期待外れの「ママたちが非常事態!?」
はじめに
4児の育児をしなかった恵俊彰「一回オムツ替えをやってみたらウンチが背中まで流れて拭いてたら全体的に汚れてきて『あ、これ俺には向いてない』と思ってやらなくなった」とのこと。
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) 2016, 2月 1
「向いてたらやる」「向いてなきゃやらない」の選択が出来ると思ってる事がもう…。#ママたちが非常事態
バカは死ななきゃ治らない
やや出遅れましたが、Copy__writingの中の人のインタビューを読んで、ある友人のことを思い出したので書きます。
彼女の名前はマユコ(仮名)
マユコと私はひと頃、とても親交が深くありました。
彼女は私より5つくらい歳下で、当時職場が同じでした。
仕事はシフト制なので毎日顔を合わせるわけではなかったけど、一緒の日は仕事が終わると、彼女の家に寄ってご飯を食べたり、休みを合わせて2人で買い物や遊びに行ったりしていました。
2人で旅行にも行ったことがあるので「友達との親交度合い」で言えばわりと深い方の付き合いをしていたと思います。
彼女の性格は一言で言えば「強気で奔放」でしたが、私は仲良くなった人に遠慮されるのは苦手なほうなので、歳の差を気にせず何でも喋ってくれる彼女の性格はありがたく思っていました。
そして彼女の特徴として特筆すべきなのは、彼女はとても流行のお洒落に敏感な女の子で、当時まだ流行り始めの各種SNSをフル活用し、SNS上の「マイミク」や「友人」も沢山いて、そんなSNSに自分のコーディネートスナップを載せたりもする、そういう子でした。
彼女と私はお互いに真面目な相談もできる傍ら、バカな話や下ネタでも多いに盛り上がれる感じで、とにかくその頃は本当に「互いに心を許せる友達」だったと思います。
しかし彼女とは、その後私が引っ越しした事で物理的に遠くなり、さらに2年前に別の理由から私が「距離を置いてもいい」と思うことがあったので、なんとなく連絡が気薄になり今は交流がないのですが、まだ交流があった頃に1度だけ私が彼女の人間性に疑問を持った出来事がありました。
それは、ある日の彼女のこんな一言がきっかけでした。
「ねぇ、これ、なんて返事書いたらいいと思う?」
彼女は手に持ったiPhoneから視線をそらさずに言い、私は「何が?」と聞き返しました。
すると、彼女は少しだけ躊躇するような顔をしてそのまま私の方は観ずに言いました。
「なんかね、こないだニニコがTwitterに書いてたことあるじゃん。あれを私のmixiに書いたら友達が結構マジなトーンの長文コメントしてきたんだよね。」
私は一瞬「はて?なんのことやら」と意味が分かりませんでしたが、続けて彼女が見せてきた画面を観て目が点になりました。
彼女が見せてきた彼女のmixiの画面には、見覚えのある文字列がまるまる句読点までそっくりそのまま書いてありました。
それは数日前に私がTwitterで書いた発言でした。
当該ツイート⇩
健常者が、どうしたら障がい者の気持ちを分かることが出来るか?って考えると、例えば車椅子生活を自分に置き換えて「大変そうだなぁ」と思うのでは、まだぬるい。
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) September 4, 2012
明日朝起きたらあなた以外の人間の手は4本あって「あなたは2本しか手が無くて可哀想だから助けてあげる。」っていう目で見られ続けることを想像してみて。嫌だよね。多分彼らも哀れみの気持ちで接せられたらそんな気持ちだと思う。
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) September 4, 2012
つまり「障害」の原因は、障がい者じゃなくて、障がい者が暮らしにくい世界を設計している健常者のほうにあるんよね。
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) September 4, 2012
この3つのツイートがまとめて1つの文章となり、末尾に「by」とか「引用」という文字はなく彼女の「呟き」として投稿されていたのですが、文字列を見た私はちょっと何が起きてるのか理解するのに脳が追いつかず、言葉に詰まってしまいました。
するとマユコは続けて言いました。
「その友達ね、自分の子供にちょっと障がいがあるんだけど、その事で思うところがあったみたいで、反論じゃないんだけどすごい長い質問みたいな、『そういう見解のあるマユはこれについてどう思う?』っていうコメントしてきてさー、どうしよ?なんて返事書いたらいいと思う?」
バカなのか?
私の脳裏にはそれしか浮かびませんでした。
百歩譲って、彼女が「私の発言をパクツイ(ツイートではなくmixiの呟きですが)した」という事実までは、まだ頭で理解出来ます。しかもせめて、私が1人でmixiを巡回していて彼女のページを発見して当該やりとりを発見したなら、まだ事態は飲み込めるんです。
でもそうではなく、堂々と「自分が勝手に引用した相手」にそれを自己申告してきたその思考回路が本当に本当に理解不能で、私は急にゾッとしました。
隣にいる友達のマユコが「得体の知れない理解不能な人間」に思えたからです。
そしてそのショックを受け止めると次は怒りが込み上げました。
しかし、ここでこれを私に見せられる彼女には、恐らく本当に「勝手に自分の発言にしちゃってゴメンね(^_^;)」的な思考が無いのです。
なので真っ当に「何やってんの!?」と怒っても100%彼女の性格では「何そんなキレてんの?」という反応が返ってくる予感しかしませんでした。
だから私は冷静に言いました。
「待って。とりあえず、マユは私のツイートを自分の発言にしちゃってる事についてはどう思ってる?」
すると彼女は私の声のトーンから少なからず怒りを感じ取ったのか、少しうろたえつつも「え、でも私、トップページに『Twitterで気になる発言も呟きます☆』って書いてるから…別にいいと思ってた。」と言いました。
なんじゃそりゃ。
「Twitterで気になる発言も呟きます。」の意味が分からない。
「Twitterで気になる発言も呟きます。」の一文に、彼女が期待した効力が理解できない。
「Twitterで気になる発言も呟きます。」の一文を読んだマイミクが現に「彼女の発言」として受け取ってるコメントをした時点で、彼女が「ゴメン!これは他の人が言ってたことなの!」と訂正せず、まともにコメント内容への返事を考えてる事が理解出来ない。
極め付けは、それを私に聞いてくる思考回路が本当に分からない!!
私は小パニックに陥りました。
でも、人間そんな咄嗟に怒れないもんですね。
特に、私達は「これから渋谷へお買い物へ向かうバスの中」に居たのでそこで怒るのは至難の技。(怒り逃げ出来る状況ではない)
結局、私は声を荒げる事はなく、彼女に「あのね、どんな仲良しでも、断りもなく人の発言を自分の発言として書いちゃダメなんだよ。それはネットに限らないけど、ネットの中では特に常識なの。」と説明しました。
彼女はポカンとしていて「そういうもんなの?」と言いました。
私は愕然としました。
私よりずっと若くて学生の頃からネットに親しんできた彼女が、そんな「インターネットの常識の初歩の初歩」を「初耳」だということが本当に信じられませんでした。
何より、マユコが「普段から辻褄の合わない事を言ったり、理解不能な行動が見受けられる奴」なら私はもう「そういう奴」と見切る事が出来たでしょうが、彼女とは「仕事」という1番本性が見えやすい環境で長く時間を共にして、私の中では彼女の人となりに対する信用が少なからずあったのです。
だから、本当に「まじか…」というショックがありました。
でもちょっと考えてみると、もしかしたら彼女は「自分の作り出したものへの愛着」という感覚が本当に分からないだけの人なのかも、と思いました。
私のような「文章を書くこと」を趣味にする人間にとって、発言とは「物事を受けて自分の脳みそというフィルターで濾して生み出したもの」です。
もちろんそれは文章に限らず、人によってはイラストだったり、手芸作品だったり、写真作品だったり、するわけですが、とにかく「自分の頭や手で頑張って何か生み出すことの喜び」を知る人間にとって、生み出したものは「子供」のような存在だと思います。
だからその「子供」は決して他人に横取りをされていいものではなく、それは「著作権とかの法律があるから守る」という事より、大前提として人道的に「人の子供をさらったら親が悲しむからしちゃダメ」という事だと思うんです。
しかし、世の中にはその「自分の頭や手で頑張って何か生み出すことの喜び」を知らない人もいて、マユコもその1人だと考えると彼女のこの一連の言動がなんとなく理解できる気がします。
つまり、彼女がたとえいくら言葉の説明で今までも先ほどのような「常識」を教えられていたとしても、彼女の中にはその「自分の頭や手で頑張って何か生み出すことの喜び」や「自分の作り出したものへの愛着」自体がピンとこない感覚なので「その常識を守るべき理由」もピンと来なくて、それでそういう常識外れなことが出来てしまうのかもしれないと思ったのです。
私にとって、彼女のやったことは「自分の子供が知らぬ間に誘拐されて働かされていた。」みたいな事ですが、彼女にとってはそもそも私の子供とは認識されておらず、「友達の捨てた紙切れになんか書いてあってそれが面白かったから拡散した。」というだけの事なんだと思います。
そして、その時に「こんな紙切れ拾ったよ」という注釈をつけるのも「なんとなく面倒くさくて省いちゃった。」だけで、悪気ではなく、ただの「その程度の事で怒る人は居ないからどうでもいいでしょ」な感覚なんじゃないかと思いました。
私はこの場合、マユコに私の怒りを実感して貰うためには「彼女の感覚で実感できるもの」に置き換えて話さないと伝わらないと思って、少し考えた結果、このように聞きました。
「マユコはさ、よくインスタに自分のコーディネートを載せるでしょ。それはその都度『この色の靴下でこのヒール履くの、まだやってる人が居ないけどめっちゃ可愛いなー』とか『この上着で、下にこのスカート合わせると可愛いの発見した!』とか、自分で考えた結果のコーディネートなわけでしょ。それをもしある日、知らない人がまるっきりマユコのコーディネートを毎日真似して載せてて、コメント欄に『○○ちゃんのコーデ個性的ですごい!』とか『○○ちゃんにしか思い付かないコーデだよね!参考になります♡』とか書いてあるのを見つけたら、あんたどう思う?」
マユコは3秒くらい黙って上の方を見たのち言いました。
「めっちゃ、むかつく!」
マユコは「そんなん超むかつくんだけど、何勝手に自分発信にしてんの?って感じだよ!」といきり立ったので、私は「うん、そうな。」と言いました。
そして私が「しかもな、その○○ちゃんからマユコに『このコーデのコレどこで売ってます?ファンの子から質問が来たので教えて下さーい。』って聞かれたらどう思う?マユコがやったことは、私にとってそれなんだよね。」と聞くと彼女はやっと「あ…」と言って黙りました。
そして、小さい声で「ごめん…」と言いました。
友達に謝らせてスッキリするものではないので、私も後味が悪かったのですが、「とりあえずそのコメントしてきた友達には訂正して、自分なりの答えを新たに考えて返事してあげれば」と言って、「そうする」と言うのでその件は終わりました。
その後も私とマユコは私が引っ越すまで普通に今まで通りの友達付き合いをしていましたが、これは私の中で1つ彼女の人間性を疑った出来事でした。
今回、Copy__writingの中の人のインタビューを読んだ時、私はこの時の「ゾッとした感」が少し蘇りました。
ネットに転がってる数々の名言は、確かに明確に1つ1つの著作権があるものではありません。
だから、他人の名言を抜き取って、自分のものにして「100人分の珠玉の名言」を「1人が考えた100の名言」にしてしまうという事がまかり通ってしまったのだと思います。
でも、100人分の「生み出した子供への愛着」や、100人分の「めっちゃむかつく」を想像出来ず「その程度のこと」で済ませている人間が、「コピーライター」という「言葉を生み出す職業」を名乗るなんて「笑わせんな」としか言いようがありません。
Copy__writingの中の人は、自分が書いた言葉を誰かがさらっていったら「めっちゃむかつく」と思わないんでしょうか。
言葉を生み出す職業を名乗りつつ、他人の言葉を勝手にさらう行為を継続的にやれる神経が、本当に「得体の知れない理解不能の人間」に思えて、私はゾッとしました。
ちなみに、この文章を書いた後、公開するのに少し躊躇いました。
マユコが私のブログに辿り着く可能性はかなり薄いのですが、これを読んだら本人だけは分かると思ったのでさすがに少し悪い気がしたのです。
でも昨日マユコのFacebookを発見して見てみたら、なんと彼女は他にもいくつか私のツイートをそのまま自分の発言として載せていました。
治ってねぇ…
そんなわけでもう私はこの文章を躊躇なく公開します。
「バカは死ななきゃ治らない」というのは、真実なのかも知れないと思いました。
おわり。
トピック「パクツイ」について
「デブ、ブス、ハゲ、いい歳して独身の人は笑いものにしていい」というテレビの常識はおかしくないですか
前回、もっとお笑い全体について書きたい事があった気がしてたのに、気がついたら全然バカリズムについての話しか書けてなかったので小倉智昭ばりに「ど〜なってるの?」と思いました。
バカリズムのコントが酷かった件について
今さらですが年末年始の話を。
昨日のバカリズムのネタさ、(同僚女性のおっぱいを触りたい男が、極めて論理的に相手の『おっぱいを触られたくない理由』を潰していくコント)これを面白いと感じる人がいるのは分かるけど、実際に過去に「何その論理?」という理詰めで迫られて嫌だった経験ある人は笑えないよ…。純粋に怖いよ。
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) 2015, 12月 26
まぁ、バカリズムは「こんな事は実際に無いし、極めて真剣にエロい目的を果たそうとしてる男の滑稽さ」というのを面白みだと思ってコントにしたんだろうし「バカらしーおもしれー」と観る人が変だとも思わないけど、私は笑うの無理だったのと「これを笑える人はお気楽でいいなぁ」と思った。
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) 2015, 12月 26
「女は働け、女は産め」と言われても、体が2個なきゃできません
はじめに
先日のNHKの「おはよう日本」の中で放送された「資生堂ショック」の特集を皆様は観たでしょうか?
会社が用意した制度を使う女性社員が「制度に甘えてる」と言われるなら、世の中に一定数いる「自分は男だからよく分かんないけど、女なら子供産むべきだよね」と言う男性も、女の「産む機能」に甘えてると思う。
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) November 10, 2015
女の身体には、たまたま産む機能が付いてるだけで、出産にまつわる問題(社会から一度離脱することに関する弊害、育児していく環境)は、男女ともに考えていくテーマなのに、どうもその問題は一部の男性にしてみると「そっちの責任でなんとか上手くやって下さいよ!」って丸投げしてる感じに取れる。
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) November 10, 2015
そもそも子供って「産んでないけど一緒に作った人(男)」と「産んだ方の人(女)」が同じだけの責任を背負いながら育てるって意識がぼちぼち根付かないといけないだと思うんだけど、まずそこがいまだに「産んだ人に一任」てなってるのが時代遅れだと思う。なんで奥さんだけが「子供に気兼ねしながら
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) November 8, 2015
働く」のが前提なの?世の旦那さんは働く時「子供に気兼ねしながら働いて」る?ほとんどしてないでしょう。それは、今までが「しなくて済んだ社会」だったからだよね。でもそれは奥さんが働く今の時代なら、奥さんにも与えられるべきことだと思うよ。「気兼ねしなくて済む社会」になってないのに、働く
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) November 8, 2015
ことだけ「輝く」だの「活躍」だの言って促しても余計女の人ツラくなるよ。結局は、人がそういう意識だと、子供居て働く際には、奥さんが手配して子供預けたり、奥さんが会社の時短勤務制度使う方になる。しかもそれを「甘え」と言われるんじゃ、本当やってらんないでしょ。
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) November 8, 2015
両親が気兼ねなく働けるためには、社会全体にいまだ根付いてる「子供のことは母親が主責任者・父親は副責任者」みたいな意識が「両親共に最高責任者」という風に変わらないとダメだし、その上で政治で育児インフラを整える必要があると思う。全部すっ飛ばして「とにかく女性活躍」は、女にとって拷問。
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) November 8, 2015
産まなければ育児時短勤務しないから会社に「甘えるな」とか言われないし、会社も働き手として大歓迎してくれるし、「産まない」が社会的には1番生きやすい世の中だからみんな産まなくなってんだよ。「産まないが1番生きやすい社会」って、つまり「男性が生きやすい社会」ってことだかんね。
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) November 8, 2015
で、「いつまでもそれじゃ人口減って困る」って事で、そんなら「産んでも生きやすい社会=女の人が産んでも産まなくても生きやすさを損なわれない社会」を作ろうよ、と色んな女の人が話してるのにそうなると「男も生きにくい!」「辛いのは女だけじゃない!」とヤジが飛ぶから、話が進みゃしないんだ。
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) November 8, 2015
男の人も社会で辛いこといっぱいだよね。子供の主責任者じゃない代わりに家計費の主責任者扱いだもんね。他にも辛い事あるだろうし、それも解決しないといけない問題だと思う。でも産みにくい社会を治す努力は、そこも治るかもしれない努力なんだよ。だから、ヤジを飛ばさないで協力しようよ、と思う。
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) November 8, 2015
そして、その為に私は「特に悪意はないけどただ機会が無かったから考えなかっただけ」の男性にも気が付いてもらえればいいなの「お願い」を込めてそのツイートは書きました。
最近、育児を「手伝う」レベルでなく、ちゃんと「やる」日本では少数派の男性を一気に数人フォローし始めたのだけど、やっぱ彼らの悩みは「育児しながら働く母親」の悩みとほぼ同じだよ。つまり、今まで育児を取り巻く環境の「ここがやりにくい、変わって欲しい」と女が言っても「そこを上手くやる
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) November 18, 2015
のが母親の腕の見せ所、うまくやれる母親もいるんだからやれない奴の努力が足りない」みたいに一部の男性にケムに巻かれていたけど、こうして男性も育児をやれば、母親と同じ事で悩むんだから、やっぱしそれらの不満は「母親のワガママ」ではなく、世の中が悪いんだと思うよ。そろそろ認めて欲しいよ。
— 桜島ニニコ (@sakurajimanini) November 18, 2015
タイトルをつけるほどでもない駄文
私の文章は長いらしい。
なにしろ私がはてなブログを始めて1番多い感想が「長い」だ。
これに対し、自分ではもっと長い文章のブログもよく読むし、自分なりにいつも削りに削っての長さなので「そんなに長いかなぁ」と思うのだけど、まぁ人それぞれ「ブログたるもの何千字以内がほどよい」というモノサシがあるのだろうし、長く感じる人には長いんだろうなぁと思っている。
ところで今日私が「ですます調」ではないのにお気づきだろうか。
私は普段ブログの文章をほとんど「ですます調」で書くことにしている。
これは、私はとかく読む人に向けて「説明」をするような話を書く傾向があるので「不特定多数の人に向けて何かを説明するのにタメ口は失礼だろう」という頭が自然と働きそうなっているのだけど、今回は特に説明することもなく、主張したいこともなくただダラダラなんか書いてみようという試みなので、あえてかしこまった「ですます調」を取り払い「である調」で書いてみたのである。
不思議なもので、私はふだんtwitterでは基本「ですます調」ではないのだけど、こうしてブログ編集画面で「ですます調」ではないのは非常にやりにくい、書きにくい。
なんだか、何を書いても偉そうにみえるというか、脳科学者か何かが自分に乗り移って書かされてるような変な気分になってくる。
これは新たな発見だ。
媒体が違うだけで、なぜ文体の変化に違和感を感じるのか謎だけども、そこは深く考えずに私は初志貫徹がわりと好きなので今回は頑張って「である調」で書き切ろうと思う。
さて、なんで今日はダラダラと書こうかと思ったかというと、一言で言うと「怖くなったから」だ。
何が「怖くなった」のかと言うとまず、この頃はてなブログになにか書くとおかげさまで、当初の私の予想をはるかに超える人数の方々に読んでもらえるようになった。
それはとても嬉しいのだけど、このままの調子でいくと私は浅ましい人間なので「読む人が多くなりそうな内容を」という心境が働き、どんどん書く内容に自分で制限を加えてしまいそうなのだ。
こんな事を書くと「誰もお前の書くものなんかに期待してねーよ」と言われるかもしれない。
確かにそれはそうなのだけど、私はこの頃なんとなく「女性差別を訴える的な事を書く人」と思われてる気が少していて、私のブログを読みに来てくれる方は主にそういう文章を読むことが目的なんじゃないかと思う事が増えたのだ。
というのも、twitterで私に「何かのリストに加えられましたよ」という通知が来るとたいてい「フェミの人」とか「ジェンダー」とかそういうリストなのだ。
この通知を見ると私は、世の中のそういう事を訴えてしっかり運動している方の端くれに私が追加されたということなのか?と思い、ありがたい反面「私なんかが…」という申し訳ない気持ちになる。
話は逸れるが良い機会なので書くと、正直、私は自分で自分がフェミ二ストなのか分からない。
そもそも横文字に疎いので、「桜島さんのようなフェミ二ストが増えればいい」と言われたとしても「フェミ二スト」というのの実態がどういうもので、何をもってしてそう名付けられるのかが分からずにいるので、素直に「フェミ二ストとして褒められる」事を受け入れることに今は慣れてないのだ。
私はただ、普段暮らしていて思った事をブログに書いてたら、それが女性の立場で「女性性の押し付けを嫌う訴え」だったり「一部の男尊女卑的考えの人への文句だったり」する内容のものが多くなっていて、それでいつの間にかその位置付けをしてくれる人が居たというだけで、自分では書きながらそれが「フェミ二ストとしての訴え」というつもりが無かったので、それに驚いたという感じだ。
もちろん、私が誰かに「あなたは立派なフェミ二ストですよ!」と言われたらそれは「そうなのかー」と思う。けして「私はフェミ二ストじゃない」と反発する気は無い。
逆に「あなたはフェミニズムをっちとも分かっちゃいない」と言われたらそれも「そうかもなぁ」と思う。
しかし、そういうリストに加えられるようになった今日この頃、それなら私もそれなりにフェミニズムを勉強しないといけないのかな、と思うようにはなってきた。なので、そこは私のこれからの課題だと思う。
「怖さ」の話に戻すと、つまり要約すると私は「私の書くものを毎回『女性差別うんぬん、一部の男性批判うんぬんの話だろう』という期待だけで読まれるようになったら、ちょっと怖いなと思っている。
もちろん「面白い何かが書いてあるはず」と期待されるのはかなり嬉しい。
でも、どうも私は「社会における女性差別うんぬん」を書くための経験のストックがそれなりにあるほうの人間で、そういうのを考えたり書いたりするほうが頭が冴え、文章に熱が宿り、熱が宿ると、そういう文章は沢山読まれ易い。
いわば「そういう文章を読みたい人が私のところに集まる&私はそういう文章を書きたくて書いてる人」状態なので需要と供給が合っているんだけど、それが合い過ぎていると怖くなることがあって、1つは近頃ブログを書こうとする時に「そういうテーマで次も書こう」と勝手に「自分でテーマを狭めてる自分」が怖いのだ。
「なにが怖いの?別に自分が書きたいなら同じテーマばかりでもいいんじゃ?」と思う人もいるだろうけど、私が思うに、趣味ブログとか何かのライフハックブログみたいなのはテーマが一貫していても差し支えないけど、私のような「女性差別うんぬん」の話だと少し違う気がする。
それはどういうことかと言うと、あまりにも私のブログ一覧が「そういう事関連の話」ばかりになると、初めて私の書いたものを読みに来た人が「なるほど、この人はいつもこういう話を書いてる。つまりこれはジェンダー意識が相当高い女性が書いたものだ。」と思われてしまうと思う。私が1番怖いのはそれなのだ。
私の1番怖いのは、私の文章を読んだ人に「まぁこの人は特別にジェンダー意識を強く持って生活してるからさ、こんな事まで考えてるけど、世の中の普通の女は、こんな事まで考えてないでしょ。」というふうに「普通の女」と「そうでない女」に分けられ「そうでない女の話」に思われてしまうことなのだ。
私のブログタイトルは「限りなく透明に近いふつう」である。
これはお分かりの方も多いと思うが、作家村上龍のデビュー作「限りなく透明に近いブルー」のもじりだ。
最後が「ふつう」なのは、ただの言葉遊びではなくて、実は私がいたって「ふつうに暮らしてる人間」だという主張がちょいと含まれている。
さらには、読む人に「あなたの隣にいる一見普通の女がこれを書いてる可能性」を少し意識して欲しいという願いもあった。
だから、私の文章を読みに来た人に、私の事を「毎日ジェンダー関連の本を読みあさり、そういう運動に参加して『女性の人権をー!』と声を上げて、男性とそこらで喧嘩して暮らす田嶋陽子的な人物」を想像されると困るのだ。田嶋陽子扱いが嫌なのではない。
「こういうことに声を上げるのはどうせ田嶋陽子的な女だろう」という決め付けをされるのが嫌なのだ。
私は確かに男性が読んで耳の痛い話を書きがちだ。
それでも私は普段ふつうに暮らしている。
男性ばかりのエレベーターに乗ってしまいなんとなくボタンを押す係に任命されてもそこで「女性がみんなエレベーターガールでは無いんですよ!」と主張するわけでもなく、ボタンを押す。
男性社員に「お茶ちょうだい」と言われれば「女はお茶汲み係じゃないよ!」と反発する事もなく、まぁ自分も飲みたかったら同僚のよしみで「はいよ」と2人分淹れてあげたりもしていた。
つまり、私は普段から周りの男性に文句を付けたりバチバチやりあってる人間ではない、一見したらふつうのその辺の女だ。
だから、私の文章を読んだ人の中の「耳の痛くなった男性」が「こういううるさい女もいるみたいだけど、俺の周りの普通の女はもっと素直だし、俺らの事を受け入れて暮らしてるもんね〜。」と思うのは間違いなのだ。
私は決して「異質な女」ではなく、あなたがエレベーターに乗った時におとなしくボタンを押してくれた「その辺の素直な女」にあなたがカウントしてるほうの女だ。
もちろん「読む人の心構え」を強制はできないのだけど、なるべく「どこかのうるさい女の話」ではなく「自分の身近な話」だと思って読んで欲しい。
私がいつも一部の男性へ批判的な事を書いて、ピンと来てくれるのは主に女性で「ピンと来る」というのはつまり女性の多くはわりとすんなり「本当にこういうことあるある」と思ってくれてるっぽい手応えがあるのだ。
それは私の書くことが比較的「女の人のほうが被害を受けやすい出来事」だからだと思う。「された身」だから「身に覚えのある話」としてその辺の普通に起きる出来事として捉えてくれてるように思う。
でも男性の中には自分がそういう批判対象の男性像と違えば「桜島さんの周りには酷い男がいるもんだ。」と、他人事というか、どこか違う世界の話に思われている事が多い気がする。
でも痴漢しかり、セクハラしかり、性差別しかり、目立ったものではない水面下の悪事は、された本人しか察知出来ず(した方すら無意識のこともあるからね)ましてまっとうな男性のような外野が日常生活を送っているその「ま隣」で起きていても、気が付かれなかったりする。
だから私が書く「女で生きててこんな目に遭いました話」は、身に覚えのない男性にとっては「女の人も大変だなぁ、かわいそうだなぁ、でも痴漢もセクハラも性差別もどこでそういうの起きてるんだろうなぁ」という、私にとっては「女性に比べてピンと来てはいない感想」に感じる。
そもそも私が女性うんぬんを書く理由は1つは、自分とおなじ目に遭った、遭ってる女の人に「我慢しないで」欲しいから。
嫌なことをされたのを、心の中で無かったことにして一人で耐えないで、「嫌だったら怒る」という選択肢もあるんだよ、と言いたいから。
2つ目の理由は悪事をせずにまっとうに生きてる男性に「ま隣」の悪事に気づいて欲しいから。
ちょっと前に、現実の知り合いの知人男性の中で優しい人が私に「俺も性差別とか許せない」「言ってることよくわかるよ」と言ってくれたことがあった。
でもそういう人でさえ、「自分が攻撃される立場」じゃないせいか、アンテナがすこし鈍いように思えた。
それはどうしてそう思ったかというと、その知人男性と電車に乗っている時に、目の前でどこかの上司らしき男性が若い部下の女子に「なんだ今日、彼氏の家から来たのか?じゃあ昨夜はお泊まりか?」という質問をしていたんだけど、私はこの上司の質問をすぐ「セクハラだなぁ」と思ったけどその知人はきょとんとして後から話しても「あれはただ聞いただけでしょ?」ということを言っていた。
これがアンテナの感度の差というか、私が「アンテナの強いうるさい細かい女」だから感じて、知人男性はアンテナが鈍いから「何事も起きてない」にカウントしているという状態で、これが日本のどこかしこでも起きてるから、いま男女でセクハラとか性差別の話が噛み合わないんじゃないかと思う。
だから、私はまっとうな男性に実例を読んでもらうことで、ちょっとアンテナが鋭くなると助かる、と思う。
私の書く話を、どこか違う世界の話ではなく、あなたの隣にいる友達が、同僚が、上司が、「もしかしたら桜島にこういうことを思わせた人かもしれない」と思って受け取って欲しい。
まっとうな男性ですでにアンテナ感度ビンビンの人もすでにいると思うけど、もっと増えてほしい。
そういう一部の「悪事を働く男性」は、女性にとってだけでなく、まっとうな男性にとっても迷惑な存在だと思うから。
というわけで、私が「特殊ではないふつうの女」だとなるべく思ってもらうためには、私の記事一覧は時に「飼っていた犬の話」や「最近行ったカフェの話」とか混ぜ込む必要があると思ったのだ。
でも、見返すと最近は立て続けに女性うんぬんのことを書いてるし、自分で勝手にテーマを絞ってるような気がして、今回はそんな自分を戒める為に「一回適当なことを書いてお茶を濁す必要がある」と思って、こんな感じの駄文を書いてみているのである。
面倒くさい。面倒くさい人間だ。私は本当に自分で嫌になるくらい自分が面倒くさい。でも仕方ない。
今この段階で5,000文字を超えた。もう「長い」だろう。
でも私の筆が乗るのはだいたい6000文字超えた辺りからだから、自分ではまだまだ全然書き足りない。
今回、「長くない」のを書こうという試みもしていたのだけど、5,000文字でこんなに満足出来ないとは思わなんだ。なので、8,000文字くらいまでは書くと思う。
ちなみに今回は推敲もしていない。自分への「戒めの為」だからだ。
「ちゃんとしたものだけを世に出したい」なんていう望みは捨てると、7月に決心したのに、いつの間にか読者が増えたらまた「ちゃんとしたもの」を書こうとしてる自分が嫌だ。
だから「ちゃんと推敲した文章じゃないのを書いて出してやれ!ざまーみろ自分!」という気持ちで今回は公開する。
それに付き合ってここまで読んでくれてる人がいたら謝りたい。すいません。こんな駄文に付き合わせてごめんなさい。情緒不安定か。
さて、ここからはお茶を濁すのが目的なので、思いついたことを書くとする。
私が前回書いた高校時代から20歳までバイトしていた先の店長のことだ。
彼の愚痴を書く。
ある時、彼は店を数日休んで旅行に行った。
どこだかは忘れたけど、とにかく彼はアルバイト全員にお土産を買ってきた。
その店のアルバイトは男子が5人くらいで、女子が8人くらいいた。
いずれも高校生から大学生、フリーターという若い面々だ。私は19歳くらいだったと思う。
彼は誇らしげに土産袋を開けると、お土産を配った。
その日いたバイトのメンバーは確か男子が2人、女子が3、4人くらいだったのだけど、女子へのお土産は全員、ご当地キティちゃんのキーホルダーだった。
私はキティちゃんが好きではない。
というか幼少の頃からあらゆるキャラクターものに一切の興味が無い。
だから全く嬉しく無かった。
他の女の子はきゃあきゃあと喜んだ。
彼女達も本心から嬉しかったのかは定かでは無いが、マナーだとしてもとにかく「嬉しそうに」していた。
でも私はなんだかその日ムシの居所が悪かったのかもしれないけど、全然「ふーん」という感じを隠さず露骨に出していた。
店長の彼はその時はあまり私の様子を気にせず、次に男子にお土産を配った。
男子へのお土産はビーフジャーキーと貝ひもだった。
店長は「2人で好きな方取れよ」と言って男子は「俺貝ひも〜」「じゃ、俺ジャーキー頂きます」と言ってそれぞれを手にした。
悔しかった。
私はビーフジャーキーが好きだ。口に入れるとはじめは硬いボール紙みたいな異物感なのに、噛むほどに柔らかくなって肉の味が滲み出て美味しいところが大好きだ。
私は女子だから貝ひもとビーフジャーキーを選択する余地すら与えられず、無条件でご当地キティちゃんを手にしなきゃならないことが悔しかった。
店長は旅先でお土産を選ぶ時になんで「女子はキティ、男子は何かしょっぱいお菓子系」と思ったんだろう。
これが「女子はキティ、男子は武田信玄のキーホルダー」とかなら、百歩譲ってわかる。
もしくは「ビーフジャーキーか貝ひもを全員の人数分」なら全然わかる。
選ぶのが面倒だったんだな、と思うことも出来る。
でも「女子はキティちゃんで男子はキティちゃんは嫌だろうから何か食べ物」と、男女で分けたところが、何故かその時は猛烈に悔しかった。
私が「ふーん」という顔をしていたら店長は「桜島は嬉しくなさそうだな」と、言った。
私は今ならマナーとして「貰ったものに不平を表さない」くらいのことは出来る。
でも、その頃は子供だった。
そして日頃の彼への不満もあったかもしらない。
気がついたら「私もジャーキーが良かったですよ」と言っていた。
彼は「なんだよ、お前キティちゃん嫌いなのか、可愛くないな笑」と鼻で笑った。
そして「社会に出たらな、こういう時は素直にありがとうと喜んで見せないと、可愛がられないぞ。こいつらを見ろ(喜んでる他の女子を指して)こういうのが男は嬉しいんだ。」と言った。
私は「ビーフジャーキーだったら素直に喜んだのになぁ」と思った。
あと、もう1つ思ったのは、
彼は普段バイトの女子がブランド物の話をしていると、(その頃、私以外の女子はブランド物の財布とかカバンに目がない子が多かった)
「お前ら、ブランド物なんてみんなが欲しがるから欲しいだけだろ?本当にアレを好きなのか?お前らの年でああいうもんが似合うと思うか?今からブランド物なんて追いかけてたらバカ女になるぞ」というような説教をしていたのだけど、その話と「女ならキティを喜ぶもの」と勝手に決めつけてるのは矛盾してるような気がした。
今思うと、お土産に不満気だったのは確かに私がとても悪い。
でも、彼の怒りは「お土産を喜んで見せないマナーの悪さ」に対してというよりも、自分が「女子はみんなキティちゃんやれば喜ぶだろうな」と読んだのに、私という女子の1人がその思惑から外れた事に怒っているように感じた。
彼は女子の「軒並みブランド物を欲しがる特性」は批判するのに女子に「軒並みキティちゃんを喜ぶ特性」は求めてるんだ、と思った。
それが矛盾に思えた。
この話にオチはない。
なんでこの話を書いたかと言うと、今私はガソリンスタンド併設のドトールでこの文章を書いていて、店に入る前に給油をしたらドトールの店員であるおじさんが走ってきて、私になんとかカードの入会を勧めてきたくだりが関係している。
おじさんにカードを勧められた私が即答で「いやぁいりません」と断ったら、おじさんは「ウーン…」と悩んで見せて、その後「じゃっ、今ならキティちゃんの貯金箱あげますよ!」と満面の笑みで言った。
その言い方は「これでどうだ!」みたいな「これならいいでしょ!」みたいな、さもキティちゃんの貯金箱が良いもので、「これなら落ちる!」と確信しているかのような言い方だった。
そして私が「いや…そんなに欲しくないですね…はい」と言ったらおじさんは「えっ?なんで?この世にキティちゃんでグラつかないおなごがいるとは…!」みたいな顔で「そうですか?非売品なんですよ?本当に?」と言った。
私が「すいません、いりません」と断るとおじさんはさらに「じゃあ特別にキティちゃんのボックスティッシュも付けますよ」と言ってきて、「そういうことではない…」と思ったけど、また断ったらさすがにおじさんは諦めた。
それで店に入ってから私は「なんか前にもこんなような事あったな…」と思ってたら、バイト先のことを思い出したので書いたまでだ。
おじさんにとってそれまで「女性客へのキティちゃんアピール効果は絶大」だったんだろう。
みんないい女の人で「えっ、キティちゃんの貯金箱?わー欲し〜い!うーん、それならカード作ろうかしら〜」くらいのリアクションを本心か小芝居かで、してくれたのかもしれない。
でも、私は出来ないよ…。
欲しくないもん、キティちゃんの貯金箱…。
後ろ頭に横長の穴の空いたキティちゃん状の置き物を持って帰るのは、カードを作る面倒がチャラになるご褒美どころか、不用品回収だもん…。
おじさんの仕事っぷりに敬意を払い「そんなガラクタ貰っても困る〜」と本心は言わなかっただけで、素直に引き下がって欲しかった。
まさかキティ度数を上げるべくキティティッシュを付けようとしてくれるとは…。
それでも私は「気にしい」なので、今さっきおじさんの期待通りのリアクションをしてあげなかった事をちょっと不親切だったかな、と反省している。
でも、私がキティを欲しがらないことでおじさんの中に「キティが嬉しくないおなごもいる」という新常識が根付く事を願ってもいる。
ついでにお得意の「話を広げる」をやらせてもらうと、
世の中の「おなごたるもの、コレに飛びつく」という概念のある人々には「おなご」は「1人1人好みも思考も違う個々の特性を持った生き物だから、男子にビーフジャーキーと貝ひもの選択肢が初めから与えられてるように、すんなりとおなごにも数々の選択肢が許される頭を持って接して欲しい」と願っている。
あら!?今回も結局そういう話?ということになってしまったが、もうこういう思考回路が染みついているのかもしれない私。
というわけで、約束の8000文字を少しオーバーしたのでダラダラした話をやめさせてもらう。
ああ、やっぱり「である調」は偉そうだよ…。すいません。
次回からはまたいつもの調子で書くのでお付き合い下さる方はどうぞよろしくお願いします。
それではまた。
痴漢被害女性の話はなぜ「自慢」と言われるのか?
はじめに
話題になっている田房永子さんのコラム、私も読みました。
田房さんのコラムは毎回反響が大きく、やはり今回も多くの女性による「その通り。よく言い表してくれました!」というような賛同の声と、逆に「フェミ女の被害妄想が!」と批判するような声の賛否両論あるようでした。
今回のコラムに対して私も色々と思うところはありましたが、その内容に関してはすでに色々な方が文章を書いていますので、私はもう控えることにして、私はあのコラムにまつわる全体の流れを眺めていたらなんだか「なぜ痴漢被害女性の話は、とかく『うるせぇブス』と叩かれがちなんだろうなぁ?」ということについて考えてしまったので、それについて今回はちょっと書こうと思います。
(なお、今回は本来今月書いていた話を中断してこちらを書くので「取り急ぎ」の乱文になるかもしれません。分かりにくい箇所があったらご容赦下さい。)
私がなぜ「痴漢被害女性の書く文章はこうも批判されがちなんだろう?」と疑問に思ったかと言うと、1つは田房さんのコラム以外にもこれまで色々な女性が書いた痴漢やセクハラのような性被害を訴えた文章には必ずと言っていいほどコメント欄に暴言的なコメントが残されていたからです。
「痴漢されたと騒ぐ女はたいてい自意識過剰なんだよ。」とか「痴漢された話を自分からする神経って何なの?自慢?」とかですね。
今回の田房さんのコラムにも、Twitterでその話題になっている発言を辿っていくとやはり似たような暴言はありました。
私はこういうコメントを見ると、こういう暴言を書く人の心境が分からず「どうして赤の他人の被害体験を読み、気に入らないなら無言で去ればいいのに、わざわざ傷付くような事をサラリと書くんだろう?」と不思議に思っていました。それは腹立たしいというより、本当に「なんで?」という疑問です。
私自身も以前からこのブログで書いているように、痴漢に遭う経験は過去多くありました。
そして、現実社会で「痴漢された」と話すと、そこまで露骨に「自慢?」とか「被害妄想でしょ」とは聞かれないまでも、こちらが「アレ?」と思うような反応をされる事が時々ありました。
そういった意味では「ネット上でよく見かける痴漢被害女性の声につく暴言コメント」と私が実際に痴漢経験を話して言われた「アレ?」となる言葉達は、どちらも「なんで被害経験についてそんな事を言われるのかな?」と疑問に思う部分が共通しています。
なので私は今回改めて、なぜ痴漢被害女性の声が一部の人にとって「被害妄想」や「自慢」に聞こえてしまうのか?ということについて考えてみます。
もし私と同じように疑問に思っていた方がいましたら良ければお付き合いください。
私が「アレ?」と思った反応
私は今はネット上で過去の痴漢経験をまじえた文章を書いたりしていますが、現実の生活の中ではここ10数年間そういう話を身近な人にすることは滅多にありませんでした。
その理由を簡単に言うと、痴漢経験を話した相手の反応に「アレ?」と思う事に疲れたからです。
私が痴漢経験を、何の気なしに人に話していたのは20代前半の頃までです。その頃の私はまだ若くて、「人に話すことの怖さ」を知りませんでした。
だから単純に痴漢に遭った直後や、グループで話題が痴漢の話になった時に、普通に「私もこんな事があったよ」と話していました。
今思うと、痴漢経験を話す時の私がどういう気持ちで話し、相手にどういう反応を求めていたのかというと(当時はそんな意識なく話してましたが)たぶん単純に「話すことで憂さ晴らししたい。」というのと「共感されることで癒されたい。」の2つだったのだと思います。
そして、話した相手も「そう受け取ってくれるだろう」と思っていました。
しかし、現実はそういうものではありませんでした。
私が覚えている「アレ?」な反応を書く前に、まずは先に私の高校時代の痴漢経験がどういうものだったかを書きます。
私の高校の制服は少し変わったデザインで、一言で言うなら「萌え系アニメに出てくるような」制服でした。
そのせいもあるのか、周りにも「痴漢された」という女生徒が多かったです。
痴漢というと電車を連想する方が多いかと思いますが、私は自転車通学をしていましたが、痴漢によく遭いました。
通学路で後ろから低速で車に後を尾けられるのは日常茶飯事で、それも1人の時じゃなくとも、朝からでも、あることでした。
高校に入ってその細い小道である通学路を使うようになって、はじめの何度かは、延々と車にノロノロ運転(自転車を追い抜かない速度)で後をずっと尾けられても「車にとっては抜け道なんだろうな。自転車が邪魔で追い越せないんだな。」と思っていました。
しかし、そういう低速尾行車の半分くらいは、こちらが一旦道の脇に自転車を止めて先に行かせても、100mほど先で停車していて結局またこちらが追い越すことになり、しばらくしてまたこちらが止まって車に追い抜いてもらい、それを繰り返しながら大通りに出るまで3kmくらいノロノロと追いかけっこを繰り返すという具合でした。
私ははじめの何度かは、このような車の動向の意味が分からなかったのですが、数回目の時に停車している車の横を通りながらふと運転席を見ると、運転手の男性は股間に手をやり上下に動かしていたのです。
その瞬間、ゾッとするのと同時に「なるほど」と思いました。
ようするに怪しい車の運転手はそういう目的の為にいつも通学路を使っていたんですね。
謎が解けたと同時にそこから私の痴漢被害ライフは始まりました。
残念ながら私の住む街は小田舎なので道を変えても、そんな細い道はどこでもあり、大通りだけでは学校に行けず、どの小道にもそうした怪しい車はいました。常連の車もいましたし、1度きりの車もいましたし、数ヶ月おきの周期的に現れる車もいました。
正確な刑法では、このような「低速尾行だけ」は「痴漢」と見なさないのかもしれません。でも、こうしたノロノロ車のうちの半分くらいは「なにか」をしてきました。
ノロノロと自転車の横に来てクラクションを鳴らしてわざと裸の陰部を見せて走り去ったり、車窓から「道を聞きたいんですが」と声をかけられ、膝に地図を広げた男性の地図をよく見ると器用にまぁるく地図に穴を開けて「こんにちは」といわんばかりにモノを突起させて無表情で道の話をする男性がいたり、つまりそういうノロノロ車に尾けられている段階では事が起きるか起きないかは起きてみるまで分からなくて、その数十分間の怖さは「事が起きる時も未遂の時も同じ」なので、私の中で「低速で長距離を尾けてくる車=痴漢と同じ怖さ」にカウントしてしまいます。
ちなみに大人になって自分が車を運転をするようになって新たに分かったのは、本当に細い道だと脇に退避スペースが現れるまで仕方なく自転車をノロノロ追う形になる時がたしかにあるのですが、その時の運転席からの眺めって、なんというか実に視覚的に「狩り」っぽい気がするんですよね。
自転車に乗っている人は別にこちらから逃げてるわけじゃなく、ただのその人の進行方向なのに、なんとなく「私が追いかけるので、この自転車が逃げてる途中」みたいな感覚に陥るんです。
大きさ的にも「大きな車で細っこい自転車を追う」感じが「自分が大きな動物で、小さな獲物を追ってる状況」に錯覚しやすい感じ。
私はそういう時「あ~急がなくてもいいですよ~すいませんね~。」と申し訳なくなり心で謝ってるのですが、可虐心の強い人にとってはこの状況は楽しめるものになるんじゃないかと思います。
だから私の通学路にあんな頻繁に怪しい車がいたのは、そういう車の運転手達が、接触はしてこなくても「目の保養」くらいの気持ちで気軽に通学路に現れて気が済むまでその眺めを楽しんでいたからじゃないかと、推測ですが思います。
あと、高校時代には、他にも「痴漢にカウントするのか」が、いまだに謎な経験が多々ありました。
制服でコンビニのトイレに入ろうとすると、トイレ入り口の狭い空間でぶつかるように体を滑り込ませてくる男性がいたり、電車に乗ると隣の男性が腕組みをしながら居眠りをしていて、その握りこぶしがさりげなくグイグイ押してきているような事はよくあり、こういうのは「痴漢なのかそうじゃないのか非常にグレー」なのですがハッキリと「痴漢された!」と思う経験より、こういう「グレー経験」の方がとても多く、当時は慣れてしまい普通のことのように思っていました。
でも制服を着なくなると格段にそういうグレー経験は減ったので、今思えばそれらも、そういう事をする男性が「女子高生」の私にセーフな範囲での接触を試みた行為だったのかなと思えてきます。
私の高校時代の痴漢経験は、こうしたグレーのも含めて「痴漢経験」とみなすのならば痴漢は週3回はあることで、登校時&下校時と1日に2回遭うこともありました。書いてないケースもあといくつかありますが省きます。
さて、それで痴漢経験を話した時の「アレ?」と思った相手の反応というのは、まさに学校帰りにそういう車の運転手の1人に陰部を見せられた時の後の事です。
その日は下校後すぐバイトの予定だったので、私はバイト先に着くと思わずバイト先の店長(40代のおじさん)やバイト仲間に「今、そこで痴漢に遭ったわ~」と話しました。
私が事の詳細を話すと、同じ通学路を使っていて女子高生である数人のバイト仲間は「あの道?あそこ特にひどいよね!」とか「こわいね~ヤダ~」というような反応でしたが、店長はひとしきり女の子達が話を終えるまでニヤニヤしながら聞いた後に「そんなの、握りっ潰しちまえばよかったんだよ(笑)」と笑いました。
私は「は?」と思いました。
店長にとっては冗談なのでしょうが、なんで「仕返しの方法」が「見せられるだけで不快なモノに触って握る」なの?と、その発想は本当に訳が分かりませんでした。
女の子達は店長の発言に対し「ヤダ~」「きも~い」とキャアキャア言いましたが、店長はそのキャアキャアさえ嬉しいというような満足気な表情で、さらに「桜島みたいな女っ気のないのでも、そういう目にあうんだなぁ(笑)」と言ってきました。
私はショートヘアで、顔も地味で、自分でも確かに「女性性」とか「美少女」という要素が全くない自覚があったので、「確かにそれはそうだけど…」と思ったのですが、店長の言葉に「え、こんな反応あるんだ…」という感じで、その時はショックまではいかないものの「思ってたのと違う反応だ」ということに、モヤモヤしました。
そして、こういう風に私が「アレ?」となる反応は他にもありました。
登校時に車に尾けられ、車を撒くために大通りに迂回していたら学校に遅刻してしまった時は、教育指導の男性教師に「なんで遅れたんだ?」と聞かれたので私は「変な車に追いかけられて逃げてたので…」と言いました。すると教師は即答で「お前がそんな短いスカートを履いてるからだ」と言い、その後に「…で?何かされたのか?」と聞かれました。
その時の男性教師の目には、ただの「聴き取り調査のため」とは違う、彼の「内なる好奇心」みたいなものが感じられました。
これこそ「それはお前の邪推だろ!」と言われればそうかもしれませんし、教師の思惑がどうだったのかなんて本人以外にはわからないのですが、店長のニヤニヤも男性教師の「…で?」の言い方のニュアンスも、対面した私が「アレ?これは慰めとは違う何かだ。」と思ったのですから「そう感じた」と書かせてもらいます。
また、これは話す相手が男性に限って起こることではなく、女性同士と思って油断して痴漢話をすると「それだけ魅力的って事だと思えばいいじゃないの~」とか「女は狙われるうちが華よ~」という「なにそれ?」な反応が返ってくる事もありました。
「赤の他人にむやみに性的興奮材料にされたことを、どうして好意的に受け止められるの?この人は自分がされてもそう思って来たの?」と私はまた「慰めとは違う反応をされた」ということが不思議に思えました。
そういう、痴漢経験を話した時に相手に「なんか変なこと言われた。」と思う回数は、歳を重ねると徐々にたまっていきました。
当時は若かったので、自分の感じたその「何か変な感じに受け取られてる。」の正体がなんなのか分からなかったのですが、すごく後になって(20代前半くらいに)それを表す言葉がいわゆる「セカンドレイプ」だと知りました。
私が無邪気に痴漢被害経験を話す時、それが聞く人に寄っては「同情」や「いたわり」の心を産むものではなく『「性的刺激を誘うエンターテイメント」のようなものになってしまう事や、「若さ・魅力自慢」に取られてしまう事がある。』
そのことを知って初めて私は「人に話すことの怖さ」を知りました。
しかし他人がそれぞれ人の話に対して「何を思いどう反応するか」を強制することはもちろん出来ません。
痴漢経験を話した相手が、私の思った通りに「憂さ晴らしをただ無心で受け止めて」くれたり「可哀想に思って慰めて」くれなくても、それは仕方がないことなのです。
私は自分の望む反応だけを他人に期待する私のほうが間違いなのだと気がつきました。
それで私はそれ以降、現実の生活では痴漢経験を話すことは滅多にしなくなりました。
痴漢経験を話して「この人には、なんか違う受け取られ方をされた」と思うことは、痴漢被害そのものよりレベルは低くても、小さく心が傷付くことだからです。
小さな心傷も溜まれば心がやさぐれますから、私はその心傷を増やしてまで人に話す事じゃないと自分で判断しました。
今の私が文章で痴漢経験を書く理由
そういった訳で私はここ10数年間は現実でもネット上でも自分の痴漢経験を語る事はなるべく避けてきました。
しかし、自分もブログを始め、ネット上で他の女性達の痴漢経験の話を読む機会が増えるようになると、自分の痴漢被害のピークは過ぎたものの現時点で被害のピークにあたる年齢の子達が可哀想に思えてきました。
それがどういう事かというと、私の高校生時代はネットが無かったので、身の回りに情報が少なくて、そもそも自分がされてる事が「痴漢」なのか何なのかすら分からず、グレーな事にはそのつど「嫌だったけど、わざとじゃないのかもしれないし…」と良い方に考えれば、世の中がそんなに悪い男性ばかりじゃないと思えました。
明確な痴漢は居ても、それはごく一部の人で、グレーな事をしてきた人には「シロ」だと思い込むことが出来たのです。
また、今に比べて世の中に「女子高生」を性的視点で見ることがまだ一応「いけないもの」という認識があったように思うので、私は世の中の男性に対して希望を持つことが出来ていました。
それが、今はネットで簡単に「JKにこんなことしてやった」とか「電車でJKの髪の毛の匂い嗅いだった」というような、明らかに「性的興奮を得るためにグレーな事に及んでいる」成人男性の自白を読むことが出来てしまいます。
また、コンビニでも女子高生ものの成人向け雑誌があったり、バナー広告も制服を着た少女の姿が溢れていたり、それらの大人による『女子高生は俺らにとって充分性対象ですよ』という事実を女子高生自身に突きつけるものが、昔より当たり前のように世の中に溢れてしまっています。
これでは今の女子高生にとって「グレー」をシロと思い込むことはとても難しく、この中で時に実際にグレーな事をされ、時に明らかな痴漢をされていたら、女子高生が世の中の男性を「シロ」と思う材料が少な過ぎて、男性全体に希望が持てなくなってしまうんじゃないかと思うのです。
「世の中には善良で素晴らしい男性がいるという事実」は、本来なら女の子自身が良い恋愛経験をしたり、良い対人関係を築きながら徐々に各々の人生で知っていく事だと思います。
そしてそれは、わずかにでも女の子自身に「異性への希望」がないと、まず異性との一般的な対人関係を作る事すら難しいのです。
それなのまだろくに社会に出ておらず異性に対する希望が未確定の幼い少女のうちに「クロ」の経験ばかりを積まされる今の女子高生達は、本来なら順当に築いていけるはずだった男性に対する希望の芽を摘まれ、しかもそれは「どこかの誰かの一時の性的満足を得る為の道具にされた結果そうなってしまう」というのでは、あまりにも可哀想だなと私は思うわけです。
なので、昨今の「幼い少女を大人が性的視点で露骨に見る習慣や、あまつさえ実際に性対象として接近して何らかの痴漢行為を働くことが頻繁に起きる社会」は、今後の世の中に男性不信や男性嫌悪の女性を新たにどんどん作っていく事態だと思います。
これは、女性にとって悲しいばかりでなく男性にとっても悲しい未来だと思います。
若い頃に性的な被害を受けるとその心の傷は、少女にとって一生ものの男性不信を植え付けることになりかねません。
女子高生に対して痴漢や、それに近いグレー行為をギリギリで楽しんでいる男性にとっての女子高生は、「一時の快楽の為の道具」かもしれません。
でも、どの女の子も心を持った、その先の一生を明るく過ごす権利のある人間なんです。
「女子高生可愛いな~俺は女子高生好きだな~」と思うなら、どうかその彼女達を性的な道具ではなく、人として尊重して欲しいです。
というわけで、私はこんなような事を言う時に、この想いが自分の経験からの願いだという事に説得力が少しでも増すために、ここ最近は自分の痴漢経験をネット上では書くようになったのです。
男性が女子高生をそういう目で見る事に対して批判的になるのは、けして「ババアは男が若い女を追いかけると自分が見向きされないからって批判してんだ」ではないのです。
なぜ痴漢経験談は自慢だと思われてしまうのか?
さて、ここからまた本来の疑問に戻ります。
さきほど私は、過去に気軽に痴漢経験を話していた頃、好奇心から状況を根掘り葉掘り聞かれたり、なんだか謎のアドバイスをされたり「女にとって勲章でしょ」と言われたり、とにかく私の思惑通りに「痴漢経験が辛いものだった」という受け止められ方をされなかったことが不思議だったという話を書きました。
このたび改めて、暴力的なコメントをする人の心境も含めて「なんであの人達にこの辛さが伝わらなかったんだろう?」と考えてみたのですが、ひとつ思ったのは、そういう伝わらない人達が「そもそも痴漢に対して大きな勘違いをしている」可能性です。
それは、どういう勘違いかと言うと「痴漢=男性から見てそそる女に対して行なわれる行為」だという思い込みです。
これは確かに、完全なる間違いではないのですが、私からすると「そうとは言い切れないんだよな…」という部分があります。
もちろん単純に、お婆さんとかいかにもオバちゃんオバちゃんした中年女性がほとんど痴漢されないことから分かるように、「ある程度の容姿、年齢」がクリアしてないと痴漢は起きないという事実はあります。
だからこそ「痴漢=それなりのリスクをかけて挑むからにはそれに見あう獲物を狙う」という一般的な人の考え方が成り立つのだと思いますが、しかし、それよりももっと深いところに痴漢本人と、被害者女性にしか知りえない「真実」があります。
それは、痴漢行為をする人にとって獲物に対して重要な条件は「女としてそそる・そそらない」ではないことです。
では何が最重要条件なのかということについては後で詳しく書きますが、
私は自分が痴漢されるようになった当初は、他の人と同じように「やっぱり可愛い子とか綺麗な子を狙うんだろうな」と思っていたので、実際痴漢に遭遇してみて「痴漢はなんで私のようなボーイッシュな女に??」と思いました。
その頃の私の中にあった「痴漢をされる女の人」というのは、志村けんが変なおじさんのコントで最初に近づいて行き「何この人~?きゃあ~」と言う役のあの、2人くらいのボディコンでワンレンの女の人のイメージでした。
つまり男の人が痴漢したくなるのは「髪の長い、スタイルの良い、可愛い綺麗なお姉さん」だと思っていたのです。
なので、女性としてまだ体裁の整っていないちんちくりんな自分がそのお姉さん役に配役された事が「???」でしかありませんでした。
多分、店長がニヤニヤしていたのも「お前みたいなのも狙われるんだなぁ」も、この「変な配役」に対しての率直な感想だったのだと思います。
また、高校教師が私に事情聴取した時にどこか「好奇心」が見えたのも、こういう「いかにもそそる」ではないただの女生徒にそそられた痴漢の心理について「どれどれ、痴漢の男はこの女生徒のどこにそそられたっていうんだ?」という目で私を検分しようとした結果なのではないかと思いました。
さらに、歳上の女性が「魅力的ってことよ。」などと言ったのも、まさに「あなたも男性から見てそそる女の役が回ってくる年頃になったのよ。(でもそんな事を自慢できるのは今だけよ)」という意味だったのかなと思います。
このように「痴漢された=そそるイイ女認定」だと思っている人達には、いくら痴漢が辛かったと訴えても、通じません。
なぜなら彼らは痴漢の真実を知らないので、「辛かった」という目の前の女の言葉よりも、古来からの思い込み「そうは言っても所詮、人間とは異性に欲情されることは嬉しいものである。そそる女しか男は相手にしないものである。」という一般常識のほうが信じやすいからです。
だから辛さの訴えを受け止めるよりも「でもちょっとは嬉しいんでしょ?だから結局自慢なんでしょ?」という感想を持たれてしまうのではないか、と私なりに答えを出しました。
うまく説明出来たかわかりませんし、私なりの解釈なのですが、痴漢経験談に対して「痴漢の話して何がしたいの?自慢なの?」と本当に疑問に思う人が1人でも納得できて、今後「ただ受け止めたり、慰めたり出来る側」にまわってくれたら幸いです。
痴漢が獲物を定める時の第一条件とは?
では先ほど後回しにした「痴漢にとって獲物にする女性の最重要条件がなんなのか?」ということが残っていますのでそれについて書きます。
私は高校生になって、自分のようなそそらない女でもなぜか痴漢をされるという事を嫌というほど思い知り「そそる・そそらない」があまり関係ないという所は身をもって実感しました。
では「そそる、そそらない」より痴漢にとってさらに重要なものがなんなのか?考えたのですが、おそらくそれは
保身です。
私がこの事を分かるようになったのは、もう大人になってからでした。
大人になって、周りの色々な男性を見ていると、男性にとって社会的地位がどれほど大切なものか分かりました。
そして、痴漢は犯罪なので捕まれば社会的地位を失う大変リスクの高い行為です。
私は痴漢をしたい男性は、もしかしたらその社会的地位をかけた「賭け」のようなスリルすら、性的興奮に加味して楽しんでいるのではないか、と思いました。
そして多くのギャンブル依存者が、あまり一点買いの大穴狙いをせず、長くギャンブル生活を続けるためにある程度頭を使って「手堅いところ」を攻めるのと同じ心理で、痴漢をする人も、きっと「手堅い獲物」を狙うのです。
だから、痴漢にとっての獲物の最優先条件はズバリ「捕まらないこと」=「騒ぎそうもない獲物であること」なんだと思います。
そして、それをクリアしていてなおかつ女子高生が好きな男性にとっては「制服を着ていること」が第2条件に来るんです。
彼らは恐らく女子高生1人1人を人間とは思っていないので「制服」という記号を身につけた女の子であれば、本当に著しく見てくれが悪くない限りは狙います。
ブスでも地味でも髪が短くても色黒でも運動部でも、狙います。特に細めで小さい子ならなおのこと狙います。
もちろん、その中でもより可愛い子のほうが望ましいのでしょうが、可愛い子は「どこかギャルっぽい要素がある子」だったり「世慣れしていそうな子」だったりして「騒ぎそうもない」という条件を満たさない事が多いです。
普通の一般的な感覚なら、「どうせ危険を冒してまで触るなら可愛い子に決まってんだろ」なのですが、痴漢はその「危険を冒して」の危険値を最大限まで落としたいのです。
だから分かりやすく言うと、女子高生であるという条件を満たしてさえいれば、その中で「可愛い」という贅沢オプションを付けるより「騒ぎそうもない」という安全オプションを付けたがるのです。
痴漢は「そそるそそらない」より「安全第一」なのです。
そう思うと痴漢をする人は、自分は見知らぬ女の子の人生に一生ものの傷をつける行為をしながら、自分の人生は守りたいという本当に本当に卑劣極まりない神経の持ち主だと思います。
これは全部私の憶測ですから「一理ある」と思い、信じたい人が信じてくれればいいです。
ただ、女の子で「私なんて痴漢に狙われないよ~」と思って無用心に生活している子には親心で「ちゃんと気をつけて!」と言いたいです。
私も本当に自分が狙われるなんて思ってなかったのに被害はあったし、周りの痴漢被害者の子も結構みんなはじめはそういう「私なんて平気でしょ」という油断から、夜道を一人歩きしたりして被害に遭ってます。
あなたは「私なんてブスだし、周りにもっと可愛い子いっぱいいるし…」と思ってても、大人になった私から見ると女学生って若い女の子って、本当にそれだけで全員とてもとても可愛いものなんです。全員じゅうぶん気をつけて貰いたいです。
もちろん気をつけない女の子が悪いのではなく、悪いのは当然痴漢をする大人なのだけど、そういうことを用心しないで済む理想の社会にはまだまだ現実は追いついてないので、仕方ないけど頑張って自衛して下さい。
最後に
というわけで、初心に戻りまして、まとめます。
今回は「なぜ痴漢被害女性の話は、こうも『うるせぇブス』と叩かれがちなのか?」という疑問に始まったのですが、その答えを端的に言うならば
『痴漢経験者と未経験では「痴漢の獲物になる女性像」に違いがあるから』ということになりますかね。
未経験者が痴漢経験談を聞く時「やれやれ、またどっかのクソブスが少しの事を痴漢されたと騒いで、自分がモテるって言いたいわけ?」と思うのは「クソブスが狙われないと思っているのと、狙われるのは女にとってありがたいこと」だと思っているからだと思います。
本当はクソブスでも「弱そう」なら狙われますし、痴漢に狙われるのは女にとってありがたくもなく、一時の性的興奮材料として認定されるという人として最も屈辱的な事です。
そこは本当に多分、痴漢に遭った女性のほとんどが「屈辱的」と感じていると思います。
女性の中で、たまたま周りに酷い男性ばかりの環境にいたり、性被害の経験があったりして、世の中男性全部が不信で男性嫌悪の人がいますが、男性にも同じように女性に対して「いつも悪いのは男だって顔しやがって。」みたいに、女性全体を嫌悪する人がいます。
私はみんな仲良く幸せにくらせる社会を望んでますけども、そういう人たちにまで「まぁまぁあなた方仲良くしなさいな」とは思いません。
その人たちはおのおの異性から酷いことをされて、異性全体に対する恨みが一生消えないほどに残っているわけなので、それを他人が簡単に「もう水に流した方が楽だよ」なんて言うのはその人の傷を「こんなの浅い浅い!」と軽視している行為だと思うからです。
酷いことをされた人の心に一生消えない恨みが残るのは人の気持ちとして理解できるので「和解しなさいなー」なんて私は思わないんです。
ただ、いくら恨んでも恨まれても互いに人間ですから寿命まではおなじ世の中に生きていくわけです。なので、せめて「関わらないで」生きていけばいいと思います。
だから「何を聞いても女の話はムカつくんだよ」というような男性は、今後誰かの痴漢経験談を見たり聞いたりしたら「慰めてあげたり」とか「肯定的な事を言ってあげたり」なんて願わないので、せめて「黙って立ち去ってあげて」欲しいです。お願いします。
今回、痴漢について女性側からの意見をつらつらと書くことで「被害話ばかりで、痴漢冤罪についてどう思うんだ?」みたいな事言われるのかなーとも思うのですが、それは私が書くことではなく、痴漢冤罪被害について思うところのある人が書くべきことだと思います。
私は痴漢に限らず「冤罪」は、まぁ許せません。
でも、痴漢被害の話をする時に「そうは言っても冤罪被害だって多い!」という言葉で痴漢被害の話をかき消されるのを見かけると「その話は違う話だよ。」と思います。
世の中には痴漢冤罪被害もあるし、痴漢被害もあります。
2つは全く別の話だから話す時は分けて話そうよ、という感じです。
今回私から出来るのは痴漢被害談の話です。
私はこれからも現実生活では多分こういう話をしないと思います。
誰が「自慢?」という反応をするか分からなくて、身近な人にそれをされる時の失望感が怖くていまだにそれは出来ません。
それでも、ネットにこういう文章を書くのは、まぁこれを読んで多少誰がが納得したり慰められたりすればいいかなという気持ちからです。
特に既に若い女の子で男性に痴漢や性暴力をされて「男の人が怖い、嫌い」と思ってしまっている子に、私は「全部の男の人が悪い人じゃないからどうか希望は捨てないでね。」と伝えたいです。
ついた傷が深いとなかなかそう思えないかもしれないけど、どうか希望を持って生きて欲しいと、元女子高生だった女が今の女子高生に思います。
あと、これを読んで改心するような人は初めから痴漢などしないと思うのですが、それでも痴漢予備軍というか「もし機会があれば…」なんて思ってる男性がいたら思い改めて下さい。
本当にやめろ。
「ちょっと」と言っておいてまた長くなってしまいましたが、最後までお読み頂いた方、どうもありがとうございました。