職場にパンチパーマのおばちゃんが入ってきた時の話
介護の仕事をしてた頃のこと。
介護職というのは、望んで門を叩いてくれる人もいますが、まぁご存じのとおり最後の受け皿といいますか、「リストラされて職安通いをしてたら勧められたので試しに来てみた。」てなクチの人も少なくありません。
要するにこの業界、一口に「新人さん」と言っても、若者とは限らず、むしろ中年以降の方のほうが多いんじゃないかという業種であります。
そんなわけで、私も5年勤めているうちに、老若男女さまざまな新人さんのお世話係をしてまいりました。
その中で一人とても印象に残ってるというか、忘れたいのに忘れられない人がいまして、今週のお題がまさに 「印象に残っている新人」だそうなので久々にこのお題でひとつ書こうと思います。
私の働いていた介護施設は、いちおうデイサービス(日帰り)とショートステイ(短期入所)の方のための施設だったのですが、短期入所の利用を組み合わせてずっと泊まりっぱなし(帰宅することは無いので実質入所してる状態)の方も数人いらっしゃる小規模な施設でした。
私はそこで介護員をしていたんですが、ある時パートタイムで入社されたのがその人、オダカさん(仮名)でした。
オダカさんは見るからにザ・おばちゃんという感じの人で、第一印象は「ちびまるこちゃんのお母さんぽい」と思いました。なによりその印象付けに一役買っていたのは、彼女の髪型。
パンチなんですよ。
しかも「さては、今さっきロッドを外したのでは…?」と思えるほどにグリングリンが効いてて「あーし、初出勤に備えて気合い入れてきたんでぇ、そこんとこ夜露死苦ゥッ!」と言わんばかりのかけたてホヤホヤ感のあるパンチパーマだったんですね。
それでいて、ご本人の態度はヤンキーどころか、これがめちゃくちゃ腰が低かったんです。
こんな感じ。(つーかこの絵iPhoneのメモ機能で描いたんですけど、今こんなカラーとか出来てすごいですね。便利。)
で、私の職場ではいつも朝ミーティングがあったんですが、その時にボスが「じゃあオダカさん自己紹介お願いします」と言うと彼女は一歩前に出てこんなような事を一気に言いました。
「エートね、オダカです、私ねオバちゃんでしょ、こんなね、オバちゃんですからね、足手まといにしかならないと思うんだけどね、こうしてね、若い皆さんに囲まれてね、出来ることやって、お役に立ちたいと思ってますんでね、エエ、介護はね、初めてなんですけどね、体力は自信あるの、頭はからっきしだけど、ってアハハ、まぁね、お手柔らかにね、オバちゃんのこといじめないでね、仲良くしてくださいっ」
挨拶1つでオダカさんが「こんなような人なんだ」というのが職員全員になんとなく伝わった見事な挨拶でした。読んでる皆さんにも分かったと思います。
で、最初は「ちょっと変わってるか?」と思ったオダカさんでしたが、慣れてくると確かに有言実行で体力仕事は本当に率先してやってくれたんです。
特に利用者さんの入浴介助って、うちはマンツーマン方式だったので、1人で2人続けて入れると介助者も汗ダクになる重労働なんですね。
夏場なんか男子でも3人続けて入用介助をやるのはキツいのに、オダカさんは2人続けて介助した後も「もうさ、面倒だからアタシもう1人やっちゃうわ!それで午前のお風呂は終わりだからお風呂掃除もしておくから!」という感じだったので、だんだんと職員の見る目も変化していき「オダカさん頑張るねー、いい人入って良かったねー」と評価は上がっていきました。
そういえばオダカさんのことをさっき「腰が低い」と書きましたが、オダカさんは歩くときにマジで腰を下げてました。
ふつうの人が歩く時の姿ってこう、背筋を伸ばしてスタスタと歩くと思うんですが、オダカさんは1人で歩いてる時そのようにスタスタ歩いていても、誰か他人と近づくと「へぇへぇ今日もいいお天気で」みたいな事を言いながらいつもぺこぺこして歩いてました。(下図参照)
結局オダカさんがなんでそんなに腰を下げてるのか理由は最後まで分からなかったのですが、思い出したので書きときました。話を戻しますね。
そのように他の職員からは評価を得てきたオダカさんでしたが、私だけは徐々に「オダカさんの腰の低さって色んボロを隠すためなんじゃ…?」と思うようになってきました。
なぜかというと、実際教育係の私はたびたび彼女の言動にギャフンとなることがあったのですが、その度にオダカさんはぺこぺこはするものの信念は何1つ変えないのです。
例えば、オダカさんには少しでも「体力仕事」以外のことを教えようとすると
「イヤイヤイヤイヤイヤイヤ!ムリムリムリムリムリ!!オバちゃんだから!アタシなんてオバちゃんだから!そういうのは頭の回る若い人が頑張って!無理だから!力仕事ならなんでもやるから!」
といつも全力で拒否られました。
私はこの時、なにも「通所介護計画書の書き方を教えます」とか言ってませんよ。
教えようとしたのは、うちの施設には毎月利用者さんの送迎に使う車が3台あるので「月末にその3台の車の走行距離の数字を見てメモっといて下さい」って仕事なんですよ。
これは月末の最後に車を使うに当たった職員は誰でも全員やることなので、事務仕事と呼べるほどのものでもないし大人なら「難しいからムリ」というレベルの仕事じゃないと思うんですね。
でもオダカさんには「事務仕事はダメなの!オバちゃんだから!」という因果関係の分からぬ言い訳の一点張りで拒否られ、私は「世の中にオバちゃんの事務員何人いると思ってんだよ…」と思いました。
こんな調子でオダカさんには普通の理屈が通じないことがよくありました。
そのつど私が「や、あのイヤとかじゃなくて、仕事なんでやって貰わないと…」と言っても「ムリムリムリムリ!」と拒否られ、二言目には「そんなら辞めるよ!」と「職を辞する覚悟」を突きつけられてしまうので、いつもこちらが折れる形になっていました。
オダカさんはおそらく自分の言いたいことを強調したい時になると、周りが見えなくなるというか論理がむちゃくちゃになる人なんだと思いますが、後にそのことがよく分かったエピソードが1つあります。
とある日のデイサービス。
利用者さん達と紙風船バレーをしていた時に20歳の男子職員田中くん(仮名)がリフティングみたいにして「ほっほっ」と紙風船を操って利用者さんを楽しませたんですね。
そしたら見守りをしていたオダカさんも「いや〜さすが若いわ!足があんなに上がって、ホラ○○さん見て田中くんが凄いことしてるよ!」と側にいた利用者さんに声かけをしてくれて、寝ていた利用者さんも目を開けて「本当だねぇ」と笑ったりして
こんな感じのすごく和やかでいい雰囲気だったんです。
しかし私の心の叫び虚しくオダカさんは火が付いてしまったようです。
「だいたいね昔なら60なんてとっくに死んでる歳なんだから!そんなあたしに出来るわけないでしょっ!年寄りからかってこの子は本当にもうっ!」
私が、さすがに止めねば…と思って立ち上がると、田中くんが言いました。
「もーオダカさん何言ってんですかー!
オダカさんの歳で棺桶ならここのみんなはとっくに燃やされてる頃でしょー!」
田中くん…
私はドキドキしました。
しかし次の瞬間
「そりゃあ違いねぇ!」と一人のお爺さんの合いの手が入りその場は笑いに包まれました。
…よかったぁあ~。
さすが老人は懐が深い。田中くん結果的にグッジョブ。
そんなわけでその場は丸く収まったのですが、田中くんの冗談が冗談として消化されたから良かったものの本来なら80歳超えの人の前で「60歳はすでに死んでもいい歳」と言うのは失礼ですよね。「80超えて生きてる俺はなんなんだよ」ってなりますから。
もしオダカさんがそこに気がつかなくて、今後気難しい利用者さんと一対一の時にまたそんな事を言ったらトラブるので、教育係として私は一応オダカさんに「その認識があるか確認しなくては」と思って「あの、さっき皆さんの前で言ったのけっこう失礼だって気がついてます?」と聞きました。
オダカさんは「ハテ?」という感じだったので、上記のようなことを説明をするとそのまま神妙な顔をして頷き、最後に顔を上げて
「あたし難しいことは分かんないけどさっ!とにかく頑張るねっ!」とニッコリされました。
このようにオダカさんと接する時に私は何度「暖簾に腕押しとはこのことか」と思ったか知れません。
しかし、オダカさんのとんでもない発言には、ギャフンを通り越して私も思わず笑ってしまったことがあるので最後にその話を書いておきます。
それは利用者さんに「お昼寝をしたい」と言われて、その対応をオダカさんに教えていた時のこと。
空いている寝室を見つけて、ベッドメイキングを確認して、トイレ介助して目覚まし時計を合わせて利用者さんをベッドへ移乗して、と私はオダカさんに教えながら一緒にやっていました。
オダカさんはずっと「ハイ」「ハイ」と熱心にやってくれていたので、私はそれだけで良かったのですが、すべて整い部屋から出る頃にオダカさんは「桜島さんがあんまり全部1人でテキパキやってくれてるから、最後くらい自分も何か気の利いた事を言わなきゃ!」と思っていたらしいのです。(後から本人談)
そんなことはつゆ知らず、私はふつうに部屋から出る際にドアを閉めながら「じゃあ○○さん、ゆっくり休んで下さいね~」と声かけをしました。
すると「なんか同じようなことを言わなきゃ!」と焦ったオダカさん。
とっさに出た一言がこれ
「○○さん、安らかにお眠り下さいね〜」
私
オダカさん、それ似て非なる!
似て非なるやつだから!!!
確かに「ゆっくり休んで」とニュアンス近いけど「安らかにお眠りください」って、永眠向けのやつだよ…!
利用者さんはお耳の遠い方だったので、たぶん聞こえてなかったと思うんですが、オダカさんはさすがに口に出してみて自分でも気がついたのか「アレ!?なんか今、あたし変なこと言ったね!??」とワタワタしていました。
そんな愉快なオダカさん、1年くらいお勤めしてくれたのですが、最後は「思ったより遠くて通うのが大変」という「高校生が初めてバイトを辞める時の言い訳」みたいな理由を残して辞めてしまいました。
オダカさんが辞めた後は残念なような、そうでもないような不思議な気持ちになりました。
そんなわけで今日は私が妙に忘れられない新人おばちゃんの話でした。
ではまた。
今週のお題 「印象に残っている新人」
ぶきっちょでも作れる巾着バッグの作り方
こんにちは桜島ニニコです。
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「男らしさ」の押し付けは男子を歪ませる(そして歪んだ男子が女をいじめる)
結婚出産の「規定コース」を外れても幸せな女は存在する
私はかなり幼い頃、女の人の出産について大きな勘違いをしていました。
それがどういうものかというと、私は女の人の出産というのは天命で勝手に決まってるものだと思ってたんですね。
人それぞれ価値観が違うので、この芸能評論家が誰がなんと言おうと「子供を産まなかった女性は後悔があるはず」としか思えないなら、そう思うのは自由だと思う。ただ、こういう公の記事に書いたらダメでしょ…とは思う。
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) 2016年2月16日
たぶん山口智子だって「子供は持てませんでした。後悔がないと言えば嘘になりますが、私は仕事に打ち込むことで生きがいを感じてきましたので今の形の幸せに満足してます。」とか言った方が主婦ウケが良いとかは分かってると思うんだよ。世の中少し前まで「子無し=出来なかった人」の1択しか頭に思い
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) 2016年2月16日
人ばかりだったから、彼らの想像出来る範囲内の発言をしたほうが「やっぱりそうなのねぇ」となって愛着を持たれやすいし。でも、本当に後悔してないものを後悔してるって言う嘘はいくらそれが他者に求められてると分かっても、自分の人生の誇りを捨てるような嘘だから、なかなか言えないと思うんだよ。
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) 2016年2月16日
だから山口智子は嘘を付かずに真実を答えてるだけだと私は信じられる。でも、私が彼女の言葉を信じられるのは「産んでないから得られる幸せ」にそれなりに共感出来るから、ってのが大きいのかもしれない。もし共感出来なかったら芸能評論家のように「そうは言っても子供が居ないと後悔するでしょー」
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) 2016年2月16日
って気持ちも0ではなくなる可能性は出てくる気はする。だからこの芸能評論家みたいに「山口智子の人生に後悔を感じた」と他人が思うのは自由だし、ごくごく身近な人にそうこぼす所まではギリセーフだけど、公の第三者に言うどころか、仕事で書く記事に書いちゃあダメでしょと思う。
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) 2016年2月16日
あまりに時代錯誤なまとめ方なので、思わず「この芸能評論家に支払われる記事文章のギャラの発生源が『女性1人1人の違う生き方や幸せの形を尊重』より『子を産むのが最上の幸せという価値観を流布すべし』って意向を押し付けて書かせのかな」と考えたけど、もしそうだったら本当に時代逆戻り。
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) 2016年2月16日
期待外れの「ママたちが非常事態!?」
はじめに
4児の育児をしなかった恵俊彰「一回オムツ替えをやってみたらウンチが背中まで流れて拭いてたら全体的に汚れてきて『あ、これ俺には向いてない』と思ってやらなくなった」とのこと。
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) 2016, 2月 1
「向いてたらやる」「向いてなきゃやらない」の選択が出来ると思ってる事がもう…。#ママたちが非常事態
バカは死ななきゃ治らない
やや出遅れましたが、Copy__writingの中の人のインタビューを読んで、ある友人のことを思い出したので書きます。
彼女の名前はマユコ(仮名)
マユコと私はひと頃、とても親交が深くありました。
彼女は私より5つくらい歳下で、当時職場が同じでした。
仕事はシフト制なので毎日顔を合わせるわけではなかったけど、一緒の日は仕事が終わると、彼女の家に寄ってご飯を食べたり、休みを合わせて2人で買い物や遊びに行ったりしていました。
2人で旅行にも行ったことがあるので「友達との親交度合い」で言えばわりと深い方の付き合いをしていたと思います。
彼女の性格は一言で言えば「強気で奔放」でしたが、私は仲良くなった人に遠慮されるのは苦手なほうなので、歳の差を気にせず何でも喋ってくれる彼女の性格はありがたく思っていました。
そして彼女の特徴として特筆すべきなのは、彼女はとても流行のお洒落に敏感な女の子で、当時まだ流行り始めの各種SNSをフル活用し、SNS上の「マイミク」や「友人」も沢山いて、そんなSNSに自分のコーディネートスナップを載せたりもする、そういう子でした。
彼女と私はお互いに真面目な相談もできる傍ら、バカな話や下ネタでも多いに盛り上がれる感じで、とにかくその頃は本当に「互いに心を許せる友達」だったと思います。
しかし彼女とは、その後私が引っ越しした事で物理的に遠くなり、さらに2年前に別の理由から私が「距離を置いてもいい」と思うことがあったので、なんとなく連絡が気薄になり今は交流がないのですが、まだ交流があった頃に1度だけ私が彼女の人間性に疑問を持った出来事がありました。
それは、ある日の彼女のこんな一言がきっかけでした。
「ねぇ、これ、なんて返事書いたらいいと思う?」
彼女は手に持ったiPhoneから視線をそらさずに言い、私は「何が?」と聞き返しました。
すると、彼女は少しだけ躊躇するような顔をしてそのまま私の方は観ずに言いました。
「なんかね、こないだニニコがTwitterに書いてたことあるじゃん。あれを私のmixiに書いたら友達が結構マジなトーンの長文コメントしてきたんだよね。」
私は一瞬「はて?なんのことやら」と意味が分かりませんでしたが、続けて彼女が見せてきた画面を観て目が点になりました。
彼女が見せてきた彼女のmixiの画面には、見覚えのある文字列がまるまる句読点までそっくりそのまま書いてありました。
それは数日前に私がTwitterで書いた発言でした。
当該ツイート⇩
健常者が、どうしたら障がい者の気持ちを分かることが出来るか?って考えると、例えば車椅子生活を自分に置き換えて「大変そうだなぁ」と思うのでは、まだぬるい。
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) September 4, 2012
明日朝起きたらあなた以外の人間の手は4本あって「あなたは2本しか手が無くて可哀想だから助けてあげる。」っていう目で見られ続けることを想像してみて。嫌だよね。多分彼らも哀れみの気持ちで接せられたらそんな気持ちだと思う。
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) September 4, 2012
つまり「障害」の原因は、障がい者じゃなくて、障がい者が暮らしにくい世界を設計している健常者のほうにあるんよね。
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) September 4, 2012
この3つのツイートがまとめて1つの文章となり、末尾に「by」とか「引用」という文字はなく彼女の「呟き」として投稿されていたのですが、文字列を見た私はちょっと何が起きてるのか理解するのに脳が追いつかず、言葉に詰まってしまいました。
するとマユコは続けて言いました。
「その友達ね、自分の子供にちょっと障がいがあるんだけど、その事で思うところがあったみたいで、反論じゃないんだけどすごい長い質問みたいな、『そういう見解のあるマユはこれについてどう思う?』っていうコメントしてきてさー、どうしよ?なんて返事書いたらいいと思う?」
バカなのか?
私の脳裏にはそれしか浮かびませんでした。
百歩譲って、彼女が「私の発言をパクツイ(ツイートではなくmixiの呟きですが)した」という事実までは、まだ頭で理解出来ます。しかもせめて、私が1人でmixiを巡回していて彼女のページを発見して当該やりとりを発見したなら、まだ事態は飲み込めるんです。
でもそうではなく、堂々と「自分が勝手に引用した相手」にそれを自己申告してきたその思考回路が本当に本当に理解不能で、私は急にゾッとしました。
隣にいる友達のマユコが「得体の知れない理解不能な人間」に思えたからです。
そしてそのショックを受け止めると次は怒りが込み上げました。
しかし、ここでこれを私に見せられる彼女には、恐らく本当に「勝手に自分の発言にしちゃってゴメンね(^_^;)」的な思考が無いのです。
なので真っ当に「何やってんの!?」と怒っても100%彼女の性格では「何そんなキレてんの?」という反応が返ってくる予感しかしませんでした。
だから私は冷静に言いました。
「待って。とりあえず、マユは私のツイートを自分の発言にしちゃってる事についてはどう思ってる?」
すると彼女は私の声のトーンから少なからず怒りを感じ取ったのか、少しうろたえつつも「え、でも私、トップページに『Twitterで気になる発言も呟きます☆』って書いてるから…別にいいと思ってた。」と言いました。
なんじゃそりゃ。
「Twitterで気になる発言も呟きます。」の意味が分からない。
「Twitterで気になる発言も呟きます。」の一文に、彼女が期待した効力が理解できない。
「Twitterで気になる発言も呟きます。」の一文を読んだマイミクが現に「彼女の発言」として受け取ってるコメントをした時点で、彼女が「ゴメン!これは他の人が言ってたことなの!」と訂正せず、まともにコメント内容への返事を考えてる事が理解出来ない。
極め付けは、それを私に聞いてくる思考回路が本当に分からない!!
私は小パニックに陥りました。
でも、人間そんな咄嗟に怒れないもんですね。
特に、私達は「これから渋谷へお買い物へ向かうバスの中」に居たのでそこで怒るのは至難の技。(怒り逃げ出来る状況ではない)
結局、私は声を荒げる事はなく、彼女に「あのね、どんな仲良しでも、断りもなく人の発言を自分の発言として書いちゃダメなんだよ。それはネットに限らないけど、ネットの中では特に常識なの。」と説明しました。
彼女はポカンとしていて「そういうもんなの?」と言いました。
私は愕然としました。
私よりずっと若くて学生の頃からネットに親しんできた彼女が、そんな「インターネットの常識の初歩の初歩」を「初耳」だということが本当に信じられませんでした。
何より、マユコが「普段から辻褄の合わない事を言ったり、理解不能な行動が見受けられる奴」なら私はもう「そういう奴」と見切る事が出来たでしょうが、彼女とは「仕事」という1番本性が見えやすい環境で長く時間を共にして、私の中では彼女の人となりに対する信用が少なからずあったのです。
だから、本当に「まじか…」というショックがありました。
でもちょっと考えてみると、もしかしたら彼女は「自分の作り出したものへの愛着」という感覚が本当に分からないだけの人なのかも、と思いました。
私のような「文章を書くこと」を趣味にする人間にとって、発言とは「物事を受けて自分の脳みそというフィルターで濾して生み出したもの」です。
もちろんそれは文章に限らず、人によってはイラストだったり、手芸作品だったり、写真作品だったり、するわけですが、とにかく「自分の頭や手で頑張って何か生み出すことの喜び」を知る人間にとって、生み出したものは「子供」のような存在だと思います。
だからその「子供」は決して他人に横取りをされていいものではなく、それは「著作権とかの法律があるから守る」という事より、大前提として人道的に「人の子供をさらったら親が悲しむからしちゃダメ」という事だと思うんです。
しかし、世の中にはその「自分の頭や手で頑張って何か生み出すことの喜び」を知らない人もいて、マユコもその1人だと考えると彼女のこの一連の言動がなんとなく理解できる気がします。
つまり、彼女がたとえいくら言葉の説明で今までも先ほどのような「常識」を教えられていたとしても、彼女の中にはその「自分の頭や手で頑張って何か生み出すことの喜び」や「自分の作り出したものへの愛着」自体がピンとこない感覚なので「その常識を守るべき理由」もピンと来なくて、それでそういう常識外れなことが出来てしまうのかもしれないと思ったのです。
私にとって、彼女のやったことは「自分の子供が知らぬ間に誘拐されて働かされていた。」みたいな事ですが、彼女にとってはそもそも私の子供とは認識されておらず、「友達の捨てた紙切れになんか書いてあってそれが面白かったから拡散した。」というだけの事なんだと思います。
そして、その時に「こんな紙切れ拾ったよ」という注釈をつけるのも「なんとなく面倒くさくて省いちゃった。」だけで、悪気ではなく、ただの「その程度の事で怒る人は居ないからどうでもいいでしょ」な感覚なんじゃないかと思いました。
私はこの場合、マユコに私の怒りを実感して貰うためには「彼女の感覚で実感できるもの」に置き換えて話さないと伝わらないと思って、少し考えた結果、このように聞きました。
「マユコはさ、よくインスタに自分のコーディネートを載せるでしょ。それはその都度『この色の靴下でこのヒール履くの、まだやってる人が居ないけどめっちゃ可愛いなー』とか『この上着で、下にこのスカート合わせると可愛いの発見した!』とか、自分で考えた結果のコーディネートなわけでしょ。それをもしある日、知らない人がまるっきりマユコのコーディネートを毎日真似して載せてて、コメント欄に『○○ちゃんのコーデ個性的ですごい!』とか『○○ちゃんにしか思い付かないコーデだよね!参考になります♡』とか書いてあるのを見つけたら、あんたどう思う?」
マユコは3秒くらい黙って上の方を見たのち言いました。
「めっちゃ、むかつく!」
マユコは「そんなん超むかつくんだけど、何勝手に自分発信にしてんの?って感じだよ!」といきり立ったので、私は「うん、そうな。」と言いました。
そして私が「しかもな、その○○ちゃんからマユコに『このコーデのコレどこで売ってます?ファンの子から質問が来たので教えて下さーい。』って聞かれたらどう思う?マユコがやったことは、私にとってそれなんだよね。」と聞くと彼女はやっと「あ…」と言って黙りました。
そして、小さい声で「ごめん…」と言いました。
友達に謝らせてスッキリするものではないので、私も後味が悪かったのですが、「とりあえずそのコメントしてきた友達には訂正して、自分なりの答えを新たに考えて返事してあげれば」と言って、「そうする」と言うのでその件は終わりました。
その後も私とマユコは私が引っ越すまで普通に今まで通りの友達付き合いをしていましたが、これは私の中で1つ彼女の人間性を疑った出来事でした。
今回、Copy__writingの中の人のインタビューを読んだ時、私はこの時の「ゾッとした感」が少し蘇りました。
ネットに転がってる数々の名言は、確かに明確に1つ1つの著作権があるものではありません。
だから、他人の名言を抜き取って、自分のものにして「100人分の珠玉の名言」を「1人が考えた100の名言」にしてしまうという事がまかり通ってしまったのだと思います。
でも、100人分の「生み出した子供への愛着」や、100人分の「めっちゃむかつく」を想像出来ず「その程度のこと」で済ませている人間が、「コピーライター」という「言葉を生み出す職業」を名乗るなんて「笑わせんな」としか言いようがありません。
Copy__writingの中の人は、自分が書いた言葉を誰かがさらっていったら「めっちゃむかつく」と思わないんでしょうか。
言葉を生み出す職業を名乗りつつ、他人の言葉を勝手にさらう行為を継続的にやれる神経が、本当に「得体の知れない理解不能の人間」に思えて、私はゾッとしました。
ちなみに、この文章を書いた後、公開するのに少し躊躇いました。
マユコが私のブログに辿り着く可能性はかなり薄いのですが、これを読んだら本人だけは分かると思ったのでさすがに少し悪い気がしたのです。
でも昨日マユコのFacebookを発見して見てみたら、なんと彼女は他にもいくつか私のツイートをそのまま自分の発言として載せていました。
治ってねぇ…
そんなわけでもう私はこの文章を躊躇なく公開します。
「バカは死ななきゃ治らない」というのは、真実なのかも知れないと思いました。
おわり。
トピック「パクツイ」について
「デブ、ブス、ハゲ、いい歳して独身の人は笑いものにしていい」というテレビの常識はおかしくないですか
前回、もっとお笑い全体について書きたい事があった気がしてたのに、気がついたら全然バカリズムについての話しか書けてなかったので小倉智昭ばりに「ど〜なってるの?」と思いました。