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限りなく透明に近いふつう

やさしい鬼です お菓子もあります お茶も沸かしてございます

犬猫の命は「商品」じゃないと思いたい

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唐突ですが、これは以前私がTwitterに載せた漫画です。(実話です。)

 

私は犬が好きです。

私の夫も犬が好きです。

私達は人間2人で暮らしていて、その2人共が犬が好きです。

「それなら犬を飼えばいいじゃん」と、思われるかもしれませんが、犬を飼っていません。

なぜなら、犬を飼うには「犬が好き」という気持ち以外に資格がいると思うからです。

資格とは、犬を飼うそれなりの環境が整っていることと、最期までその犬の面倒をみるという責任感のことです。

私達は後者の資格はありますが残念ながら前者の資格がまだありません。

なので、今は犬を飼うことを自粛しています。

しかし犬が好きなので犬欲が溜まります。私と夫は常に犬欲が溜まっています。

なので、私達がこの「犬が観たい触りたい、けど犬が居ない」のジレンマをどう解消しているかというと、週に一度は犬を求めて彷徨います。

昨年「昭和の犬」という作品で直木賞を受賞した作家の姫野カオルコさんが「昭和の犬」の後に出版した私小説「近所の犬」という作品ではこの行為を「借飼(しゃくし)」と表現していましたが、私達夫婦の間ではその行為を「犬見(いぬみ)」と呼んでいます。

今日はこの犬見について話します。

私達は日曜日の朝、テレビ朝日で放送している「ペットの王国ワンだランド」を見てから出掛けてそれなりに買い物やら遊びをして16時頃になると「犬見に行こうか」とどちらかが言います。

犬見の方法には2つの選択肢があります。

1つは「ペットショップへ行く」で、もう1つは「公園へ行く」です。

皆様の中には、犬を観たいと思ったらペットショップのほうが確実に、しかも「仔犬」が見られるので、「ペットショップに行く」という方もいるかもしれません。

しかし私達にとって前者はなるべくならとりたくない手段です。

なぜなら私はどうしても「ケージに閉じ込められている生き物」に悲壮感を感じてしまうからです。

『ケージに閉じ込められている生き物を観ると「可哀想、ここから出してあげたい」と思うのは当然じゃないか!それが嫌ならペットショップなんか行くな』と思われるでしょう。

そうなのです、本当に。

でも、私の感じる悲壮感はペットショップで目に見える範囲のことでは済まないのです。

ペットショップとしては「客に可哀想と思わせることで購買意欲を刺激する」というのが手段ですから、それは当たり前のことです。

しかし私は客が「可哀想だからこの犬を飼う」をしても、根本的な「可哀想さ」の解決にはならないと思っています。

日本にペットショップの生体販売というシステムがある限り、また新しい可哀想な犬猫が空いたケージに入れられるだけですから。

そこを突き詰めると結局いつも私はパピーミル問題が頭に浮かびます。

パピーミル問題とは、聞きなれない方もいるかもしれないので簡単に言うと「ペットショップで売られている動物の出処」の話です。

ペットショップで売られている犬や猫の一部が、いわば犬工場、猫工場と呼ばれるような環境(親犬猫は一生ケージの中で交配、出産のみさせられて一生を終える)で生産された犬猫だという事実をもとに、現在の日本で行われている犬猫の生体販売の是非を問う問題です。

これはなかなか根深い問題です。

現在世の中では犬猫を人間のように「家族」という存在として扱うことが主流になってきていて保険や介護や犬猫への遺産相続まで可能になってきています。

しかしペットショップで生体を売るということはペットショップにとって犬猫は「商品」という扱いなわけで、商品には安定生産がつきものです。

その為「犬工場、猫工場」が存在せざるを得ない状況になっています。

つまりこうした犬猫の「命」の扱いに、売り手と買い手の間で大きな矛盾があるまま放置されているのが現在のペット業界です。

私はペットショップへ行くとついそういうあれこれ考えてしまい、犬の可愛さに集中できないのです。

そこにきて最近、上の漫画のような経験をしたので、ますますペットショップへ行くのが嫌になってしまいました。

ペットショップに行くと一瞬は犬の可愛さに心奪われても最後は「この子達は売れ残ったらどうなるんだろう?」とか「この子達はどうやって産まれてきたのだろう?」という頭になってしまう上に、犬を扱う店員さんも上のような「とにかく売ってしまえばいい」というような態度という方が少なからず存在するので(勿論そういう店員さんばかりではないのですが)癒しと引き換えに心にのしかかるものが重すぎるのです。

これでは犬欲を満たされ癒しになるどころか逆効果になり、犬見の目的を果たせません。

この問題からは目を背けられませんが、今の私がそのことについて常に考えていても解決するものではありません。

これは、日本中の人の意識が高まらないと解決しない問題ですから(だからこうして書いているのですが)とりあえず今日は犬見の話ですので、ペットショップは犬見の最終手段だということを言いたいわけです。

そういうわけで、私達は天気が悪くて公園に犬が居そうもない時や夜など、公園という選択肢が消えたにも関わらず「どうしても犬が見たい」という犬欲が収まらない日には仕方なくペットショップに行きますが、それは本当はしたくない最後の手段だということです。

 

犬が観たい私達はもちろん過去には全国に点在する「わんわんワールド」的なテーマパークもいくつか行きました。

しかし、ああいう所へ行ったことのある方は共感出来るかもしれませんが、ああいうところの犬は「仕事」として人間に触らせてくれてる感がすごくします。

そのへんの飼い犬が「素人娘」なら、わんわんパークの犬は「キャバ嬢」という感じです。

犬に罪は無いのですが、テーマパーク犬はその生い立ちのせいか毎日不特定多数の人間と触れ合うせいか、どこかスレています。

そして人間と目を合わせてくれなかったり、有料のジャーキーを持ってる客にだけ媚びたりするという特性があります。

こういう特性があると、やはりそのへんにいる飼い犬の純朴な可愛さとは違う感じがしてしまいます。

なので最近はわんわんパークにもほとんど行きません。

(東京ムツゴロウ王国が関東にあった頃はよく行ってました。あそこの犬はわりかし自然環境のまま放し飼いされてるせいかテーマパーク犬の特性が無く、人懐っこい良い犬揃いでしたので。)

そんな訳で前置きが長くなりましたが、私達夫婦は犬見をするためにはもっぱら後者の選択肢「公園」へ行きます。

私達の自宅の周辺には車で20分以内の範囲に大きな公園が3つあります。

私達はその3つの公園を正式名称で呼びません。

「こないだラブのいた公園行こうか」

「この時間ならシバコロ公園にするか」

などと、私達はその公園で過去に会った犬の記憶で公園名を表します。

ラブはラブラドールレトリーバーという犬種の略で、シバコロは我が家における柴犬の俗称です。

夕方の公園に行くとだいたい1日に2回くらいは飼い犬を触らせてくれる飼い主さんに出会えます。

ここからは犬見の作法になりますが、私達は、好みの犬を見つけても積極的には迫りません。

「きゃー可愛い!触らせて下さーい!」なんて口が裂けても言いません。

性欲をムンムンさせながら異性に近づくと相手に失礼だし嫌われるのも目に見えていますが、犬欲も同じだと思うからです。

私は犬欲ムンムンを隠さずに犬に近づくと犬にも飼い主さんにも失礼な気がします。

犬も飼い主さんも公園には散歩をしに訪れているわけです。

飼い主さんにはちゃっちゃと散歩を済ませたい事情があるかもしれないし、犬だって平日は飼い主さんが忙しくてやっと一緒に過ごせる貴重な1日かもしれない。

私達の犬見の作法には「あくまで、犬の散歩を邪魔しない」というのがあります。

なので、こちらから犬に近づくことはしません。

その代わり、好みの犬を見つけたら

「あの入り口から入ってきてるから、おそらくこっちへ進むな〜」と進行方向を先読みして、そこに行きます。

そして、犬が来るのを待ちます。

私達は犬に近づかない代わりに満面の笑みで犬を見ます。

するとたいていの素直な可愛い犬は、向こうからシッポを振って飼い主さんを引っ張るようにこちらに来てくれます。

「何?ぼくのこと好きなの?遊んでくれるの?」と言わんばかりに。

あーかわいい。

そうなったらはじめて飼い主さんに「触ってもいいですか?」と聞きます。

これも犬見の作法です。

そして飼い主さんの了承を得てから犬を触ります。

犬を触る時の作法ですが、人間2人対犬1匹では犬が怖がるかもしれないので、私と夫はいつも順番こに触ります。

なので、触ってない方と飼い主さんは、なんとなく会話が始まります。

こちらが「何歳ですか?(犬が)」と聞いたり向こうから「犬好きなんですね〜何か飼ってらっしゃるんですか?」とか、そんな会話です。

たいてい5分もすれば話は尽きるし、あんまり長くなると飼い主さんも嫌でしょうから、本当はもっと触りたくても切り上げます。

それが私達の犬見の作法です。

これらの作法を守った犬見が出来ると、私達の犬欲も満たされますし、私達と「飼い主さん&犬」との間にもほんわかとしたいい気分が残ります。

なので本当に癒やされます。

そうして癒されたら家に帰って「志村動物園」を観ます。(日本犬の里がやってると録画して繰り返し何回も観ます。)

とても癒されます。

週末にこういう「いい犬見」が出来ると明日への活力が生まれます。

なんというか私が思うに、犬の体はエネルギーの塊で、犬の毛が充電アダプターみたいなもので、触った人間の体にエネルギーを送ってくれてるんじゃないかという感じです。

姫野カオルコさんの「近所の犬」でも「犬を触ると触れたところが、嬉しくなる。」というような供述がありますが、まさにそういう感じです。

 

犬はこうして私達に究極の癒しを与えてくれる存在です。(猫も)

私達人間はそういう動物達への感謝の気持ちを形にして恩返ししないとバチが当たる気がします。

私達は次に引越したら犬を飼おうと話してますが、その時は保健所か保護犬の団体から引き取ろうと思ってます。

これはいちおう、犬に対して出来る範囲のささやかな恩返しの1つのつもりです。

私はペットショップで犬を買う人を非難しているわけではないです。

でも多くの人がパピーミル問題を知らないまま、犬猫を手に入れる方法として真っ先にペットショップを選択するしかないような今の日本のペット業界の常識は変わって欲しいと思います。

確かにペットショップの犬猫は血統書付きでアフターサービスもありますし、何よりそこに行けば確実に犬猫が手に入る流れが出来ているという手軽さはあります。

しかし手軽さ故に「資格」がない人にも犬猫の生体販売が行われる悲劇があるのも事実です

あまり知られていないのですが、保護犬の中には血統書付きの犬猫もわんさかいて、これはペットショップで買った犬猫でも飼えなくなって保健所に引き取られている証拠です。

ペットの問題にはパピーミル問題に加えて、こうした「捨て犬猫問題」もあります。

私は、動物を飼う人にはこういう動物をとりまく数々の問題を1度意識してから、犬猫を手に入れる方法を吟味して欲しいと思っています。

なんだか今日はとりとめのない文章になってしまいましたが、私なりにこういう文章を書くのも犬への恩返しのつもりで書きました。

世の中に不幸な犬猫が1匹でも居なくなるよう、1人でも多くの心ある人間の皆様が考えてくれるとありがたいと思います。

 

(パピーミル問題についてははるかぜちゃんの過去ツイートふぁぼったー ♔はるかぜちゃん ♔のふぁぼられ(209038)で詳しく語られてますし、こちらの方のブログパピーミル:ペットショップ反対!でも詳しく書いてあるので是非ご一読下さい。)

今週のお題「飼ってる、飼ってた、飼ってみたい!」でした。