限りなく透明に近いふつう

やさしい鬼です お菓子もあります お茶も沸かしてございます

専業主婦の夫にあまりにもモラハラが多いので

 

今日は思いついたまま書くのでまとまりがないかもしれませんが、良かったら読んでください。

読売新聞に「人生案内」という、読者からのお悩み相談コーナーがあるのをご存じでしょうか。

そこは毎日老若男女問わず色々な人からの相談が寄せられているのですが、月に数回ほど「ひどい夫案件」があるんです。

それはたいてい妻からの「こんな夫と生活していくのに耐えきれないけけれど、子供の為に家庭は維持するべきか?」みたいな相談なのですが、日々読んでいると「これ、こないだと同一人物じゃない?」と思うことがよくあります。

実際には同じ人の投稿はダメみたいなので、みんな別人なんですが、まるで妻たちが1人のダメ夫について話してるのかと思えるほど、どの夫も根底の部分に同じ精神を共有しているというか「マザーコンピューターで脳の意識が繋がってる」かのようにそれらのダメ夫は同じことを妻に言ったり、やったりしてるんです。

2016年1月26日

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2016年6月17日

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こんな感じ。

これらの夫って、たぶん一般的に「モラハラ夫」と言われてるやつだと思います。

で、このコーナーの相談を観ててやっぱり実感するのは「こういうモラハラ夫の家庭って、奥さんが専業主婦が多いな」ということです。

もともと私は実生活でも友人や親類の女性から家庭の相談を受けることがあるのですが、やっぱりそこでもここ数年は同じことを感じていて、新聞を観て「改めてそうよなぁ」という感じです。

中には完全な専業主婦ではなく、週に3回くらいパート勤めをしている女性もいるのですが、やはり生活のメインが家事育児なので、本人達も「専業主婦」に属している感覚があり、その夫もパート勤めを「労働」というより「息抜き」くらいに位置付けているようです。

ようは、妻も正社員で夫と同じくらいに外での稼ぎがある場合以外は、夫婦共に

「夫→お金を稼ぐ人、妻→家事育児をやる人」という役割意識がやっぱりあるみたいなんですね。

 

近頃は「女性も出産後に職場復帰が出来る社会」とさかんに言われていて、もちろん私もその動きに賛成ですが、仮に妻が「職場復帰」しなくとも、その夫婦ごとに双方が役割分担に納得していて、「夫が仕事、妻が家庭」となっていても、それ自体は悪いことだとは思いません。

それで夫婦が互いの役割に「ありがたみ」を感じあって、双方が「互いに大変だけどよくやってるよね、お互いガンバロー」と思ってれば、どちらかがどちらかを「下に見る」ことは無いと思うからです。

 

でも、この人生案内のモラハラ夫に関する相談件数の多さや、身近な主婦の方の悩みの数を観てるとやっぱり「下に見る」が起きちゃってるんですよね。

そして、その要因はやはり外でお金を稼ぐ男性の中に「金を稼ぐ人間が偉い」という意識があるからかな、と思います。

 

私にとってその1番身近な例は、私の育った家庭でした。

うちは4人きょうだいで母はずっと専業主婦、父は典型的な仕事人間だったので、この手の愚痴は母から耳にタコが出来るほど聞かされてきました。

モラハラ夫定番の「誰が養ってると思ってるんだ」という台詞も、幾度となく母は父の口から聞いたそうです。

母が父からそれを言われていたのは、およそ20年前くらいのことですが、こんなに時代が変わってもその台詞は死語になっていないということに私は「あーあ」となります。

 現に、今年に入って私が相談を受けている、妻も夫も私とそんなに歳が変わらない(40代前半)2つの家庭でも、奥さん達は最近その台詞を夫に言われたと言っていました。

あーあ、ですよ。

最近は「専業主婦の労働を賃金に換算すると月収40万くらいになる」というようなデータでもって、このような「専業主婦を下に見るな」という話題が世間でもなされることが増えています。

でも、そのデータだけでは納得出来ない男性の声もあるようで「ちゃんとやってる主婦ならその金額だが、うちの妻の家事レベルはそこまでない」とか「金銭に置き換えるとか言い出したら、妻の分の宿泊費や食費などを考慮したら妻の働きなんぞ0かマイナスなくらいだ」という言い分もあるようです。

こうなってくると、私としては「夫婦ってそういうもんじゃないじゃん…」という感じになってきて、悲しくなります。

なんつーか、「妻の維持費」とか「妻の労働を賃金換算」とかを言い出す段階って、「もうその家庭には愛が無いから一緒にいないほうがいいよ」って感じがするんですが、お子さんがいる家庭はそう簡単に別れることが出来ないので、みんな仕方なく現状維持をしてるんですよね…。悲しいっす。

 

ところで、私はこないだこんなツイートをしました。

 

これは、他の方のツイートで「育児の大変さを理解するには、海外で実践されている『卵の宿題』をやらせてみてはどうか」というのを見て、そこから思ったことです。

『卵の宿題』というのは私も初耳でしたが、内容は「生徒に何日間か生卵を割らないように持ち歩かせる」という課題らしくて、ようは生徒はその課題中、自分の生卵の安全に24時間留意しないといけないわけです。

自分が遊びに行く時などは卵を人に預けてもいいのですが、預ける相手を見極めないと、相手は簡単に卵をほったらかしにして割ってしまうかもしれませんし、預け相手選びから油断ならないので、とても大変そうです。

他の方で、この宿題を実践した方も「卵は自分から動くわけでも泣くわけでもないけど、課題中は神経を使って大変だった」とツイートされていました。

 でも世の中には、「卵を一週間持ち歩く宿題が大変なんだよ。」とだけ聞いたら「卵なんて静かだし自分から動き回らないし重くもないし何が大変なんだ?」と思う人がいると思います。

 私はそれがちょうど、主婦に対して「子供の遊びの相手してるだけじゃないか」「食事や風呂や寝かしつけも、一日中手間取る内容じゃない」という風に軽んじた発言をする人と同じ精神だと思ったのでこのツイートをしました。

 

卵の宿題の大変さは先述した通り、ただ「重さ60グラムの生卵を持つ腕の疲労」だけではなく、どちらかと言えば、卵の安全に24時間何日間も留意し、責任を背負いながら過ごさなきゃならない「精神的負担の大変さ」がメインです。

だから、学校がこの宿題を出す意図は、たぶん生徒に「自分以外の生き物の安全に留意し続けて生活することが、どれだけ大変か実感して知りたまえ」ということだと思います。

そこに気が付かずに「何が大変なんだよ?」と言うことは、想像力の欠如です。

自分のしていない役割をしている人の大変さをおもんばかるのは、想像力のなせるわざです。

私は常日頃「親切」とは「想像力」のことだと思っています。

だから、もし専業主婦に対して「ろくに働きもせんと」と小ばかにする気持ちがある人は「すべての主婦の大変さを想像しろ」とは言いませんが、せめて自分が愛して結婚した奥さんに対しては「それくらいの想像力を使ってあげなよ。」と思います。

 

この話を書いてて思い出したのでついでに書きますが、この手の「奥さん側の精神的負担」を感じ取らないわりに「働く側の精神的負担は感じ取って欲しい。」と言う男性に私は出会ったことがあります。

 以前、職場にいた男性なのですが、その方は生後数ヶ月の赤ちゃんが居て奥さんがその時は専業主婦でした。

彼とは仕事では普通に気のいい同僚として働いていましたが、ある時、仕事のことで彼と意見が食い違うことがありました。

いきさつを簡単に言うと「上が指示する方針と、現場でやりたいこと」が少し違ったので、私は「現場の声として、上に言ったほうが良いと思う」と言ったのですが、彼は「簡単にいうけどそれは大変なことだよ。自分は上には立て付けない。」と言うんですね。

さらに彼は「桜島さんは、ここで一生働かないから簡単にそういう事が言えるんだよ。」と言うんです。

よくよく話すと、この仕事の件について、彼はすでに家でも何度か奥さんに愚痴ったりしていたらしく、奥さんにも「上に言えばいいのに」とアッサリ言われてたらしいんです。

それで、その後の彼の話を要約すると

「女は『一生その場所で働き続ける』という経験をしてないから、男が『一生誰かを養わなきゃ』というプレッシャーを抱えながら一生務めるつもりの職場で仕事く辛さを理解できない。だから女に仕事の話をすると簡単に『こうすれば』と言ってくる。男はそれが出来ないから辛いのに。もっと、こっちの立場を分かって言って欲しい。」

ということでした。

つまり、彼は「家族を養う」のも「今の職場で働く事」も両方一生ものだと思っているから、一生ものを2つ抱えた人間の精神的な負担は「仕事を一生もの」と思ったことがない女性には分からないと言いたかったようです。

これは一見すると、これまでの話と主旨が違うように見えますが、彼がこう思った背景まで書くと2つがつながるかと思います。

 

彼は仕事についての話以外にも、以前から家で家事について奥さんに少し文句を言ったら「あなたは仕事に行ってる時間だけが仕事だからいいでしょ。育児は一日中なの!だから大変なの!」という喧嘩がたびたびあったそうです。

喧嘩の際に彼は奥さんにうまく言えないそうなのですが、彼の中にはそういうことを奥さんに言い返される度に「外で働くということは、仕事に行ってる間だけのことを指すのではない。『一生外で働かざるを得ない立場』という重圧が24時間何年ものしかかっているのに。」という思いがあったそうです。

だから彼の意見としては「仕事の大変さ」のことを持ち出すならば、そこにまつわる『一生外で働かざるを得ない立場』の精神的な負担も考えて欲しい。というわけです。

 

まぁ、彼の言い分も分かりますよね。

でも、彼の場合、それを言うなら自分も奥さんの育児について「24時間何年も精神的な負担」を強いているものだと思ってあげないとフェアじゃない気が私はします。

 なぜなら彼は職場では奥さんのことを「帰ると家の事なんもしてない。サボりすぎ。」とか「昨日も子供寝かしつけて一緒に寝てただけとか言ってた。」と、しょっちゅう愚痴っていたり、妊娠して辞める同僚に「これでゆっくり出来るね〜」と言ってたのです。

だからやはり「この人、育児をナメてるな」という風に見て取れました。

自分は育児にまつわる精神的な負担を考慮せず、奥さんの実労働だけ評価してるくせに、奥さんには実労働だけ評価されるのを不満に思い、「もっと精神的な負担を評価してくれ」というのは虫が良すぎます。

奥さんも彼もそこは「お互い大変だよね~ガンバロー」じゃないと。

ここん家は幸い、奥さんの気が強いから言い返せているけど、女性の性格によってはそのまま「お前は家にいてロクに働いていない」という夫の意見をうのみにして自分から「養ってもらってるし、言う事聞かなと…」と下に下がっていく人もいると思います。

そうして、だんだん「人として守られなければいけないもの」まで夫に奪われ続けて、ある時我慢ができなくなった人が読売新聞に相談することになるんだと思います。

 

まだ、誰かに相談しようと思う人はマシで、そのまま精神を病んでしまったりストレスで病気になってしまったりしたら本当にかなしいことです。

だから、私は彼や、世の中にいるかもしれない彼のような男性に言いたいのは、外で働く側の大変さを「その責任重圧ごと理解して優しくしろ」と奥さんに求めるなら、自分も育児に関して「自分以外の生き物の生命維持責任を持ち続けて生活する責任重圧を理解して」ということです。

 

夫婦になった時点で、お互いに対する愛情があるはずです。

そういう相手とは「こっちのほうが大変だ!」と大変さ合戦をしあわないで、「こっちも大変だけど、そっちも大変だよね。」と労わり合って暮らしたいじゃないですか。

最近、あんまりにも身近な女性や人生案内にこの手のケースが多いので、そんなことを思いました。

 

以上です。

ではまた。