限りなく透明に近いふつう

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理想の家庭は「個人」で決めたい。(少なくとも私はサザエ家が理想じゃない。)

 

時間が無いので走り書きになってしまうかもしれませんが、このタイミングで書いておかないといけないと思った件なので書いておきます。

昨日のヤフーニュースで見たこちらの件

mainichi.jp

 

記事内容をざっくりまとめると自民党を支えている保守団体『日本会議』が、この度、日本の家庭のありかたとしての理想は『サザエさん一家』だと示した。」という内容です。

これに対してははすでにtwitterでも「なにそれ?」と怒りの声がたくさん見られていて、私も同じように「なにそれ?」って思いました。

それでつぶやいたツイートがこちら。

 

 

今回書きたい事は、まぁこのツイートに要約されているんですが、憲法24条や「家族のありかた」については7月に深澤真紀さんの記事を読んでから私も考えるようになったので、この機会にツイートでは書ききれないことを書いておこうと思います。

あ、深澤さんの記事は素晴らしいので、ぜひまたこの機会に多くの方に読んで頂きたいです。

 

憲法24条を「女だけの問題」にしてはいけない(深澤真紀)|ポリタス 参院選・都知事選 2016――何のために投票するのか

 

私はこの問題を中高生のような若い方にもよく考えて欲しいので、今日はここから中高生でも読めるようにやさしい文章で書いてみます。

まず、「日本会議」という団体は、一言でいうと「古き良き日本」を大事にしている団体です。そして安倍総理大臣がいる自民党を支えている団体です。

日本国憲法」とは、国内の様々な事柄について「国としてはこんな風に考えてますよ。」という考え方を示したもので、今の日本の法律は、その考え方に外れないように作られているので、わかりやすくいうと、憲法は「法律の素」みたいなものです。

その中の憲法24条には「婚姻や家族に関すること」が書いてあります。

「結婚は男女2人がお互いに『したい』と思った場合だけにするもの。」とか「結婚相手を選んだり、住むところを決めたり、結婚や家族に関する法律は個人の尊厳を大事にしたものじゃなきゃいけません。」というようなことを「国としてはそう考えていますよ。」と示した内容です。

私達の身近にある結婚に関する決まり事といえば、皆さんも「男は18歳、女は16歳にならないと結婚できない」「同じ性別の人とは結婚できない」ということはすぐ思い浮かぶと思いますが、そうした決まり事、法律は全て憲法の考えをもとに作られているのです。

ですから憲法はけして他人事でも、どこかで頭の良い偉い人達だけがこちゃこちゃ話し合って勝手に決めることでもなく、もっと国民一人一人が「自分たちの生活を左右することなんだ。」と思って接するべきことだと思います。

 

さて、では日本会議の人達がこの度「サザエさん一家が理想の家庭像だ」と示したことに、私や多くの大人たちがどうして「なにそれ?」と思ったのかをお話しします。

日本会議というのは先ほども書いた通り、自民党を支えていて、自民党と仲良くしている、いわば「どこかにいる頭の良い偉い人達」です。

仮にその人たちが「こうしたい」という希望があれば、ゆっくり年月をかけて政治に働きかけることで国全体で「こうしたい」が実現できてしまう可能性もあると私は思います。

そのように国を動かす力が強い団体の、理想の家庭像が「三世代同居のサザエさん一家」と言う事は、どういうことだと思いますか?

それは、日本家庭についての在り方を「国としてはそっち方向でいくように考えてます」という意思表示だと私は思えます。「そっち方向」とは

「今の日本は親と別居している核家族が多いけど、ゆくゆくは昔みたいにじじばば、父母、子どもたちみんなで暮らす大家族が多くなるといいな。サザエさん家みたいに。」

という方向です。

「別に大家族は賑やかで、いざと言うときみんな一緒に暮らしている方が助け合えるし、それが理想なのは悪いことではないんじゃない?」と思う人もたくさんいるでしょう。

私もべつに大家族に反対だというわけではありませんし、それを望んで三世代で暮らして「家族皆が幸せだという家庭」が将来増えること自体は良いことだ思います。

でも、それは国民の一人一人が社会の環境と自分たちの暮らしについて考えて、「そうするほうが幸せだから」と自分の意志でそちらを選ぶ人が増えて、自然とそうなった「結果なら」良いことだと思うだけで、あくまで、国が「それが幸せで、それが理想なのですよ。」と誘導するのはおかしいことだと思うのです。

 

家庭や暮らし方というのは、その人の人生のあり方そのものに直結するとても重要な部分だと思います。
だから国としてはそこに対して「一人一人で違う事情や考え方がありましょう。どんな立場であろうとそれぞれのお考えは等しく尊重しますよ。」というだけで留まるの正解だと思います。

なのに、こうやってサザエさん一家というモデルを挙げて「家庭の理想像はこれだから、そっち方向行くように国を動かしていくから」みたいなことを言われると、まるでそうでない家庭は国にとって理想的ではないと言われているように感じます。

それにそうやって国が「家庭単位」での理想を指し示すのは、実は昔の憲法の考えに近いことをやっているように思います。

どういうことかと言うと、今から70年前、太平洋戦争以前の日本は、日本国憲法ではなく大日本帝国憲法という憲法で動いていました。

この憲法は、天皇陛下がこの国では神様のように一番上に立つ存在で、国民も「個人」よりも「家単位」で見るものでした。

そして「個人」は、家や国の為にはどういう犠牲を払っても我慢するものとされていたので、今のように「どんな人も一人一人の人権を重んじよう」という考え方は無く、人権は性別や立場によって重く見られたり軽く見られたりすることがあったのです。

だから今よりもっと沢山の男女差別、身分差別に苦しんでいる人もいたし、「家の為に私は我慢する」という風に、個人よりも「家」を大事にするのがその時代の当たり前でした。

つまり、今の私達が当たり前に「個人の考え」で人生を決めていることそのものが昔は当たり前ではなくて、家の為、国の為に自分の意志を我慢する人が、その我慢も「当たり前」として生きていたわけです。

そして、第二次世界大戦が終わった70年前、戦争に負けた日本に対してアメリカが「新しい憲法作って、国を建てなおしなさいね。」と示していったのが今の日本国憲法なのですが、アメリカからすれば日本は「無謀な戦争をして負けた国」なので、日本人が二度と同じ過ちをしないために、日本国憲法大日本帝国憲法とは内容を変えました。

「飛行機事故を起こした航空会社が、また同じ事故を起こさないように、国が会社のマニュアルごと変えるように指導する。」みたいなことですね。

そうして出来た日本国憲法では国民に対して、かつての「家を重んじる」よりももっと「個人を重んじよう」という方向でした。

個人を重んじるというのは「国民一人一人がみんな等しく同じ人権を持って、どんな人も自分の意志決定で生きるのが当たり前の社会にしましょう。」というようなことです。

だから日本は70年かけてようやく戦争の前よりは男も女も平等で、出身地や立場による差別なども減り、「家の為に私は我慢する」という考え方も今時はあまり聞かなくなっているのです。

昔は家の為とあれば「長男長女は家を継ぐ、親の老後をみる」は当たり前ですし、女の人は「さっさと結婚して相手の家に尽くせ」と言われ、しかもその相手も「実家に都合の良い相手を親が勝手に決めてくる」なんてこともよくあることで、さらに嫁ぎ先の家でお姑さんにいじめられたり旦那さんに殴られたりと辛いことがあっても離婚するのは「家の恥」と言われるので、それも我慢する。

といった具合に、「家」を重んじるためには、その家を成り立たせている個人が人権を侵されていてもそこはお構いなしだったわけですから、今の世の中は日本国憲法のおかげで救われている人がたくさんいると言えます。

私が普段気にかけている女性差別についても、まだまだ差別が完全になくなったとは言えませんが、それでも日本国憲法が出来て70年で、ようやく少しずつマシになっているかなとは思っています。

だからこれからもそうやってこっちの方向で、個人を尊重した社会で暮らしたいと願っている矢先に、どこかの偉い人達が「家庭の理想像は昔ながらのサザエさん一家」と、また「家」単位で、国民の生き方を指図してきたので、「なにそれ?」となったのです。

国が国民のことを一人一人の「個人」でなく、「家族単位」でまとめたがっている。

それも「家族の絆、家族の助け合い」といった耳触りの良い言葉で、さも素晴らしい事のように。

その一見耳障りの良い言葉選びや、サザエさんのようなほがらかアニメの力を借りて「憲法を変えようよ。昔に戻ろうよ。」と優しく説得されているような感じが、私は怖いと思いました。

 

私が思うに「昔の大家族は良かった」と考える人たちは、昔のお嫁さんが家族の中でただ「働き手」としてコキ使われて苦しんでいたことは無いことにしています。

だから今の社会にある介護の問題、少子化の問題、待機児童の問題などを解決するのに「昔はそういうことは家族で助け合っていたからなんとかなったんだ。昔みたいに皆で暮らせば丸くおさまる。」と思ってしまうんだと思います。

でも、国の動きとして「こっち」と示された方向に進んで行って、問題が沢山でてきたからと言って「昔」という逆方向に戻るのは、すごく浅かな考えだと思います。

 日本会議は記事にもある通り「個人の尊重や男女の平等だけでは祖先からの命のリレーは途切れ、日本民族は絶滅していく」という考えらしいのですが、私としては日本民族が絶滅する」も確かに怖いことではありますが、それと同じかそれ以上に「人権が踏みにじられて我慢しながら一生を終える人をたくさん作りながら日本民族が生き残っていく」というのも怖いことだと思います。

だから簡単に「このまま個人主義が進んだら、男も女も好きなように生きて結婚しない、子供も生まれない、日本人滅びるから、個人じゃなくて家族を重んじさせろ!」と国がそっち方面に舵を切るのはやめてほしいです。

少子化については私もよく考えてて、身近な女性に意見を聞くと、実は「産みたくない」とか「予定もない」と同じくらい「いける限り産みたい」もいるんですよね。

いける限り産みたい女性は、みんな金銭的な理由で子作りを3.4人で止めてるらしいのですが、私はそれを聞いたら「国は、生みたくない人とか予定のない人に産め産めと迫るより、こういう産みたい人が好きなだけ産めるように動くほうが早いのでは…?」と思ったりするので、そういうのなんとかしてほしいです。

あと、特別養子縁組の制度ももっと変えて里子制度が身近になるといいと思うし、要介護者を抱える家族が数家族寄り集まって暮らせるグループホームの家族ごと版みたいな施設もあるといいなとか考えたり、ようするに誰かと助け合わないと無理が出る社会なら、その誰かを「家族」に限定するのではなくて、もっと個人が自由に選んだ相手と助け合いことができるようにすればいいのでは?と思ったり、私ですらそういうの考えるからもっと頭の良い人がみんなで考えたら、なにも昔に戻ろうとしなくても、「未来なんとかなるんじゃないの?」って思うんです。

なんというか、単純に諸々の社会問題を「昔に戻れば解決」じゃなくて、なんかもっと「時代が進んだからこそ出てくるアイデアを頭絞って考えて活路を見出そうよ、そういうの考えるのが政治家でしょ、昔に逃げないでよ」っていうのが今の気持ちで、今日書きたかった一番のことかと思います。

 

あと最後に書いておきますと、サザエさん一家が幸せそうに見えるのは、①サザエの実家だからサザエがのびのびと自由な言動をしていて、②さらにマスオさんがお人よしな性格で妻の実家でもそれなりにマイペースに暮らし、③フネも波平もまだ元気に動けて、④カツオもワカメもタラちゃんも非行に走らず健康優良児だから、ハタから観れば幸せそうなだけであって、実際に今の日本で「さぁ三世代同居始めなさい!」と言われてもこの①~④の条件が揃う家庭はなかなか少ない気がします。

誰も年を取らずに「幸せな一時期」を永遠に繰り返しているアニメの家庭像を持ち出し、「こうなれよ」と言われても、私たちは現実に歳を取りますから素直に「そうだよね」と思えません。

私達は「理想の家庭像がどんな風か?」も人それぞれみんな違う頭で考えて生きている人間だから歳を取るし、時間の流れは止ま らなくて進むので、どうか国の在り方を考える人たちも「古き良き」の良かった所だけ見て理想化しないで、こっち方面で先を観て活路を考えるようにしてもらいたいです。

そして、中高生の皆さんも政治や社会や憲法のことを、もっと身近に考えてみてくださいね。

よろしくお願いします。

 

急いで書いたので乱文ですみません。

ではまた。