限りなく透明に近いふつう

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結婚する時、母に百万円貰った話

 

 

 

 

このツイートがなんだかわりと反響があるので、今日は暮れの元気なご挨拶としてもうちょい掘り下げて書きますね。

 

夫と結婚する際、今後の家計のことを話し合いました。

私が当時持っていた家計イメージは、f:id:ninicosachico:20181225091910j:image

 

こんな感じでした。

まぁこれは共働き前提でしか成り立たない設定なんですが、結婚前に2年間同棲をしていた間の私たちはコレでやってきていたし、すぐ子供が欲しいという希望も無かったので、当面そのままでいけばいいんじゃん?くらいの気持ちで私はその旨伝えました。

それまでお金のことでモメることもなく、使い方を観ててもお金に対しての価値観はだいぶ近いと感じてたので特に相違はないかと思いきや、彼のイメージを聞いてびっくり。

私と全く違いました。

夫の持ってた家計のイメージはこんな感じでした。

f:id:ninicosachico:20181225100056j:image

 

まぁ、簡単に言えば私が資本主義、彼は社会主義って感じですね。

で、資本主義で生きてきた私は、最初そこまで完全に財産を一緒くたにするのは、なんか怖かったんですが、夫はこれ以外に考えられないと言うのでとりあえずソレでやってこうとなりました。

 

 で、そのあと母が百万円くれたんです。

もちろん私とて、母の思惑が全く分からないような幸せな境遇で育ったわけではありません。

 父は最低限の生活費は出していましたが、使途不明金や他人との金銭トラブル(人に勝手に大金貸してしまう)が多く、母は家計についてかなり気苦労が絶えませんでした。

それで私も「結婚財布のひもはしっかり握れ!」とか「男に自由になる金を渡しちゃならない!」と、耳にタコができるほど母に言い聞かされていました。

ですから、母がくれた百万円がただの「若い2人へのお祝い金」ではなく、「お前が管理する最初の財産だぞよ」という意味合いを含むものなのだということは分かりました。

 

しかし、母と私は違う人間ですし、父と私の夫も違う人間です。

私の母は性格がちょっとアレな人で、独身時代に少しだけ外で働いてたようですが、社会とは折り合えないタイプなものですから、「自分が社会に出て働く」という手段を一切放棄していました。

一方私は16歳でアルバイトを始めて10年以上各所で働き、自分が仕事好きで「働く」ということに向いている人間だという自覚がありました。

それに私の彼も父のようにお金に関してグレーな部分は無く、一切の貯金も給料明細もカードの使用履歴もオープンにしてくれていましたから、金銭に関して信用できる人でした。

だから母の教えは、ひと昔前の「女が社会で金銭を得にくく、男が『誰の稼ぎで食ってるんだ』と軽口叩いていた時代」の教訓に感じられ、「財布の紐を握るにしても、それは自分の財布の紐さえ握れば良いことなんじゃない?いざとなったら自分が働けばいいだけのことだし。」と思っていたのです。

 

 だから、私も百万円のことを夫に言ったんです。

幸いなことに私は、現在までにその百万円のことを「夫に言わなきゃ良かった!」と後悔する事態には陥っておらず、一度、別件で離婚しそうな事態になり家を出ましたが、その時は自分の給料があったので「お金がネックで動けない」という悩みはありませんでした。

 

でもそれは、私に子供がいないからなんですよね。

私に子供がいたら私の収入は一時的に絶たれるわけで、その間に離婚したいような事態になったら、きっと困るでしょう。

まず家を出て部屋を借りる為のまとまったお金が必要なのに、家のお金はすべて「夫婦の財産」となっていますから、半分は自分の好きに使う資格があるとはいえ、そこから引き出して持って出た場合、そんな離婚するほどの状況になっている夫婦関係なら信頼も薄く、夫の性格もまったく変わっているかもしれません。

後から、やれ「俺の金を持ち逃げした」とうるさく言われたり、訴えられたりしてもおかしくないのです。

もし子供という守りたいものを抱えていたら、私はきっと「穏便」を選び、子供が大きくなってから晴れて離婚するのを夢見ながら「自分が我慢すれば済む」と言い聞かせる日々を何年も送る女性になる気がします。自分の性格的に。

 

「いや、あなたならとっとと逃げるでしょう」と友人は言うけど、それは「自分の収入」という後ろ盾のある状態の私しか観ていないからそう言われるんだと思います。

と、言いますのはこないだまで私、半年ほど専業主婦してたんですね。

で、最初はお気楽に趣味に興じて暮らしていたのに、3か月くらいするとどうも夫に対してどこか卑屈になってしまう自分に気が付きました。

夫は専業主婦を下に見たりしない人ですし態度は何も変わってないのに、私が一人で勝手に毎日少しづつ「家の事しかしてなくて悪いなー」という弱気な気分になってしまうのです。

しかもその対象が段々広がって、洗濯物を干しながら通りを歩くビジネスマンを見たり、保育園の迎えを待っているママさんたちを見ては「ああ、みんな社会の役に立つことしてるのに、私はたいして手のかからない夫と自分の世話しかしてなくてホント悪いなー」という気分にさえなっていました。

たぶん、そんなふうに必要以上に卑屈な気分になってしまうのは、収入という直接的な後ろ盾以外にも、仕事を通じて出会う他人からの褒め言葉や「必要とされてる感」が途絶えてしまうからというのも大きいと思います。

久々に仕事を始めたら、人から些細なことでお礼を言われたり、喜んでもらえたりしてダイレクトに「いてくれて助かる!」という思いが投げられる事が多いなぁと感じます。

そのたび私は「えっへん」と思うわけですが、その「えっへん」の積み重ねが私の中の卑屈を追い出し、タフさを築いていけてるのではないか、と思うようになりました。

 

ようするに、今は人から「離婚したくなったらあなたならとっとと逃げるでしょう」と言われる、タフそうに見える私でも、もし子供を産んだり育てたりする間、仕事を何年かしなかったら、気弱になって「我慢と穏便」の選択肢しか見えない私になりうる、と思うのです。

 

で、何が言いたいかといいますと。

結婚してからの私は「我慢と穏便」を選ぶ主婦の友人、知人の相談を受けることが、まぁー多い!

最初の頃、そういう相談を聞くと「もっと強気にいけばいいのに」とか「夫さんに対等に反論すればいいのに」とか「とっとと家出ちゃえばいいのに」と、女性の弱さにヤキモキしていた時もあったんですが、自分が卑屈期を経験したら彼女たちの気持ちが分かるようになりました。

外で働いていることで得られる収入や褒め言葉という後ろ盾がない期間、彼女達もきっと本来のタフさを失ってしまっているだけなんだと思うんです。

「見切りをつけた夫を捨てて今の生活を変えたい!」

といくら思っていても、子供のいる人って最初の突破口を開くため絶対お金がかかる。

「だから今は我慢してて、来年からチビ預けてパート出て貯金して、ある程度溜まったらもう一回離婚届忍ばせて、話し合いするつもり」っていう感じの女の人が本当に多い。

それは手段としてアリだと思います。

けど、友人としてハタから見ている立場としては「やっぱり時間がもったいなー!!!」と思うのも事実。

そんな時に私はあの百万円を貸してあげたくなります。

なります、なりますが、すごくデリケートゾーンなことだと思うので、口が裂けても簡単には言えません。

毎回「貸してぇー!!」と思うけど、多分私の友人は「友人だからこそ借りたくない」と思うような子ばかりだし、もし遠慮しないで「離婚資金貸してちょ!」と言ってくれる仲だとしても、私もお金の貸し借りは不慣れなので、その後ギクシャクしない保証がなく、一ミリでも今の関係性が変わるのは怖いです。

だから現状、話を聞いて、我慢の日々の気晴らしに少しでもなることくらいしか助けになれないのが歯がゆいのです。

 

で、そんなことを何回もしているうちに、私は母がくれた百万円の真の意味が徐々に分かってきたというわけです。

母としては、「この先自分も死んで、ニニコが幼子を抱え仕事をしてなくて、後ろ盾がまったく無いのに逃げたい男と我慢して暮らす日々がもしも訪れた時、唯一の後ろ盾としてこの百万円を持ってなさい。」という意味の百万円だったんですね。

だからとっとと夫に言ってしまった私に「この能天気娘が!!」と激おこプンプン丸になったのでしょう。

母の愛は海より深しってやつですね~、あー美談、びだんー!!

母を怒らせたお詫びではないですが、私ができることといったらこれからもずっとあの百万円のことを後悔しないような結婚生活を続けていくことでしょうね。

あー美談、びだん!!

 

というわけでこの話はここでおわりです。

今年は書きたいこといーっぱいあったんですが、全然書けませんでしたね。

でもあった出来事は執念深く全部メモってるので来年頑張って書きます。

それでは皆様良いお年を!