通のコンビニで働くのに日々エロ本と向き合わなきゃならんのだ。」と思ってました。
でも私はいつも「嫌だなぁ、でもしょうがないか…」と思って見て見ぬ振りでやり過ごしていたのです。
 
つまり私には普段からの自分のそういう気持ちがあったので、このミナちゃん親子の件を改めて考えた時、2つの「しょうがない」がリンクしてはっきりと「なんか変じゃない?」という違和感が形になったんだと思います。
 
私は一度「おかしい」と思うととことん考えてしまうのが癖なので、このことを元にそのころから自分の中でこれを「コンビニのエロ本陳列問題」と名付けて、よく考えるようになりました。
今日はそのことについて書いていこうと思います。 
 
ちなみに、読んで頂く上での注意点としましては、私が問題視する「コンビニのエロ本陳列問題」はシンプルに『コンビニ』に『エロ本がおおっぴらに陳列してある事』の是非を問うという事だけを指します。
なので、コンビニ以外のエロ本取扱店についてまで言及しませんし「エロ本の存在自体」を否定しているわけでも「内容が児童ポルノに引っかかる」とか訴えてるわけでもありません。(女子高生モノについてはそうも思いますが…) 
 
本当はそれらを含めた総合的な話を書けると良いとは思いますが、なにぶん私の脳みそと文章力ではそこまで手を広げると話が非常にとっちらかって分かりにくくなりそうなので、あくまで私は今回この文章で「コンビニで現在のような誰の目にも触れる形でエロ本を陳列する事」だけを問題として書きます。 
そこだけはご理解下さい。
 

コンビニのエロ本陳列問題

私がそのことについて考えるようになった頃、ちょうど東京オリンピックの開催がきまりました。
そしてその頃のTwitterでどなたかがこんな事を呟いていました。 
「外国人が日本に来て驚くのはコンビニで当たり前のようにエロ本が置いてある事。このままだと日本は五輪で来訪した諸外国の人から『ポルノが公集の場で売ってる国』というレッテルを貼られる。」(うろ覚え)
私はこれを読んで「ああ、やっぱそうなんだ」と思いました。 
私はその前から日本がポルノの規制が緩いというのは知っていましたが、それは「内容」に関することだけで「流通方法」については諸外国と比べて日本が緩いのかどうか知りませんでした。
でもこのツイートでそれを知り、薄々そんな気はしてましたが、一応調べてみると「ほとんどの外国では少なくとも子供が出入りする店にポルノを陳列していない」という事が分かりました。
やっぱり日本のコンビニの環境は世界的に見ても「おかしい」と言える所なんですね。
どうりで「日本スゴいデスね視察団」がコンビニには来ないわけです。
 
さて、それからも私は「どうなることやら…」とTwitterを観察していると、先日あるツイートに共感したので私は思わずRTしました。
 RTしたツイートはこちらです。↓(下段のほう)  
私は「眠れる森の8」さんのツイートの「そんなこともおかしいと思えなくさせられてるの怖い。当たり前のように存在してると当たり前のように認識してしまうんだよね。」という文章に共感しました。
 そう「既に当たり前だからそこに違和感を感じない」というのは、とても怖いことだと思います。
これは、子供の頃から親に暴力を振るわれてた女性が「家族から暴力を振るわれること」が当たり前の感覚になってしまい、大人になってから暴力夫にDVを受けてもそれを受け入れてしまうのと似たような怖さだと思います。 
コンビニにエロ本棚がある事は、今の世の中だと「当たり前」で、子供がエロ本を観ないように花火の方を向かされて、花火が買ってもらえなくて泣くのも、すべて含めて「当たり前でしょうがない事」になっています。 
しかし、私は世の中の「しょうがない事」というのは「出来る限りの善処を尽くしても起きてしまう嫌な事」だけを指すものなんじゃないかと思います。
だから、ミナちゃんのケースだと、仮にエロ本棚が無くてもミナちゃんが勝手に花火を見つけて欲しがって泣いたとしたら、それは本当に「しょうがない」で良いんですが、「コンビニにエロ本棚がおおっぴらに置かれているのは既にある環境だから、それを避けた果てに泣く事態が起きる」を「しょうがない」とするのは「前半、しょうがなくないだろ。」と思ってしまうんです。
 
そんなわけで、コンビニのエロ本棚に対して考えてしまうわけですが、もし私だけでなく、沢山の人がひっそりと「嫌だなぁ」を抱えつつ我慢しているんだとしたらこれを期にその方々も「嫌だなぁ」の声をもっと上げていいんじゃないかと思いました。
私が今回これを書こうと思ったのは、 今までひっそり『嫌だなぁ』を抱えていた人も、そこからさらに踏み込んでそれぞれに解決策を考えるようになるといいんじゃないかな?と思ったからです。
また、今の時点で「嫌だなぁ」ではなく「コンビニのエロ本いいじゃん!」と思う人にも、世の中に「嫌だなぁ」と思う人間が居て、ただ闇雲に「エロやだ!」と言ってるわけじゃなく「こんなことを考えて言ってますよ。」というのを少しは理解して貰えればいいなと思って書いています。
 

「嫌だなぁ」が共感できない人

 さて、ここまで読んでいていて「そもそもエロ本の何が嫌なの?」と思う人もいるかと思います。 
たしかにもし世の中の大半がエロ本に対して私のように「嫌だなぁ」と感じる人ばかりだったら、エロ本は公共の場に存在しないはずですが、現状そうでないということは今の世の中にはエロ本に対して「自分はあまり気にならない」という人が多いという事だと思います。 
そういう人にとっては、きっとこういう「嫌だなぁ」という声はただの「うるさい女がなんか言ってる」に聞こえるかもしれません。
 しかし私は先ほど書いたように「うるさいなぁ」と思う人にもできれば「嫌だなぁ」の人が「どうして嫌だと思うのか」ということを分かってもらえたらいいな、と思います。
 なのでそこの説明をしようと思います。 
はじめに書きますが、私はまずエロ自体を毛嫌いする性格ではありません。しかるべき場面ではこっちからエロを求めることはあります。
ただ、コンビニというのは非常に日常生活に溶け込んでいる場所なので、そこにエロがひょっこり存在すると、そのあまりにも「しかるべき場面」では無さに、嫌気が指すのです。
だからそういった平時にエロ本を観かけると私は素直に「嫌だなぁ」と思います。
そして「嫌だと思う理由」については、このたび自分でも初めてよく考えてみたのですが、私は公の場で「一般的なエロ本(女性が表紙のもの)」を観ると2つの感情が沸き上がり、その感情が自分の「嫌だなぁ」の中身だと分かりました。
 
 それは、
①同じ女体の持ち主として思わず「性対象として存在する自分」を投影してしまう。
②それらの「エロ本を求める男性」に対し「かつて自分にエロを求めて嫌な事をしてきたヤツら」を重ねて連想し、世の中に嫌気がさしてしまう。
というものです。
 
これはどういうことかと言うと、まず①についてですが、私は普段生活していて人の性別を意識するのが苦手です。
基本は自分にも異性にも「女だからこう、男だからこう」という型を忘れて生活したいと思っていますし、男性と話す時もお互い「男女」ではなく「人間対人間」として存在したいのです。
だから自分が男性をむやみに性的な目線で見ることはしませんし、男性からも性的な目線を向けられたくありません。
でも、エロ本の表紙の女性がおっぱいやお尻を突き出していると、ふと「そういえばあのパーツを自分も持ってるなぁ…」と思い出して、さらに「見る人によれば私はただのこの『パーツの持ち主』という見方をされてるかもしれないんだ。」と改めて自分が女体の持ち主だということを意識してしまうんです。
これが、なんだか嫌な感覚なんです。
好きな人とセックスしてる時に「あー自分は女なんだなぁ」としみじみ嬉しくなる感覚がありますが、あれの真逆という感じ。
自分が「女性であり、女体の持ち主なんだなぁ」というのは、しかるべき時だけに感じるから嬉しい感覚であって、平常時に意識するのは「場違い」な感じと、節操が無い感じと、下品な感じと、日常生活に邪魔な感じがして、うざったいんです。
だからコンビニでエロ本を目にする度に頻繁にその感覚が呼び起こされるのが嫌なんです。
 
②については、私の過去の経験が関係していて、私もこの歳まで生きてるとそれなりに痴漢やらセクハラを受けて来ているわけですね。
痴漢やらセクハラは言うなれば「男性からむやみに性的対象にされた嫌な経験」なんですが、その犯人は私にとって「平常時にエロを求めて来た失礼なヤツら」なんです。
で、それは「コンビニという日常生活空間にエロ本を紛れこませる神経の持ち主」と通じるものがある気がするんです。
いま、コンビニにエロ本がでかでかと置いてあるのは「それでいいじゃん」と思う男性の存在が世の中に多くいるから生じているシステムであって、その「それでいいじゃん、女が嫌がってても俺がそうしたいんだからいいじゃん。」ていう神経は、痴漢とかセクハラをする人の神経と同じような気がするんです。
しかもエロ本のタイトルや見出しって「JKにナマで中出し」とか「素人をナンパしてヤッちゃいました」とか実にモラルの壊れたワードが並んでいて、その世界観は「女体をオモチャにしてやるぜ感」に溢れているので、「あー、こんだけたくさんのどうかしてるエロ本の需要があるってことは、世の中にこの世界観を欲している男の人がよっぽど沢山いて、彼らに都合の良い世の中だから今ここにエロ本があるんだなー」と思うんです。
なので平常時にコンビニのエロ本棚の前でそれを改めて頻繁に認識せざるを得ないのが、辛くて嫌なんです。
 
私はちょっと考え過ぎのところがあるので、私以外の「嫌だなぁ」と感じる人もこのように感じているかどうかは分かりません。
でも残念ながら私の周りの成人女性のほとんどが、それまで生きているうちに異性からレイプ、痴漢、セクハラ、強引な口説き…等々「異性からの何らかの性被害」に遭っています。
それは個々に程度の差はあれど、みんな「女体の持ち主として生きている為、男性からそういう事をされた嫌な経験」だと言えます。
だから「女性が表紙のエロ本」を目にした時に「嫌だなぁ」と感じる人の割合が、男性より女性に多いのは、エロ本が各々の女性のそういう過去の苦い経験を刺激するからじゃないかなぁ、となんとなく推測してます。
 
では「男性はコンビニでエロ本を見かけて嫌だなぁと思わないのか?」というと、その答えはとても個人差があると思います。
男性でももちろん「嫌だなぁ」と思う人がいるとは思いますが、全体の比率で言うと女性よりは男性の方が少ないと思います。
なぜなら、今の世の中はそもそも男女で「エロ」に対する認識に差があるからです。
その認識の差とは、簡単に言うと女性には「この世には歓迎出来ないエロがある。」という認識が備わっている人が多くて、男性にはそれが無い人が多いということです。
どういうことかというと、私は人間を「男女」に分けて語ることは、本来あまりしたくありませんが、それでも一般的に「エロ」に対して、男性と女性では受け取り方が違うように思います。
中学生の頃、道にエロ本が落ちているとほとんどの女子は伏し目がちに見て見ぬふりをして通り過ぎますが、男子は拾って笑いながらそれをネタに「うぇーい」とじゃれあう事がありました。
これは、その頃からすでに男子は「女体」をオモチャとして扱う事が出来て、女子は同じ女体の持ち主として「女体をオモチャに出来ない感覚」が備わっているということだと思います。
その土台がある上で、さらに大人になるに従い、悲しいかな女性は実際に男性から「人間ではなく、オモチャ扱い」をされる経験を積んでしまいます。
私はセクハラや痴漢などの「性的被害経験」とは「異性から人間扱いではなくオモチャ扱いされた経験」だと思うのですが、年頃を過ぎた男性と女性では、この経験数の差がかなりあり、そのことが男女のエロに対する認識を
男「オモチャと遊ぶ楽しいもの」
女「オモチャにされて嫌なもの」
と分けてしまうのかな、と思います。
 
男女の痴漢やセクハラ被害数を比べてみると、圧倒的に女性の数が多いのは言わずもがなですが、これは言い換えれば世の中に「男性から性的に嫌な目に遭わされた女性」が、男性のそれよりはるかに多いということです。
つまり女性はほとんどが大人になるまでに何らかの形で「エロを求められて嫌な立場」に立たされた経験がありますが、男性の中には大人でも「エロを求められて嫌な思いをする」というのを経験せずに「エロを求める立場」しか経験したことがない人が大勢いるということです。
 
そしてエロに対して「求めた事しかない男性」は「求められて嫌だ」という感覚が分からず、若者でもおじさんでもお爺さんでも「エロ=とりあえず歓迎」という認識の人が多くいます。
 
だから「表紙に半裸の女性が映り、卑猥な単語が並ぶエロ本」を目の前にした時、男性の中の「今までエロを求める立場でしか生きて来なかった人」は単純に「やった!エロい!嬉しい!」と思うでしょうし、逆に「エロを求められて困る立場で生きてきた女性」は「ちくしょう、クソエロ男が…」と思うわけです。
 
そう考えると「エロ本を目にするのがなぜ嫌なのか分からない」と言う人は、今まで「エロを求める立場」しか経験してこなかった人なのかもしれません。
 
でも、そういう人にもこの説明で「エロを求められて嫌な思いをしてきた女性が、エロ本を見るのは嫌なものだ。」という事を察してもらえるとありがたいです。
ちなみに、ここまでは説明の為に、あえて性被害の対象となる性を「女性」としましたが、男性でも過去に性被害を受けて嫌な思いをした経験があれば、女性と同じような、この「嫌だなぁ」は共感出来るはずだと思います。 
ですが、世の中の全体の「性被害で嫌な目に遭った人」の比率は男女で女性の方がはるかに多いので、やはり現状では男性のほうに「何が嫌なのかいまいち分からん。」という方が多く存在するのだと思います。
 
とにかく、この「男女で性的被害経験の数が違う」ということが、世の中の男女のエロへの認識に差を生み、そこへさらに男女でエロに対する認識が違うことが、この公共の場でエロが氾濫する世の中を作ってると私は思います。
 

想像できない人

さて、そんなわけで世の中の男女でそういうエロへの認識の差があるとはいえ、「男女は分かり合えぬのう」と嘆くばかりじゃ事態は変わりません。
私は、たとえ「これまでは性被害の経験が無い男性」でも、その人がその経験をした女性の立場を想像さえできれば共感はできると思います。 
そしてもしも全ての人が「異性からむやみにエロを求められた時の嫌な思い」を共感できたら、異性にむやみに性的視線を向ける人は世の中から減るし「エロ本がむやみに目に入る嫌さ」も分かってもらえるんじゃないかと思います。
そういう思いから、私は少し前にこんなツイートをしました。  
このツイートに至った経緯は、これより前のツイートがありました。
それは 
私が一緒にバイトしている女子高生も、女子高生モノのエロ本を前に目を伏せて働いている。 彼女達は「自分が属する『女子高生』という記号が性対象として特別視されてる現実を見せ付けられる嫌さ」を感じていて、それは成人女性でも嫌な事なのに、女子高生は10代という幼さでそれに耐えなければならないので、酷過ぎる。
というもので、その続きとして書きました。 
しかし、上のツイートの反応の中には「嬉しい」「そうだったら余計興奮する」というものが結構来たので、私はギャフンとなってしまいました。 
 
私としてはたとえ「雄々しい男性としていつもエロを求める立場で生きてきた方でも、非力な少年時代に自分が性対象にされる場面を想像したら嫌な思いが少しは分かるはず。」という狙いで書いたのですが、これは甘かったようです。 
「自分が性対象となり、レイプされるかもしれない場面を想像してみろ」と言われれば誰しもが「それは嫌だ」と共感できるかと思ったのですが、そういう男性にとっての「レイプされる」というのは「自分が女性に襲われる」をイメージして「悪くない、むしろ嬉しい」となってしまうようです。
 本来なら「抵抗敵わず犯される側の恐怖感」に男女は関係ないはずで「少年期に自分より屈強な生き物にレイプされるかもしれない怖さ」は男性でも想像さえ出来れば共感可能だと思いますし、是非そこまでを想像して貰いたかったのですが、そうはならなかったみたいで残念です。 
 
「嬉しい」「むしろ興奮する」という反応をした方はおそらく、性対象が「女子高生」から「男子高校生」にまで広がった世界を想像してるだけで、自分がその世界で「犯される立場」になった場面まで想像してないんだと思います。
 もう、こういう人は実際に刑務所にでも入って自分が豪腕な囚人男性に力ずくでボロボロになるまでレイプされない限り「被害時の恐怖感」は想像出来ず、残念ながら共感は難しいのかもしれません。
ですが、世の中には想像力の働く善良な男性も沢山いると思うので、そういう男性に真意が伝わる事を願ってツイートはそのままにしておきます。
 

ひとつの方法案 

さて、それではここからは私なりに考えたコンビニのエロ本陳列問題の解決策を書きたいと思います。
私はコンビニにエロ本をおおっぴらに陳列して欲しくないと思ってます。
でもそれは単純に「コンビニでエロ本を売らないで下さい!」という主張ではありません。
こういう話をすると「コンビニでエロ本を買いたい人」と「コンビニでエロ本を見たくない人」の関係が完全に対立しているように見えて、どうしても極論で「現状のまま売る」か 「売らぬ」の答えを出そうとなりがちですが、私は答えはそのどちらでもないと思います。
 
確かに「コンビニでエロ本を見たくない」人の願いを叶える為に1番手っ取り早い方法は「コンビニでエロ本を売らない」なのですが、このように真っ向勝負でどちらかが泣く方法(「買いたい人」を無視して「買えなくする」という提案)は現実的では無いと思いますし、それだとあまりにも「他者に厳しい社会」という感じがして、私の望みともちょっと違ってしまいます。
だから両者にフェアで現実的な着地点は「コンビニでエロ本を売りつつも、見たくない人の目にはなるべく触れないように配慮する」なんだと思います。 
そこで私の考えた方法案がこちらです。
http://t.co/yOm8IjQr3d  
私は素人ですのでこれを実現化するのにどれくらいコストや手間がかかるとか、具体的な問題点がどれだけあるかとか、そこまで分からないのですが、でもひとつの案として思ったので書きました。
 
なにより、この話について「売る・売らない」を根本から見直すという大論争を巻き起こすより「大っぴらに陳列すること」という所だけを変えるほうが現実的にはイケると思うので、これが私なりに出た答えです。
他にも沢山の人が知恵を絞ればよい方法があるかとも思いますし、これを期にこの件を考える人が増えるといいかなと思って、たたき台としてこの一案を出します。
手間味噌で申し訳ありませんが、この方法だと、エロ本が見たくない人は今よりむやみに視界に入ることは減るし、コンビニでエロ本を買いたい人の中にも「買いたい時は買うけど家族や友人とコンビニに行く時は見たくない」という人が居ると思うので、そういう人のニーズにも合ってるし、限りなく泣く人が少なくて嬉しい人が増えるような気がします。
 
ただ一点、この方法だと「イヤだ!俺はコンビニでエロ本がデカデカと置いてある社会が好きなんだ!」という人にだけは泣いてもらうことになりますが、これはもう「すいません勘弁して下さい」としか言いようがありません。
すいません勘弁して下さい。
 
 

最後に

現在の「コンビニにエロ本がおおっぴらに存在していて、買いたい人にとっては便利」という状態は、エロを求める人を優遇するあまり、エロから遠ざかりたい人をないがしろにしている状態だと思います。
私はこの件で、「コンビニでエロ本を買いたい人」が今持っている「便利に買う権利」まで侵害したくはありません。
誰かが既に持っている権利を「手放せ」というのは並大抵のことではないからです。
でも、片方に「簡単にエロに近づく権利」が与えられているなら、もう片方にはこれと同程度の「エロから遠ざかる権利」があるべきだと思います。
 
この「エロから遠ざかる権利」は、本当はコンビニエロ本に限らず、バナー広告とかにも言えますし、なにより今の社会で平然と根底にあるセクハラとか「エロ目的で他人に近づく輩」にバーンと突きつけたくなる権利です。
私は「多少の下ネタにも寛容でないといい女とは言えない」とか「減るもんじゃなし、おじさんにも優しくしてよ〜」とか言う人にいつも「エロから遠ざかる権利!」と叫んで走り去りたいです。
 
あと、ついでなので最後にもう1つ書いておきたい事があります。
 
この手の話をすると「気にならない女性もいるんだから、気にする女は過剰に反応してるだけだ」という意見が出ますが、それは違うぜと言いたいです。
それは靴を隠されたいじめられっ子に対して「靴を隠されても気にしない子もいるんだからお前も気にするな」と言うのと同じ理屈のような気がして納得できません。
確かに女性の中にも色々な人がいるので「エロを突き付けられても気にならない女性」もいると思います。
でもそれはたまたまその方が「気にならずに済む考え方が出来る」という幸運の持ち主なだけであって、世の中に「嫌だなぁと気になる女性」が居ないことにはなりません。
世の中には本当に色々な考え方の人がいて、他人(特に異性)から「何を言われ、何をされ」て、どのくらいの事が「気になる・気にならない」と感じるかも個人の感覚による自由です。
それをたまたま「男性にとって都合の良い感覚を持った女性」を取り上げて「こういうのがいい女、みんなこれを見習えよ」と押し付けるのは世の中を男性本位に作り変える行為で、世の中の女性がみんなそんなに男性にとって都合の良い女性だった時代はとうの昔に終わってます。
だからいくら「気にならない女性」を引き合いに出されても「嫌だなぁ」と思う人が私自身であったり私の周りに一定数いる以上、私は「じゃあ私も気にしないようにしよ」となれないのです。
そこはわかってもらえるとありがたいです。
 
終始「女の被害者意識」で書いているような文章になりましたが、私は女性も男性もお互いに被害者や加害者にならずに幸せに暮らせればなぁ、という気持ちだけで書いてます。
とりあえず、私は明日もエロ本溢れるコンビニでバイトなので、この長い文章を最後まで読んでくださった方にいいことがあるように祈ってもう寝ます。
ではまた。