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産みたい女 産みたくない女 産むか産まぬか決まらぬ女

ジェンダー

はじめに

私は今、34歳です。結婚して6年ですが子供はいません。 

どうして子どもがいないのかと原因を考えると、ひとつは親の教えのせいかもしれません。

私の両親は私が物心ついた時にはすでに不仲でした。

しかし離婚はせず、母親は自分の結婚生活に不満たらたらの人で「子供が4人もいるせいで離婚出来なかった」とよく私たち子供に愚痴っていました。
末っ子の私は特にその愚痴の聞き役にされることが多く、私は子供の頃から母親に「子供なんか産むもんじゃないよ〜」と言われながら育てられました。
そのせいなのか、他の要因もあるのか自分でもよくわかりませんが私はごく自然と結婚や出産願望といったものが無いまま大人になりました。
 
夫婦共に子供が嫌いなわけではありません。
街で小さな子供を見ると純粋に可愛いと思いますし、夫がもしも突然亡くなったら1人ぼっちになってしまうのは悲しいので夫との間にあいのこが居たらいいな、とも思います。
でも逆に世間で起きる小さい子供がまきこまれた悲惨なニュースなんかを見る度に「子供が居なくて良かった。こんな世の中に産んだらかわいそうだ。」という気持ちにもなります。
あと、単純に出産が痛そうで怖いというのもあります。
 
だからすごく悩んでいます。
悩んだまま6年間経ちました。
私は結婚して6年も経つのにいまだに自分で「子供が欲しいのか欲しいないのか」が決まりません。
 
そのことについて最近は年齢的に早く答えを出さなきゃなぁ、と少し焦っています。
でも、こればかりは人に聞いても答えは出ませんし夫婦で話し合って決めていこうと思っているのでいいのですが、今日書きたいのはこんな「子供のいない既婚女」として生きていて感じる世の中の窮屈感についてです。
 
私は6年間「子無し既婚女性」として生きてきて人から様々なことを言われてきました。
 
それは親切心からだったり、ただのおせっかいだったり、批判だったり、言った方の人の気持ちは色々だと思いますが、正直うんざりする事が多いです。
 
私は元々、日常に不満が溜まったりするとインターネットの中に同じような思いをした人の文章を探し求めて、共感をして癒されたいと思う性分なのですが、実はこの件についてなかなか同じ境遇の人の文章に出会えず今日まできました。
 
私としては同じ「子無し既婚女性」で「子供を産むか産まないか悩み中」の人の気持ちが読みたいのですが、インターネットの中で見かける「子無し既婚女性」関連の話題は「不妊」か「DINKS」が圧倒的に多く、その時点でどちらにも当てはまらない私は疎外感を覚えました。
 
インターネットの世界は、世の中の縮図のはずなのでこうして私と同じ境遇の人が見つからないと、まるで私のような境遇の人は世の中には存在しないことになっているように感じて少し寂しくなります。
 
でも、私は世の中に同じ境遇の人がもっと沢山いるはずと思います。
「産みたくても産めない」でなく「産みたくないから産まない」でもなく「産みたいか産みたくないかすら分からないけど日々生きている」という人が。
 
だからこの際、もう自分で書こうと思いました。
もしかしたら、私と同じような境遇の共感難民の人が読んでくれるかもしれないし、なによりただ書くと自分がスッキリすると思ったからです。
それに、なるべくなら同じ境遇じゃない世の中の人に「こういう人間も世の中にいる」と知ってもらいたい気持ちもあります。
ただの自己顕示欲かもしれませんが、もともとこのブログは自己顕示欲を満たすために書きはじめたものなのでここなら書いてもいいかなと思って今書いてます。
それでもこの文章にお付き合い下さる方は長文になりますがよろしくお願いします。
 

「子供を産みたい=女の本能」は最強?

まず、はじめに私が思うのは女性がある程度の年齢になると「子供を産みたい」と思うことを「女の本能」と位置付け、それが何より女の優先順位の1番だとすることへの疑問です。

 私は結婚したての頃、周りの人達に「おめでとう、次はお子さん楽しみね」と、よく言われました。
私はいつもその度「あぁはぁまぁ」と薄ぼんやりな返事をしていました。
と言うのも、私自身には全くそのような「結婚したぞ、次は子供だ!」という意気込みがなかったからです。
その気が無いのに「そうですね!頑張ります!」などと嘘は言えませんから結局答えは「あぁはぁまぁ」で濁していました。
 
でも実はこれには私自身もすこしアテが外れたガッカリ感がありました。
 
というのは、私には子供の頃から「子供なんか産むもんじゃないとお母さんは言うのに、どうしてみんな女の人は赤ちゃんを産んでいるんだろう?」という大きな疑問がずっとありました。
だから出逢った「子供を産んだことのある女の人」(近所の人や先生やバイト先のパートさんなど)には仲良くなるといつも「子供産むの大変?」「なんで子供産もうと思ったの?」と聞いてきました。
しかし誰1人私が納得できるような明確な答えをくれませんでした。
代わりに女の人達は優しく言いました。
「まぁ大変だけど、あなたもきっと大人になってそういう相手が出来たら自然と産みたくなるものよ。」と。
 
だから私はそれを一応信じてきたのです。本当はそう言われる度に「みんなそういうけどほんとか?」と半信半疑でしたが、それしか信じるものがないので仕方なく信じました。
そして「よくわかんないけど大人になったら、あるいは結婚したら、自然と子供が産みたくなるように出来てるんだろう」と未来の自分の変化をアテにしてきました。
 
しかし実際は結婚してもさして私の心境は変わらなかったので「結婚したら何か劇的に心境が変化するはず」というのは、私の勘違いだと分かり20年来のアテが外れてガッカリだったというわけです。
 
女の人の中には「適齢期になると自分の意志とは別に『本能』みたいなものが働いて自然と産みたくなった」と言う人もいました。
他の女性達の言う「時が来たら自然とそうなる」の「自然」も、突き詰めればそういう「本能」を指しているのかもしれません。
 
つまり「どうして大変なのに産むの?」の彼女達の答えは「女の本能だから」なのです。
確かに彼女達にとってそれは事実なのかもしれません。
 
でも私はこの「本能に第一に従う」ということが本当に出来ません。
出産とは、下手をすると自分の命さえ危険に晒す行為です。
なのに自分の意志とは関係なく、適齢期にはその行為がしたくなるなんて、本能とはなんて恐ろしいんだ!と思います。
 
でも確かに生きとし生けるもの全てのDNAには「子孫繁栄」がプラグラムされていて私の先祖もそうしてきたから私が誕生しているのだし、あらゆる生き物が種の保存に励んできて今の地球環境を作り上げているのだから、それはとても自然の営みなのでしょう。
だからそのこと自体は分かります。
でも、虫や魚や動物はいまだにそうだとしても、人間はこんなに理性が育ってしまった生き物として、「そこだけ急に本能第一主義に従って動けない」という心情があって、それが認められてもいいはずです。
 
でも私が6年間生きてきて感じた世間の人というのは何故かおしなべて「女なら自然と産みたくなる。」という「本能第一主義」を支持しています。
私が「子無し既婚女」として感じる世の中の窮屈感の1つはこれです。
 
正直言って普段私は服を着て仕事をしたり寝起きしたりしながら「動物」として生きている実感なんてありません。
アフリカの原住民の人達のように狩りをして暮らし原始的な暮らしをしているならまだしも、現代の日本で生きていたら多分、どの人も「私は動物」と思ったりしないと思うのです。
なのに、なんで出産のこととなると人は途端に本能を持ち出してそれに頼りきるのでしょう?
 
勿論、本当に本人がそう感じて出産をしてきた女の人はそうとしか言いようがないのかもしれません。
でも私が窮屈に感じるのは、そうじゃない「男性」も「女はそうなっている」と思い込んでいることです。
 
幸いに私の夫はそういう決めつけを持たない人なので良かったのですが、その他の男性の中には私の考えを否定されることがありました。
特に年上の男性と話すと「女なら子供が欲しくなるでしょ?」とか「女なら好きな人の子供を産みたいはずだよ」とか決めつけて言われることがありました。
 
これを言われると私は「女のくせに産みたくないなんて変わってる」しいては「女失格」と言われているように感じます。
 
そして今、日本は少子化が加速し政治家の多くを占める年配男性はなんとか日本の若い女に子供を産ませようとしているように感じます。
私からしてみるとそういう政治家の方々も、こういう事を言ってくる男性と同じように「女なら本能で産みたいはずだ、だから遠慮せず産みなさい」と言っているように感じます。
 
私はそれが、頭に来ます。
多分私の中には微かには「自分と夫のあいのこが欲しいな〜」という本能があります。
もし無かったらすでにキッパリ「産まない」を選択しているはずなので、それが出来ないということは本能も微かにあるんだと思います。
 
でも日々生きていて色々な世の中の汚い面に触れる度に「こんな産み育て難い世の中で産みたくないよ」と思うことが多々あります。
この判断は理性によるものです。
結果として積極的に子作りに励んでいませんので、今の私は理性が勝っている状態なのです。
日本の少子化はこういう「理性勝ち」の女性が増えたから進んでいるのではないかなぁと私は思います。
つまり「子供が居たら楽しそう」という女性も「でも仕事も今の地位で続けたい」という理性の判断で諦めたり、「もう一人欲しい」という女性も「でも経済的に厳しい」という理性の判断で産むのを諦めたりして、ただの「産みたい」という本能に従うことは出来ない状態なんです。
なので政府としてはこういう状態を変えるにはその女性の「理性に対してアプローチ」をすることが必要なんだと思います。
私達がどうしたら理性的に「産みたい」を選択できるかというと、それは普段生活をしている中で世の中が「子供が居たほうが居ないよりもメリットがある」と思える環境であることが必要です。
 
でも、今の世の中どこに行っても妊婦や乳幼児連れや子供を取り巻く環境は酷く殺伐としていて、子供がいるメリットなんて正直「子供が可愛い」くらいしか見出せません。
逆にCMなどを見ていると子供が居ない夫婦の方が自由に金銭的にも裕福に暮らせるようなイメージのものが多く、ニュースを見れば子供が被害者加害者になる事件ばかりで「うちは居ないからこういう心配は無くて良かった」と思う機会のほうが多いです。
これでは子供が居ないメリットばかり目立ちます。
 
だから、政治家の人達はまずその環境を変えて私達の「理性に働きかける努力」をしてほしいのです。
でも彼ら政治家のアプローチは環境を変えることへ向いておらず、どうも彼らは「女の本能に頼っている」気がします。
 
それを確実に感じたのは数年前騒ぎになった女性手帳の件です。
私は女性手帳の時にTwitterでこんなことを書きました。
 
これは2013年のツイートなのですが、私はこの時、政府のことを「ズレてる」と書いています。
このズレが具体的にどういうことなのかこの時は言葉に出来なかったのですが、今考えると女性手帳というのは「理性への働きかけ」ではなく「女性は本来子供を産む生き物なんですよ〜若いうちに勉強してその自覚を持って将来は自然と産みたくなってね〜」というひどく「女の本能」への働きかけだったからだと分かりました。
 
そして「なんで政治家の人のやることはこうなっちゃうんだろうなぁ」と私はよく考えました。
そして私が出した推測は、恐らく「男性が種の保存に関われる最後の工程がセックス」だからだと思いました。
 
どういうことかと言うと、出産に関して男性はセックスで射精をしたら、あとは女体にお任せすることしか出来ません。
だから、彼ら政治家の多くを占める男性にとっての「種の保存のための本能的な行為=セックス」なのです。
そして彼らは婚内外問わずセックスが好きなことが多いです。
 
なので女性にとっての「種の保存のための本能的行為=出産」に対して、自分達のセックスと同じように捉え「キミたちもそうしたいはず」と思っているんじゃないかと思います。
 
つまり政治家の方々は男性の射精と女性の出産へ対し同様に「本当はみんな本能に従ってしたいもの」だと位置付けているということです。
 
よく「男が浮気するのは本能だ」という言い訳があり、これも考えてみれば普段理性的に生きているくせに急に本能を持ち出していておかしな話ですが、恐ろしいことになかなかこの言い訳の効力はいまだに消滅していません。
私はこのことも前々から変だと思っているのですが、ようするにこういう言い訳が通用すると思っている彼らのような人はとにかく人間の行動とは「本能」を持ち出せば理性がねじ伏せられるものと思ってるんだと思います。
 

これに対して私としては「んなわけあるかーい!!!」と声に出して言いたくなります。

先ほども書きましたが出産とは女性が命がけでする行為であり、産んでからも今の世の中では何かと子供に付随する負担は女性の方に重くのしかかるようになっています。
なのにそれを男性の射精と同じように「機会があればいくらでもしたい❤︎」と女に思えなんて、それは無理な話です。
 
でも政府がやろうした女性手帳の発想は「そう思うような女作り促進グッズ」だったので、私は政府のすることはアホだと思いました。
女性手帳は批判が多く、実現はしませんでしたが、政府がそういう頭で動いていることが明らかになったので私はこの時、さらに「こんな世の中じゃ産みたくねぇ〜」と思いました。
少子化問題は政治家の方々が脳みそからその発想を転換してくれないとこれからも解決しないと思います。
 
もしこれをお読みの男性の中にこのような政治家の方々と同じ認識のある方は、今すぐその認識を改めて欲しくお願いします。
 
私達が理性的に「良い世の中だから仲間を増やしたいな」と判断するには、男女が協力した社会が実現している事が必須だからです。
 
さらに「本能第一主義」しか信じられない人には、それに自分が従う分には構いませんが「そうでない人もいる」ということを踏まえて他人と接して欲しいです。
本能が最強だという事に従えない私のような人間も「人でなしの変人」扱いされない世の中が私の理想です。
 
そして先ほど私は今のところ「子供が可愛い」しか子供を産むメリットが見出せないと書きましたが、それでもその価値を尊重してこの時代に子供を生む事を選択した女性のことを私は本当に尊敬します。
私はこういう「子無し既婚女性」の立場でものを書くと、産んだ女性をバカにしている風に取られてしまう事があるのですが、決してそんな誤解がないように改めて書きます。
この時代で「産む」を選択している女性は、私にとってすごく勇者のように思えます。
そういう一員にすんなりなれない自分は、今のところそういう女性のことを応援するしかありませんが心の中で本当にいつも応援してます。
そして、私と同じ境遇の女性のことも共に応援してます。私と同じ境遇の方は、私のようになかなか共感し合える女性に出逢えていないかと思います。(私は友達が少ないから特にそうだっただけかもしれませんが)
でも、私達は決して「他の女性のように自然に産みたいと思えないなんて、女としておかしいのかな」などと思わなくていいと思います。
そういうことで自分を責めないで下さい。
 

「放っておく」という応援

 
さて、いま私は「応援してます」と書きました。
もしこれをお読みの方々で「自分もそう思う。是非これからは女の人を応援したい」とお思いの方がいましたら嬉しいです。
ですがこの「応援」ですが、少しやり方を間違えると逆効果になるのでそこは注意が必要です。
 
具体的にどういうことかを説明するために私の体験談を致します。
 
私は27歳の時、いわゆる世間的には「結婚適齢期」ど真ん中に結婚しました。
相手は4年付き合っていた同じ歳の男性です。人間的になんの問題もなく夫として申し分ない人だと思います。
 
 そして、結婚と夫の転勤が同時だった私は結婚前とは違う介護の職場(デイサービスとショートステイが出来る施設)で正社員で働きはじめました。
 
この職場には私より半年前に入職した同じ歳の子無し既婚者であるH田さんという女性がいました。
彼女は看護師で偶然にも私と境遇が似ていて、私と同じ時期に結婚と引っ越しを経てその職場に勤め始めていました。
 
さらに別にもう1人、職場ではベテランで私達より2つ歳上の結婚2年目で子供のいないS林さんという女性もいました。S林さんは年の割に言動がおばちゃんくさい人で小太りで明るい人でした。
 
職場の総人数は10人ほどでしたが、うち男性は1人。私を含めて子無し既婚女性が3人。
未婚女性が1人。あとは子供のいる主婦(40代後半〜60代)の方々でした。
 
私はその職場で初めて数人の利用者さんの前で自己紹介をした時のことを覚えています。
 
名前と出身地を言うと利用者のお婆さんに開口一番「結婚はしとるかい?」と聞かれました。
私が「はい」と言うと、お婆さんはにっこり微笑んで「じゃあ楽しみが増えた」と言ってご自分のお腹をぽんぽんとさすりました。
私は一瞬「?」と思いましたが、同時に隣にいたS林さんが「お待たせしてすいませんねぇ〜!」と、含みのある苦笑いをしながら言いお婆さん達はドッと笑ったのですぐに「ああ、子供の事か」と思いました。
 
思えばこれは軽いジャブのようなものでした。
 
私の職場はリーダーの女性が40代ながらすでに孫もいる方で、時々休みの日にはそのお孫さんを連れてくることがありました。他の職員も小さい子供がいる方は時々連れてくることがありました。
 
そういう時、利用者さんの中には赤ん坊を見るだけで涙を流して喜ぶ方もいました。
デイサービスの状況を知ってる方は分かるかと思いますが、認知症があるお年寄りは「帰宅願望」と言って「とにかく家に帰りたい気持ち」となり、外に出て行ってしまうことがあります。
 
私達職員はそれをなんとかお帰りの時間までレクやお話したりお風呂に入ってもらって繋ぎ止めるのも仕事だったのですが、なにぶん毎日のことなので利用者さんも飽きていて結局帰りたがってしまうことも多く、デイサービスはいつも利用者さんの帰宅願望との戦いの場でもありました。
しかしデイサービスに小さな子供が来る時は皆さんピタっと子供に集中して、言い方は悪いですが「非常に場が持つ」のです。
それを分かっているのでうちの職員は休みの日には子供を連れて来てくれるので出勤しているこちらとしてはありがたいのですが、私は働いて年月が経つうちに段々この「赤ん坊来訪」に対して複雑な思いを持つようになりました。
 
というのも赤ん坊が帰った後、お婆さん達はしばらく「しばらく見ない間に大きくなってたねぇ」などと話しているのですが、ひとしきり話し終えるといつも「桜島さんのところはまだなの?」と聞かれるのです。
H田さんやS林さんがいるとやはり同じように順に聞かれていました。
 
私はいつも「そうだねぇ」などと言ってかわしていましたが、入職して3年が経つ頃になると、お婆さん達の言い方はけっこうストレートになり「ここは3つも畑があるのになにも出来ないのかい!?」などと言われることもありました。
 
これはS林さんがよく利用者さんと話す時にご自分に子供が出来ないことを自虐的に「畑が悪いのか種が悪いのかどっちだろうねぇ」と言っていたので、そういう比喩表現なのですが、私はこれを聞くたびに「女体は畑か…」と、なんとも言えない気持ちになっていました。
 
 それでも私はお婆さん達にこういうことを言われるのぶんにはなんとも思いませんでした。
介護は一種のサービス業であり、利用者さんはいわばお客様です。
客商売でお客様の言葉にいちいち傷ついては仕事になりませんし、そもそもお年寄りの方が「結婚したら次は子供を」と思うのは世代的に当然なので、その価値観を今更変えるのは不可能だし私達はサービス従事者としてその立場にないから、そこは割り切れます。
 
でも私が嫌だったのは「こういうことを言ってもOK」というような空気が職員間にもあったことです。
 
つまり、赤ん坊来訪があった日は利用者さん達から「子供はまだ?」という話題になり、さらに利用者さんも帰った後はその空気のまま今度は職員が私とH田さんとS林さんに対してぶしつけに「で、本当のところ赤ちゃんどうするつもりなの?」と言ってくるのです。
 
「赤ちゃんどうするつもり?」はまだいいほうで「子作りしてるの?」や「なんで出来ないの?」なんかも聞かれることがありました。
これはもう直訳すると「ちゃんとセックスしてんの?」とも取れる質問で、いくら女性同士と言えど普通の職場ならセクハラに値するかもしれません。
でも私の職場では日常的に聞かれました。
 
 S林さんは人づてに聞いたところでは不妊治療をしていたそうなので本当はこういう事を言われるのは私より嫌だったかもしれません。
(あと、私は求めてないのに「S林さんが不妊治療をしている」という情報が本人以外から知り得てしまう環境も嫌でした。)
 
さらにS林さんには、私とH田さんとはまた一段階違う「赤ちゃん早く出来るといいねぇ」という哀れみのような言葉がかけられているのを見る事もありました。
 
S林さんは最後に辞める時も主婦職員や利用者さんに「赤ん坊出来たら連れておいで〜」と言われていましたが私はその時も「それじゃ赤ん坊出来なかったら顔見せにも来づらいじゃん」と思ったのですが、みんなは全く悪気のない顔でニコニコしてました。
S林さんとはそれほど打ち解ける前に辞めてしまったのでS林さんが本当に不妊治療をしていたのか、真偽のほどは分かりません。
でも私は後から考えて、「もしかしたらS林さんは『不妊治療をしているS林さん』というのを演じていたのかもしれない」と思うようになりました。
その理由は後ほど書きます。
 
 
私はS林さんが辞めた時「矛先が2人になったな〜」と思いました。
そしてしばらくすると、ある利用者さんからこんな事を言われました。
「H田さんは赤ちゃん欲しくないんだってさ、桜島さんはそんなこと無いやね?」
 
私は驚きました。
「H田さんが子供を欲しくない」という情報にではなく「H田さんが子供についてどう思っているかを人に明かした」という事にです。
 
でも私は驚くと同時にそれを明かしたH田さんの気持ちもなんとなく理解出来ました。
 
なぜかというと、何年も同じ質問をされるうちに私も薄々分かってきた「深追いされない答え」のうちの一つがそれだったからです。
 
先ほど「もしかしたらS林さんは『不妊治療をしているS林さん』というのを演じていたのかもしれないと思うようになった」と私は書きましたが、これも同じことです。
 
つまり「赤ん坊は?」の質問をする相手が求めている答えはストレートな2択で「子供は欲しいが出来ない」か「子供は欲しくない」なんです。
 
それはなぜかと言うと少し前の世代に出産を経たおばちゃん達の頭で理解出来る「子供のいない既婚女性」の心理パターンがその2つしか無いからです。
私のように「あぁはぁまぁ」で逃げると、この2択に答えてないとみなされ延々と質問地獄は続きます。
 
特に私の職場にいた子供のいる主婦の方々は望んで子供を産み育てた肝っ玉母ちゃんのような人ばかりでした。
 彼女達は「結婚してるのに子供がいない」という状況に対してすぐ「なんで?」と思うようです。
それに対して彼女達の頭で納得出来る答えは「欲しいけど出来ない」か「子供が欲しくない」しかありません。
 
そして「欲しいけど出来ない人」と「欲しくない人」へは、さすがにそれ以上踏み込むのはマナー違反」という認識が一応はありました。
 
1人だけすごくデリカシーの無いおばちゃん職員がいて、彼女はそれらの場合にも口出しをしてきていましたが、さすがにそれはその人1人しか居なかったので、だいたいのおばちゃん職員に子供についての質問を深追いされたくなければ自分はその2つのうちどちらかなのだと明言することが唯一の逃げ道でした。
 
だから私はH田さんは深追いされたくなくてとうとう「欲しくない」という立場を明かしたのだと思いました。
H田さんは後日ご本人の口から直接「子供って欲しいですか?私は正直そこまで欲しくないんですけど、ここの人達結構うるさく言いますよね(苦笑)」と言われたので子供が欲しくないのは事実なようでした。
 
でもS林さんの場合は私は少し疑っています。なぜなら本人から聞いていないので、もしかしたらおばちゃん達の深追いを避けるために立場を「不妊治療中である」と言い切っていた可能性も考えられるからです。
事実は分かりませんが、とにかく私はなんで「既婚子無し女性」というだけで、私達はこんなにも他人から「子供を持つこと」について詮索されなきゃならないんだ、とうんざりしていました。
 
さて、私はそのあとまだ粘って職場では子供について欲しいとも欲しくないとも明確にしませんでした。
するとやはり上記のような「あんたは子供が欲しくないの?出来ないの?」「ちゃんと、することしてんの?」というような詮索は続きました。
 
特に年齢が30歳を越すと「今はいいけど年取ったら寂しいよ〜」「旦那さんは欲しいんじゃない?今からでもよく話し合いなね!」という「産もう教」への洗脳のような言葉が増えました。
 
私はその度「なんで他人の夫婦の家族計画がそんなに知りたいかなぁ」とうんざりしていただけなのですが、何年も言われているうちにだんだんと彼女達の気持ちを理解したいという興味も湧いてきました。
 
そして、あるおばちゃん職員さんに「なんでそんなに子供を勧めるんですか?」と聞くと、彼女はキッパリと「そりゃあ、女は子供を産んで一人前になるからよ!」と言われました。
 
私にはこの答えが衝撃的でした。
彼女は特に普段から子煩悩というか、息子が大学生と高校生なのに、自分が夜勤の日には夕食をきちんと作って夕食時間になると職場から電話をして「アレとアレを食べなさい」と指示するような、子供に構い過ぎな一面のあるおばちゃんだったのですが、それにしても彼女にとって「子育て」というものが自分の人生の比重のほとんどを占めているのだということがこの「一人前」発言で、すぐ分かりました。
つまり、彼女にとって子供を産む前の自分の人生は助走というか「半人前」の状態で、子供を産んでからが本番で、最終的に子育てを経て「一人前」になったという認識なのです。
だから、彼女にとっては「子育ては人を成長させる行為であり、女に産まれたからにはそれで成長してこその人生」ということです。
彼女は「子供を産まなかったら人は半人前で終わってしまう」と思っているので、そうなるときっと人生の終わりに私達が後悔すると思ってまだ悩み中の私に「産みな!」と言っていたのです。
 
彼女は実際に「産みたいと思った時には出産適齢期を過ぎていて後悔した」という友人もいるようで、「桜島さんもそうなってからでは遅いよ!」ともよく言ってました。
私は「なるほど…」と思いました。
 
その「なるほど」は「なるほど、私達に子供を勧めるのは、この人的には100%の善意なんだ」という意味の「なるほど」です。
彼女は自分の生き方に満足しているようでした。
だからシンプルに「自分が満足しているから人にも勧める」なのです。
他のおばちゃん達もきっと同じような理由で言ってくるのだと思いました。
要するにそれは彼女達なりの子無し既婚女性への「応援」なのです。
 
しかし、この「応援」は、長いこと私にとって窮屈な負担でしかありませんでした。
私は職場でのこの手の質問が嫌で、一時期はH田さんのように「子供はいらないと思ってる」と言っていたこともあります。
すると言葉とは不思議なもので、そう言ってしまうと段々と気持ちの方も本当にそちらに傾いていき、一時期の私は本当に子供のことを「いらないかも」と決めかけてたこともあります。
その後再び夫の転勤のため仕事を辞めて今になり改めて考えるとまたその考えはニュートラルになって「産むか産まぬか」の悩みの中に舞い戻ったのですが、もしあのままあの職場にいたら私は「産まない」に軍配を上げていたかもしれません。
 
つまり、こういう形での「応援」は、子供をこれからどうするか考え中の女性にとってははっきり言って迷惑となります。
 
「子供はどうするの?」という質問には本当は「この先どう生きるの?」という深いテーマが存在します。
なので、本当に信頼関係があって話す相手以外には簡単に話せないことです。
それなのに、おばちゃん達のように軽い感じでそういう話をけしかけられると、された方の女性はなんらかの返答をせざるを得なくなり、中には私のように「人の言うことに振り回されて、答えを出す」なんてことになりかねないのです。(私は未遂ですが)
 
だから、私は「女性の出産関連」のことに対してそのパートナー以外の周囲の人は「放っておく」のが一番の応援なんじゃないかと思ってます。
 
もし、本当に悩んでいてアドバイスが欲しい女性なら当人から申し出があると思うので、聞かれた時だけ親身に答えるくらいで丁度いいんじゃないかということです。
 
もし、これを読んで「そういえば私も良かれと思って歳下の子に口出ししてたわ〜」と思い当たる方がいたら、明日からそれを辞めて「放っておく」をして頂けるといいと思います。
 

おわりに

女性の人生について考えると、ひと昔前の女性には「産む人生」と「産めなかった人生」しか無かったように思います。

そして「産めなかった人生」をしてきた女性は産んだ人生の女性から見たら「後悔している」とか「子供が出来なくて可哀想」と思われていたように思います。
だからこそ、その時代に子供を産んだ上の世代の女性は、今まだこれから妊娠出来る世代に対して素直に「産む」を勧めるのかもしれません。
 
しかし、産めなかった人が本当に可哀想なのかは本人が決めることだと私は思います。
産んだ人が必ずしも幸せどうかもわかりませんし。(私の母のように)
 
私はよく人から「夫婦2人だけで何年も暮らしててつまらなくない?」と聞かれますが、その度に「この人の夫はそんなに2人だけでいるとつまらない人なのかなぁ」と思います。
しかしそれを言うと喧嘩になるのでふつに「楽しいですよ」と答えています。
相手は「本当にー?」とか言ってきますが、いくら説明しても私の味わっている夫婦2人暮らしの楽しさは、結婚してすぐから子供が居る人には分からないかもしれません。
でも私は子供のいる暮らしの楽しさがわかりませんし、それはお互い様です。
だから子供が居ない人生の人も子供がいる人生の人も「言いっこ無し」になればいいと思います。
要するに他人が産む産まないに関しても、他人が何に価値観の重きを置いて生きても周囲は「どうでもいいよ」と思う姿勢の緩さが今の世の中には必要なんじゃないかと思います。
 
そして、今の世の中には新たな選択肢として「あえて産まない」が確立しはじめています。
それは、昔と違って女性の生き方が「子育てで一人前になる」以外に「仕事で一人前になる」や「一人前とかどうでもいいから死ぬまで好きな事をしたい」とか、「子供」から離れても十分に人生をかけて幸せでいられる選択肢が増えたからです。
 
私は願望も込めて、これからの時代はもっとそういう風に沢山の選択肢から生き方を自由に選択できる世の中になるといいと思います。
 
少子化は確かになんとかしないといけない問題ですが、沢山の女性が人生を犠牲にして沢山の子供を産む時代にはもう戻れません。
 
私は、産む人も産まない人もその周囲の人も自分の価値観を押し付け合わずに楽しく生きられる世の中になって、そうなってから自然と「産みたくて産める」という女性が今より増えるという形になるのが理想です。
その為には、子供を産む事以外にも他人の人生に自分の価値観を押し付けないというルールが世の中に定着することが大事です。
 
世の中には「子供を産んだ方がいい」「産まない方がいい」どころか結婚だって「したほうがいい」「しないほうがいい」とそれぞれその人の生きてきた価値観があっていいと思います。
でも私の母のように子供に自分の価値観を刷り込んだり、他人の女性に対して洗脳しようとしたりすることは、本当にその人の人生を左右させる行為になりかねないんです。
そこを理解して、むやみに人の人生設計に関わることに口を出さないで欲しいです。
 
さて、今回は私と同じような境遇の悩める「子無し既婚女性」が他にもいるかもしれないと思って色々書きましたが、周囲に「子無し既婚女性」がいるというすべての人にも知って頂きたい内容です。
 
どうか、世の中に「子供がいる方が幸せという価値観の押し付け」や「女は本能では子供を産みたいはずだ」という窮屈な決めつけを捨てて、出産適齢期の女性のことをもっと放っておいて下さい。
 
そして、なにより私と同じような女性がこれを読んでちょっとでも「ああ、わかる…」と癒されてくれたら嬉しいです。
 
今週のお題は「子供の頃に欲しかったもの」ですが、子供の頃から子供が欲しくなくてどうしよう…大人になったら欲しいのか欲しくないのかわからないけど、まぁそれでも放っておいて下さい、という話でした。
 
ではまた。