限りなく透明に近いふつう

やさしい鬼です お菓子もあります お茶も沸かしてございます

「女の子はバカでいい」と思ってた私をグリーっとしてやりたい

 

はじめに

この件については「触れたら負け」感がするのでちょっと書くのをためらいました。

でもここは「沈黙はOKのしるし」とされるお国柄ですし、Twitterにぽろぽろ書くだけでは流れていってしまうので、やっぱし嫌だと思ったことは嫌だということを示し残しておくために、書いておこうと思います。

何がって?そりゃ「女の子はバカでいい」こと秋元康の書いた「アインシュタインよりディアナ・アグロン」の歌詞の件ですよ。

 

girlschannel.net

でも「秋元康が女の子をバカにしてて、バカにしつつも金儲けの道具にしてる」のは今に始まったことではありませんし、そういう話は前にさんざん書いたので今日は「秋元とアイドルががどうこう」って話は書きません。(↓欲しかったらこっち読んでください)

 

ninicosachico.hatenablog.com

 

代わりにどうやって今の気持ちを表現しようかなぁと考えましたところ、自分の話を書くことにしました。

なにを隠そう今はこんな私ですが、私自身が若い頃「女の子はバカでいい」ということに「そうだよね」と思っていた女の子だったのです。

でも、人は変われば変わるもので今の私はその頃と考え方が180度違います。

だから、秋元康の歌詞の醜悪さはリンク先に書いてある皆様の感想がすごく私の気持ち通りなので、私にできるのは、自分なりに昔「女の子はバカでいい」と思っていた頃を振り返りつつ「そのころの自分がいかにバカだったのか」という反省文を書くことかなと思いました。

それで、もし読んだ方がそれぞれなにか思うことがあれば幸いです。そういう動機で書きます。

 

恋愛のことを書くにあたって

私はこれまで自分の具体的な恋愛史を書くのはなるたけ避けてきました。

でも今日は話の説得力を増すためというか、背景として書かなきゃどうにもならないので書きます。

ちなみになんで書くのを避けてきたかというと、単純に「恥ずかしい」というのもあるのですが実は正直なことを書くと、私は、16歳以降いわゆる「一度も男が途切れたことがない」のです。

「知るかよ」って感じでしょ?

そうなんです。

だからこれまでもこういうことを「書こうかな」となった時点で頭の中は

うー、卑屈な感じに「身の程知らずがいけしゃあしゃあとお恥ずかしい限り」みたいに書いても、逆に堂々と「私にとっては普通のことなので当たり前に書きますけど」みたいに書いても、どっちに転んでも文章では読み手は「なんかそんなことわざわざ書くなんてやなやつ」としか思わないだろうなぁ、ああ、どういう風にかけばいいのやら

という私の自意識がぐわーごちゃごちゃとなってもう自分自身が面倒くさくなってしまうので恋愛の話題を書くのをやめてきたんです。

でも、今日はこんだけの前置き自体うざいと思うんですけど、ここまで書いたので恋愛のことも含めて書きます。はじめに言っときますが、私のこと嫌いにならないでください!

 

私の色恋遍歴

私は末っ子で兄が2人いて、兄からの寵愛をだいぶ受けて育ったのと、おませだったせいか、小学生のころから色恋ごとを得意としていました。

私は「色恋ごとが得意か不得意か」というのは、結局のところ顔の良し悪しや性格はさほど関係なくて「他人への好奇心」が強いかどうかだと思います。

その点でいうと私はどうやら人一倍他人への好奇心が強かったので、その適正がありました。

だから、簡単に人のことを好きになってしまう性格もあいまって、結婚するまで(いや結婚後もわりとあった…清算済み)ひたすら恋愛にかまけていました。

 「好きこそものの上手なれ」とはよく言ったもので、人間、好きなものへの集中力・観察力といのは惜しみなく発揮するんですね。

若い頃の私の恋愛は、まるで蟻が好きな少年が「クッキーを置けば蟻が集まるのかミミズの死骸を置けば集まるのか色々と実験してみる」ように、好きな男性に対して「どういう振る舞いが好まれるのか」と色々と思いついては試してみるのが楽しみでした。

男性への試行錯誤の繰り返し、理科でいうところの「観察・仮説・実験・考察・検証」をひたすら続けて、相手や自分の気持ちの揺れ動きを味わうゲームのような恋愛を繰り返していると、20代になる頃の私には大抵の恋愛ハウツー本には書いてあるような一通りのこと(「男子の話には大きく頷き、聞いたことのある話でも初めて聞いたように振る舞う」とか「嫌なことでも無下に断らず、笑顔で代案を出して男子を傷つけないようにすること」とか「ボディタッチが効果的」とか諸々)が自然と身に付いていました。

そういう自分なりの「愛され女子マニュアル」の編集が脳内で進んでいて、それに従えばたいてい「いける」と思った男子は落とせました。なんなら後半「男子ちょろい」とさえ思ってました。(ごめんなさい!ぶたないで!)

今になって思い返すと、若い頃の私のしていた「恋愛」は交際相手がずっと夢見心地で居られるように振る舞う「一連のサービス業」みたいなもので、ようするに自ら進んで「男の人の需要を満たせる女」というのになっていたわけですから「そりゃそんだけ合わせてたら好かれるだろうよ。」ってだけのことなのですが、当時の私はそのことに全く気が付かずのんきに「男、途切れんもんだなー」と思ってました。

 それで、恥と軽蔑をしのんで私の男性遍歴をさかのぼりますと、まず私は小学生、中学生の頃から片思い、両想い、チュー程度のことはあったのですが、それは子供のお遊びのようなことなのでノーカウントとして、本格的に男性とお付き合いをした高校2年生の頃からの話をします。

高校2年生の頃からずっと付き合っていたのが一回り以上年上の社会人男性(バイト先の社員)だったのですが、進路のことを考える年になると、彼が言いました。

「ニニちゃんは成人したら俺と結婚するんだから、卒業したら二年ぐらい家事手伝いでもしてなよ。」と。

私は当時「結婚してお嫁さんになる」ということの具体的なイメージは持ち合わせていなかったけど、ただ「好きだからいっか」と深く考えずその言葉をホイホイと聞き入れ、(確かその前にもっと本格的なプロポーズがありましたが)進学も就職もせず進路希望の紙にはマジで「進路:花嫁修業」と書きました。(ほんとうに恥ずかしい)

それでいて、周りの女友達が進路をああでもないこうでもないと悩んでいるのを観て、自分は特に悩まなくても進路が決まっていることに優越感を感じていました。

いまこれ書いてて自己嫌悪の嵐です。

結局は、卒業してフリーターになってぶらぶらしているうちに私は他に好きな人が出来てしまってその彼とは別れたのですが、双方の親に挨拶&婚約済み&20歳の誕生日に結婚を前提とした同棲を始めることが決まっていて、その引っ越しの2か月前に別れたものですから、その時は色々と大変でした。

でも、その頃もあんまり物事を深く考えてなくて、私は「とりあえず好きな男子と付き合えてればオールオッケー」という、とんでもビッチ脳でして、それなのにそんな婚約破棄までして付き合い始めた男子(専門学生)とは数か月であっけなく別れてしまいました。

でも専門学生と終りかけの時に知り合った男子(建設業)が間髪入れずすぐ好きになってくれたもんで、とっととその人と付き合いはじめて、その頃にはもう実家も出てフリーターをしながらその人と半同棲がはじまりました。

しかし私はとにかく色恋沙汰への好奇心旺盛で、一通りのことはしてみたかったし、需要があると答えたくなる性分もあって、その彼と付き合ってる3年間も、よその人とこちゃこちゃありました。

なんというか、今思うと「脳みそあんのか?」というくらい男の人が大好きで、いや、男の人に好かれてる自分が好き、だったのかもしれませんが、とにかく若い頃は恋愛してるのが好きでした。

 

「バカな私」に需要があった

私は別に「恋愛だけしてる女がバカ」だとは思いません。

でも後になって自分を思い返すと「もうちょっと恋愛のウエイトをほかのことに回して、自分の人生を真剣に考えていれば…」という後悔は実にあります。

いつも私は自分の人生を「隣にいる男」にゆだねていたわけですが、今になると相手がそんなに変わるなら「男にゆだねるのは不確かなこと」だと学習すべきなのに、なぜか私は全然学習しなくって、その学習の無さが我ながらバカだったと思うんです。

で、後々になって「私なんであんなバカだったのかな」と思い返すとですね、これはあれですよ、奥さん。

恐ろしいことに「男の需要」に応えようとすべく生きてたら、脳がそのように進化(退化か?)してたんだと思うんですよ。

あ、もちろん、これ「男子のせいにしたい」って話じゃないです。全部、自己決定の結果ですから私自身のせいだと思ってます。

 でも、説明させてください。

実は私が高校生の頃からその23歳までの付き合ってきた相手には1つの共通点があったんです。

不思議なことに彼らは見た目も歳も職業もまったく違うのに、なぜか付き合って数か月すると、必ず同じフレーズを言ってきました。

それがこれ

「なんでそんな難しいこと言うの?」

 

私、いくつか恋愛を経て後から学習したんですけども、男女って交際数か月目までは「話」なんかしてないんです。してるのは「おしゃべり」なんです。(おしゃぶりじゃないですよ)

私にとって「おしゃべり」と「話」の決定的な違いは何かと言うと色々あるけど、決定的に違うのは「おしゃべり」は誰とでもできるけど「話」は出来る相手かどうか適性があるということです。

そしてその適正は実際に交際はじめの数か月の甘い期間(試運転みたいなもんですね)が過ぎてから「話」をしようと試みてみないと分からないんです。 

で、私は好奇心が強いので、物事の「カラクリ」を知りたがる性格で、例えば彼氏との会話中に「いま●●と言ったけど、△△って言い方もあるのになんで●●のほうを選んだの?」というようなことを彼に尋ねたくなったり、テレビを観たり本を読んだりしても「これついて私はこう思うけど、そなたはどう思う?」という意見交換をしたいんです。

面倒くさいとお思いでしょうが、私はどういう形であれこういう「話」にちゃんと乗ってくれる人が私と「話が合う人」だと感じます。

べつに彼氏には必ず聞かれたことに答えて欲しいわけではなく、答えがないなら「これこれこういうわけだから答えたくない」でも良いんですが、とにかく笑ってごまかしたり、黙ったり、「わかんない」の一言で済ませたりしなければいいんです。(このニュアンス伝えるの難しいですが…)

でも、歴代彼氏らは軒並み「なんでそんな難しいこと言うの?」と言ってきました。

そりゃ交際当初の頃は付き合いでちゃんと答えてくれた人もいましたが、数か月すると皆がやや面倒くさそうにそのフレーズを出してきました。

「なんでそんな難しいこと言うの?」っていうのは、彼らの言い方のニュアンスを考慮して意訳すると「難しいこと聞くな」で、それって本心突き詰めると「うっせーな」ですからね。

つまり、試運転期間を過ぎて互いに本性を出し始めて、さぁ「話」をしてお互いの人間性を知ろうじゃないの、と私が思っても、返ってくるのがこの返事ということは、彼らがしたいのは「話」以下の、誰でも頭をそんなに使わず楽しくできる範囲の「おしゃべり」なんです。

だから、たぶん、私の付き合ってきた彼らの望んでいた彼女像というのは、自分の話に大きく相槌をうったり、少し難しいことには「んふふ、わかんない」と笑ってくれたり、ようするにpepperくん程度の受け答えだけして、しょっちゅうパンツを脱ぐ女だったんじゃないかと思います。

秋元康もそういう「頭カラッポ」な女の子を推奨していますし、たぶん一部の「男の需要」があるのは、そういう女の子なんじゃないでしょうか。

で、今35歳の私の脳みそで判断すればその時点で「はい、話あわないよー、やめときー」のストップ信号を出すんですけど、その頃の私の脳内では、まだ少女時代から編集してきた「愛され女子マニュアル」が絶賛大ヒット中でしたから、私はすぐ「あ、この人こういうの嫌なんだ!」と察知して、自分の質問をひっこめてたんです。

ばかー

今考えると、私は「男の人の需要を満たせる女」の威厳を保ちたかったのか、もう脳がそういう判断ありきの恋愛脳だったみたいで「好きな人とモメるくらいなら、嫌われるくらいなら、私が変わればいいんじゃん」という頭がすっかり出来ていて、そういう判断を無意識でやっちゃってたように思うんです。浜崎あゆみばりに何事も「だから分からないふりをしていた」んですね。

で、本当に恐ろしいのはここからで「質問をひっこめる」というのは、いうなれば「思考停止」なわけです。

人間の脳って思考停止を繰り返してると、筋肉が使わなければ減っていくのと一緒で、脳も思考力が減っていって、本当にバカになっていくんですよ…

つまり「バカのふり」が、いつしか「本物のバカ女」を作り上げていったんですよ!キャー

かのラーメンズ小林賢太郎氏は「?」が「!」に変わる瞬間が「STUDY(勉強)」だと言いました。

つまり人は「?」が「!」に変わる時に1つ賢くなる生き物なんだと思います。

でもその「?」が湧くたびに、そうやってつぶしていたら、そりゃあ私、1つも賢くなれませんよね。

そうして私は「男子の需要」にことごとく合わせたせいで、彼氏が嫌がりそうな私の「?」はいつもひっこめて思考停止して、ものを考える力を失って、いつの間にかバカの道を歩んでいたんだと思います。

しかも私が最大にバカを極めていた頃、私は自分でそういうバカさを開き直って肯定していました。

そういう恋愛を繰り返す私に「少しおちつけ」と助言をくれた友人に、口先だけで返事をして心の中では「でも私の方が男に愛されてるし女の子としては幸せだもん、ぷう」と思ってました。ああーごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!!

今は本当に反省しています。(反省というか、もう、いま目から塩水出てます。)

「私がバカだから、バカ女好きの男が寄ってきた」のか「バカ女好きの男が寄ってきたから、私がバカになっていった」のか、始まりを突き止めるのは「卵が先か鶏が先か」みたいなことで、今となってはもうわかりませんが、とにかくその頃の私のバカさは、「バカな私」に需要があったからそうしていた。ということです…。

それが当時の私のバカさの理由で、今の私は今の自分のことが好きですが、それでも時々あの頃もっと「男子」以外の自分の好きなことを優先しておけば、あの頃もっと相手に自分の素を突き付けていれば、今頃どんな自分がいたのかな、と思ったり、迷惑をかけた人のことを思っては「女の子はバカでいいもん」と開き直ってた自分のこめかみをげんこつでグリグリーっとしてやりたくなります。

 

さいごに

昔の私は、正直言って自分でも「なんで私はそんなモテるんだろ?」と不思議でした。(ごめんなさい、ぶたないで!)

でも本当に、私は見た目全然ふつうなのになんで彼氏が途切れないのか、なんでちょこちょこ口説かれるのか、よく分かんないまま、男性に好かれることを心地よく思っていたんですね。

で、今思うとそれって、単に男性から見て私が「ちょろい女」だったからだと思うんです。

「お前が闇を観るとき、闇もまたお前を観ている」じゃないですけど、私が「男子ちょろい」と思って接する時、その男子もまた私を「ちょろい女」と思ってたんですよね。

だから互いの「ちょろい」という見下しから始まった恋愛は、結局愛情なんか本当は無くて、見下しと見下しの下層へ続く螺旋階段のいちばん下に「さみしいからなんとなく」とか「イケそうだったからなんとなく」という仄暗い水の底みたいな怨念が漂っていただけの関係性だったのかな、と思います。

もう過ぎてしまったことなので、私は今さら戻って色々やり直したいとは思いませんが、これを読んでいる若い女の子がもし私のような恋愛をしていて、大黒摩季の「恋愛中ってもっと楽しいと思ってた」という歌詞にグッときたりしてたら、それ脳の奥では危ないサイン感じ取ってる証拠ですからね。

どんなに好きでも、好きって実際あんましアテにならない感情ですから「今どんなにだませても、おまえ後で絶対目覚めるから、どうせなら今のうち若いうちに目を覚ませ!脳みそ使え!」と言ってあげたいです。

私は28歳の時に福祉の勉強をして、その後に介護の世界に入って自分の性格や適性が活かせる世界を知ることができました。

自分のスキルで得る報酬(それは金銭的なものもそれ以外のものも)の喜びは、昔男子に合わせてチヤホヤされていた頃の喜びの何倍もの感動がありました。

自分の頭を使って勉強をして知識を得てそれを生かすことの楽しさは、男性でも女性でも平等に味わってほしいことで、それが叶う社会であって欲しいと私は思います。

私の周りには20代後半になってからOL辞めて看護学校に入り直す子、中退した大学に入り直す子、ワーキングホリデーに行く子、そういう子が結構います。

彼女たちは一度はそれぞれ何かしらの道に(その時都合が良かった進路)進んでも、あとから自分の脳みそを使いたい欲求がくすぶり続けて、結局決心をして勉強して知識を得てそれを活かす道を選びなおした女の子たちです。

「バカ」で終わりたくない。

知らないことを知りたい。

知識を活かしたい。

生きてるうちにもっともっと楽しくなりたい。

私は彼女たちが自分の可能性に賭けて、そういう自分の欲求を押し通したところをとても愛おしく思います。

人の「可愛さ」って、そういうことに見出すものなんじゃないかな、と。

彼女達は、かつて「男子に愛される女として奔走していた頃の私」より絶対可愛いです。

年齢的には10も20も歳を取っていても、当時の私のほうが全部男に委ね任せて、脳みそ退化してましたから、それよりもみずみずしく少女らしいのは、いま勉強している彼女たちのほうだと私は本当に思います。

今の日本には「女の子はバカでいい」「女の子は頭カラッポでいい」という需要は、確かに一部の男性から根強くあると思いますが、私は「自分よりバカで非力な女」にしかそそられない男性は可哀相だなと思います。

なぜなら、その人達は自分の支配欲は満たせても真に愛情を感じる日が来ないからです。

「女の子という愛玩動物」でいくら遊んでも「人間同士の愛情のかかわり」の面白さにはとうてい及ばないからです。

なんかもう宣教師っぽくなってきたのでぼちぼち終わりにしますけど、とにかく女の子たちよ!

自分の人生は自分のために使ってね!隣にいる男子より、自分の脳みそと体の方が高確率であてになるよ!

何年も経ってから、過去の自分に「ありがとう」と言う快感は、隣にいる男に100回イカされるより快感だかんね!まじで!

未来の自分が幸せでいるためには、いまの自分ががんばるんばしかないんだよ!

どうか、この国に本当に素敵な女の子がたくさんふえますように。

最後にこれのせときまーす。

ではまた。ねむい、おやすみなさい。