限りなく透明に近いふつう

やさしい鬼です お菓子もあります お茶も沸かしてございます

嘘の少ない人生を

今から10年前、まだ23歳のうら若き乙女だった私は、片想いをしていました。

相手は当時私の勤めていた歯科医院の患者さんです。
 
彼は見た目が格闘家の魔裟斗に似ていたので名前はここではマサト君(仮名)としますね。
 
マサト君は私と同い年で、見た目はスポーツマンチックでありながらも、スポーツマンにありがちな軽そうな感じもガツガツした雰囲気も無く、無口で朴訥な感じのする男性でした。
彼は、例えば私が「今日はあったかいですね」などの業務上のコミニュケーションとして声を掛けても「そうですね。」で会話終了。
時にはそれすらも面倒くさそうに見える、そんな人でした。
 
歯医者には他にも大勢の患者さんが来ており、私は院長の望み通り受付として人当たり良く患者さんに話かけていたので、わりと色々とプライベートのことを話していく患者さんが他に大勢いました。
 
その中で彼は愛想は悪くもないが良くもなく、淡々と治療を受けて無駄口は叩かずスッと帰る人だったので、印象は薄く、はじめのうち私は彼に対して特に何の感情もありませんでした。
 
しかし、私はある日突然彼に一目惚れをしました。
既に何度も通院で会ってるのに「一目惚れ」とはおかしな言い方ですが、本当にある瞬間に一目で好きになってしまったのです。
 
 
それは、ある日のマサト君の診察終了後。
その日はいつにも増して医院は忙しく、診察時間の終わりに差し掛かる頃になると私はヘロヘロに疲れきっていました。
マサト君はその日の最後のほうの患者で、私は会計の時に彼に痛み止め薬の用法用量を説明しなければなりませんでした。
 
今日はものすごく疲れた…
ああ、めんどくさいけど、
薬の説明しないと…。
 
私は重い足取りで受付に行きちゃっちゃと終わらせようと説明を始めました。
 
「痛み止めは麻酔が切れる前に飲んで頂いて結構です。1回1錠ですが、30分しても痛みが引かない場合2錠目までは飲んでも大丈夫です。ただし、1度効いたら次に飲むのは4時間は開けて下さい。」
 
本来、痛み止めの説明は、このように言うのですが、私の口から出たのは
「痛み止めはましゅいが切れる前にどんでいたって結構です。(あれ?)
1回1錠でっが30分しても痛みが引かないばばいは2錠べまでば(あれ?すげー噛むな私)飲んで頂いてけっこっこっす」
 
それはもうカミカミでした。
自分でも途中から全く何を言ってんだか聞き取れないほど。
 
おそらくあまりに疲れ過ぎて舌が回らなくなっていたのですね。
それでも私は疲れていたのでもういいやと思い、そのまましれっと「何か?」みたいな顔をして薬を差し出しました
 
するとうつむき加減で私の説明を聞いていたマサト君の肩がプルプルと震えています。
 
「あれ?」と思った次の瞬間、マサト君は顔を上げ、
 
「……だめだ、笑っちゃう…アハハ!
すごい噛んでるよ!」
と吹き出したのです。
 
その瞬間の彼の笑顔の眩しさ!
何千ルクスだ!?というくらいの眩しい笑顔でした。
そして気がつくと私の胸にズキュウウウン!!!と矢が刺さったような衝撃がありました。
松田聖子いうところのビビビッというヤツです。
 

かっ、かっ、可愛い!!!

 
この人、笑うとすごい可愛いんだ!!
 
ようはギャップです。
マサト君は普段はほとんど無表情なので分からなかったのですが、全開の笑顔だと歯列が6番目くらいまで綺麗に揃ってものすごく綺麗な笑顔が出来る人だったのです。
私はその笑顔にイチコロでした。
 
 
笑われた私はみるみる自分の顔が赤くなるのがわかります。
ああっ何か言わなくちゃ、と思い
「あ、バレました…?」
と聞くとマサト君はもう全開の笑顔では無いものの
「あーおもしろかった。
バレバレです。俺も聞き流そうと思ったけど、最後しれっとしてたのがおもしろ過ぎて、ちょっと堪え切れませんでした。すいません。」
と言い、今度はふんわりと優しげに微笑みました。
 
おおお、そっちのバージョンもいいよ…キミいいよ…
 
こうして私はすっかり彼の笑顔の虜になりました。
 
 
私はそれまでの恋愛で、このように自分から一気に誰かに惹きこまれるという前例がありませんでした。
いつも、なんとなく相手の好意が見え隠れするところからなんとなくこちらも好きになり、なんとなく付き合い始める感じの恋愛が多かったので、こんな風にハッキリこの瞬間から「好き」が始まるというのに自分でも驚きました。
 
でも彼の笑顔に一目で心奪われてしまった私の頭の中はもう「またあの笑顔を見たい!」という想いしかありませんでした。
 
それからというもの、彼の来院時に私はできるだけ頑張って話しかけました。
 
しかしマサト君の様子に特に大きな変化はありませんでした。
会話が出来たとしても
私「いい天気ですね」
彼「そうですねーちょっと寒過ぎますけどね」
私「寒いの苦手ですか?(知りたい)」
彼「寒いの苦手ですね」
私「へぇー(寒いの苦手という新情報を得た嬉しさでいっぱいいっぱいになり、次の質問が浮かばない)」
会話終了。
 
こんなもんです。
いつもこうして「ゴミ出しの時に会う近所の人レベルの会話」しか出来ませんでした。
当たり前ですが、彼からの好意の手応えも全くありませんでした。
しかし私は別にそれでも充分幸せでした。
 
実はその頃の私の背景を説明すると、私はそれより数ヶ月前に3年半同棲していた彼氏に突如振られるという大失恋をしたばかりだったのです。
元彼とは長いことズルズルと半同棲という形で恋愛をして、別れも衝撃的であった為、失恋直後は何も手につかずかなり傷心の毎日を送っていました。
その失恋から立ち直る段階としてマサト君への淡い片想いは、久しぶりの恋のときめきを感じられ、少しの会話ですらとても楽しかったのです。
毎週マサト君が来院する時に姿が見られること、隙を伺ってわずかに個人的な会話が出来ること、それだけで本当に生きてて良かった思えるほど幸せだったのです。
 
しかし、そんな楽しい片想い生活も3ヶ月を過ぎ、彼の治療があと数回で終わりに差し掛かる頃、私は先生からあることを聞きました。
 
マサトさんの職場、転勤が多いんだってね
 
えっ、そうなんですか!
 
私はそれを聞いてなんだか急にとても焦りました。
 
そうか…言われてみれば確かにいつまでもマサトくんがここに通い続けるわけじゃないんだ…。
彼がこのまま治療を終えてそのまま転勤してしまったらもう一生会えないのか…。
そう思うと胸に暗雲が立ち込めました。
 

いや、そんなの悲しすぎる!何らかの爪痕を残したい!

私は急にそう思いました。
 
具体的に言うと、付き合うのは夢のまた夢だとしても、彼が転勤してしまう前にただの歯医者の助手と患者という関係から一歩踏み込み「知人」くらいには昇格したいと思ったのです。
 
そして、私はそう思うといてもたってもいられなくなり、そばにあった彼のカルテから携帯電話の番号をメモすると、その夜、彼に電話をしました。
 
今思うと、電話をして何を言おうとしていたのかわかりません。
しかしとにかくこの時は衝動的にかけてしまったのです。
 
プルルルルプルルルルプルルルル…
 
10コールほどかけてもマサト君は電話に出ませんでした。
 
私は諦めて電話を切った後、ハッと我に返りました。
 
カルテ見て勝手に電話するなんてストーカーかよ…。
なにやってんだ自分…。
自分で自分がおとろしい!
 
私は自分のしたことに震えました。
後先考えず電話してるので、繋がらなかった場合のことなどもちろん考えておらず、私はしばし呆然としました。
 
しかし諦められない私は次にどうするかを考えなくてはなりません。
 
もし向こうが掛け直してきたら何て言おう?いや、先にこちらから勝手に電話番号を調べて電話したことを謝るべきか?
次の来院日に直接言う?いや、出来ないよ、そんな勇気ないよ…
いっそしらばっくれてそのまま諦めるか…。それも無理!どうしよ〜!
 
私は悩みに悩み、一般男子の意見として少しは参考になるかと思い、別のバイト先(コンビニ)のバイト仲間である大学生でコブクロの黒田にそっくりな男子にこのことを相談しました。
 
黒田は普段からやや潔癖な感じのする男子なのですが、私の話を聞くなりバッサリとこう言いました。
 
「なんてことしてんすか、大失敗でしょ、それは。」
 
ぐぅっ…!!
痛がる私をよそに黒田はさらに続けます。
「いいですか?仮に僕が彼の立場だとして、少しは桜島さんに好意を持ち掛けていたとしても、桜島さんが勝手に人のカルテを見て電話してきたと判ったら、その時点で、そんなことする子なんだーと幻滅して一気に嫌になりますね。
桜島さんはそれくらいのタブーを冒したんですよ。これはもう電話番号変えて新たに自分から電話番号渡して仕切り直すしかないですよ。」
 
ぐぬぬ…!
黒田のキツい一言がグサグサと胸に刺さりました。
これが一般男子の意見か…。非常にキビシー…
 
「そそそ、そうかな…でもさ、番号変えなくてもよくない?しらばっくれて次に来た時に私の電話番号渡すってのじゃダメかな?」
 
私がすがるように聞くと黒田はレジ横の棚にお箸を補充しながらため息をつくように言いました。
 
「あくまで僕の場合ですけど、僕は知らない番号から着信が来たら電話帳に登録するんですよ。『何月何日何時』って名前つけて。
 
「え?なんで?」
 
「そうしておくと、次に同じ番号からかかってきたら『あ、これは前にもかかってきた番号だ』ってすぐ分かりますよね。本当に電話番号変わった友達が何度もかけてきてる可能性もあるんでそれで判別出来て便利なんですよ。
結構僕の周りそうしてる奴多いです。
つまり、マサトさんがもしも僕のようにしていた場合、桜島さんの電話番号を入力したらどうなると思います?」
 
 
するってぇとー…
私はその場面を想像しました。
「…すでに掛けたのバレちゃう!!」
 
なんと恐ろしい!しらばっくれて番号を渡してもバレる可能性があるのです!
ひょえー!
 
そして黒田はお箸を私に突きつけ喪黒福造のごとく言いました。
 
「そうです!だから桜島さんは電話番号を変えないといけない!それか縁が無かったと思って彼のことは諦めるしかないんです!ドーン!!」
 

うわーん!
黒田ひどいよー!!

 
私は奈落の底に落とされたような気持ちになりました。
 
しかし家に帰って再び考えると、確かに黒田の言うことも一理あると思えました。
ズボラな人はそんな事しないだろうが、今までのマサト君の言動から察するに彼はかなり「ちゃんとしている人」なので、黒田説を実践している可能性も十分にある。
そして勝手に電話番号を調べられた事を不快に思う可能性も大いにあり得る。
うう…つらい。
でも電話番号を変えるのも嫌だし…どうしよう…。
 
結局私は一週間悩みに悩んだ結果、諦めました。
 
マサト君を諦めるのではありません。
悪あがきを諦めて全て告白しようと思いました。
 
やってしまったことは間違いかもしれないけど、私の本心からの行動だったわけで、それで嫌われるなら、それは私の本心からの行動が嫌われたということなので、元々合わない人だったということです。
それが分かればその時点で彼にキッチリ諦めもつく。
言うしか道はないんだ…。自分に何度もそう言い聞かせて、私は翌週の彼の来院を待ちました。
 
そしてマサト君の来院日。
 
会計を終えた私は彼に切り出しました。
 
「あのう、治療もあと2回なのですが…」
「はい」
「そのう、私からお話したいことがありまして…」
「はい?」
「あのう、つきましては今晩携帯のほうにお電話差し上げても良いでしょうか?」
 
「…え、何?」
彼は漫画だとしたら頭の周りにハテナをいっぱい浮かべる状態の顔になっていましたが、受付に他の人もいたので察したのかすぐに真顔になり「あ、まぁいいや、分かりました。」と言って帰っていきました。
 
第1関門クリアだ…、私は思いました。
そしてその夜、自宅で正座をして深呼吸をしてからマサト君に電話をしました。
 
 
マサト君は電話に出ると
「こんばんわ…あの…お話って何ですか?」
と静かに聞いてきました。
 
私は深呼吸をして聞きました。
「あの、その前に、この電話番号に見覚えはありますか?」
 
「え?いや、無いけど、なんで?」
彼は何がなんだか分からないといった様子です。
私は思わず(ちくしょう…黒田め…)となりましたが、それは置いといて丁寧に言葉を選び、この電話に至るまでの経緯を話しました。
マサトくんにどうか嫌われませんようにと願いながら。
 
マサトくんは途中多少「ええっ」と驚いたりしたものの私の話を遮ることなく最小限の相槌を打ちながら最後まで私の話を聞いてくれました。
その姿勢にも改めて好感が持てました。
 
そして、私は最後に言いました。
「というわけで、この電話は、勝手にカルテを見て電話したことを謝りたかったのと、しかも許されるなら、これを期に交流が持てたら嬉しいということをお伝えしたく、させて頂きました。」
 
言い終わると数秒の沈黙がありました。
 
沈黙つらい…
怒ってる?呆れてる?
私は長い沈黙に耐えながら「ああ、こりゃダメかな〜」と思いました。
 
しかし次の瞬間、電話口からフッと笑う息が聞こえ
 
「桜島さんて、面白いねぇ」
 
マサト君は確かにそう言いました。
 
その瞬間、またも私の心はズキューン!!!!
 
優しい…!!!マサト君怒ってない!
この人、超人格者だ!
 
私は意外な一言と余りの嬉しさに「へへへぇ」と笑顔から垂れ流すような声しか出ませんでした。
そしてなんとか恐る恐る「怒ってませんか?」と聞くと彼は言いました。
 
「いや、なんか、正直言うと今面食らってるし、勝手にカルテ見て電話してきたのも普通なら嫌だけど、正直に言ってくれたところに情状酌量の余地はあると思いました。とりあえず今は怒ってないです。交流も、持てたらいいと思います。」
 

やった〜!!!

私はその嬉しくてその場でぴょんぴょん飛び跳ねそうになりましたが、正座で足が痺れていたので実際は子鹿のような足取りでその場をヨタヨタ歩くだけでした。
しかしその胸は喜びに溢れていました。
 
そして、マサト君からまた電話してもいいというお許しを得て安心して電話を切りました。
 
その夜は嬉しさのあまり興奮してあまり寝付けませんでしたが布団の中で何度も思いました。
 
悩んだけど正直に全部言うことを選択して本当に良かった…。
えらい…えらいよ私…。
 
そして、今でもこの時のことを思い出しては心の中で自分を褒めに褒め倒しています。
ドラえもんのタイムトンネルが出来たら私は真っ先に、その時の自分の斜め上に現れて「グッジョブ!」と言ってあげることでしょう。
 
 
なぜなら、マサト君は現在の私の夫なのです。
 
 
わーお!
ラジオの投稿でありがちなオチだけど、恥ずかしながら本当です。
 
この話は以上でおしまいなのですが、いかがだったでしょうか…。
 
世の中に嘘をつかない人は居ないと思いますが、嘘の少ない人嘘の多い人はいます。
どちらが幸せなのかと考えた時、
私はこの経験も含め、今まで生きてきて「嘘をつけば良かった」という後悔と、「嘘をつかなければ良かった」という後悔だと、圧倒的に後者の方が多いです。
皆様もそうではないでしょうか?
 
つまり、嘘が少ないほうが後悔も少ないということです。
私は幸せな人生とは、晩年に後悔の少ない人生だと思っています。
それなら、なるべく嘘の少ない人生のほうがそれに近付くのではないかと思います。
こんな戯言ですが、これを読んでくださった方も何かのご縁と思って心に留めていただければ幸いです。
 
夫とはこの最初の電話からお付き合いが始まるまでにもまだ長い道のりがあり、付き合ってからも結婚してからも色々な紆余曲折がありましたが、今は夫婦仲良く暮らしてます。
それらの話はまたいつか機会があれば書こうと思います。
 
 
 
とりあえず、今日は「10年前」というテーマで、自分の10年前を振り返ってみました。
 
※尚、世の中の皆様の方が私より賢人ばかりだと思うので、こんな注意は不要かとも思いますが一応書いておきます。
私のしたこと(カルテから電話番号を見て個人的な電話をかける)は職権乱用であり個人情報保護の観点でも問題がある行為なので、くれぐれも真似しないようにして下さいね。
って、これ以上無い「お前が言うな」ですよね。すいません、ほんと反省してます。
 
ではまた。
今週のお題「10年」でした。
 
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